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29年前の私が

youtubeの動画で春一番コンサートを見つけた。西岡恭三とカリブの嵐 の演奏でコーラスに
レージーヒップのちあき 金子マリ 亀淵由香がいる、後ろでギターを弾いてるのは石田長生
見覚えあるぞと思ったら 1979年の最後の春一コンサートの動画だった、会場の天王寺野外
音楽堂に私もいた 西岡恭三は、最終日最後の出演だった。プロデューサー兼司会者の
福岡風太に拍手を贈ってと 促し 観客に「立ってくださいますか」と恭三が言うと 会場の全員
が従がって立ち上がり 拍手を送る光景に 「すごいな」と感激したことを はっきり覚えている 
2,3人前のほうで「何で止めるんだ」と 声を上げて不満を訴えていたが 皆は 毎年 自分達
を楽しませてくれた この春一コンサートと福岡風太に感謝をしていた。づっと会場にしてきた
天王寺野外音楽堂が、なぜか 取り壊されるのだ。
次に センチメンタルシティーロマンスの演奏を見た・これも同じ春一番コンサートのライブだった
そして 観客席を撮った映像に 29年前の私を見つけた。黄色いシャツに、ロングヘアー
座っていて 下肢は見えないが ジーンズを穿いて 足はサンダル履きのはずだ。そして口髭
が、ない。大学時代のほとんどの期間 髭を生やしていたが 4年生になった一月前剃っていた
会場では 後部の座席を左右に移動しながら見ていた 12時から17までの長丁場 ひとところ
にずっと座ったままではきつく時々 最後部に立って背伸びをしたりして また 他の席に移動し
て違う角度で、ステージに注目すると、いう様にしていた 西岡恭三のときは もっと 左の席
に、いた。
私の中では 29年前も 今も 気分は同じで、すっとコンサートの時空に溶け込める。画面の様
子を、現在の事として見ている。写っている自分と見ている自分は、同じ人物であり 29年の
時間の開きは、なんら気にならなず、意識にもあがらなかった。が、あらためて 数時間経って
思うと、昔の思い出となって、記憶の部分から意識に上がってくる。懐かしさを、憶える
この日は 電気店のアルバイトを休んで行った。「大学に行かなければならない」と うそを言っ
て休んだ。コンサートは 4日間 ゴールデンウィークの期間に行われた、例年は3日間だが
最後となる、このとしは4日間だった。前年などは、3日間とも行ったのだが この年は 大学で
受講している講義がない日は アルバイトに行っていたので ゴールデンウィークの休みの日は
づっと労働ということだったが、最後の春一番コンサートの 最後の日だけはどうしても見たくて
つい、嘘を、言ってしまった。で、 本当に 行って良かった。
関西のミュージシャンの総出演である。名古屋 東京からのゲスト出演もある 加藤登紀子
洪 栄龍 三上完 友川一樹など 前年のセンチメンタルシティロマンスの演奏では コーラスで
まだ学生の 竹内まりあ がいた。伝説の関西2大ブルースバンド上田正樹とサウスツーサウス
北京一とソバッドレビュー が、解散した後だったので そのメンバーだった中西康治 石田長生
有山淳二らがバックで、何度も演奏する 人気シンガーだけでなく バンド コーラス すべてで
観客を楽しませてくれた。 出演者も出番でない時は 観客になってる 私の横で 友部正人が
綺麗な奥様さんと かわいい赤ちゃんをあやしながら 楽しんでいた 私の 2,3、席前にいた
坊主頭に派手なバンダナの男が、気が付けば 舞台にいて ブルースを 歌ってた。
名物観客もいて 舞台の上から出演者がその客の男に 野次を飛ばす 面白い光景もあった
コンサートの間づっと 楽しめた 最後を見届けたあと 残念な気持ちより 爽やかな満足感の
方が大きかった。天王寺野音は、直ぐには取り壊されていない 。3ヵ月後に加川 良 とレー
ジーヒップの コンサートを見たのが 私が 天王寺野音にいった最後だった。 春一で聞いた 
ミュージッシャンたちを益々気に入り メディアにでると 熱中して聞いた。もう 他界して 聞く
ことが出来ない 高田 渡 西岡恭三は、あの時のまま わたしの記憶の中で生きている 
憂歌団はバンドとしてはもう見れないが 木村のダミ声は健在 加川良や中川イサトは 今の
方が 若く見える逆に 西岡 たかしは 御大と言われるにふさわしい風格になってきたが 
優しい歌声は健在。ピアノを弾く中西康治をテレビで見ることがある テロップで名前が出なけ
れば判らないほど貫禄が付いてる。
私は、変わらず と言っても 思考感覚であって 鏡に自分の姿を写して気づく年月の経過
浮腫んだ頬 厚みのある 腹 映像にいる私 体重50キロ ここにいる私 体重72キロ
春一コンサートを楽しんでる私 ウエスト68 今の中年の私 ウエスト83 人が見たら 
やっぱり 笑われるほど 違っていた。
春一番コンサートは、会場を変えて復活している。29年前の出演者も 多く 演奏している
29歳 年をとった シンガーの歌を聞きに 29歳年をとった ファンが来ているんだろうか
今の コンサートの様子も 見てみたい。 29年経った今の私は、まだ あの時の興奮を憶え
ていて、 あの時のミュージッシャンが大好きで あの時聴いた音楽を今も 聴いている。 

 
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恋愛小説を書いてみようか

「池上線」の話は、結果的に悲恋なんだが、今になって回想すれば、青春の鮮やかな
そして 貴重な体験であったのは間違いないだろう。だから 詩人になれた この歌が 
世に残せた。
私も書いてみようとしても 体験がない 空想ばかり。大学時代何をしてたか バイトと
古本屋の様子と、あと 印象に残っているのは 大学の講義よりも優先したコンサート
女性と行ったコンサートは、以前書いた 京都での先輩といった野外コンサートだけ
こっちはデートのつもりだったが 相手は コンサートに来た以外何の目的もなし
「目を閉じて 頭にうかぶ何もなし 悲しくもまた 目を開けるかな」啄木のこのうたを
知ったのも この時期だった。今 「頭に浮かぶ 女性なし」悲しくはないがつまらん。
思春期の入り口 中学生の始まりは 男子だけの 私立中の寮生 女の子の話は
仲間と沢山したが 実際そこに女の子の影もなし。放課後よくトレーニングとして
数キロ離れた 湖畔の公園まで 走った 途中に公立の中学があり その近くでは
走る速度を落とし 女性徒がいないか校内を覗き 見つけたら わざと 「ファイト!」
大きな掛け声を出す。なぜ湖畔の公園が目的地かというと そこには 高校生も
トレーニングに来るから 女子高生が目的なのだ、そこでも 女子高生から見える位置
に 留まって 腕立て伏せ100回してみたり 馬鹿馬鹿しいアピールに精を出していた
もっとも 誰も 声をかける勇気もなし 勝手に盛り上がるだけ。
実は この時期 密かに 思い出してときめきを覚える娘がいた この中学に入る前
故郷の歯医者であった女の子で、その名前を見て 幼稚園の時仲良しだった子だと
きずいたのだが 久しぶりに目にした成長したそのこが まぶしく見えたものだった
中3の時、クラスメートから「自分の従妹がお前のこと好きだといってる。会わないか」
と、言われた時にも その子に申し訳ない気がした 別に 交際しているわけでもない
かってに 空想で 「かけがえのない人]にしてしまっている 熊本と奄美に別れている
し、今だったら こっちはこっち あそこに行けば また 別 と考えるのだろうが
もう とことん一途な恋を 目指していた。
その後 故郷に戻り その子と 同じ高校に通うことになった ずっと好きだった。彼女も
私に 好意を持ってくれているのは 周囲の人達から知らされていて 二人は うまくい
く筈なのに 進展しなかった ふたり それぞれの 気持ちの中では 燃えていたのだが
言葉を交わしたのは 2度 はっきり覚えている。手を握ったのは フォークダンスをした時
一回だけ。純情な少年は、思い切って彼女に近づいても 見ていた周囲のうるさい連中
にはやし立てられると 照れくさくなって 何も言わずに すれ違うのだった それ以上に
彼女の方が 純情で 私の姿を目にして 恥ずかしがっている様子が 明らかにわかった。
顔を あわせると 動揺しながらも、笑って見せて 心のうちを 伝えるだけで一生懸命だった
卒業して 彼女は東京へ 私は 福岡で1年浪人 その後大阪へ。目指していた一途な恋
の炎は、燃焼し始めても 勢いよくは、燃えず くすぶった状態になってしまった。
数年後 彼女が結婚したことを スナックで同窓生から聞かされ その日は ひどく
悪酔いした。 こんな体験では 情けない滑稽話にしかならない。ランチャーズの
「真冬の帰り道」が好きではあったが このときも 「心で燃えて 唇かむだけ」を、経験
したいと思っていただけなんて事はなかった。でも事実は、「わかって欲しいんだ、切ない
このおもい」と、訴えたい 気持ちであった。
そういえば あんまり思い出したくないが、大学時代に 高校で同じ部にいた同級生に
交際を迫ったことがあった。何でだかわからん 綺麗ではない 頭のいい人だった 大胆な
行動をする子だった 振られた。まさかこうなるとは思っても見なかった 私の 友人の方に
好意を持っていたらしい また 私は「恋に敗れた、悲しい男」の感傷に浸って、満足していた
何が欲しかったのだろうと 今は考えるが 彼女の大胆さを思えば 「痴人の愛」の主人公の
気分になれたかもと、思う。屈辱を覚える振られ方だった 彼女にしてみれば「これぐらい
はっきり言わないとあきらめないかも」と考えたのかなと今では思う、思い出したくないないの
だが、この件では今でも友人たちに からかわれている。 
それよりも、私のことを思ってくれていた もうひとりの女性徒のことを、思い出すほうが 清しい
気持ちになれる よく2人で話していた 話が合った 家も近くだった。卒業してから 彼女の
気持ちを知らされた 驚かなかった 「そうかもな」と心当たりはあった。しかし そのときは、私
のほうが そういう感情が起こらず 返事をしなかった。いま 同窓会に来てくれる彼女は 昔と
同じ スタイル。ほとんどの 昔、女子高生だった人達は まあるくなって 貫禄が出てるが 
彼女は 当時と変わらぬスラットした手足で長身、ロングヘアーで、綺麗なドレスで着飾って 
見ていて嬉しくなる 美人。「あの時 応えていれば」と、ちらっと 考えたが でも 今も 友人
として付き合えるのだから これでよかったのだ。
やっぱり 恋愛に 縁はなし 「いい人だけど 付き合うと 退屈」「大人しすぎて スリルがない」
30歳近くなって 高校生にはもてたが 大人の関係は皆目駄目
結婚したかった女性と 鹿児島で久しぶりにデート した時、先輩からも宴会に誘われていて
デートを中断して その 先輩のところへ行ったため、その後彼女には、相手にされなくなって
「あの時 ずっと 一緒にいれば 今ごろ」と後悔したこと。 「好きです 付き合ってください」
と 告げたら 「あきれた」と言う顔をした 気位の高い女に「女はてめぇ一人じゃないぞ馬鹿
やろう」と腹を立てたこと。気合を入れすぎて 便箋 20枚の ラブレターを書いて送ったら
あまりに長すぎて 読んでもらえなかったことも 女性の思い出は、つぎつぎ出てくる。
初恋以外は「彼女がいる」という 悦を欲しくて つぎつぎ 手当たり次第にあたってる
小説にするような 激しい恋愛には 程遠い。
私にも妻がいる。結婚したのだから恋愛が 結実したのだろう 紆余曲折のはてのことだった
からそれなりに 激しかったのだろうが 今 我が家の支配者として いつも小言で私を責める
彼女を見てると 恋愛してたことなど霧のかなたにぼんやりみえてるように思い出すだけも。
「そんな時代もあったよね」と言ってみるしかない。でも 妻のおかげで ソクラテスが言ったよ
うに 「哲学者」になれそうだ。
やはり 恋愛を書くとしたら 想像に頼るしかない 表現には限界がみえる それより
世の中 人の世 に ネチネチとけちをつけ 批評し吼える文章を書くほうが 楽かな
哲学っぽいのを 混ぜながら。

「池上線」に思う

今月から 朝日新聞 土曜版で始まった 「うたの旅人」 今日は 西島三重子が歌った「池上
線」が、取り上げられていた。75年 LPに収められた1曲で 作詞佐藤順英 曲西島三重子
西島三重子の歌は 割と好んで聴いていた レコードは「のんだくれ」を持っていて B面の「笹
屋峠」が気にいっていた。この「池上線」は、憶えていたけど 最近になって 特に好きになった
歌だ詩の状況を 思い浮かべると 胸が 締め付けられ 涙が湧き出すような思いになる。主人
公に自分の感情を代入させ 昔を懐かしく、思い出させる。私が 同じような体験をしたわけじゃ
ない。「北山杉」のように 「こんな体験がしてみたかった」と言うことだ。
記事では当時の若者文化や 沿線の様子を紹介しながら 歌の出来た背景と聴者が一番知り
たかった その後の 結果を 詳細に取材して 詳しく教えてくれている
歌詞は実体験にもとづいていること これは この歌を愛してるものたちにとっては、「よかった」
と思わせる 大事なことだ。マイペース「東京」も、「神田川」も 作詞者の体験から出来ている。
作者が 留学のため暫くあえなくなる 最後のデートの時のことを 書いたのだそうだ。記者は 
歌詞ににある駅を、教えてもらい 彼等と同じように その駅から歩いて「商店街を出て 曲がる
と 踏切があり その先の住宅街に 彼女の実家があるのも確認している。
留学先に 彼女の方から「別れたい」と手紙が届き 彼は、あわてて 帰国して説得したが彼女
の気持ちは変わらず 落胆した彼は 将来目指している職業に就くための留学を止め、彼女に
思いを伝えるため 作詞家になった。その年の冬に この詩を書いて、音楽仲間の 西島三重子
に、作曲を頼んだと言うことだ。
記者は 相手にとっては犯罪的迷惑と、承知しながらも、彼女の消息を知らずには、おれず
やっと 手にいれた電話番号に架電し 相手にあきれられながらも 取材にこぎ着けた。
「普通すぎるほど普通に暮らしています」と言う返事。この歌のことを 迷惑には思ってなく コン
サートの情報を耳にして 彼のことを思うこともあるという これも 我々 愛聴者を嬉しくさせる。
今 普通に暮らしてる この人に 昔 この歌の詩によって記憶された ドラマチックな体験があっ
た。たぶん 普通に見える 私の周りの人達も 過去には 他のひとが知ったら 劇的で 感動
さえ憶える体験を 持ってるだろう。喜び 傷つき 出会い 別れを繰り返しながら 中島みゆき
の 「時代 」のように生き それを糧に成長してるんだろう。
さて 私の青春は? 思い出が どんどんよみがえってくる。何が 糧になんか成ってるんだ
と、思う。いい思いの恋愛なんてなかったじゃないか、がらっと変わってぐちが出てきそうで
今日はこれ以上記すのは 止めとこう 一晩 よく 考えてみよう。




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