店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

プロフィール

Author:川元 正樹
店主です。よろしく!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



島尾伸三さんが、著書「小高へ」のなかで いつも辛辣に批判している
父 島尾敏雄さんへ 感謝の意を述べている 箇所がある
「熊本の私立高校へ、行かせてくれたことに 感謝している」
その 私立高校 熊本マリスト学園の 中学部へ、私も行かせて貰った
私も そのことでは 父に感謝している。
その中学での 同窓生 豊君が お母様の法事で、姶良に来ていた。
35年ぶりの再会。「久しぶり」 「変わらんねぇ」ありふれた挨拶の後
ずっと付き合いがあったかのように すんなり 同級生の会話に入っていけた
35年の経過なんか意識することも無く.。彼は18歳のご子息と一緒だったが
私たちは 中学時代に戻って誰それと、同窓生を思い出し 学校を思い出し
熊本を健軍の町を思い出し、話は途切れることなく 1時間半続いた。
豊とわたしは、その当時 特に仲がよかったというわけではない。
づっと寮で一緒に生活していたことが 今でも心を割って話せる関係を続けさせて
くれているのだろう。だから マリスト中の同窓生誰とでも同じように付き合える。
豊とは、その晩も居酒屋で3時間、翌日も、私たちの同窓生を沢山知ってる彼の
お姉さん夫婦をも交えて1時間。いつまででも話していられるような雰囲気だった。
「また お盆の時会おう」と言って 彼は埼玉に戻っていった。
彼の両親が 姶良町に住み始めたのは15年前で 彼は、近年毎年2回は 実家に
来ていたという。知っていたら、もっと前から 付き合いが再開されていたのだろうが
会えて嬉しい という感情は今ほどは無かったかもしれない。久しぶりという懐かしさは
大きいけど、35年前一諸に過ごした仲間だという意識は、昨年の 同窓会が、
きっかけになったのは間違いないと思う。「皆に会いたい」 と強く思うようになったし
「あの時の仲間が皆 元気で頑張ってる」それを思うことが出来る喜びは、大きかった。
さて 11月には 大島高校の全国同窓会、こっちの方の同窓生は、頻繁に会ってる者
も、多い。でも やはり 関東 関西に住んでる人達の中には、卒業以来あってない
者もいる。マリストと比べたら 人数も多く、在学中でも 一度も話したことの無い者も
いて、同じような感慨をもつことは無いだろうが、 同窓会で同窓に会う ことで、これ
からの生活を、鮮やかに 活力をもって 過ごせることが出来そうだ。
マリスト中 大島高 いろんな 沢山の 同窓生がいることを、思えば今私は幸せなんだ。
「マリストに行ってた中学時代 幸せだったなあ」と感慨にふけっていたが
その経験のおかげで 今でも幸せなんだと 考え直せた。
同じ思いで付き合ってくれた豊君 ありがとう
こう思えるのも 熊本に行かせてくれた 父のおかげ。 直接言うことは出来なくなって
しまったが、天に向かって お礼を言おう。
スポンサーサイト

記憶をひけらかす3曲

「居酒屋 一村」の律子さんから「よく 音楽のこと調べてるね」と言われたけど
書き込むだけでも 面倒に思えて なかなか出来ないのに、その下準備まで
わざわざ やるわけない。難なく書けるテーマしか取り上げてない
適当だから あとから訂正 ということも しょっちゅう。
以前見聞きして 憶えている事を ひけらかしてるだけ。
「意外な事実」というものなどを知った時も、得意に 話したがる。そおいう輩です。
2,3日前 高石友也が、シューベルツの「風」について話してた。
作詞の 北山修が、言ってたこととして、「当時60年代後半 日本は欧米に追いつこうと
して、開発を急ぎ 日本本来の風土 風景を失っていく 目的が達成された時豊かな
ものを失って ただ 風が吹き抜けているだけかもしれない。と 思ってこの歌が出来た
だから さびしい歌なんだ」 
「何かを求めて 振り返っても 其処にはただ風が 吹いているだけ」このフレーズが、
こうして 出来たんだと納得するが、この歌のテーマが 旅人の別れと郷愁であることに
変りは無い。 でも 知ってしまった私は 誰かに言いふらしたい。
そして また 思い出す。以前 新聞で読んだ2つの歌についての記事を。
ひとつは 「神田川」 これは 戦う男の歌だという 「若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ 貴方の優しさが、怖かった」 作詞の喜多条忠は、学生時代 デモから帰ってきた
自分に甲斐甲斐しく、食事を作ったり 世話をやく 恋人の優しさに 自分が甘えて
社会に抗う気力が、萎えてしまうことを恐れていた。連日 学生デモに出かけていたと
いうから、革命家の気概は持っていたのだろう 当時 「小市民」という言葉がよく使われ
社会革命を訴えることが トレンディ^だった若者達は、「小市民に成り下がる」、ことを
屈辱としていた。 そうならないために 恋人の優しさをも 裏切らなければならない
そこの 葛藤が、戦いだったのだろう。
もう一曲は 「なごり雪」 これは 別れの歌ではなくて 旅立ちの歌だった 作者の
伊勢正三は後になって そう気づいたという。
「なごり雪」という言葉が出たのは 故郷 大分津久見の駅から 上京するときのことを
思い出していた時だという 将来のことに 不安な気持ちを抱えて、切なさを感じていた
事を思い返していて「なごり雪」の情況が形になった。ホームでの別れもあったが、
将来への旅立ちという 側面がより大きいのかも。「去年よりずっと綺麗になった」
ことは、むなしさや 切なさではなく 前向きに期待を持たせることなのかもしれない。
いずれにしても 皆が知ってる ポピュラー曲、「違うだろう」「間違ってるところがある」
と、反論も多かろう。それに メディアで、取り上げられていた事、「いちいち言われなく
ったって 知っている」ひとも多いだろう。 でも 新しく知った私は誰かに言いたい。
自己満足で、構わない。ただ 調べた内容じゃなくて 憶えてたことだから あとから
訂正は かなり濃厚。

久しぶりに 書きました ありがとう

3ヶ月間 ブログを休みました。
身の回りで いろんなことが 起きて 私の神経が、混乱。
ゆっくり思考する余裕が無く。
ただ 目の前の出来事にうろたえ。それを解決する自信も無く。
自棄的思考に陥ること しばしば。
先週 ふるさとへ 帰った。
私の この ブログを 読んでくれた 人達に出会えて
皆に感想を言ってもらった。
励ましてもらった。
3月末にあった「不幸」 から 一段落できたことで 落ち着きが戻った
時でもあり、 前向きに意欲を持ちはじめていて
みんなの 言葉が素直に 受け入れられる状態になっていた。
また 書くぞ 毒舌でも 何でも 
吼えもするし 感動を表現し 感謝もし。
もちろん 今日書くのは 感謝
みんな ありがとう