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秋分の日というと思い出す

9月 23日 秋分の日   私が通った 大島高校は、当時 この日が体育祭と
決まっていた。台風でも来て、中止にならない限り、雨でも 挙行された。私の在
学中は、晴れだったが、じつは、雨になることが多く 「雨の中で精一杯奮闘する
大高生」が、町の人達が、話題にする例年の体育祭だった。
この9月23日 秋分の日に、行なう体育祭は 私たち 3年生の時に中断された。
理由は、教員達が、そう決めたから。「何だ それ!」と皆言うだろうが、彼等が言った
その理屈は 今でも 納得できないのだ。
初め 学校から 決まった旨 聞かされただけで 何故だかは 判らなかったが
きこえてきたのは、「体育祭も授業の一環だとしたら 特別扱いすべきでなく、体育の
授業の拡大番として 平日にやるべきだ」というもの。さらに 伝統であり 名物でもあ
る、応援演技は、「なるべく 控えて 3年生も含めた 全員のマスゲームなどを やる
べきだ」というもの。我々は 当然反発して 抗議した。ただ 抗議する場は 体育の
時間で、我々のことをよく理解してくれている体育教師達に。抗議を受けても どうしよう
もなく、困惑しながらも 生徒を説得しなければならないのが職務で、仕方ないのも
生徒にはわかる。当高校のOBである 校長や教頭の本意でもないだろう。職員会議
という場での 多数決の結果で その多数の一群の存在には、直接 意見をぶつけら
れない。
3年生 全員 集まって決めたのは、週明けの全校朝礼の後、教室に戻らず 教員等
に、話し合いの要求をしようというものだった。
そして 実行された。授業ボイコットという結果になったが 悪態のよなものではなく
生徒は 教師に ぶつけたい 沢山の意見を持っていたのだ。高校生としては許され
ない行為じゃないかと思ったりしたが、実は、この学校 前進の旧制中学時代には
県下で「ストライキ学校」と言われるほど しばしば こういう衝突が、あったらしい。
このことは 話し合いの中で 話題として触れられ 私も知った。(この夏 町の資料館
で、昭和30年代のニュース映画を見る機会があり その中で フォークダンスはみだら
だ、として 中止を命じた校長にに反発した高校の全生徒が、授業中 集会を開いて
、結局校長が 意見を改め 謝罪する という場面を見て 他でも こういう手段は、
とっていたんだ、と 思いなおしもした)
予想どうり 話し合いは 労働者としての権利を主張する 教員達との対立になった。
「我々は 休日には、休む権利がある」という意見に、真っ先に立ち上がり マイクを
握ったのは、友人の KYだった。「一年に一回のことなのに、出来ないのか、代休も
取れるのに」 昭和40年代 普通に働いている 自分の親と比べて その教師の意見が
わがままなものにしか思えなかった。そういえば 「自分は人に頭を下げるのが嫌いだから
教師になった」という人がいた 影で「だからいつまでも結婚できないんだ」と 揶揄されて
いたが、 その程度の 教師がいたのだ。場をしきろうとする 日本史の教師がいた。
普段から 授業中によく職員組合の宣伝をしていた。「自分達は粗末な暮らしを我慢して
頑張ってるのに 金持ち連中から文句を言われる」と、この人物が この場でも 「教職員
組合としては」と、やたら言い出す。中断して 食事を取ろうとすると「組合と県の取り決めで
休憩は O時O分までとなってます。」決まったことしか出来ないのだろうか。ただ なぜか
自分が担当した学業優秀な者の話も自慢する。「久しぶりに会うと よく 嫌味を言われる」
と、言ってたが 冗談をいわれてると思ってるらしい 言った方は たぶん 本心だったろう。
当時は 教員の 組合加盟率は高かった。本当に 生徒のために尽力してくれた先生は
沢山いた 私の3人の 担任などは 尊敬できる存在だ。ただ 組織の代表みたいに
のさばる 輩がいけなかった この 人、どう転向したのか晩年 校長になり 教育委員
にもなった。私は 卒業以来会ってない 同窓会にも 読んでない。
普段生徒達が不快に思っている、職員同士の 対立についても それを正す意見が出た
教師の方は 否定するが、生徒に 他の教師のことを からかって話す 教師はいたし
町で すれ違う時 なかの悪さがうわさになってる2人が にらみ合うのを 目撃もした。
我々話を よく 聞いてくれた 体育教師を、スキソイドの如く言った教師に いっせいに反発
の声を上げると、彼は 今で言う 逆切れで、会場から出て行った この人も 後は 校長をし
ていた。普段 生徒に居丈高に振る舞い 暴力も頻繁に振るう 世界史教師は このときは
言い訳ばかりで、逃げていた。
私たちの行動は 世間からは 咎められた。特に 地元の新聞には、えらそうなこと言ってな
いで もっと 勉強しなさい と、 言うようなことを 数回にわったって 書かれた。
校長には その後 対教育委員会 対世論という難儀な問題を抱えさせてしまった。もっと
賢明な方法が、あったかもしれない。でも あの時 思い切って 皆の意見を集約して 言わ
ずにおれないことを 言えたのは その後 良い結果を生んだと思う。そして あの 教師の
発言は やっぱり 納得できない。 今 あんな事いう教師はいないので、わたしの 考えは
間違ってないと おもう。



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時期遅れのオリンピック評 その3

スポーツ選手は その試合の時に最高の能力を発揮しようとして、緊張もし 試合中
は、ずっと集中してなければならない。その為に 試合前、試合の合間 に リラックス
して 過ごせる方が良いと思う。野球の代表チームは 「リラックスできない環境では
なかったのか」という気がする。監督の厳しそうな言動は、よく 知られている。ベテラン
の選手達は この監督の前では 「姿勢を正して敬礼」すべしという思い込みが強かった
らしい。若手の何人かの選手が 頭髪を短くして その「やる気」を、表現した。効果は
どうでもそうした方が良い、という雰囲気を作ってしまったのではないか。選手が 試合前に
精神的に疲れてた。または 失敗におびえてた。そんな気がしてならない。
20年前のソウルオリンピックで、日本は振るわなかった。その開会式での日本選手の
固い表情が話題になっていた。なんと 開会式前 行進の練習をさせられ 私物のカメラ
を没収されていたそうだ。誰が そうさせたのかわからないが、開会式で思いっきり 観衆に
手を振ってアピールしようなどと考えていた選手はがっかりしたことだろう。開会式はわくわく
する、楽しいものだと考えていたから 大会後半に出場するマラソン選手が 開会式に出ず
日本で調整するという 行為に 批判が出たものだ。開会式にでて 試合が始まる前に
神経を使ってしまうと、考えたら 絶対マラソン選手の行動は、正しい。
北京オリンピックの開会式は 皆楽しそうだった。ひとり 主将の鈴木選手の様子だけは
顔に緊張が表れていた、旗手の福原が、にこやかだったのと対照的だった。
その 卓球は、男女とも メダルは取れなかったが、すばらしい活躍だった。特に男子は
準決勝の第一試合の3ゲームの5点リードでの最後の一ポイントを獲っていたら 銀メダル
だったのだ。過去のオリンピックではほとんど見なかった競技だが 今回は沢山見て
どの試合も すばらしく興奮した。強打のスマッシュを打ち合いながら ラリーが続く場面には
驚いた。若い選手が活躍した。もう一つ 今回熱中してみたのがバドミントン、今までほとん
ど興味をもてなかったが 中国内で、「最大の番狂わせ」と言わしめた快挙をなした女子ダブ
ルスの試合も 見ごたえあるラリーの連続でテレビ画面に釘づけになった。ソフトボールの、
決勝トーナメントの中継は、ほとんど見てない、時々どういう状況か 確認のため画面を出すが
見続ける事はなかった、というか 気になって仕方なく または 心配で仕方なく 見れなかっ
た彼女達が どんなに 強い気持ちで 試合に臨んでいるか そのための 練習がいかに厳し
かったかを、メディアによって知らされていたので もし かなわなかったら 私も かなりの大
きな落胆を憶えるだろうと思って見れなかった。そして 最高の結果が出た後は その試合の
ハイライトなどの特集を 安心して心置きなく見た!エースの上の力投が、大きな要因である
ことに異議はないが、予選で連投した選手など、最後の大一番に備えるエースのために、
それぞれの、役をきっちりこなした 他の選手達も含めた チーム総合の勝利だと思う。
テレビで見ていて 日本の選手が、みんな小さいな と、思ってたら 相手の アメリカ オース
トラリアの選手が大きいのだ、身長180cmの選手がざらにいる アメリカの投手 186Cmな
んて、日本のプロ野球でも、大きいほうだ。こんな 相手に よく勝てた。「やれば出来る」の
お手本か。
他 日本では、まだ ポピュラーでない競技での日本選手の活躍も、心に残った。女子サッカー
の活躍の結果 国内なでしこリーグの観客が倍増したという。メダルを取ったフェンシングもそ
う。カヌー トライアスロン 射撃 トランポリンなど 入賞者がでた、競技は これから 競技者
が増えて 注目されるようになるかもしれない。
バスケット ハンドボールは、楽しみにしていたが、日本が出場できなかったためか、テレビ放送
が、少なかった。世界のトップのプレーなので 注目させて欲しい。
オリンピックは、各 国の代表で参加する。見るほうも 自国の選手の活躍を期待する。「国の
誇り」を口にする選手もいる、選手の意気込みとして それを言うのは良いと、思うが、外部
から、それを 押し付ける発言は好ましくないと思う。自国のメダル獲得数に、私も注目していた
が、それよりも 選手個人が いかに奮闘して、観衆を魅了したかに、意義があるのではと、今は
思う。「他の国では、国のメダル数なんてそんなにこだわらない」という 事も聞いた。メダルの数
の増減で、その国の評価が変わるわけじゃないから。

時期遅れのオリンピック評 その2

「北京オリンピックで、一番感動したのは?」と、いうアンケートがよくある。
私は、陸上男子 400mリレーの銅メダル獲得だ、「理由は」と、問われても 「陸上競技
が、好きだから」という理屈しか出ないのだが、実際 一番興奮した。隣にいた娘を 突き
飛ばして、泣かせてしまった。他の家族は あきれていた。青戸、杉本等で、初めて、6位
入賞を、果たしたのは バルセロナだったと記憶している。そのときから きっといつかは
メダルが取れると、期待感を持ち、それから16年め、遂に達成できた。有力チームの失格
という ラッキーな事情があったけれど、結果として メダルを獲った。本当は「今回は無理
だろう」と、思ってた。朝原は、ピークを過ぎたし 末次は 不調だし、シドニーあたりのとき
が、一番強かったんじゃなかったかと、思う。でも 期待した結果は、思いがけずやってきた
のだ。
陸上競技で印象に残ったシーンでは、この 400mリレーだけが 際だっている。
いつもは 予選の段階から ずっと見るのだが 今回は あまり見てないような気がする
決勝レースでも 見逃したのが、相当ある。日本人選手の 不調が伝えられていたのと
スーパースターと呼べるアスリートが 少なかった。終わってみれば ウサイン・ボルトと
いう 観衆のド肝を抜いたヒーローが現れたのだが、大会前に 絶対強い選手とうのが
乏しかった。 ハードルのりゅうしょうは、それに近かったが 好調な様ではなかったし
5000 10000の ベケレ も、その強さを 強烈に見せ付けたが 地味な感じが
否めない、イシンバエワだけが 期待通りに ワールドレコードで、圧勝した。それでも
嘗てのスーパースター カール・ルイス マイケル・ジョンソン ジョイナーカーシー
フローレンス・ジョイナー セルゲイ・ブブカ の、ような存在が 少なかったように思う
日本選手に関しては体調の管理に失敗したれいが、多かった。 国際大会で なかなか
実力が出せない という事が続いているから 予選不通過が、ほとんどでも 落胆はしな
かった それでも 女子100mの 福島 5000mの小林 この若いふたりは、予選通過
に後一歩だったし、競歩も男女で、上位にはいり 健闘した。ハンマーの室伏への期待
が、一番大きかったが、怪我の回復が 完全でなく結果は残念だが ベストを尽くしたと思う
上位2人に ドーピングの疑いで 室伏の順位繰上げ と言う報道もあるが 今回は違うと思う
わたしの予想は ティホンの優勝だった。 今回は3位だったわけだが。彼の強さは薬など必
要としない。なにか ハプニングによるものだと思う。陸上でも 日本は 女子が元気だった
マイルリレーの、出場は これまで 世界から遥かに遅れていた 400 800 の 選手達を
勇気付け 盛り上げてくれると思う。マラソンで、残念な結果に終わったと言うことで 批判の声
も聞かれるが マスコミなど、あまりに期待の圧力を押し付けるので より 能力高めようと故障
ぎりぎりのところまで 身体を酷使した結果だ。自分で 妥協が出来ない心境になってしまった
のかもしれない。ずっと きつい練習に耐えてきたのだ ここに来ての故障は 本人 どんなに
つらいことか。 でも レースは選手のもの。結果は誰にも迷惑なんかかけてない。 ポーラ・ラド
クリフ は、堂々と 棄権した。 それについて イギリス人は、とやかく言わない。
結団式で 「国費で、選手を行かせるのだから 」といった、政治家がいたらしいが 国民が
「今まで頑張ってきたのだから 桧舞台に出る資格がある」と判断して行かせるのだ。選手
が、オリンピック出場の資格を得たのだ。 国民が行っていいとも言わないのに かってに外遊
などと 外国で、無駄使いをする政治屋の、恥知らずな、言動にこそあきれている。
すばらしく 感動した オリンピック で、 頑張った選手を 讃えようと 思って 書き入れ始めた
のが、いつものように 愚痴ってしまっている。すばらしい パフォーマンスにこころを満たされた
はずなのに、何か 物足りなさを憶え、「こんなもんさ」と、冷めて見せてる私の 精神の貧しさ。
この 恥ずべき 真実こそ 反省し 改めなければ オリンピックを楽しむ資格はないのかも。

時期遅れのオリンピック評 まず1

北京オリンピックは、2週間以上前に、終わっている。ブログの書き込みは、半月なし
オリンピクは よく 見たほうだと思う。感想を述べるとしたら いくらでも 出来るはずなのだが
全く 書いていなかった。
忙しかった と、言っても、仕事じゃなくて、同時期に 甲子園もあったし インターハイもあった
し、中学の 九州大会が、鹿児島を会場にして 行なわれていた。
どれも 心に残った。オリンピックが、世間では 最も注目されていたんだろうが 私としては
「特に オリンピック」という 意識がない。オリンピックをテーマに書き込み 伝えたいという
気持ちが 薄かったのだ。 でも オリンピック 久しぶりに 何か書こうとしたら オリンピックに
ついてなら いっぱい書けそうで、やっぱり 2008年はオリンピックイヤーだったことは 記して
おくべきだと思った。特に 喧々諤々の世評を受けて行なわれた 中国の北京オリンピックだ。
「何か 起こりそう」という 興味または不安 中国国民の嫌日本の感情。韓国がそうであった
ように、これをきっかけとして、民主化が進むか、中国社会の国際化はどうか スポーツの祭典
とは、べつに、世界から注目された大会だった。
多くの国民の オリンピック期間中の様子は 多くの人が、新聞紙上で 記している。北京を離
れると、大会とは関係なしに、普段の生活を送っているひとがほとんど。これが だいたいの
記事の平均的内容。「オリンピクは興味があるし 楽しみにもしてるが、ずっと それを楽しむほ
ど余裕のある暮らしではない と言うのが 本音か。
10億を越す 中国国民も 世界中の、普通の 市民も 楽しんだオリンピックは いろいろケチを
付けられながらも、無事に 終わった。中国社会の現状に起因する事件が、起きたが 中国内
では隠され 国民に不安や動揺は起こらなかった。甚だしい 日本バッシングは、最初 サッカ
ーの試合では、あったが その後は ほとんどなく.。日本を応援する中国人も結構目にすること
が出来た。報道では、観客が、興奮してバッドマナーをやらかさないように スタンドに相当数の
軍関係者を 配置したと言う。中国政府の体制維持に固執する姿勢は頑なで、「民主化」という 
国際社会が 期待する形のそれは、 実現には、ほど遠い感がする。国際化と言う点では もと
もと インターネットの発達した社会で 人々は知識として、他国と自国の習慣、の違いを判って
いて、この機会に それをさらに 高める経験が出来たんじゃないか。テニスの中国人プレーヤ
ーのマナーに対する抗議や、体操での観客への騒々しさを 静止するためにとった行為は、それ
を見た人達に マナーの大切さを教え それが国際人として必要なマインドであることをわからせ
た筈だ。
政府の要人は、「経済的な成功を先ずもくろんでいた」と もいうが 中国人民が、国際化を体験
し、国際社会との交流に前進することになれば、この オリンピックの 大事な 成功の一つだと
思う。