店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

プロフィール

川元 正樹

Author:川元 正樹
店主です。よろしく!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



もがりの森

NHKBSで 河瀬直美監督の 「もがりの森」が放送された。(「もがり」という漢字が出てこないので ひらがなで 記す)
それぞれ 愛する人を 失って 心に傷を負った 認知症の男と 介護員という立場の女性が出会い、それぞれ 逝ってしまった者への思いが断ち切れず その思いゆえに苦しんでいる。
奈良の 山奥の濃い緑の自然風景と 老人達の嬉々とした表情が繰り返し映し出されながら
進んでいく
 映画の半分は 2人が 森の中を さ迷い歩くシーン。 男が 何かに取り憑かれたように
森の中に進んでいく 女は 男を 保護しなければならないと 後を追う。
台詞がない 映像から説明は発せられない。 男は何をしようとしているのか 女は 困惑した表情ながら 男の様子を見守っているだけ これからどうなるのか。 見ていて 思うのは
観る者が 自分の立場 経験で 彼等の 心情を想像すれば 観衆それぞれが、微妙であっても 異なるものを感じるだろうということ。
途中 雨で 流れの速くなった 小さな川を突き進もうとする男に 女が おおきな泣き声で叫び 行くのを やめさせる そこで 男の様子が変わる 女の存在をそこから 強く意識し始めたのだろう。暗闇の中 雨に撃たれて冷え切った身体を 肌と肌を触れ合って暖めあうシーン
女が 必死で男の身体をさする 激しい音が お互い心を許せるほどに 理解しあっているのだと 主張しているように思える。 ついに 一本の木にたどり着き 男が安堵の表情を見せる
33年前に亡くした妻との思い出に関わる木なのだろうか。そこで 常に 大事にしているリュックから ノートを出して並べる 33年間、妻に語り続けた胸の思いを綴った日記だろうか。
それを 妻に伝えたかったのだろう。その木の根元 を 木の枝で 掘る 必死の様子 一心
に掘る。そこに ノートを埋めるのだろうか
ここで 暫く テレビから離れてしまった 家内 うちの家内 に用事を言いつけられて。
「全く 大事な場面で なんとも間の悪い」とも思いながら、逆らえない
再び 見た場面は 男が その 掘った場所に顔をうずめていた ノートはどうなったかわからない。でも 33年間背負っていたものを ここにおいて行く 決心をしたように思いつめた表情 女がその 頭を抱きかかえ 撫でる 何度も、いとおしむように。
女も空を見上げる やはり 抱え込んでいた 思いを 伝えているように。 死なせてしまった幼子の魂と触れ合うことが出来たのだろう。
死んだ者を づっと 思い続けることは 大事なんだろうが 大変なことでもありそうだ。
死者はあの世で 生きていく 生者はこの世に居て あの世の、かの人のことを しばしば 偲ぶ。あの世と この世が繋がっているとしたら お互いに望むのは それぞれの場で 精一杯に生きることだろう。
いろんなことを 考えずにいられない 映画だった。
でも もう一度 観たら きっと違う感想をもつだろう そのときの 観賞する環境によって 違ってくるはずだから。  
河瀬監督の作品は これで3本見た。美しく鮮やかな風景と そのなかで 淡々と生きている
人々の日常や大事に受け継がれている風習 祭りが 画面にながれる。しかし 淡々と生きてる人達は、なんでもない笑顔と どうしようもない人生の定めに苦悩する表情とをを見せる。
どれも 出演者は 芝居をしない 日常会話で、話し 大げさなアクションもしない。ただ 見ている我々と同じ時間が流れている。「萌の朱雀」も「沙羅双樹」も、この「もがりの森」も、生きて行くということを 考えてみようと思わせた作品だった。
 




スポンサーサイト

成人の日に

ラジオを聴いていると 「成人式の思い出は、」と、いう質問がよく されている。
だいたい その当時の自分の環境を憶えていて どういう風に 成人式というセレモニーに
関わったかを応えている。なかには 「憶えてない」という返事をする人もいるが、こういう人は
たぶん 私と同じように 成人式に違和感をもってた人達ではないのか。
私は、「国によって 勝手に 大人にされてたまるか」と、思っていた。「未だ 子どもでいたい」というわけじゃなく 「大人の自覚を持つとか メンタルなものを 国家に強制されるのは まっぴらだ」ということだ、周囲の友人達と話していても 「成人式なんて 面倒だ、くだらない 出席するなんて馬鹿らしい」という意見が多かった。
成人式の前夜は 友人達と遅くまで酒盛りをしていた ひとり 「明日 成人式に出る」と言ってる男がいた。みんなで 「あんなもの出るな」と説得しながら 酒をの飲ませた その夜は
その男も含めて 4人で我が家に泊まり 翌日 起きたのは 昼前だった。もうとっくに 式は
終わっている。あわてて 帰っていたその男は 家人に叱られ、怒鳴られたことだろう。
友人達も 家を 出ても 式の会場には行かず みなパチンコをしていたそうだ。
しかし これは 私の周りに 似たような ひねくれ が集っていたということで、街で 何人ものスーツを着たり 晴れ着を纏った 同窓生達に会って、驚いたものだった。
わたの家族は、その時 私以外 皆 沖縄へ旅行に行っていた。
私が 成人式 対象の年齢であることに気付かなかったか どうせ あいつはそんなもの出ないだろう、と考えたか その後も 尋ねた事はない。
成人式は拒否しても 「記念にみんなで祝宴をやろう」と、言われれば それには乗った。
スーツと 晴れ着の中に 破れたジーパンで参加、その晩の楽しかったことは はっきり憶えている。
当時の ことを 今は反省してるか といえば 成人式を行う 意義 については、まだ 疑問を持ってる。
晴れ着を着けた 娘さんたちが 休憩に 来たときの様子を見れば ぎゅうぎゅうに帯で締め付けられた体が 本当に きつそうだ。一緒について歩いている 親の方は 嬉しそうで 誇らしく思って わが子を伴っているように見える。
荒れる成人式が社会問題になったとき、その対策を 当事者に聞くと 「われわれは 若くて
未熟だから 年長の人達が指導して欲しい」とか言う。
成人式を迎えたから 成人になったが、中身は 大人ではない というlこと。
大人になることを ほんとに 喜んでいるか疑問な 若者より、成人に至る ここまで育ててきた 親の方が、主役になって 祝うほうが、妥当じゃないかと思う。
成人式の祝いに 親類宅へ呼ばれたことは 何度もある、いつでも 御両親は満足そうな
笑みを浮かべている。そして 酔ったわたしは、「今日は 君のお祝いということだけど 本当は 君が 両親に感謝の気持ちを伝える日だぞ!」と 放言する。
2年前 私の 娘も 成人式を迎えた、晴れ着を着けた娘を目の前にして 何にも感想を言わない父親を 娘は嘆いていた。「他の お父さん達は みんな喜んで 涙を流す人だっているのに」と。これまで娘に対して 感謝されるようなことは 何一つやってないので、何か 厳かな、 雰囲気に成ってしまったら いたたまれないと考え いつもと変わらぬように クールに振舞ってしまう。本心は 「娘の晴れの日、今日は 一日娘のために 頑張ろう」と思っているのだ。 やはり子どもが、嬉しければ 親も幸せということか。その日は朝から夜中まで
娘のために 運転手を務め 娘からは そのことに対して 感謝の言葉があった。
母親に対しては これまでの ことに感謝する気持ちを持っているようだから まあ 満足だ
着物代のローンをあと一年 で、払い終えたら 払い続けた私への感謝の言葉を また言わせよう