店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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世界陸上は、日本勢が不振です。
決勝進出は、ハンマーの室伏だけかな その室伏も6位だった。でも 現時点では このくらいが 予想される本当の成績だったのではないか。今シーズンは出だしが遅く 未だ ベストの状態には程遠かったのではないか。
始まる前から、放送関係が、日本選手の活躍への期待を あおりすぎてる気がしていた。最も 日本で陸上競技は、未だメジャーとは言いがたい状況だから
地元勢の活躍を訴えないと 興味を持って 見てくれる人が増えないだろうから、放送する側としては、仕方無いのだが。現実に 日本選手の成績が振るわないため、ここのところ 会場の 長居陸上競技場は空席が目立つ。ヨーロッパでは信じられない国際大会の実情だろう
室伏は 今季最高の80mを越す投擲をして健闘したが それよりも調子を上げていた人が5人もいたのだ。女子ロングジャンプの池田久美子も世界のトップには 差があったが 今期 記録を伸ばしているので、本番で ベストを出し 他の選手が 不調だったら メダルも夢じゃない と言うのが本当のところじゃなかったか 彼女のベスト記録では決勝に残れればよくやったと言えたんじゃないか。20年前なら 7m跳べるのは ギャッキー・ジョイナー・カーシーとハイケ・ドレクスラーくらいだったけど いまでは 10人以上いる
日本選手も進歩したが 世界はもっと記録を伸ばしていた。
実際は、池田久美子はベストには遠く及ばない記録に終わってしまって、不調だった 力を出せなかった ということは、言われなければ成らない
調整の出来てない選手が多いのも確かだ つったり 痙攣したりは、本人の不注意だろう。男子200mは3位の記録が20秒05だった。末次が好調に走れたら上回れた記録だ。もしかしたら 来年のオリンピックに照準を合わせて
いまは、調整期間と考えてる選手もいるかもしれない。逆に日本で開催される
大会だからと、気持ちが入りすぎたり、プレッシャーに負けた選手もいたかも
国際大会でも 国内大会でも 地方大会でも 見てるほうは、一心に競技に
集中して、奮闘している姿が見たい。
まだ 上位入賞が期待できる 2つのリレーが残ってる、最後の健闘でいい結果が出れば、大会は、盛り上がった印象を聴衆に与えて 終われるのだが。
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おととい 昨日と姶良町は 突然の豪雨にみまわれた。
日中 快晴 真夏日 雨など降る気配 全くなかったのに、
突然 落雷のすごい音 空を見上げると 北隣の加治木町の方から 真っ黒
な雲がこちらへ 流れてくる。
「降るなぁ」とそれ程気にもせず 配達の仕事をこなし 車に戻ったその時
何かが車上に落ちてきたような金属をたたく音と、ともに 激しい降雨
にわか雨と言うような すこしは 余裕の持てるものではなく 突然襲われた
感じ。
車の前方が真っ白で見えない。ワイパーを最大にして ライトを点けて スピードを落とし しっかり目を見開いて 走行。
ぼんやり白んだ風景に 信号のライトの赤だけが、この場面を支配しているかのように、強く主張している。
道路上も瞬く間に 水が溜って川になってしまったかの様に流れている。
側溝の排水能力を 上回る 降雨量だ。
加治木の方は、まっ青なそら 「おっ!晴れてる いいなあ」と思ったが
あちらも 数分前までは 同じように恐ろしいくらいの豪雨を体験していたのだ。
工房に到着する頃には、小降りになってたが ずぶ濡れの年配の人たちが、
着衣から水を滴らせながら歩いてる。夕刻いつものように 散歩に出かけた人達。家を出る時にはまさか雨が振るとは思わないし 散歩コースは 数キロに及ぶ 別府川の堤防、広々とした風景が気もちいいのだが 建造物は何も無い
雨宿りする場所が何処にも無いのだ。「ああ お気の毒に」
私は 降り出す瞬間車に乗り込み 駐車場の屋根の下へ到着 濡れずに済んだことが、健康のため ウォーキングや散歩しているずぶ濡れのお年寄りに対し ちょっと後ろめたい気になってる、 2日続いた 天気予報では、今日もありそうだと予報を出している。

佐賀北高校優勝雑感

佐賀北高校の甲子園優勝が 話題になって格メディアが関連ニュースうを、報じている。ふつうの高校の普通の高校生たちが やってくれた快挙ということで皆 爽快感を喜んでいる。かれらは、野球でなく 大学進学を、目標に入学し 好きな野球を続けていたら、最後にとんでもないことをしでかしてしまったということだ。野球に関して言えば 恵まれない環境でやってきていることも 世間が、厳しく鍛錬した苦労話より 明るい話題として注目させらる要因だろう。名の通った野球名門校が中学生の選手を集めて 設備の整った環境で
時間をかけて目いっぱい練習させているのと比べ 全く劣っているはずのこの
チームの快挙に、今の社会構造に不満を持ってる人たちも溜飲を下げた思いだったのではないか。
13年前の佐賀商業の優勝とも共通点があると、よく報じられている あのチームも「ミラクル佐賀商業」と言われた。僅差での勝利 逆転さよならの勝利
決勝でも前半リードされながら追いつき 最終回満塁ホームランで決着。その大会が終わってから その開会式を取材した 鹿児島の南日本新聞の記事を読んだことを おもいだす。その年も 東京の帝京が優勝候補で、鹿児島代表の
樟南の選手達も 帝京の選手達を憧れに近い感慨で見ていた 樟南は優勝候補とまではいかないが 福岡投手 田村捕手のバッテリーは、前年の活躍で注目されており 彼らを 側から 佐賀商業の選手達が「お!福岡だ」「田村だ」
と、見ていたという記事だ。その年は 結局佐賀商と樟南が決勝を戦った。
今年との共通点の第一に挙げられるのは、そのチームが優勝するとは誰も思わなかったこと。13年前の大会は 強豪といわれたチームが早々と敗退し 九州勢がベスト4に3チーム残った あるテレビ番組で 「今年は あまり盛り上がらない 静かな大会だ。」との発言があり、
おおいに盛り上がっていた鹿児島では、これに反発する 新聞投稿がかなりあった。今年も九州勢の成績がよかったが 大会は おおいに注目され盛り上がり 13年前のような意見は、関東からも関西からも私には、聞こえてこなかった。この相違点は、聴衆の高校野球に対する意識の進歩か、社会状況の変化によるのか?

川内へ、行ってきました。電車で行った事は、以前ありましたが、自分で車を
運転して言ったのは、初めてでした。
姶良から 蒲生を抜け 樋脇を通って川内まで 約1時間あまり。予想より早めに到着。途中の田園風景の緑が眩いほどに綺麗に目に入って 気持ちよくドライブできました。山中も走行したのだが 急激な傾斜の道は無く 緩やかに上っていって いつの間にか峠の頂上に来ていて 見渡すと 遠景の山々が低い位置に見えて、雄大な自然が満喫できました。姶良から川内駅前まで県道42号線でほとんど真直ぐ走れば着くという快適な走行で、地図から判断して かなり遠い所と思ってたのが 割と楽にいける所でした。 


夏はJAZZ

久しぶりにJAZZコンサートをTVで見た
秋吉敏子のメモリアルコンサートだ かなり年を重ねているが、ピアノを弾きながら コンダクターをこなす姿は、20年前と変わらない ルー タバキンもちゃんと居た。20年前と言うのは、第一回の城島国際jazzフェスティバルの敏子 タバキン ビッグバンド の演奏を見たときのことだ。
あの頃は 野外jazzフェスティバルが日本の夏の風物詩にさえなっていた
宮崎フェニックス マウントフジ 斑尾 など海外からプレイヤーが沢山来た
今は 内容がすっかり変わり ロックフェスティバルのように変わってしまった。わたしも 最近 めっきり聞かなくなっていたから 世間から注目されていないのかとも思ったが、上原ひろみ 松永 貴志など若いオプレイヤーが登場して注目されてる。私が ちょっと元気をなくし スイングできないだけで
新しいJAZZムーブメントは、しっかり進行しているんだろう。
今朝の新聞にマックス ローチの死が報じられてた、jazzファンにとっては残念なのだが あの 若くして不慮の死を遂げた 天才クリフォードブラウンとセッションしてたマックスローチはまだ生きてたのか という驚きもある
そしたら オスカーピーターソンは、ハンクジョーンズは、フラナガン ハナは、
家族にうるさがられて 聞くのを遠慮してたが 上の娘が 映画「スイングガールズ」を見てから JAZZにも興味を示してるので 聞くぞ!
まだ レコードは、400枚は、残ってる CDだって100枚以上ある
夏だ!JAZZだ!ハードバップだ!スイングだ!
のってきたぞ ごきげんだ!

暑い夜の独り言

熊谷と多治見で、気温40.9度だそうです うちの風呂より熱いのかも
焙煎しているとき 焙煎機の近くで40度弱だから あれよりも熱いんだ。
鹿児島は34度 電気代節約のためクーラーを使わない方針のわがやの室内は
35度 外の方が涼しい。
今日は クーラーをつけてしまった 子どもに 「クーラーつけるから 勉強しなさい」と言って、私は横になり そのまま しばし 睡眠 心地よく。
TVで 岸洋子さんが「希望」を歌ってました。おとついどうしても出てこなかった名前は、姓の岸はあっていたのだ 恵子さんと洋子さん どちらも珍しくは無い名前なのだが どうして 洋子という名が出なかったのだろうと、わかった後の今でも釈然としない
中村八大 いずみたく2人の作曲家の特集だったが 「世界は二人のために」
「恋の季節」などもいずみたくの曲だったんだ。
今日は テーマが定まらないが もう一つ 訴えたいこと
昨日のテレビで 重い肝臓病で 移植しか助かる道のない18歳の少女のために 同じ町の高校生たちが立ち上がり、シンクロスイミングのデモンストレーションで世間に訴え 募金活動で手術費用が得られて 無事手術が成功したと言う話題。一人のために 数え切れぬ人数の人が行動しその命が助かったという 感動させられる話題なのだが。こういうときに国が何もしてくれない、出来ない制度になっているとしたら 国民を守る義務が果たされていないと言わざる得ない 今年鹿児島でも 幼女が国内では出来ないことになっている心臓の移植手術のためアメリカへ渡り その費用億単位の金額を 募金活動で賄い
無事に手術が受けられたというニュースがあった それをしないと もう 生きられないという状況で、でもそうすれば生きられると言う状況で、あてになるのは 市民で国や自治体ではない。国内で手術が受けられたら その費用は
はるかに少なくて済む。そうさせて欲しいと言う多くの陳情は国でどう扱われているのか、ことが進んでいるというニュースはいっこうに聞こえてこない
丸谷才一の「裏声で歌え君が代」と言う小説で 超個人主義の思想家を信望する青年が登場して その思想家の著作に 国家は個人と敵対する と言うよなことが書かれていると紹介する 小説の中のことだけど 国民の相当がこうしたらいいのにと思っても 国が それを許さないということが 結構あるんじゃないだろうかと思ってしまう。対米黒字の関係でそうなってるなんて事はまさか無いだろうが、一人の命に関わることに 国民は敏感です 是非 納得できる対策を講じて欲しい
気温も厚いが わたしの頭も熱い イライラしてるわけじゃないが なんだか
声高に主張したい気分になった 回りの全てが熱い
明日は 近畿地方が最も気温が高くなると予想されている。甲子園の熱戦も
無事に行われますように。
記録的暑さの夜の一言多い 独り言でした。

田舎の叔母の家で、家財の片付けを手伝った際、絵を1点 版画を1点 貰ってきた。私は、以前から その作品があることを知っていて 鹿児島では有名な画家のものであることも当然知っていた。この家の長男に 「この絵 どうするの 」と聞くと 「どうするかな?」との返事 「僕が貰っておこうか」
「うんいいよ 欲しいのがあったら持っていって」
「おっ! やった 」と心の中で思いながら でも ちゃんと 話しておかないと
「これ 琉球舞踊の絵は 三四 という 版があるでしょう 岩下 三四と言って 鹿児島では有名な人で 中学生の美術の教科書にもこの人の絵が載ってるんだよ 」 「こっちの T-kuboと彫ってあるのは、久保 剛 先生
 どちらも もし売ったら 高い値が付くよ」
遠方から来ている従兄弟達は、本気で聞いてない。安心して 貰ってこれた。
学校長や教育長をしていた叔父の手元にこういう値打ちものがあっても不思議じゃない。他にも十数枚の絵画があったが この2点は、注目していたので
私が 大事に 管理することにして鹿児島へ、持ってきた
やはり絵描きである 義理の父は この二人 画人ともよく知っていて
持ってきた絵を見せると「 線の書き方が 並みの人じゃ出来ない、やっぱりいいね。」と評価。本物に間違いないという。久保先生からは 毎年版画の年賀状が来てるということで 一枚出してきてくれて比べてみたら サインと
建物の描き方 横線の堀具合 一緒だった
さすがに 「いくら位」とは聞けなかったが 一生の宝になるよ といわれた
「ちゃんと大事にしてくれたら 書いた人も 嬉しいんだ」とう。
義父は中学の教師をしていたときに絵画展に出した作品を 当時のI校長に
「それ 自分にくれ」といわれてあげたそうで 80号の大作のその絵が 今どうなっているかが とても気になっているようだ その校長は すでに 他界していて残った家族が どのように扱っているか 心配なのだ。
私も 知っている絵で 絵画展で見たとき(未だ私と義父は無関係だったが)
惹きつけられた絵でよく覚えている。不本意だったが 校長に言われて仕方なかったんじゃないのだろうか。
大体 ただでくれという言うなんて 絵のことなど全く知らない人なんじゃないのか 額縁と絵の具代で何万円掛かっていると思ってるんだ それに 毎日何時間も集中して精魂込めて仕上げた作品に正しい評価も出来ないんじゃ その人の感覚がおかしいんじゃないかと 思ってしまう。
こちらの 自治会で公民館が完成した時 「絵を飾りたいので 描いてくれ」と言ってきた自治会長は「只でな」と付け加えた あまり失礼な言い方に
抗議したくなって 私の店へやってきた その自治会の役員の方に「義父の絵は 関東を中心としたいくつかの公募点や絵画展で何度も入選し 年間最優秀作品に選ばれたこともあるんです 美術年間でも号あたり数万円の評価を受けてます そこを理解してください」 そしたら 自治会長は 公民館を訪れる人たちに 「この絵は O十万円の価値がある絵です」と自慢しているらしい
描き手は、満足できものに仕上げたいと 精一杯の力を込めて製作するのです
そういう価値のあるものを 手元においている人は 作者の思いを受け止めて
大事にしなければなりません
今日 新しい額を買ってきました さて 狭い我が家に展示したって私の家族以外見れない。いとこに電話で 本物で価値のあることを伝えたら 「絵の解かる人のところに置いといたらいい」と。これ 私のことじゃないみたい
もっと 美術に精通している人だろうか 解からないから 暫くしまっておいて 慎重に考えよう。
だが これは絵にとっては不幸なことだよな。

「希望」と言う名のマーチ

今日は 朝から フォーセインツの「希望」が 鼻歌で出てくる。
昨日 TVで見た ボレロのように段々盛り上がってくるドラマティックな
演奏がすばらしかったし メンバーもかっこよかったし 心に響く歌詞とメロディーだったし。気付くと 「あなたは むかしの 私の 思い出」と歌ってる そして 「希望と 言う名の マーチが響く」と来たところで また
考えてしまった この歌 マーチなのか 自分で歌いながら 手を振り 足を踏んで 行進の動作をやってみた これが 合うのだ 
譜面で確かめないと 素人の私にはわからないけど 2拍 にも 4拍にも聞こえる。甲子園の選抜高校野球の行進で いろんな曲を行進曲にアレンジして使っているけど この曲も使われたんじゃないかと思えてきた
作曲者が、70年頃 「太陽がくれた季節」など若者の支持を集めた曲を多く手がけた いずみたく であることも 感慨を深くしている
もう 一曲 TVでは歌わなかったが シモンズの 玉井妙子さんが作って歌った「ふるさとを見せてあげたい」もなぜか口ずさんでいる 彼女がもう活動していない故に また聞きたいと思うからだろう。本当は まだ LPレコードを、持っているから聴けるんだけど。
「希望」を歌ってた もう一人の女性シャンソン歌手の名前が思い出せない
その姿は、はっきり記憶してるんだが
岸 恵子の名が浮かんだが 彼女は、歌手じゃない シャンソンーフランスー
岸恵子と連想してしまったからだろう。芸大を出てて 「夜明けの歌」という名曲の歌い手で ジルベールベコーのカバーアルバムも出していて 南田洋子さんに似ている人 なまえは、何だっけ?

思い出のメロディー フォーク大全集

昨晩は、思い出のメロディー 今晩は、フォーク大全集 と、二晩 懐かしい歌を楽しんだ。青春時代によく耳にした 歌の数々なんだけど 小学生の頃の歌も 社会人になってからの歌もあり 青春時代って いつだっけ と思った次第。
70年代の歌が多かったし、それらが とても 心地よく聞けたから、沢山の歌と出会えた青春時代は 中学 高校時代 なんだろう。
1970年前後の中学時代は、性に目覚めた頃で 「小指の思い出」とか「夕べの秘密」を聞いて 頭の中でその歌詞の状況を再現させ ぞくぞく したものだ。千賀 かおる「真夜中のギター」は、昔と同じように 暖かくほのぼのとした気持ちにさせてくれた 「旅愁」の西崎みどりさんなど30数年前と
声も 姿も 全く変わってなくて やっぱり綺麗だなと思うと 嬉しくなってくる 同じように自分も昔と変わってないと思い込むことが出来た
フォークはブレッド&バターとソングフォーメモリーズの新井さんの曲以外はみんな 歌えた66年のバラが咲いたも リガニーズも フォーセインツも
一人寝の子守唄もフランシーヌの場合 も みんな歌えた。これらが 私にとっては なつかしのフォークで、他は、今でもよく聞くし歌ってる なごり雪 や 風 は中学生の娘も知っている みんな世代を超えて歌い継がれる名曲ということなんだろう。シモンズが ユミさんタエさんじゃなくてユミさん マリさんだったが マリさんの声質がタエさんと似てるので ぴったりだと思う それにしても この田中由美子さん イルカは、結構大きな孫のいるおばあちゃんなんだが なんとも若々しいこと。
思い出のメロディーが始まった頃 両親が 二人で 高田幸吉や渡辺はま子の歌を楽しんでいた。今日は、私が 娘からTVリモコンを取り上げてかじりついて見た。昔に戻りたい年頃です。 

結局 昨夜は、10時まで焙煎 その後 発送の準備などをして ブログまで
書き終わったのが、2時半(17YUUさんに 最近更新されてないよね と
叱られたので 頑張って書いた) 今朝は 朝早くから 配達に走り回った。
霧島市 国分の 「カフェ ルビー」は、昨日の分までしかオリジナルコーヒーがないと言ってたので 開店時間前に届けねばと早めに配達。
まだ 準備中で ご主人(といっても 女性です それも 素敵な)は、店の前に無数に飾られた鉢植えの手入れをしているところでした。この店は 年中
植物が、入り口を飾っていて 今の時期はどの鉢も色とりどりの花が来店客の目を楽しませている ここは、オープンしてからずっと かわもと のコーヒーを使ってくれている 最初 国分の別のコーヒー屋を紹介されたが 私の店を自分で見つけ 試飲して私のコーヒーを選んでくれた。それから 8年位経つが ずっと お得意さまでいてくれている 熱烈感謝
先日 奄美でも お得意先を 訪ねたが その中で ペルセンプレ の中山さんが 「かわもと さんのコーヒーが無かったら 自分は この商売を続けてなかった」と言ってくれた 周囲の人に かわもと のコーヒーを薦められたということだ  その薦めた中に やきとり屋ダンクの ひげおやじも居たそうだ 私の店に来ていたときは いろいろケチをつけていたが 内心は 満足してくれていたようだ。生活彩館マツオ も私が 豆売り業に変わってから ずっと かわもと のコーヒーを置いてくれている。
鹿児島西駅一番街のお店の頃からのお客様もいる。開店当初 応援してくれた Sさん Nさん 姶良で支店を出したときに いろんな所へ、みせを紹介してくれた STさん SIさん 今も こうして 商売が続けられるのも
皆様のおかげ。 今回のような 失敗で 迷惑などかけては 絶対いけません
と、わたしの 頭の中の 誰かが叱ってます。

十日町の皆様 ご迷惑をお掛けしました

奄美から帰ってきたら 注文が殺到して 嬉しいのだが 困ったことにも成ってしまった。
奄美に未だいた月曜日から、電話で注文を受けながら 「焙煎豆がたりないんじゃないか?」と危惧はしていた。「今日は配達できないから 明日の朝からはいたつに走らなければ成らず 焙煎する時間はない。」
姶良に戻って 危惧してたとおりになってしまった オリジナルブレンドの注文をした何人かに 電話で 明日出荷になってしまいましたと お詫び。
翌 水曜日に焙煎。その途中でも 注文が入り 焙煎の追加をせねばならず。
ところが モカの生豆が無くなってしまったのだ。
実は 先週から 残り少ないのは判ってたんだが 「まあ 来週帰ってきてから注文しても大丈夫だろう 留守の間に 荷物が届いても困るし。」と考えていた。コーヒ会社がお盆休みに入るまでに注文しておこう ぐらいに思っていた。大口の飲食店が一斉に注文してくるとは!
急ぎ 大阪の業者へ注文 翌日到着の予定  注文してくれた 客には「すみません あさってになります。 ほんと申し訳ない。
さて 今日も朝から 配達お願いしますの電話が次々
それも モカが必要な オリジナル アイス マイルド モカブレンドばかり
今日の分しか残ってないというお店もあって「明日の午前中には必ず」と。
午後3時前 荷物が到着 運んでくれた運送屋にありがとうと、ほんとに感謝した。
受けた注文分を用意するには 9釜焼かなければならない。夜まで掛かるのは仕方ないが どうも 9時を過ぎ 10時頃にしか終了しない。
夜は 焙煎は控えた方がよいのだが! 煙は見えないからあまり気にしないでいいのだが 臭いが昼間よりはっきり感じられて 例えよい香りでも 不快に感じる人が結構いるのだ。しかも この強い香りは 風に流され 100m先でもはっきり感知される 以前 引越し先で はじめて夜焙煎したとき 周囲の家々では、「いったいなんだこの臭いは」と騒いでいたと 後で聞かされた
隣何軒かに 鍋を焦がしてないか と 電話をしたと言う人も。
かなり遠くの家でもそうだったという。いくら コーヒーのいい香りだといっても やはり 迷惑が掛かる。そこを 認識しながらも 今日だけは どうかお許しを、と、お願いしなければならない状況になってしまっている こうなったのも
わたしのいい加減な判断に因っているんだけど 明朝では 数が多すぎて間に合わないんです。発送する分も午前に出さないと約束の日時に先方に着かない。明日朝の配達は 国分 加治木もあり 送る分の荷作りをする時間は到底取れない。
だから どうしても 今日 焙煎を済ませておかねばならないのです。十日町の皆様 判ってください。
これを見てくださって了解してくださる方がいればありがたいのですが 多くの人は こんなにお願いしてることなど知らないだろうから 自治会長が 
みんなの意見として 苦情を言ってこないか、     心配です。


美しく逝ったR兄さんへ

従兄弟の法事にいってきた。1月に亡くなった従兄弟の遺骨を、三重県のお寺から奄美の墓に移すことになり、その為の法要が行われた。
お中元の注文などで忙しく2日間休業するのは無理だと思い欠席しなければいけないだろうと考えていたが、この人のためならぜひ行かねば、という思いもあり 結局は、前日の夕刻に思い切り、奄美行きのフェリーに飛び乗った。
納骨を無事済ませた後、彼を偲んで 宴が設けられた。列席者は 極近い身内14人だけ。
この席で彼との思い出をみんなに話したかった。残念ながら そういう口上を申す雰囲気にはならず 宴は、終わり ついに機会を失った。
ここで それを 述べてみたい。
「R兄は イボ取りの名人でした。家の前の新川によく入りイボを取って遊んでました。川底のどの石の下にイボが、いるのか判るらしくて その石を取り除くと同時にもう一方の手で逃げようとするイボを捕まえていました。私も よく 後を付いて 川に入ってましたが、ある日私が足を滑らせ流されたことがあります 今でもその時の流されていく瞬間ははっきり憶えています R兄が、川の水の中を走ってきて 私の服を引っ張って助けてくれました 私が幼稚園生の頃のことですから R兄も未だ小学校低学年です よく咄嗟にあんな行動が出来たものだと思います、彼はわたしの命の恩人だったのかもしれません。
R兄は若い頃 太宰をよく読んでました、彼の友人との会話でもある人の例えを 太宰の津軽に出てくるこの男のような奴 と言うように太宰を読み込んでました R兄が大好きな私も 学生時代に ほとんどの太宰の作品を読みました よく太宰は 自己破滅型 と 評されますが 私はそれより 美しい ものを追及してたんじゃないかと思います。日本の自然の美しさや、純粋な少女の台詞を借りて 世間に美しく生きる意義を訴えたり 皮肉って言うと 武士はくわねど高楊枝だけど 自己利に固執して激しい生き方をするよりも 身なりとは違い内面には世間に流されない理を崩さない頑固な生き方をするほうが
美しい 人のためを真に思ってくれた人 たとえば津軽で再開した幼時の乳母
 富嶽百景の女中を 美しいと言っている。R兄もそういう生き方を選んだんじゃないだろうか。一時期 猛烈に働いていた時もありました。その時は、その仕事に魅力を感じていたんでしょう。そのときでも 取引先で理にかなわぬ事はきっぱり拒否し 適当に事を収めようとする 社長と対立もしたようです
人の美しい人生とは、信ずるとおり生きてきたことでしょう。貧しいジェントルマン 最近では清貧という言葉が使われます。R兄の美しくいきた人生を
私は 密かに心の中で誇らしく思います。」