|
|
|
ブログ 今宵の一枚 15日の第1050夜は 永井龍雲「ルリカケス」。初めてこの歌を聞いたとき胸を熱くしてしまって それ以来 この歌がラジオから流れると、じっと動きを止めて聞き入っている。時には涙も出てくる。永井龍雲が奄美に縁のある人と言うのはずっと以前から知っていた。鹿児島には彼のファンが多い。代表作の『道標ない旅」と同じくらいこの「ルリカケス」もよくメディアから流れる。今宵の一枚管理人W氏が 詳しく彼のこと この歌のことを紹介してくれている。「叙情的で美しく、かつ繊細なヴォーカルは大衆の注目と評価を集めるところである」そのとおり。「この楽曲は彼が高校2年の頃亡くなった母上の故郷 奄美大島に行き、その美しい浜辺に感動し、島に生息するルリカケスに思いを重ねて作った」。わたしがコメントせず、W氏の説明で済ませようとしているようで 申し訳ないが、的確なコメントを読んでしまって これ以上のものは出来そうにない。 歌詞に出てくる 瀬戸内町久慈には行ったことがない。島の南端の瀬戸内町の中でもさらに奥まったところにある、(ちなみに名瀬からタクシーで行くと2万円あまりかかるそうだ。)この歌でその風景の美しさを想像できる。永井龍雲はその風景を見て、母の美しさをあらためて実感したんだろう。そして今の彼に繋がっている 母とこの土地に感謝している。 私は久慈出身の知り合いが割と多い。永井さんと 村田さんが多い。元田さんもいるけど。思い返せばたくさんいる。あの小さな集落でこんなに知り合いがいると言うことは 私も 久慈に縁があると、思うことにして、これからも永井龍雲に注目しよう。
今宵の一枚の動画は ライブ映像で とても素敵なんだが、そこまで頼ってしまうのはさすがに。 と言うことで 島の風景写真を使った動画を。 とにかく 聞いてください
|
|
姉の勤める病院を訪ねた。去年は舞が入院していた病院だ。姉のいる検査室前の廊下に出ると、ばったり 舞のリハビリを担当してくれていた、理学療法士の女性と会うことができた。舞より少し年長で、この人が来るのを舞は毎日楽しみにしていた。リハビリも頑張った。この人との時間が楽しくて少しでも長くいてもらおうと思ったのでは。高校時代は陸上ハイジャンプの選手だったということ。陸上好きな私も、会話に割り込むと、「お父さんは話さなくて言いの」と舞に釘をさされた。亡くなる前日も来てくれたたが、熱があると言うことで、「また 明日」と言うことで立ち去っていた。その日が最後の対面だった。この人には 一週間後、リハビリ室をたずねてお礼を言った。一年たった今でも感謝の気持ちは続いている。挨拶して 分かれた後、患者の車椅子を押しながらやってきたのが、舞がいた無菌病棟の看護婦だった。この人にも「その節は」とお礼を言った。他にももう一度会って お礼をいいたい看護士が二人いる それと 婦長さんにも。舞と波長が合うというか、舞が気兼ねなく話しかけることができ、難儀なことでも頼みやすく、何より 舞の立場になって考えてくれた。病気が進行してしまった後、面会に来てくれる家族以外の人でも 規則では入室できないのだが、舞の状況を考慮して、許可を取り 面会させてくれた。あきらめて帰路についた人を玄関まで追いかけて、呼び戻してくれた人もいた。 しかし 絶対だめ と言い張る人も 複数いたのだ。婦長が許可してくれてるのに、規則だからと。はるばる指宿からきた友に会いたくて なきながら「お願い。一分でいいから」と懇願する舞に 「できません」としか答えない看護婦には 恐ろしさすら覚えた。もう 病気の治療が不可能とわかってからのことだ。もっとも親しい友人二人に もう会えないかも と思い 私が頼んで 病院に来てもらったのだが、許可を取らずに一人づつ 面会してもらったのを 目撃した一人の看護婦から「あとで 婦長からも言ってもらいますから」と叱責されたが、婦長はそんなこと絶対言わない。家族同様に仲良しだった友に 舞も会いたかった。励ましの言葉も欲しかった。指宿からの友は ほんとに 1分だけと言うことで面会できたが、あってすぐ 「ごめんだけど 帰って」と言わざる得なかった舞。私が 「いいから大丈夫だからいていいよ」といっても 「1分だけの約束だから お願い」という。病気の治療を託す相手に 逆らえなかったのだろうか。あとから 再び 電話で なきながら謝っていた。「せっかくきてくれたのに 帰って って言うなんて ばかだよね」 悲しかった。 仕事とはいえ 舞の世話を づっと担ってくれてる人たち故 感謝すべきことは 承知している。ほんとに 何度でもお礼を言いたい看護士がいる中 二度と会いたくない人もできてしまった。あくまで 私が である。舞は 全ての人に 感謝しているはずだ。
|
|
朝日新聞 昨日の「歌の旅人」は「22才の別れ」だった。「一夜で生まれた名曲」と見出しにあるから、簡単にできたのかと思ったら、そうでなく、どうしてもできずに苦しんだ後、期限が来ても納得できる曲ができず、1日待ってもらって、徹夜して完成させた歌だそうだ。1974年のかぐや姫のアルバム「三階建ての詩」の中で 2曲を伊勢正三が作ることになり、1曲はすぐできたが、2曲目に苦労。やっとできたのが「22才の別れ」ということ その1曲目が「なごり雪」。この名曲2つが同時期にできたが できた過程のいきさつは 全く違ったようだ。22才は大学を卒業して、就職する年 青春の終わりをイメージした歌 というのは みんなが思ってた通りだろう。かぐや姫解散後、結成した「風」のファーストシングルとしてこの曲は ミリオンセラーになったが、伊勢正三自身は 「あれはかぐや姫の曲」だと 反発していたそうだ、結局ファーストアルバムに入れることは拒否。しばらくは歌うのもイヤになったと言う。風ファーストのLPは私も持っている。「海岸通」「星空」と言ったなじみの曲があるのに 「22才の別れ」はない。しかし ジャケットの写真 このとき伊勢正三は23か24歳位のはずだが、なんとも貫禄を感じる。10代の私達にとっては少し年長だけど、立派な尊敬できる大人だった。 伊勢正三60歳になったそうだ。自分のオリジナルをずっと守り続けている。彼が還暦祝いのコンサートで最後に観客に向けた言葉が紹介されている。 「生きているって大変。いろんなことがふりかかるし悩みも抱える。でも僕達は何かの目的のために生まれてきたんだろう。光あるところに進んでいると信じたい」
「ささやかなこの人生」も好きな歌で、よく歌うのもこの歌 特に同窓会で 初恋の人に「昔のことは忘れてください」と言われてから。
|
|
ブランドものの婦人服のネット販売が好調らしい。実際に手に取り着心地などを確認してからでないと購入しなかったものが、写真を工夫し、縫い目や、ボタンなどの細かいところまで写し、写真の数も20枚ほどと多めにし、また 返品自由とすることで、安心感をもたせ、ネットに親しんでいる30代を中心に売り上げが急増中という。既存の店舗には脅威だが、なんとショップで実物を確認して 購入は価格の安いネットで というひともいるからたまったものではないかも。ショッピングは楽しむもの 買うのはネットで。 家具をネットで紹介して、注文があると、メーカーに連絡し、工場から直接 購入者に送る。販売業者は店舗も倉庫も 在庫させ持たなくてすむ という 家具店の記事を読んで 驚いたのは、7年位前だっただろうか。今ではドロップシッピングが、広く知られ、 商品説明画面はメーカーが作るから素人でも、難なくできてしまっている。ネット販売はより多くの商品情報を提供することが成功に欠かせない。 さて 珈琲の場合写真を出しても ほとんど同じ。味をどう伝えるかが大事だが、的確にそれを伝える言葉を見つけるのが難しい。味よりもコーヒー豆についての説明が細かく、多くなってしまう。産地情報 農園の紹介 管理状態。これは珈琲業者にとっては重要な情報だが、消費者にとってはどうだろうか。高級と言われる豆は 確かに丁寧な取り扱いで、おいしさを保っているが、飲む人の好みに合っているかどうかで、おいしいかそうでないか、違う意見になってしまう。その味と風味を予想でき、おいしそう と思わせる言葉でないといけない。マイルドという言葉は呑みやすさを連想させるが、酸味 苦味どちらにもマイルドさは含まれ、コクがある と言うと 味がしっかり出ていることだが 一般に味の濃さと思われている。ソフトとマイルドのちがいも曖昧。香りについてもいい香り と 強い香りは 同義ではない。これで 購入しようとする人に おいしさを訴えようとすると、「ソフトでマイルドで コクがあり 香りもよい」となるが これはどの珈琲にも当てはまってしまう。違いを言葉で表せないとなると、おいしそうだと連想させる抽象的な表現を用いる業者もいる。夏の香り 森の香り。実際にヘイゼルンナッツのエキスをくわえたフレーバーコーヒーと言うのもあるが、さわやかな風味を連想させるのに自然の要素は適当のようだ。また 形容した言葉によって、実際に飲んだとき、いしきがその言葉に反応して、味覚を変える場合もある。にがみが特徴の珈琲に、マイルドをつけると、甘みのほうに味覚が引っ張られ、にがみが薄れる場合。酸味の珈琲の代表モカを深入りにした場合 「モカの風味を残し」と入れないと、ふつうの苦味の珈琲としか感じなかったり。こうしてみると、実際に店で飲んでもらう時でも 端から、決め付けられたコーヒーの特徴を行ってしまうと飲んだ人はそう感じてしまうのかもしれない。自信のあるコーヒー屋は何も言わずただ 飲んでもらうべきなのだ。試飲ができないネット販売では 工夫した言葉を駆使するしかない。どのコーヒー通販業者も似通ったキャッチコピーになっている。激安 格安 という言葉で誘うことも多いようだが、ブランド婦人服の例の様に、いいもの ほんとにおいしいものを求めている人たちのほうが増えている。信頼できる業者かどうかを判断してもらうことが 商品にたくさんの説明をつけるより大切かもしれない。
|
|
中山ラビの「時よおやすみ」を聞いていて、もう一人 大學での友人を思い出した。Iと言う友人は和歌山の出身。大学の近くの下宿に住んでいたので、帰宅途中や講義の合間によく訪ねて、テレビを見せてもらいながら 時間を過ごしていた。このI,のんびり おっとりした性格で、雰囲気がおじさんっぽいのだ。風貌は私のようなヒッピー風ではないが、極めてオーソドックス。一昔前のカレッジスタイルとでも言うか。ただ ふだんやってるしぐさが、板につかない。実家は割りと裕福なのか いいものを使って生活していた、先のテレビも みな 小さな白黒テレビを使ってたのに、普通の家庭用カラーテレビ。出身高校は大成高校。当時 男子のバレーボールが強かった。なぜ中山ラビで彼を思い出したかというと 初めて見た中山ラビのコンサートは彼と行った。田舎で育ったらしく、若者情報が不足していたのか、フォーク ロックの知識がほとんどなかった。同じ高校から来ていた彼の同窓生が 吉田拓郎と井上揚水の名前をしらなかったのには驚いた。以前紹介したロック評論家然としたO君もしばらく同じ下宿にいて、Oに刺激され、ステレオセットはダイヤトーンのスピーカーなどいいものを置いていたが、レコードは何があったのか記憶にない、そもそもレコード持ってただろうか。そんな彼がフォークに興味を持ち始め、私のアパートに来たときには 女性フォークシンガーのレコードをいくつも聞いていた。そういえば、泊まったときには一緒に銭湯に行き、かれの体毛のこさに驚いたなぁ これは関係ない話だけど。そして 実際ライブを見たいと言うことで、中ノ島公会堂での 中山ラビ 佐井好子 ジョイントコンサートだった。いろいろ彼にフォークに関する薀蓄をひけらかしていた私だが この二人をじっさいみるのは 初めてだった。ラビはこの後、「よーどん」というロックの名盤を出しているが、このときのコンサートは生ギターでの弾き語りだった。I君も皆に合わせて手拍子などして、満足そうだった、「よかった ふたりともかわいかった」って どうもアイドル視している様だったが。 彼とはゼミも一緒だった。彼の同窓生も他に二人、箕島のエースだった、T君など 和歌山の連中が多かったゼミだった。今は何をしているのか全くわからない。多分 和歌山で就職したと思う。最後のゼミのコンパで 他の人たちの進路を知ることができたが、唯一 卒論が優でなく可だった彼は参加していない。
|
|