店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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ラジオから中島美香が歌う you be so nice to come home が 聞こえた
ビッグバンドをバックにハスキーな声を十分に生かして なかなか聞かせてくれる。以前はやった 綺麗なだけのジャズ歌手達より聞きやすい ヘレンメリルとこえが似てると思っての企画だろう 少し 軽い感じは仕方ないか。童揺の「朧月夜」を歌っていたのを聞いたことがあるが、バラードを聞かせる事に関しては you be so nice to come home のほうが絶対いい。彼女は、ポップス歌手だが 演歌の坂元冬美が歌った スターダスト もよかった。美空ひばりもむかし歌ったが 坂元の歌は素直な歌い方で伸びやかだった。どちらも確実な歌唱力があるからこその名演だろう。もう一人是非 ジャズを歌って欲しいのが 氷川きよし 何でも歌える彼が 「ラブ」なんかを、歌う様子は、容易に想像でき、それが ナット キン コール に似てくるのだ。40年位前 当時の人気歌手がジャズをテレビなどでよく歌ってた 私は未だ幼少なので当然 何を歌ってるのか判らず聞いていたが 西郷輝彦などが 歌っていたのはよく憶えている 氷川なら きっと みんなによく判る ジャズを披露してくれるんじゃないか。
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ELP

エマーソン レイク&パーマー ELPのコンサートフィルムが、放送された
もう何回も見ているが、毎回そのパフォーマンスに驚かされる
今回は 付録で、ドイツでのTVスタジオライブの模様が放送され、これも
3人のテクニックや繊細な歌声に感動した。
今回また新しくわかったこと グレッグ レイクが(b vo)とテロップで紹介されたこと その手にしてる楽器を、よく見るとベースだ。
ギターもやるが ベースを持ってる演奏が結構ある。ずっと(g vo)だとばかり思ってました
もう1件は。2番目に放送された曲 デイブブルーべックの「トルコ風ブルーロンド」が、原曲だということ 確かにそうだ かれらは、「自分達はロック
ミュージッシャンでなく JAzzのプレーヤーに近い」、といってたことが
ある。アドリブ演奏などを聞いてると まさしく JAzzのピアノだ
キースエマーソンのピアノソロはまさしくラグタイム。テーマのメロディーのところは ドラム ベースとユニゾンに成ってる。ブルーベック ポールデスモンドの テイク5と並ぶ代表作 トルコ風ブルーロンドを彼らのスタイルでやっているではないか。猪俣猛がこの曲の紹介で「ブルーベック楽団と我々フォースだけしか世界でこの曲を演奏していないと言っていたが ELPもやっていた。フォースの演奏は 浜田均太のバイブをメインに 西直樹のピアノ 内山建一のベース 猪俣猛のドラムが、一糸乱れぬアンサンブルを披露していて見事だったが ELPのほうは、エマーソンのシンセサイザーの奔放なプレイにカールパーマーのドラムが付いていく感じ。4ビートジャズとは違い
軽いフュージョンとは比べようもない迫りくる迫力がある 何回か聞いているのに この曲に気ずかなかったのはこの質の違いからだったのだろう。
ELPは、クラッシックの曲をよく取り入れているし グレッグレイクのボーカルはハードロックのシヤウトでなく バラードを歌うようなやさしい美声で
ムーグシンセサイザーのバラエティーにとんだ音色に驚かされたり。
70年代では、やはり進歩的 つまり プログレッシブな音楽だったのだ。 
私が 初めてこのフィルムを見たのは 高2の時だった 他の同級生達も見ていて、話題になっていた アンコールの ナッツロッカーがよかったという意見が多かった この曲が チャイコフスキーの胡桃割り人形の行進曲であることは 知っていたが 英語で 胡桃割り人形が ナッツロッカーといわれていることを知ったのはずっと後のことだ。 その後直ぐ 「トリロジ」のLPレコードを買い 「ホウダウン」という曲にビックリし とにかくかっこよくて
ますます虜になってしまった。展覧会の絵 EL&PなどのLPも買い さらに グレッグレイクのいたキングクリムゾンの音楽も好んで聞くようになり
プログレ という新しい音楽や シンセサイザーという新しい楽器への興味から ジェネシスやリックウェイクマンのイエス のLPを買い富田功などの
世界のシンセサイザー奏者の演奏する クラシック音楽 をたくさん聞いた
この ELPのプレイを テレビで見たことが いろんな音楽への興味を引き出したのだ。



やっかいなOB達の話 と 言うことになるかもしれない話題を もう一つ
大島高校の女子の制服は着ている者達には、評判がよくないらしい
夏 はとにかく暑いということだ 冬と同じ厚い生地のジャンバースカートを、夏も着るのだ 上半身にぴったりくっ付いたその布生地がたまらないらしい そして ブラウスも長袖 年中一着で済むから家計が助かると思う人もいるかもしれないが 真夏にあんなもの 着せられるのはたまらないだろう
男なら 暑いのにベストを着ているようなものだから、あとで聞いたが ブラウスの袖を曲げてたりすると 教師に注意を受けていたらしい 私の 従姉が話してくれたことでよく覚えているエピソードは、「授業中 首筋から虫が背中に入り込み 困ってしまったが しばらくして 虫が動かなくなった あとで みたら 蒸されて死んでしまっていた。」と言うもの。
そんな 制服が 何十年も前から 一度も変更されないのだ わたしの 幼少の頃から 現在まで ずっと同じ制服だ 昭和21年からいまの新制普通高校になり 男女共学になっているから たぶん その後すぐ制定された制服がずっと変更されることなく続いてるんじゃないだろうか 名瀬市内の他の 奄美高校など何度か変更されていて 生徒にも好まれているのに比べたら 大島高校の制服は地味な感じは、否めない 「進学校だから勉強に集中できればいいので 派手な制服など必要ない」と言う意見もありそうだが 我々が 度々耳にするのは OB会が、変えないよう つよく要望していると言う話。
創立100年を当に過ぎた学校ゆえ OB会も大きく 学校にも寄付をするなど影響力を持つため 高校側は 逆らえないと言うこと。
変更反対の理由は 「自分達が現役だった頃の懐かしい制服を、残して欲しい」いう年寄りのわがままみたいな話。これが伝統だからということ。
在学中は 密かに好きだった子がいたりして その子の思い出は制服を着て
出現するわけで 同じ服を着た女子生徒を見て 青春に帰ったような気になる
(ちょっと変態っぽいかな)OLD BOYも多いのではないだろうか。町で唯一の普通高校で、生徒の親も卒業生という例は、結構多い。したがって 父兄から
変更の要請はなかなか出てこない。現役生徒だけが毎年不快な夏を送ってる。
わたしも 在学中は大島高生というプライドとともに この制服を着た少女たちが大好きだったが、後に 昔の女学生達から 男どもには全く判らなかった
制服に関する彼女達の苦労を聞いて 何十年もの間 悩んだ沢山の女生徒 今も 男子よりその数が多くなってるらしい女子生徒たちに同情してしまっている。

大島高校応援合戦 今は大好き

娘の中学校では日曜日の体育祭に向けて 練習が佳境に入っているようだ。
今日は、一日の授業のうち5時限が、体育祭の練習だったらしい
たぶん行進の練習とかしてるんだろう。体育教師に「列をみだすな!」「しっかり腕を振れ」「足があってない!」とか怒鳴られながら。
いま そんなこと命令されると「何だこの野郎」と言い返すし たまに 学校
の近くを通るとき 拡声器から流れるそんな「教師の怒鳴り声」を聞かされて不愉快に成ったりするが 自分も中高生時代はやらされていたのだ。そのことは、それ程強い印象の記憶にはなっていない。そんなにいやなことではなかったのかもしれない。退屈な授業を受けてるよりは楽しかったんだろう。
それよりも 応援の練習の記憶がずっと強い 特に 高校のとき。だが
応援練習を頑張ったのじゃなく いかにして練習をサボるかに精を出していた
私のいた 鹿児島県立大島高校は、伝統として 応援合戦が名物 と、いうことで NHKの全国放送で紹介されたこともあり 近年の生徒達は、そのことに誇りを持っているらしく 我々の時代と比べたらはるかに熱心に取り組んでいるようで みんな まじめに 一生懸命やってる 夏休みや 休日まで集まって。
私の時代でも 応援団に参加して熱心に 「応援団こそ青春の全て」というのも確かにいて 応援団で彼女が出来たとか 1年生女子に「団長!」と黄色い声をかけられるのを聞いて うらやましく思ったこともあったし その後体育会系で有名な大学の応援団長になった男もいた。
しかし わたしは 応援練習がばかばかしいと思ったわけじゃないしやってもよかったんだけど 練習から逃げるゲームのほうが面白かったのだ
たとえば 授業が終わるとすぐに学校の塀を乗り越え 流れてる川の水の切れてる陸地に足を運んで飛び越え 山道に入ってから 学校からそうとう離れた
地点まで逃げる 校門には 各チームの上級生が待ち構えていて帰ろうとする生徒を、チェックする 逃げようとするのは私だけでなく 結構いたのだ。
そのうち 彼らも われわれの 逃避ルートを見つけて 山道からの出口で待ってたりするようになった。そうすると こんどは 反対側の金網の外に かばんを放っておき 手ぶらで 「ちょっとそこの店まで」といって 校門からでて そのまま かばんを取って 逃げる。もし 逃げられなければ 体が
不調のふりをして図書館に篭る 3階にある図書館の窓から 並んで一生懸命応援歌を練習している様子を眺める。ただ 眺めながら 下の様子が楽しそうに見えたりもする。女生徒と片を組んでたりすると「あ!いいな}と悔やむが
今から出て行ったら 「何をしてた」と怒られるし 翌日から逃げられなくなる。みんな 体育祭は学校行事の中の最高の思い出になってるんだろうが 私はそれをサボったことが思い出とは ちょっと情けないかな。それでも 後輩達には 頑張ってりっぱな応援演舞を見せてくれと 願う なんとも いいかげんなOBだ。


家でJAZZを聞きながら

日曜日の朝は、家族が皆出かけて 私一人家に残ってた。
久しぶりに ジャズのレコードを聞くことにした。
ステレオアンプに電気が流れるのは1年ぶりくらいだろうか
レコードプレーヤーは上蓋からはみ出たスイッチボタンの部分は、埃に覆われ
ていて それをふき取り スピーカーの前面カバーを、恐る恐るはずしてみた
黴にやられてないか心配だったが無事でよかった。
LP盤に針をのせると接触不良らしくジャジャという音、セレクトとボリュームのつまみを、わずかに動かすと直った。山水のアンプは23年 JBLのスピーカーは26年使ってる デンオンのプレーヤーガ18年 よく持ってくれてる。
はじめに聞いたのは ビル・エバンス インタープレイ。フレディーハバードのトランペットが you and the night and the music を、すきとおった
音色で高らかに、ジムホールのギターが静かに when you wish upon a star
の綺麗なメロディーを奏でる。ベースが、MJQのパーシーヒースだったのは
初めてきずいた。このアルバムで一番好きな曲は最後の 悲しみを夢に隠して
wrap your troubles in dreams 最高にノッテきた
次に 架けたのが 81年のオーレックスジャズ フェステバルのオールスタージャムセッション これも フレディーハバードのTPから始まるとにかく
メンバーは、オール スターだ、ジェリーマリガン ボブブルックマイヤー
ローランドハナ レイブラウン そして スタンゲッツが「イパネパの娘」を
ミルトジャクソンが「バグスグループ」をやり なんといっても ドラムは
アートブレーキーだ。
私は かつて やっていたように 聞きながら 読書。と言っても 新聞を読んだり 週刊誌の朝日ジャーナル スィングジャーナル 陸マガなどを、読んでいたのだが 今回は 新聞を広げ 体を スイングさせ 足の踵を踏んで
リズムを取り 上機嫌で しばしすごせた。昼になって トミーフラナガンの
スーパーセッションを聞いているとき 娘が帰ってきた。
私の 様子を見て 「何でそんなことしてるの」
前の日 体育祭で歌う「若い力」を教えてあげようと テノール歌手張りに熱唱して 途中から カウンターテナーで ソプラノバージョン アルトバージョンを披露。二人の娘に 「もう やめてよ!」「聞かなければよかった」
とあきれられていて また お父さんが 音楽を聴きながら変なことしてると思ったようだ。こちらは ご機嫌なジャズを聴いて ひとり自由な時間が持てて 調子に乗って また 歌ってあげたい気分。そこで 両手を上下に振ってドラムのリズムに合わせる すると 娘は それが面白いらしく 同じように笑いながら手を降り始めた。楽しい音楽は誰でも聞くと楽しいし、変にふざけて表現するとそれは、自己満足だけで、うるさがられる。
二日間で得た家庭と音楽の関係の体験結果です。


強く やさしき人

松本英彦氏が病院で仲間のジャズの演奏に涙を見せたのと同じ様な場面を、
他にも見たことがある。
松本サリン事件の被害者 河野義之さんの奥様のもとをクラッシックの演奏家達が訪問し 演奏を披露した時のことだ。
あの事件で脳障害にみまわれ まだ 回復していない 奥様も ピアノの
演奏家だったそうで やはり クラッシック音楽には 愛着があり、目の前で奏でられたその演奏に、心を動かされ 涙を見せていた。
傍らで 河野さんが 奥様の手を握り奥様と同じ思いのように 笑顔をむけていた。 とても穏やかな やさしい表情だ。
事件の直後 メディアも 警察も 多くの人が 彼の過失か、仕業だと思い込んでいた。猛烈な非難の声を浴びせられた しかし 彼は ずっと落ち着いて
いて 自分の 立場を主張し続けた。テレビの報道番組で 事件現場となった彼の家で、彼がインタビュウを受ける場面があった。それを見て、 「この人は絶対間違ったことをする人ではない」と 感じ取った人は 多かったんじゃないだろうか。突然襲ってきた不幸の最中で、自分の周囲が異常な状態になっているのに 常に穏やかで 的確に 応えていた 身の潔白を訴えようと感情的になったりするのが常人なのだが ずっと冷静で興奮することなく 置かれた状況を 嘆くでもなく 誰それを恨み非難するでもなく。
質問する久米ひろしも、渦中のひとに聞くということに徹し、けっして被疑者扱いをしなかったのもさすがだった。
熊井啓監督の映画で、この事件を扱った「日本の黒い夏」。事件よりも冤罪を
生んでしまった事にかかわった 警察だけでなく マスコミ などに 振り返って検証して貰いたいという 映画だったが 寺尾聡扮する被害者はここでも
物静かで 決して誰をも恨む台詞はでてこなっかた。冤罪が晴れた後、いつものように 愛する奥様の車椅子を押しながら やさしく 語りかけてる姿は
きっと 河野さんのいつもと同じなんだろうと思った。映画では最後に 取調べに当たった刑事が 人を頼んで 「すまなかった」という侘びのことばを伝えている。実際には その後どうなったかは判らないが、警察組織として公式には、河野さん本人に対して 説明はしたが 謝罪はしてないと聞いてる
映画のように 個人で 謝罪の意思を伝える者がいたら 主人公が見せた嬉しそうな笑顔を 河野さんも見せてくれるんじゃないだろうか。
普通の我々に、こんな厳しい状況が襲ったらとても絶えられない。河野さんの
真の強さに感服する。海外で活躍している娘さんも、困窮者のために尽力する
姿勢は、お父様の優しさと強さを、受け継いでるからこその行動だと思う。
このうえは 一刻も早く奥様が回復され 穏やかな日々の二人の時間が訪れることを、祈らずには、いられない。


テナーサックス 松本英彦

9月1日に書いた記事で 八代一夫カルッテットのテナーサックスを、西条孝之助と書いたが、松本英彦の間違いでした。西条孝之助にしては演奏がエネルギッシュだとは、思ってた こういうバリバリの演奏はやはり スリーピーこと松本英彦だ。
松本英彦は、医療事故により最後は不幸な状況になっていた。その闘病の様子がテレビで放送されたことがある。そこで見た松本は、いつもスリーピースのスーツを着て もみ上げを伸ばし 力強くテナーをブローする あのかっこいい松本ではなく ベッドの上で身動き一つ 表情一つさえ変えることの出来ない 変わり果てた姿だった わたしの感想としてはそれでも 日本のトップテナー奏者 松本英彦がやはりそこにいて 尊敬すべきジャズミュージッシャン
に対する憧れの感情で見てはいた。しかし 一本の点滴の事故」がこんなにも
ひとを傷つけてしまうものかと 悔しくもあった。
テレビ番組の終盤 松本のジャズ仲間が病室に集まり セションした、そのとき 演奏を聞き終えた松本の目から 涙が一粒 ほほを伝って落ちていった
表情に表すことは出来なくても 感情はあふれて 涙に表象されたのだろう
その感情は なんだったのか。テレビで見たその時は 嬉しさと感謝だろうと思ったけど それだけではきっとなかっただろうと思う 最後まで ジャズを愛して テナーを奏でる 粋なスリーピーでいたかっただろうに。


世界陸上大阪大会 終了 期待通り終盤盛り上がってくれた
昨日からリレー種目の決勝が始まり 会場がすごく盛り上がっているようだったがテレビを見ているほうも 興奮させられるレースで楽しめた。4X100mリレーの日本チームが5位ながら 王者アメリカのすぐ背後の位置でゴールしたことが驚きだった。今日も4X400mリレーや 女子ハイジャンプで
世界記録を期待させるシーンが続き興奮した。
当初、目だったスター選手がいなくて、注目度がいまいちかと思ってたが
アリソン・フェリックスやジェレミー・ウォリナーなど 新しいスター選手が
圧倒的な強さでその存在を世界に認めさせた。
私が 世界陸上を初めて興味を持って見たのは、86年の第2回ローマ大会だったが そのときは、カール・ルイスが、全盛で、さらに 400ハードルの
王者エドウィン・モーゼス 中長距離のサイド・アウィータ 十種競技のトンプソン 七種競技のJ.ジョイナー・カーシー 女子幅跳びのドレクスラー
ら、スーパースターが期待通りの活躍をし、また、大接戦を演じ、スタジアムでは何度も観客によりウェーブが繰り返された。
その後の大会でも、ルイスとマイク・パウエルの東京で記憶に残る、ロングジャンプの大接戦があったり、マイケル・ジョンソン セルゲイ・ブブカ ジョナサン・エドワーズなどスーパスターが活躍し、各大会を盛り上げてきた。
今回 世界新は出なかったが、多くの種目は 入賞者の記録が上がっており
競技者全体の層とレベルガ上がってきてるようだ。世界中でアスリート達が日々記録向上を目指して鍛錬しているのだ 陸上界は進歩してるのだ。
来年のオリンピックで、今回活躍した選手が、ふたたび脚光をあびることを期待したいが、それ以外の選手が 1年の間にスターに成長するかもしれないと言うことも 楽しみだ。ローマ大会じょし200mで2位だったフローレンス・グリフィスは、2年後ソウルで フローレンス・ジョイナーとして 最も注目されるスーパースターになっていた。

目覚めの音楽

今朝は、起きて直ぐ ジャズを、聞いた。本当は2度目の起きて直ぐだけど。
明け方 娘とその母親の「ラジオ体操に行きなさい」「今日は行かない」と
言い合ってる声がうるさくて目が覚め その後 上の娘の部屋へ 避難した
寝なおして目が覚めたとき 枕元にCDラジカセがあり 数日前に聞いた
八代一夫クァルッテットのCDが、そのまま入っていたので ONにして聞いた、松本英彦のテナーをフューチャーした イッツオーライウィズミー
どちらかと言うと夜聞くのがふさわしい曲なんだが、リズムが心地よい。
本当は オスカーピーターソンのウィゲットリクエストがいいんだけど
取りに行くのが面倒でベッドに寝転んだまま暫くボケーっと聞いている。
学生時代 「田園」で起きて「新世界より 第二楽章」で眠りにつく。と
いう時期があった。爽やかに起きて穏やかに一日を終わる健康的な生活に思えるが 実際は 毎日 怠惰な生活で、それを隠すため周囲の人に 「ベートーベンに起こしてもらい ドボルザークと一緒に寝てる」なんて 話してた。
ある人に「毎朝やっていることを続けていれば気持ちよく過ごせるが、もし
出来なかったときは、一日 何かおこりそうで 不安になる」と言われ
そんな強迫観念を持ってしまったらいやなので それ以降やめた筈だ。
喫茶店をやっていた頃 毎日開店して最初に流す曲にはこだわっていた
はじめはやはり オスカーピーターソン プリーズリクエスト 朝聞くには
ぴったりだ。しかし 私がいい気分になっても それで客足が増えるわけじゃなし 日曜日にポールもーリアの「恋はみずいろ」をかけたら 来店客が多くて 以来 日曜日は、この曲からはじめるようになり、だんだん ジャズよりもイージーリスニングをかけるけることが多くなってしまった。ミシェルルグラン パーシーフェイス ジェームズラスト など。そして昼間はお客の耳障りに決してならない静かなクラシック協奏曲。ジャズはやっぱり 夜の音楽になってしまった。商売繁盛のためのげん担ぎで強迫観念を持ってしまったいるのだが これらも 好きな音楽に変わりはないからいいじゃないかと自分を納得させていた。
しかし 朝から 晩までジャズばかりの人というのが わたしの店にも良くやってきて 「朝はまず ウィントンケリーのソフトリー・アズインナモーニング・サンライズを聞いてから出勤する」というNさんに 「仕事前に聞くのは、ワークソングだろう」というSさん 喫茶フラワーのHさんは 「まず 店を開けたら サラヴォーンのラバーズコンチェルトをボリュームを上げて外にも聞こえるように鳴らす」
小売店に変わってからもコーヒーを買いに来るたびにアートペッパーの話を延々としていく人もいた。目的はコーヒーじゃなくてジャズの話をすることだったんだと思えるくらい。自分の知識を長々とひけらかすのは、ジャズ好きとコーヒー屋の共通の特性かも。
朝から音楽を聞きたいと思うのは 私の中学時代の経験があるからに違いない
熊本の私立中学の寮にいて 毎朝 ベンチャーズの「十番外の殺人」で起こされた ジャーンと第一音が成って ズンチャチャ ズンチャチャとドラム チャチャーンとリードギターがメロディーをかなで始めたとき 「起床! 起床の時間です」と当番の寮生がマイクで叫ぶ 当時はみんなベンチャーズが好きだった。元気良く起きた。、きみまろじゃないけど あれから ン!十年 今は、爽やかな音楽だろうと 軽快なリズムだろうと 朝は寝っころがって聞い
ている夢の続きのバックグランドになってる。
普段 我が家の朝は 寝ぼすけの娘のために 「ペールギュント 朝」が 流れる 親は 「朝だ!起きろ」のつもりだが 娘は ゆったりと気持ちよく耳に入ってくる やさしい朝のメロディーに 幸せそうな寝顔を見せ続けている。