店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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Author:川元 正樹
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昨日から携帯電話のメール機能がおかしくなった。文章を作ろうとしても、意図する文字が出ない。「い」を、打とうとして「あ」のキーを2回たたいても、「あ」が2個つづく。「か」を押したら下のバーに1から9の数字が並びその下に、あかさたなが、並ぶ。文字の型の表示を見たら漢字全角の表示の漢全の前に2と言う数字がある。それがどうしても取れない。携帯電話ショップに勤めている娘に電話したが、いつものように出ない。今朝電話がかかってきて、「入力モードが、違っている。ポケベル用になっているんじゃない」「戻すの、結構面倒で、説明しても お父さんできないでしょ」と 失礼なことを言う。やってみなきゃわからんじゃないか、出来なければ、町のショップに行く。とにかく、入力切替の画面が出ればいいわけで、文字入力から入力モード(かな)を、探し当て。OK。早速 メールを試して娘に 「出来た」と、伝えたら、「なかなかやるねぇ おっさんを、見くびっちゃあいけないね」と、返事が来た。「あったりまえだ」と、思ったがメールにはしなかった。
日ごろからパソコンのトラブルも多発して、それに対処して、設定データを、見直したり変更したりしているから、ある程度のことができるという自信はある。ただ 携帯メールを、使いこなしているかというと、これは若者に適わない。スピードが違う。絵文字なるものの意味が、わからない。親指だけで あんなに早く文字が、打てるのは、慣れも大きいのだろうが、指を早く動かすというフィジカルな部分が年配者は、劣ってしまう。指を早く動かしているピアニスト ギタリストは、メール打つの得意なんだろうか、 と、妙なことが、気になった。パソコンのキーボードなら、今はある程度早くたたけるが、あんなちっちゃな12個のキーを、変換しながら、話すのと同じ位の、スピードで仕上げる術は、私には出来ない。以前は 若者が、使っていた携帯のメールを、今は子供でも 老人でも出来るようになった。その発展のさらに上を行くスピードで、若者の携帯ライフは進歩している。
ニュースで、i-padという更に進化した、すごい機能満載の端末機が、発売になったと、騒いでいる。なるほど ビックリするようなすごい機能には驚かされる。でも 昨晩 友人等とも話したが、無くても困らないから、買わない。昔 携帯電話も「無くても生活に困らない」と、ずっと持たなかった私だが、そのうち 「あったら便利に」変わるんだろう。世の中の進歩に対しては、若者に遅れながらも おじさんたちは頑張ってついていくのだ。
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先日テレビの「徹子の部屋」での書家 武田双雲の話を、聞いてて、思い出したり、考えたり、反省したこと。
彼は、子供も頃、何でも質問する子供だった。大人がやってることに、あるいは自然の現象をみて「何で 何で」と尋ねる。授業中でも、その授業に直接関係無くても思い浮かんだ疑問を、直ぐに質問していた。それに対して親や、教師達は、質問することを褒めていたそうだ。父親は 何をやっても「お前は天才だ」と、答えていた。教師も、授業の妨げだと、叱られそうなところだが、やはり「質問できるのは天才だ」と、声をかけてくれた。それによって彼は自信とやる気を得た。勤めをやめて、書家になったのも、同僚の名刺を筆書きで作ったところ、それがかっこいいと言う声が入ってきことで、書道を職業にしようと即断した。褒めてくれた言葉が後押しして、今の書家として生きる自信を得たと言うこと。
確かによく質問する子に、親がしっかり対応して能力を、伸ばしたり、普通の親がするようにうるさがって叱る場合の話は聞いている。もちろん「何で 何で」は、反抗の意志によるものではなく、「どうしてそうなるの」と言うような
知的好奇心によるものだ。どちらにしても子供に問われたら、大人は、十分納得させれるよう答えねばならないが、うまく説明できないと、「そうなるように決まってる」みたいな強引な、理屈ならない言葉を発してしまう。
勤めていたとき、得意先でもある先輩の、ところへ行くと当時小学校低学年だったそこの男のこが、私の作業を見ていて「何でそうするの、何で どうなるの 何で」と、ずっと質問していた。勤め先の上司の息子が、同じように何でも質問する子で、その後超難関の学校へ進学したことを知っていたので、私も質問に全て答えていた。
それで 自分の子供にはどうだった という話しになるが、褒める事はしてない。そのときの気分で対応が異なる。自信を持たせるより、もっと努力を求めて、突き放している。
質問には、よく 答えている、詳しく教えている。ただ、簡潔に答えを伝えるだけでは私が満足できず、関連した内容を、延々と喋り続けて、子供には 逆にうるさがられる。あるいは、例示をだして子供に答えを連想させる。私の機嫌が、頗るよくないときは、はなから「自分で調べろ」と、突き放す。家の子の場合、「そんなこともわからないのか」と言う質問も、多いので、あきれてそういう対応になることもあるのだが。いずれにしても子供は、不愉快だろう。これでは、勉強を好きになるわけがない。私は、質問しない子だった。今でも 「何か質問は?」と、言われても、自らてをあげることはない。子供のとき、質問が怖かった。その質問が、他の人にとっては常識のようなもので、バカにされるんじゃないかと怖かった。なんと 今 子供に対してやっていることを、自身はいやがっていたのだ。
「質問の出来る子は天才」と言われて大物になった人物を知って、普通の子供が、疑問を持って質問したことを、褒めるべきだったのに、面倒がったり、自分の知ったかぶりを、自慢げに披露するくだらない欲求のためにこどもをうんざりさせている事に気づき、情けない気分。
勉強嫌いの娘は、親が 勉強嫌いにしていたのだ。

やっぱり年のせいか?疲れがたまってる。眠くてしょうがない。木曜日の夜更かし以来。実際には金曜日の未明近くまで起きていたわけだが。昨晩も BSテレビの「日めくりタイムトラベル」を、見ていた。見ながらもすごい眠気に襲われ、それを我慢していた。何度も居眠りしていた。11時に番組が終了して、それからブログの書き込みのため、パソコンに向かったが、ぼ~っとして、きーがたたけない。書こうとする内容ははっきりしているのだが、頭が働かず書き出せない。数行書いて、完全に思考が止まってしまった。
今朝目覚めたのは、9時、まだ寝たかった。眠気の残ったまま起きだして、いつもの朝の行為をして、仕事場へ。朝食を摂るのわすれた。メールを確認した後、昨晩の続き。昨日書こうとしていた内容とは若干違ってしまったが、何とか28日のブログを、書き終えた。「何か足りない」と、不本意な気分だが、また 今日書くことを意識して、これ以上前日のことにかかり続ける気力がうせてる。読んでくれる人には なんと失礼なこと ご免。
毎日書いていると、何か理由をはっきり述べておかない限り、毎日読んでくれてる人が、何か不吉なことなどあらぬ事を詮索してしまいそうだ。突然の病気でブログを長期に更新出来なかった過去のある私の場合なおさらだ。
実際に病気だったり、仕事によるものなら、言い訳として通るが、テレビを見ていてとか、余計な事に時間を費やしてしまって、では、理由として言うこともはばかられる。
こうしている間も、眠気に何とか耐えている状態。時計を見たら、24時を過ぎてしまっている。要は、若くはないことを自覚して、睡眠を十分にとること。そのためにブログを、休むことは、努めていたしません。「絶対に」というにはちと自信が足りぬ。別に夜やることと考えなくてもいいわけで、思いついたとき 時間があれば かかればいいのである。もう 次書きたいことは決まった、今から翌日分としてかいてもいいが、眠いのを我慢しながらでは、間違いだらけの文になってしまう。もう寝て、頭のめぐりを回復させたほうがよい。ゆっくり寝る。年をとって、疲れをとるにも時間がかかるのだ。

池上 彰の新聞コラムで、「なぜ新聞は 官房機密費のお金をもらった評論家が、誰なのかを探ろうとしないのか」とい内容の記事が、今日の朝刊に、載っていた。
官房機密費の、実際の使われ方を暴露した野中弘務の、発言の中に「立派な、評論をしている人にも500万円づつ渡していた」と発言したことで、その真相を明らかにせよと言うことだ。野中が、所属した自民党政権でそうしていた という事。思えば、政権側主張の擁護 容認に徹している人物が確かにいた。私には「立派」とはとても思えなかったが、自民党政権から見れば立派だったんだろう。報道機関によっては、権力を、追認 反権力を攻撃 というはっきり立場を主張しているものもある。世論つくりということで、これらにに資金提供したなら、これは官房機密費の使い方としては妥当なのかもしれない。世論操作といいう意志だと、公の立場でやるのは、認められないし国民にとっては怖いことだ。
お金をもらって、くれた相手の意思を組んで書く事が、ジャーナリズムと言えるだろうか。池上も「事実なら、日本のジャーナリズムにとって深刻な問題」と、言っている。お金をうけっ取ったのが誰かわかれば、「その人はジャーナリストではない」と、認識してその言論を、受け入れればいい。
以前テレビで、久米宏が、「選挙のときお金をもらっても構いません、ただお金をくれた人にだけは投票しないでください」といっていた、お金で票を買うものは、自分にもお金が入らなければ活動しないから。お金をもらって評論を書いてるものがいるとしたらその対象になってるものから 大いに感謝さre
るように書くだろう。書店でその著者名を見つけたら、その対象が、好きな人なら喜んで購入、そうでない人は買わないことただ。

10時過ぎ、風呂に入ろうとしたら娘が、「まだだから 先に入らせて」という。待っている間、横になってたら、寝込んでしまい、目覚めたときは12時20分、それから入浴。台所で、片付けなどをし、紅茶を立てて、隣の工房で、パソコンに向かったときは1時を回っていた。今日一日 (既に日が変わり昨日になってしまっているが)振り返ってみて、何も特筆できることが思い浮かばない。普通に一日が過ぎて行った。幸せなことなのだが。なにか少しでも印象に残っていることがあるとしたら、朝食を、とりながら見た、テレビでの「宮崎美子」さん。あさ 妻と口論(毎度のこと)して不愉快だったのが、彼女を見て その話を聞いていたら すっかり気持ちが、晴れていた。特別ファンというわけではないが、好きな女優で、テレビ 映画でもよく見ていて、親しみを感じる。親しみの要因に、以前 やはりテレビで、「小学4年まで、健軍小にいた」と言ってたことがある。私の中学と、グランドが接してた小学校だ、私の中学時に 彼女はいたんだろうか、などと考えていたことがある。しかし Wikipediaで調べたら 大阪で小学校を、出たことになっている。高校からは健軍に住んでいたとは書いてあった。後輩達は近辺で、彼女に会っていたのかもしれない。今日の、私の心を晴れにした要因は、彼女のデビュー当時の話に、いろんな懐かしい場面を思い出したから。週刊朝日の表紙を見たし、あの有名なCMのはにかんだ表情。そのバックで流れた斉藤哲夫の歌。連続テレビも見ていたが、こちらはあまり憶えてなかった。きょう見た映像で「このドラマみていたなぁ」と思い出したけど、お兄さん役が石田純一だったとは、思いもしなかった。丁度 斉藤哲夫の「バイバイ グッドバイサラバイ」のLPを買って、毎日聞いていた頃で、あのCMソングの声も直ぐ誰かはわかった。「もう春です」「されど私の人生」などの歌と比べたらインパクトは弱かった。
朝食時にみた20分ほどのシーンで、30年前の事、そして 健軍小の件は、15年位前の番組でだっただろうか、さらに 自分がいた、中学のこと、健軍の町、たくさんのことを懐かしむことが出来た。宮崎美子さんが出てたから見ようとしたわけで、やっぱり好きな女優だ。今になってファンになったかな 中年のおじさんにも、ふさわしいアイドルはいるのだ。
真夜中にこんなこと考えている幸せ。しかし疲れた。

鹿児島県内では、高校生の最も重要なスポーツ大会 県高校総体 インターハイ予選が、始まっている。今日の新聞では、昨日行われた、サッカー 卓球 ソフトテニス レスリング バドミントン ラグビーの、結果が出ていた。私の母校 大島高校は、サッカーで4回戦進出の健闘を見せたがベスト8入りはならなかった。他は、ソフトテニス女子が3回戦 卓球は男女とも1回戦で敗退だった。サッカーでは私の知人がコーチをしていた与論がベスト8。今日は大島に勝った国分と、対戦だったが、結果は明日の新聞。娘の高校の女子卓球部は、中学時代の後輩達のチーム。1年生だけで頑張ったようだが、初戦でシード校に敗れている。娘の高校は、女子ハンドボールが強い、監督は娘の担任。大島もハンドボールは伝統的に強い。女子の1回戦で、両校対戦。最近は娘の高校の方が好成績を収めている。大島には是非くらいついて悔いのない試合をして欲しい。
私はハンドボール部に、入っていた。でも 同窓生のほとんどは、知らないと思う。ハンドボール部があったことも憶えてない人もいるかも知れない。大島高校ハンドボール部最初の部員。部にするため1年のとき熱心に活動した。部になった2年以降、ほとんど練習に参加していない。部員として名前は3年まで登録されていたはずだ。その後真面目に練習に励んだ後輩達は、県内屈指の強豪校となり 男女ともインターハイ出場を、成している。
この大会で勝ち上がり、インターハイ 九州大会に進む、限られた人達以外は、この大会で高校の部活が終了となる。冬場にも大会がある サッカー ラグビー 駅伝以外で、、大学 実業団で、競技を続ける事が出来る僅かの人意外はこれで一線に区切りをつける。おそらく皆 中学や、スポーツ少年団のころから 毎日練習を重ねてきてこの大会を、集大成として目指してきていると思う。みな満足できる結果で終わって欲しい。
これからまだ バスケット 空手など 大島高校としては、期待の出来る種目が残っている。離島ゆえなかなか大勢の応援を、背に戦えない不利もあるが、私達在鹿のものが、誘い合って試合会場に足を運んで上げれたらいいのだが。選手たちは、そんなことに関係なく、これまでの練習の成果を出し切ることに集中して、立派な試合を見せてくれるだろう。

昭和52年おぼえてる?

日中日差しが強くて、暑かったのが、日が沈むと、肌寒さを感じるほどに気温が下がった。気温16度くらいだと、すこし前の気温だから、寒いというほどではないはずなんだが、近頃の高い気温に順応してしまっている皮膚感覚では、「寒い」と、感じてしまう。食事の後ウォーキングに出かけるはずだったが、寒いと血圧が上がってしまうから、どうしようか 思案していた。テレビで「日めくりタイムトラベル」を、やっているのを見つけ、とりあえず 番組を、見ながら考えることに。でも 懐かしい話題と映像に見入ってしまった。昭和52年の出来事についてだ
中心は王貞治ホームラン756号と、ピンクレディーフィーバー。王選手のホームラン世界記録達成は、国民的騒動だった。騒動というと悪いイメージになってしまうが、その時のことを思い出すと、騒動だ。マスメディア全体それを一番の話題にしていて、達成のときは、もちろん速報が出て、その後ニュースは、一日中トップニュース扱い。テレビの野球中継が、まだ始まってない時間だったが、速報は、その打席を何度も放映してくた。私も 王のファンだったので、嬉しくて一人で乾杯したはずだ。その 翌日、王は、757号の逆転ホームランを、打っている。これもセットではっきり記憶に残っている。翌年だったと思うが、プロ野球界は、江川問題で世間の注目を集めた。これはまさしく国民的騒動で、当時私の日記に「プロ野球がこんなに世間の注目を集めたのは、王選手756号のときだけ、前が喜びで、盛り上がったのに、今回はみな嘆いている」と、書いた記憶がある。
ピンクレディーは、あまり興味が無かったということにしているが、あれだけ世間が注目し テレビを見ていたら一日何度もその歌とダンスを目にするわけだから、当時「よく 知らない」といっていたのは、嘘である。大ファンだという人ほどは彼女らのことは知らないが、普通の人が知っている内容なら私も知っていて、今でもその歌は覚えている。フォークとロックに傾注して、後にはクラッシック音楽愛好家を、自負する者の見得だった。
カラオケの普及もこの時期で 懐かしい8トラックテープを使ったカラオケ機が、紹介されていた。当時の歌詞カードを見ながら歌っていたときの方が、みな 耳を傾けてくれていて、歌い手も満足してたように思う。
私は、まだ学生の時。電気店のアルバイトに明け暮れていた。オーディオに、興味があった。6畳の風呂なし、トイレ共同の部屋を借りていた。一人だった。サントリーホワイト1050円を、飲んでいた。FM放送が、楽しみだった。レギュラーコーヒーを、飲み始めたのも、料理を、始めたのもこの時期だ。いろんな思い出が蘇ってきた。
王が、757号の逆転ホームランを打った9月4日、夜遅く親友のHAYASIが、尋ねてきて二人で飲みに出かけた。彼のおごりで。今 彼は どこで何をしているのか。そんなことも考えた今夜でした。

ウォーキングはこれで4日休み。まずい。お腹がまた出っ張ってきてるような気がする。明日からまた歩こう。

久しぶりの晴天。風が強いが日が差して、気持ちのよい天候。
午後からの配達は、徒歩と、自転車で。体が火照ってってくるが、風が心地よく、汗をかくほどにはならず、少し汗ばむ程度、汗で、湿り気を感ずるだけ。息を切らすほどの運動は、心臓に負担がかかるため出来ないが、早歩きや自転車の普通の走行は問題ない。というより適度の運動。豪雨の土 日 ウォーキングが、出来なかったので丁度よい。今日はウォーキングが出来る。けど、出水からせっかく娘が来るので、一緒にいたい。ウォーキングの時間がもったいないような。決してだるいとか怠け心じゃないんだ。
その娘は昼3時半にやってきた。ケーキは姶良に入ってから買ったようだ、クッキーにチョコで、「お父さん たんじょうびおめでとう」と書いてもらってあった。美味しいんだが、私には、クリームもカステラも脂肪とコレストロールで、制限されてる食べ物。皿に切り分けた3分の1ほどを、口にしあとは、飾られたイチゴを3個食して、おしまい。娘は、母親に言われて残してあった自分の持ち物の整理。このために帰ってきたわけではあるまいが、2時間半ほどその作業に費やし、じいちゃんの家へ。戻ってきたら、皆で外食してくることに。私は質素な食事に徹するため残った。帰ってきて母親と話しているのを、呼んで、東京のやまもととのテレビ電話に、出して、彼に紹介、何も知らずにパソコンの前にやってきた娘はビックリ。それから テレビ電話の説明をし、やまもとのことを話したり、中高時代の写真を見せたり。もうやがて出水に帰ってしまう娘と 話をしておかねば悔やまれると、次々話題を繰り出す。結局話せたのは20分くらいかな。でも 明るい彼女の声は、ずっと家中にとどろき渡り。楽しい和やかな時間を作ってくれた。暫くでも話せた私も、愉快な気分。彼女が去ってしまった後も、残った家族は彼女の話題で団欒が続く。 
普段いないから、会えて嬉しいという事もあるけど、彼女の持ち前の明るさが、私達を、和ませ普段のぎくしゃくを、解消してくれた。来てくれてありがとう。

「ぼくたちの失敗」森田童子の世界

昨日の朝日新聞 うたの旅人 は、森田童子「ぼくたちの失敗」を、取り上げていた。
1面は 多分、多くの人がこの歌を知る事が出来たテレビドラマ「高校教師」について。旅先はドラマゆかりの新潟柏崎にある、青海川駅。「森田童子の、ひとの弱さをいとおしむような歌と、ドラマが共鳴しあった」と、当時のプロデューサーが、話している。わたしはこのドラマ見ていない。評判になっているのは知っていた。「ぼくたちの失敗」がテーマ曲になっているのは、雑誌に載っていたのを読んで知っていた。住居近くにあった酒屋のお姉さんが、買い物に来た私を、そっちのけで、神に祈るように両手を胸のまえで組み、口を半ば開いて店内のテレビを、見続けていたのがこのドラマだった。
森田童子という名前の歌い手と、「さよならぼくのともだち」という歌を知ったのは、1975年のことFM放送を、聞く合間に 大学に行ってた頃だ。幼女が歌うようなかん高い声が、今まで音楽としては聴いたことのない詩を歌っていた。「仲間がパクられた日曜の朝、雨の中をゆがんで走る」「太宰の好きなきみは、睡眠薬を飲んだ」小説を読んで空想する世界が、音楽によって感情をも、上下させて思い描くことが出来た。直ぐに アルバム「グットバイ」を、買った。太宰の小説のような暗さを自虐的に滑稽に見せようとする詩歌が、多い中、明るい曲調の「雨のクロール」が、気に入った。もっともこれも別れの歌で、最後の一節は、転調してしまうのだが、「雨にきみの泳ぐクロールとてもきれいね」という詩がこのアルバムの中で ほっと一息できる歌として、気に入っていた。もうひとつのアルバム「マザースカイ」は、中ノ島公会堂でのライブ会場で購入。「春まぼろし 優しいばかりの今夜の気持ち」と書かれた 色紙がついていた。グッドバイを聞いてから まもなくだったはずだが、 「春まぼろし」とあるから 翌年のまだ、寒い時期だったんだろう。同じ年に京都会館でのコンサートにも行った。コンサートとしては京都の方が、強く印象に残っている。「ぼくたちの失敗」も、もちろん好きだった。でも 「マザースカイ」で最もきにいったのは、「春爛漫」「春よ 春に 春は 春の」「青く 青き 青の 青い」という言葉のテンポが、面白く よくギターをかき鳴らして歌っていた。
新聞は2面で森田童子について述べている。近くにいて彼女をよく知ってた者の話では、やはり 物静かで、私語を発しない あのサングラスを決してはずさない。公表されたプロフィールは1952年生まれ、高校時代サイモン&ガーファンクルを、聞いていた 70年高校中退して旅に出る。72年 友人の死をきっかけに 青春を振り返って歌い始めた。52年生まれなら中島みゆきと、同じか。全く違うタイプの詩人だ。サングラスに関して、奄美の居酒屋一村のとし坊こと栄利久に聞いた話、奄美でのコンサートのアフターで、鍋を食べようとふたを開けた瞬間、湯気でサングラスが曇り 、全く見えなくなったようで、そのとき初めて一度だけ サングラスをはずしたそうだ、同席していた人達ラッキーだったな。コンサートでの語りも、単調な抑揚で、「早春にて」の中の、台詞と、同じように語り、客席から名前が叫ばれても反応せず。彼女のコンサートに掛け声は、場違いな気がするから当然かも。話の内容は「郵便局の窓口で自殺の方法ばかり考えているらしい友人の事」とか 笑わせる内容もあるんだけど、語る本人は、静かに強調もすることなく平坦に語る。
私が行ったコンサートはどれも満席だった。皆彼女の歌の繊細な部分と、痛々しい感情の表現に魅せられ、共感を、覚えていた。引退してしまってからかなりの年月がたってしまった。今どうしているかなんて興味はない。あの頃の森田童子はそのままの姿かたちで、生き続けている。その歌はいつでも私の 慰めにも 励ましにも 安らぎにも なってくれている。






誕生日、「嬉しさ」のプレゼント

朝 出水にいる娘から、デコレーションケーキの、イラストがメールで送られてきた。
その 後に 「お父さんお誕生日おめでとう」と、記してあった。そうか 今日は私の誕生日か、気づかなかった。
「誕生日を迎えられたことに感謝して、これからもずっと元気でいてね」 うれしい!
娘とは昨日久しぶりに電話で、話したばかりだった。「このところ暫く 体調がよくなかったけど、今はもうよくなったから」という話から始まって、妹の近況、最近流行の歌の話、とりとめのない雑談で、終わって、翌日の誕生日に、ついては、全く話題にしてなかった。私も忘れていたから、家族で、憶えているものがいるとしたら やはり長女だ。家内は休日恒例の、宗教活動に出かけ、次女は遅くまで寝ていて 起きた後もぼんやり、テレビの前に座っているだけ。人のことに気を回すことなど出来ない。この年だから、家族に誕生日だからどうこうしてもらったり、いわれたりするのも億劫だから、それでいいのだけれど、出水に去ってしまってる娘が、私のことを、気に留めていてことは、ほんとにうれしい。
「気づかせてくれて、朝早くから仕事に励んでる、さすが私の長女はエライ!」と、返信を打ったところ、
「忘れてたの思い出してくれてよかった。長女は11時からの勤務で、朝早くない。ちっとも偉くない」と、返ってきた。もし電話で直に話していたら、逆に私から「夜遊び夜更かしほどほどにして しっかり仕事しなさい」というだろうし、娘もそれに反発する言葉を言ってくるだろう。どうしてもて照れが出てしまう。メールだから、落ち着いて相手のための言葉を選んで、素直な気持ちを、伝えることが出来るのだ。メールという先端情報技術のありがたさを、痛感。それを身近で使える今、生きていることに感謝。
「月曜日には、本物のケーキ、持って 帰るから」という文で、娘のメールは結び。楽しみだ。
私以上に、その妹の方が、姉の帰りを喜ぶのだが、こちらの娘、相変わらずテレビの前に座り込むか、猫とじゃれあって 終日すごして、家内は結局、夜9時前に、帰宅。この家で、私のバースデイは、取りざたされること無く、過ぎ去ってしまう。
残念な気持ちには、全くなっていない。出水発の娘のメールを読み直して、また、嬉しさがこみ上げる。いい一日だった。と、締めくくれる。

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みどり亀のある吉 9歳
子供が小学2年のとき、親指の先程の大きさのみどり亀を、200円で買った。9年経って22センチほどに成長。当初この状況は全く予想していなかった。一年後に、まだ 生きているとも思ってなかった。それが年々大きくなって この大きさに。飼うのが大変なのは、夏だけ。食欲旺盛で、排泄も多く、頻繁に水槽の水を変えないといけない。冬はそれに比べ楽、冬眠はしてないが、餌を食べない。排泄も無いから水は汚れない。寒さに弱いと聞いたが、こいつは大丈夫。玄関の下駄箱の上に水槽を置いているが、真冬でも生存が、危ぶまれるようなことはない。凍結さえしなければいいのかな。
大きくなる毎に水槽も大きな物に変えてきた。今使用しているものより大きいのが必要になったとしても 簡単には、入手できそうにない。「これ以上大きくならないでくれ」と願っているが、残念ながらまだ成長している。手に持つ度にさらに重くなったのを感じる。餌は一時期に比べたら摂取量は減っていて、急激な成長はないが、確実に大きくなっている。娘は ある時期から 触るのを怖がるようになった。抱えると 手足をばたつかせるから、蹴られた手は、痛い。娘じゃあ驚いて落としてしまうだろう。水槽の水を替えるときは、亀を別の水槽に移さなければならない。仕方なく私がやるしかない。そのとき ついでに 道路を歩かせる。狭い水槽で 窮屈な思いをしているだろうから、たまには広いところを自由に歩かせたい。今日 散歩させてるときに撮ったのが上の写真。結構早く歩くので 目が離せない。さて 亀は50年生きるらしい。ある吉は、後41年以上生きるのか。30年後 40年後誰が世話をする。娘が出来るようになるだろうか。そうでなければ、早く孫を作れ。

鹿児島は午前中雨、ちょっと蒸し暑い天気。焙煎しながらかなり汗をかいた。気温は22度。これはここしばらく変わらない。でも こんなに汗をかいたのは、今年初めて。湿気のせいだろうか。昨晩のウォーキングでも、結構汗をかいた。昨日も一日雨。
真夏だと焙煎機の周りは42度くらいになる。ただ 焙煎中はそんなに汗は出ない。終わって外の風に当たると流れるような汗が出てくる。そして 水を、頻繁に飲む。昨年は、一度脱水症状が出て 手が痺れた事があった。
今年2月の心筋梗塞の時も手が痺れ、もし脱水症状なら水分補給で、治まると思い、病院に行く前にコップ一杯の水を飲んだのだ。後で、当日の食事の状況から、脱水症状が、引き金になって心筋梗塞に至っていると、医師に指摘された。結局、あのコップ一杯の水はよかったのだ。
今、焙煎機の近くの温度は35度くらい。流れるほどの汗ではないが、肌シャツがぬれて、焙煎終了後はシャワーを浴びた。
とにかく、水分を取ることを強く言われているので、ペットボトルに水を入れて常に携帯している。車の運転中も、ウォーキング中も、台所を通る度に飲水しているかもしれない。他に 豆乳 野菜ジュース、は、食事と一緒に摂る。薬を飲むために飲む。コーヒーももちろん飲んでるが、本人 味見をしているだけなので 飲んでいる自覚はない。でも味見が相当数なので量も多くなっているんだろう。多分 水分は十分。
医者は 十分な水分 と言ったが、何リットルも飲めと言ったのだろうか。今日のあせは、体内の余分な水分ではないだろうか。そんな疑問を、今 ふと気にしだした。
食事の後 ウォーキングにかかるはずだったのだが、お腹が膨らんで動けない。食事の量はしっかり管理して食べ過ぎないようにしているから、これは、食事の前の水 食中のお茶、食後にまた水 と 豆乳 そして薬を口に入れて水、果汁たっぷりのリンゴまで、胃に入ってしまった。多分体重は2kgくらいは増えているかも。
このままほっておけば、そのうち排出されて治まるのだろうが、体重減には、よくないような気がする。ここは体を動かして、脂肪を燃やしながら水分を排出にもっていき、体熱でも汗にして出してしまおう。重い体だけどこれから歩いてきます。歩きながらまた水は、飲むんだけれど。

1時間歩いてきました。水は一口だけ飲みました。汗が滲んできました。お腹がまた膨らんできたような気もする。揺らすと中で液体がぷくぷく動く。が、体重計に乗ってみたら、体重はいつもと同じ、で、安心。

60年代 幸せにしてくれた音楽

昨日 ハンクジョーンズを、youtubeで、見ていて、ついでに ELPの「ホウダウン」を、聞きたくなって検索。初めて知ったが、「バロック ホウダウン」という元歌が、あったのだ。検索結果にそのオルガン演奏が、出てきてyoutubeには、づらっと同じ曲の演奏が、出ていた。別の検索結果から あるブログを、見つけてそこでいつも聞いてる「ホウダウン」を、聞いた。そのブログサイトには ELPの曲 4曲がアップされていて うち2曲は最近の映像だった。私がそのかっこよさにあこがれていた、70年代から30数年経ち、当たり前だが3人とも年をとっていた メンバーはおそらく60歳に近いんじゃないか。一番変わっていたのは 最もアイドル的美青年だった グレック・レイクだ。キースエマーソンも、太い体になっている、カール・パーマーは、逆に細くなっている。でも 40年前と同じ音で、演奏している。グレッグ・レイクも同じ声だ。昔からのファンなら 今でも同じ演奏が聞けることに感激だろう。
この ELPを見るために開いたのが「団塊世代の想い出」というサイト。八つのカテゴリに分かれていて そのうちのロック&ソウルに、ELPが上げられていた。「昭和の歌謡曲」「グループサウンズ」「フォーク&ニューミジック」などのカテゴリーに興味がもてたので、今日また開いて見た、「昭和の歌謡曲」から65年~69年 私が中学時代に聞いていた歌「天使の誘惑」「ある日突然」「夜明けのスキャット」「虹色の湖」、聞いていて幸せな気分になる。今振り返って 一番幸せだった中学生の頃を思い出せるからだろうか。GSは、27のグループが聞ける 「ランチャーズ」「ワイルドワンズ」「ヴィレッジシンガーズ」「パープル シャトーズ」パープルシャトーズの、「別れても好きな人」を、初めて聞いた。1969年の、レコードだ、11年後 80年にロスインディオス&シルビアが歌ってヒットさせた曲。パープルシャトーズもいいんだけど。「歩きたいのよ高輪」は、初めは、「歩きたいのよ狸穴」に、なっていてパープルシャトーズは狸穴の歌詞。高輪は、知ってるけど狸穴って地名 知らないよな。一番で、青山が、原宿に、変わっているところも発見。
「フォーク&ニューミュージック」の、最初はジョーンバエズだ。映画「死刑台のメロディー」の主題歌「勝利への賛歌」here's to youを聞く。レコードを持っていて何度も聴いた曲だ。これも最近のライブだろうか、髪がショートだでも歌声は一緒。次 「勝利を我らに」We shall overcome ジョーン・バエズといったらこの歌。揺られるように聞いていたらいつの間にか 涙があふれていた。つぎつぎ流れてくる。涙を、意識してそのことで、気持ちが高まりさらにあふれる涙。理由は? まだ若い感情を持っていたか、それとも 年のせいで昔を懐かしがってか。映像のコンサートでも観衆が、一緒に歌って大合唱になっている。幸福な時間を過ごしている。昔 この歌が生まれたときは、皆が幸福を求めて戦っていた。その象徴の歌が we shall overcome だ。今そんなことを考えているけど、聞いているときは考えてはいなかった。ただ歌が心を、震わせて、涙に伝わった。この歌を 初めて聞いたのも、中学の英語の授業でのことだった。

ハンク・ジョーンズありがとう

ピアニスト ハンク・ジョーンズ死去のニュース。
親日家として知られている。最後のライブ演奏が今年2月の新潟だった。弟のドラマー エルビン・ジョーンズは日本人の妻を持ち、長崎に住んでいた。鹿児島との縁も強い。パノニカオーナーだった中山信一郎さんを、中心としたジャズ愛好者の「鹿児島モダンジャズの会」「モダンパルスの会」が、自主製作したレコードがハンク・ジョーンズでは、なかったろうか。
youtubeで、いくつか見てみた。全て 誰もが知ってるスタンダード。2009年 昨年8月の東京ブルーノートでのライブが見れた。BSテレビで放送されたものらしい。彼程の大家なら、ホールで、沢山の観衆を前に演奏するのが普通だろうが、このライブハウスでの観客と近い距離で、反応を確かめながらの、演奏を好んだようだ。客席からの掛け声が、フレーズごとに飛んでいる。このとき 90歳だったんだ。なんと軽やかなスイング感。演奏曲も、「オングリーンドルフィンストリート」アイガット リズム」ジョビンの「ウェーブ」「インナ センチメンタル ムード」正統派ジャズの正統スタンダード。そういえば ミスター・スタンダードの称号も、彼に与えられていた。
コンサートホールでの演奏では、1曲終わるごとに、立ち上がり客席に 深く頭を下げていた。オスカーピーターソンと、同じように。彼の素直な演奏と、素直で謙虚な人柄が完璧にマッチしているようで、見ていて すがすがしく 心地よかった。
トランペットのサド エルビン ハンクの3兄弟、いずれもジャズの巨人として 名を残し 皆 この世を去って行った。アメリカの音楽史と、ジャズにおおきな功績と、いつまでも人々の胸に響く 演奏を残して。

10kg336000円の、コーヒーが、あるらしい。それも生豆で、10kg 焙煎したら水分が抜けて2割目減りするから、実質8kg33万6千円、100gで、4200円。あるらしいというのは、5月15日の朝日新聞で、紹介されていたのだが、「信じられん」というのが、感想だからだ。
品質のよいコーヒーの木を、十分に手入れして育て、収穫後の管理も運搬も温度 湿度の管理やエイジングに細心の注意をして、その豆に最適の焙煎をして 客に届ける。これらを、費用を惜しむことなく万全に成して最高級のコーヒーに仕立てる。それでも この金額は信じられない。
コーヒー農園によっては良質コーヒーを生産している誇りから、独自のネーミングをして価格にプレミアムの要素を加える場合はある。消費者はその価値を認めれば納得して代金を払うだろう。しかし100g4200円となると、品質以外の何かが加わらないとこの値段はつかないと思う。私はそのコーヒーを、飲んだことないから、飲んだ後 考えが変わる可能性はあるが、4200円を、払ってもいいという考えには私は決してならないと思う。
コーヒーについて 嗜好品か、日常品か、と言う考え方の違いがある。喫茶店は、非日常の空間を提供してコーヒーを飲んでもらうから、嗜好品と考えていい。コーヒー代のほとんどはサービス料だ。使用しているコーヒーを、販売するとき、低価格にして、客に「安いコーヒーを使っている」と思われるのはまずい。だが、その店のステータスなどと言う価値の付加は、コーヒーにとって不幸なことだと思う。
家庭でbreak fast coffeeやafter noon coffeeを楽しむのは日常品としてのコーヒーだろう。中には 「スーパーで売ってる安いコーヒーは、日常品で、我々が焙煎しているコーヒーはあれとは、違う、高品質の嗜好品だ」と言う意見のコーヒー屋もいる。私のようなコーヒー豆の販売業者は、概ね日常品を売っているつもりだろう。飲食店へ卸すことも多いけど、より沢山のコーヒーが飲まれることを期待している。日常品として沢山買ってもらわないと十分な利益が得られない。おいしい いいコーヒーでなければならないのは当然で、鮮度を考え焙煎もこまめににする。その費用に対する価格を設定している。古くなったり、品質の劣ったコーヒー豆なら、価格を、かなり低く設定できるが、日常品といってもおいしいものにしなければならない。
話を戻すが、日常品としてのコーヒーに、ステータスは、いらない。風味の高さと価格があわないコーヒーは使っていない。高級なコーヒーとして認知されている、いくつかのコーヒーは、確かにおいしい。しかし 他のコーヒーの2倍 3倍 中には4倍の値段が妥当とは思わない。値段の差ほど味に差はないから。これでないと、いけないと言う中毒のような人もいるけど、おいしいコーヒーは高いということは絶対無いし、高いからおいしいとも限らない、これはほんとに嗜好の問題で、強い味のコーヒー 苦味のコーヒーを、好んでる人にとては、値段の高いカリブなどの上品な酸味のコーヒーは、ものたりないものに感じてしまうから。
ほんとにコーヒーが好きな人なら、いつでも手ごろに美味しいコーヒーが飲めるように手配しているはず。そういうコーヒを、見つけ出している。100g 4200円のコーヒーの購入者は、飲む以外にも何か別の目的があるんじゃないか。販売人は、「コーヒーにもワインのような文化をつくりたい」と言っている。それはいいと思う。ワインにしても日本茶にしても破格の高級品から庶民用廉価品までさまざまのタイプがあり、世間に認知されている。アラビカ種のコーヒーならある程度管理がいきとどいた生産がなされていて、それぞれの国の機関が評定している。その中でこれほどの価格差が認められるか、というのが私には疑問なのだ。たぶんその差は、ネームバリューというステータスが大きいんじゃないか。品質と味に大きな差を感じるとしたら、取り扱いや焙煎が間違っていたり、不手際があって品質を落としてしまった珈琲がでまわり、その美味しくないコーヒーを、飲んだ人が多いからなんじゃないだろうか。
高いコーヒーに仕上げるより、生産者に十分な金額が支払われるフェアトレードの仕組みを強くすることが、コーヒー業界にとっては大事なんじゃないか。コーヒー園が、成り立たなくなって生産されなくなってしまうと、コーヒー屋も成り立たなくなるのだから。

大阪高検の幹部が、組織の不正を告発しようとした直前、逮捕された事件。8年前の事だったんだ。微罪で、逮捕拘束これは口封じに違いない。みなそう思う。検察は、かえって苦しい立場に追いやられ、一生懸命会見で、微罪に過ぎない事件を、前代未聞の大罪などと 被疑者を大悪人に仕立てようとしていた。その 被告になった元幹部が刑期を、終えて出所したということで、テレビで特集をしていた。マスコミも検察発表を、そのまま報じているから、当時私も「もっと潔癖な人が行動してくれたら」と、思っていたはずだ。以前西山事件で政府の争点すり替えにはまってしまったことを反省したはずのマスコミが、またもや公権力の言いなりに一方的な情報を垂れ流してしまっていた。今当時の映像を見ると検察長官や法務大臣が、バカ面に見える。
その後 検察はどんどんおかしくなっているらしい。今では 「暴走検察」「特攻検察」という見出しが目に付く。マスコミ操作で旨くいって調子に乗ったか、名誉挽回をあせって墓穴を掘ったか。ライブドア事件の少し前、新しく就任した検察庁長官が、「正直ものが報われる世の中にしたい」というのを聞いて、嫌な気になった。正論だけど、検察の仕事ではない。言い変えれば検察の意志で、社会を変えてしまうということにもなる。会見で言ったのが「正直にこつこつやっている者」というような意味を言ったようにも思う。正確な記憶ではないけど、それで、ほり衛もんや、村上ファンドの村上世彰を、ターゲットにしているんだと考えていた。そして特捜部が出てきて、賛否ある中、検察は事件として扱った。同じように非労働で、懐を肥やした財界人や政治家も沢山いたと思うのだが、それには目をつぶって。
今検察の意図的リークが問題とされ始めた、小沢一郎の事件と、厚生労働省の郵便不正事件について 検察のおかしな強引さが取り上げられるようになった。どちらも 検察が作り上げたシナリオ通りに、結論を持っていこうとして、おかしなことをやっているという。成功すれば手柄になるらしいが、そんなもの 役所内部だけの評価で、世間では、悪評噴出にしかならない。公務員改革を阻止するため民主党にダメージを与えるとか、嘗て検察不正を国会で取り上げようとしたことへの腹いせとか、情けないことを、書かれている。小沢一郎の政治手法には全く賛成できないが、それ以上に検察の悪あがきのような、浅ましさに我慢がならない。官庁組織が、自分達の利益を減ずるような意見の長が就任すると、卑劣なまでの抵抗で、上司である長を排斥しようとする事態は、度々見てきた、昨今の地方警察や 検察のようなより強い権力を、持つ者の身勝手な行為は、市民の平穏な生活を、脅かす、大変な事態だ。
司法試験にパスした優秀な人材が 組織の中で飼いならされ、組織の利益にしか寄与しないとしたら、日本の大変な損失だ。信念を持って、国民の利益になることを、考えてください。今のままでは、検察官は、昔の悪代官と、同じレベルじゃないかと、疑ってしまう。

娘が一番可愛がってた、お気に入りの猫 ミルク雌、今夜、車に撥ねられ、あっという間に、息を引き取った。
スピードをだしているらしい高いエンジン音の車が 家の前で急ブレーキ、何事 と、道路に目を向けると、白い乗用車が、やはり高速で走り去った。直後、ミルクが 前足だけで、異常に体をくねらせながら、飛び込んできた。直ぐに轢かれたとわかった。抱き上げると、腹部がへこんでいて、口から何か吐き出そうとしている。娘を呼び出し、ミルクをシートに寝かす。娘は何が起こったか、わかってない様子。ミルクは、動かない。目は開いてた。目を見つめてた娘が 泣き出した。目の動きがぴったと止まってしまい死亡したことがわかったからだ。事故からほんの数分だった。
ミルクの命もほんの7ヶ月。
娘は泣きながら 謝っている。「ごめんね、助けてあげられなくて」「まだ、少ししか生きてないのに」
ミルクは 生まれたとき、元気が無く、成長も遅いようで、「無事には成長しないかもしれない」と思っていた。でも無事に成長し、庭を走り回っていた、行動を道路にまで広い範囲にとり始めたことで、今日の不運な結果になってしまった。命を絶たれた今、かわいそう と、思う感情が、溢れてくるけれど、7ヶ月生きたこと、娘が、いつも抱きかかえて可愛がったこと、それを考えたら、生きてた7ヶ月、少なくとも不幸ではなかった と、思う。
いつでも そばにおいて、一生懸命世話をした、娘は、自分も慰められていた相手を失い、こちらこそが大きな悲しみに襲われ、かわいそうなのかもしれない。「今日まで 可愛がって世話をしてもらったミルクは、幸せだったんだよ」と言葉をかけて、気持ちを落ちつかせることしか出来ない。動物を飼うと、必ずこういう愛するペットの死に直面することは避けられない。それから 何か学んだのか、娘は、命について 意見を出し始めた。不幸な出来事だけど、娘を大きく成長させてくれたかもしれない。

鹿児島市内に住む同窓生Kが、姶良に住む叔父さんを、訪ねてきて、その帰りは、鹿児島へ配達に行く 私の車に同乗することになり、彼を迎えに 叔父さんのうちへ行った。沢山の玉ねぎを、もらった。自分で畑を借りて作っているそうだ。健康には不安を抱えているが、こういう農作業や、魚を捕ることが一番の楽しみだと言う。一人暮らしで、広い庭のある一軒家には、生活するための最小限の家財だけしか置いてないが、農作業の道具や、収穫した食物が、土間においてある様子は農家の風だった。
今夜 テレビでは 一人 農村に住み付いて 農業をやっている男性の特集をしていた。会社勤めをやめてまで、飛び込んだ農業の魅力は、やっている者でないと分からないのかもしれない。収穫の喜びは理解できても、そこに至るまでの過酷に見える作業は、成し遂げる満足感などを求めるだけでは、続けられないだろう。やってない私は、多分体を使って労働する体験の、楽しさが、得られているのでは、と考えてている。
老後の楽しみとして、農業に関わる人が、結構いる。長い間 複雑な社会で、神経を張って、緊張を持続させての勤務生活で、疲労を、蓄積させてしまった人が、自然に触れて、生産活動を、成して、人間の力量を、確信し 本来の労働の喜びを体感し、解放された感覚に目覚めるのかも と思う。
コーヒー屋も、農作物を使った商売で、世界の気候や、開花の状況とか、商品の品質に関わる農業分野の 知識と情報に敏感では、あるが、その農業生産に参加する意志を持つには、至ってない。まだ、神経が若くて、ゆっくり自然と触れ合って日々を暮らす、そんな境地にはなれない。あと暫く、年を重ねて、ゆとりというものがわかった時、私も大きな自然と向き合って行う農業の魅力の虜になっているだろう。
自慢げに 嬉しそうに 玉ねぎを、手渡してくれた、Kのおじさんの、満足げな、表情を思い出しながら、そう 考えた。


心筋梗塞で、また

また 同窓生の訃報が伝わってきた。私とはそれほど親しい関係ではなく、話したことも、2,3回あっただろうか。ただ、こちらも明るく、元気な人だった。今でもそのバイタリティーは、あきれるほどだと 友人らは評していたから、突然の報は、やはり驚きだ。しかも 原因が、私がかかったのと同じ心筋梗塞だと、聞いて、自分の身にも起こった危険を改めて意識に戻し、恐怖心を、抱かせた。助かった者として不幸な結果になった者へ済まない思いを表したい気持ちを起こさせた。
夜の仕事をしていた。昼も活発に活動していたことは、前々から聞いていた。疲労が引き金になったのであろうか、そういえば 同窓生ではないが、昨年の高校同窓会の3次会で行った店の。ママは、同じ年齢だが、彼女も先日 突然にこの世を去った。我々が尋ねたころから 体調はよくなかったらしい。私達のような深夜の酔っ払いを相手にしていては疲れるのも相当なものだろう。
今年も、既に3人の同窓生の訃報が、届いてきた。昨年「3年後また東京で会おう」と 誓い合って 同窓会を締めたばかりだ。また皆に会いたい。そう思いを強く持って、普段を過ごそう。皆も、そうなることを願って、日々努めて欲しい。

バラエティー 女性タレントブログ

新聞でゴルフの横峰さくらが、前試合の獲得賞金を、宮崎の口蹄疫被害の援助のため 寄付すると言う記事が載っていて、それを ブログで、表明したと言う。そこで 横峰さくらのブログを見てみる。記事にあったコメントが、そのまま載っていた。なかなかしっかりした意見を書いている。以前は奔放な性格そのままにギャル風コメントを発していたが、最近はインタビューでも落ち着いた風格の大人の発言に変わっていた。宮里藍を、見習っているのかな。
芸能人のブログを以前はよく見ていた。戸田恵子 辺見エミリ 瀬戸カトリーヌ 清水ミチコ 大場久美子など 今は清水ミチコのブログを時々見ている。これが 一番面白い、まとめて10日分くらい読んでいる。他に 秋吉久美子の格言ブログは、かなり読み応えがあるが、最近更新がされてない。忙しいかな 大学院はまだ通っているのか。亡くなってかなりの日にちが経っている 飯島愛のブログも生前に、記した分そのまま公開されている。私のブログに来てくれた ミュージッシャン2人 「ミスターロンサム」の柴田容子さん 「屋根」の高田真樹子さんのブログにも挨拶してる。
DVDで素敵な女優を見つけると、その名前で検索し ブログがあると読んでしまう。以前は 自分のブログの更新前に こんな風に いろんなHPやブログに読みふけり、自分のブログの為の時間を失っていたのだ。
だいたい は、日常の出来事を日記風にかいているが、その人の関心事などの記述では 普段メディアでから伝わる印象が、変わるほどに真剣になっている。横峰さくらの寄付にいたる考えもそうだが、柴田容子さんのアジアへの関わり。飯島愛のエイズ予防に関しての意見。秋吉久美子に至っては、まさに哲学だ。
女性のブログばかり 男性のは見てないのかと、問われる意見が聞こえそうだが、見る事もある。でも私は男だから「女性が、何を考えているか」という興味に導かれてこいう結果になるのだ。

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5月1日 噴煙を上げる桜島

今年になって500回目の噴火を、記録した桜島。ほんとに 今年はよく爆発して、噴煙を上げ、大量の火山灰を、降り撒く。風向きによって火山灰の被害にあう土地が決まってくるのだが、今年は 大隈半島側、垂水や、鹿屋が、大変な目に会っているようだ。今日も 垂水は 深い霧に覆われたように、前方が霞んでしか見なかったらしい。これで、雨など降ったら最悪だ、空から泥が、降ってくる。
私の住む姶良は比較的 と言うより ほとんど火山灰が、こないところだ。私が此処に住み始めて14年、去年までで、大量の火山灰に降られたのは、2回だった。それが 今年は、何回か被害にあっている、大量でなくとも気づかぬうちに うっすら木の葉が、灰で、覆われていることがよくある。家の前の溝に汚泥が、直ぐにお溜まってしまい 浚う回数が多くなった、作業を見て近所の方が「灰で、大変だねぇ」と、言ったので溜まったのは桜島の灰なのだと、気づいた。
一日に何度も噴煙を上げる。地元鹿児島のラジオ局の放送を聴いていると何度も「また、爆発しました。噴煙を上げてます」という 言葉が聞かれる。時々は、大きな爆発音が、聞こえてくることもあるが、ほとんどは、小規模 中規模な爆発。こうして 少しづつ地下のエネルギーを放出していれば、大量のエネルギーが貯まって大爆発をする可能性は少なくなるかな、と、安心材料なのかも。ただ、火山灰の被害に遭っている人達には、大迷惑なことには、違いない。
そういえば 我が家の 山ノ神 最近おとなしいが、近々大爆発するのでは。用心しておこう。


電話は、冷静に。

昼過ぎに架かってきた電話に、出るのが間に合わず、それ以降 誰からだったのか?お客さんに失礼なことをしてしまったかもしれない。と、気になってしょうがなかった。「もう少し早く電話に気づき行動できていれば」と、悔やんでばかり、「その前に来た 広告の、ファックスのせいだ」「家の方に来た、清掃作業員が、無駄口を、たたかずさっさと行動していれば」などと、他人の行為を、批難して、八つ当たりみたいになっていた。
配達で、外出が多いので、電話は普段 転送にして携帯で対応している。しつこくハァックス着信音が、鳴らされるので、、ファクスを受信しようと、転送を切ってしまっていた。そこへ、自宅の呼び鈴がなったため、急ぎ 玄関へ。用件が済んで担当者が帰った後、電話の呼び出し音に気づき慌てて、店に戻り 受話器を取った瞬間切れた。
頭にきて さっき受信したIT業者からの広告紙を、丸めてゴミ箱の中にたたきつけた。
解決したのは、夜11時半。「何だ 今頃」と、突然の、電話に出ると、生活彩館マツオから注文。ぞの時は、丁度山元と、テレビ電話中、途中で、山元が、中学時代の体育教師の名前を尋ねるため マツオに電話していた。それから かなり時間がたっていたけど、マツオは 「多分 まだ店にいるだろうと」電話してきた。「昼電話したけど 出なかった。そのあと 電話するの忘れていた。山元がテレビ電話で かわもとと、話してると言ったので 思い出した」
よかった。よくぞ思い出して電話してくれた。づっと、誰から何の用件だったのか 気になって、もやもやしていたから。「用事があるのならまた掛かってくるだろう」と考えればいいのだろうが、もし注文なら お客さんに失礼なことをしたし、初めての方が架けてくるかも知れない。そういう心当たりが、いくつかあったからだ。
ほんとに 私に 利益をもたらす 電話なら おおいに 着信歓迎なのだが、中には 出なけりゃよかった」と、思うときもアある。今日のような IT関連 保険 金融の、勧誘電話、が、よく来るが これらは 興味を、持てることもよくある。全く 私に縁のない 証券会社や 先物取引 健康食品 など、なかには資格取得の案内 など「何で私に勧めるんだ」と、疑問を、持たざる得ないのもある、これが、多忙なときに来て 、しかも肝心のところをなかなかいわない電話だと、もう、いらいらして、それが、言葉に、表れてしまう。便利な電話の、マイナス面を、しっかり心得て、冷静になってないと、私の場合 電話機にまで、八つ当たりしそうだ。


あの人も 可愛かった中学時代

山元 順公から「マリスト中で、一学年上の 卓球部にいた 徳之島の人 名前覚えているか」と電話あり。いや、全然わからない」そういう人がいただろうか。「メガネをかけた小柄な人」という事だが。
翌日 メールあり 卓球部だった同窓生 Mに電話して尋ねたらしい。「確かにそういう人がいたが、名前が、思い出せない、病気で亡くなった先輩」と言う返事だった。それを知らされたら、思いだした。M崎さんという一学年上の上級生が二人いて、そのうちの一人だ。山元にメールで知らせる。「そうそう M崎さん」と返信が来た。
確か 中学入学してまもなく 奄美出身の中学生の記念写真があったはず それにそのM崎さんが、写っている。捜してみて見つけた。山元に SKYPEのテレビ電話で写真を見せると。「そう!その人」。
その写真を じっくりながめて見た。みんな中学生だからかわいい顔しているんだけど、当時は、ひとつの年の差が、すごく年長者に思えていた。3年生など ほとんど大人の人に見えた。中には中学生には見えない風貌の人もいる。バレー部の先輩3人が上段右端に並んで写っている、NさんHさんSさん この写真で見ても15歳の少年とは、思えない。入学して直ぐ、Sさんに「何年生ですか」と尋ねたことがある。「2年生」と言う返事に、てっきり高校2年と、思ったことを、思い出した。でも ほとんどの人はかわいい顔がほとんど。その後あったことの無い人は、この頃のイメージがずっと残っていて、今のようすは、全く想像も出来ない、かなり変わっているとは思う。怖かった先輩もこの写真ではやっぱり中学生の顔でしかない。今話題の人もいる、徳之島 伊仙町長 大久保さん ひとつ上のサッカー少年だった。小柄でとてもかわいらしい人だった、今のような貫禄がつくとは当時は予想だにしなかった。徳之島町長の高岡さんは お兄さんが やはりひとつ上の学年にいて、こちらもなかなかの美少年。写真には教師6名と、生徒が丁度100名、写っている 中学生だけだ。教師も全員奄美の出身者。高校生まで加えたらいったい何人になっていたんだろうか、こんなに多くの人が、熊本までやってきて、生活してたんだ。先のM崎さんのように、既に他界された方もいる。同窓生でも この写真の3人がもういない。大人になってからもお付き合いさせてもらってたYさんKさんの訃報は、突然で驚いた。
ほとんどの人は、皆 多方面で、活躍している人ばかり。みんな先輩であること 同窓生であることを、自慢のように話したくなるような立派な人達。そして 中学時代、親切だった お世話になった人達。写真を見ながら、思い出したのは、楽しかった 幸せだった 中学時代のこと。

映画 おとなり

こんな事ってあるだろうか、いや 実際にはないだろう、だから創作されて、映画になったのだ。何の話かというと、今、見終わったばかりの DVD「おとなり」のこと。一週間前、準新作100円 という事でついでに借りてきて、明日が、返却日のため 今晩一応見とかなければと、鑑賞した次第。後半になって「どう展開するのか」はらはらさせられ、見入ってしまった。
仕切り壁の薄いアパートの、隣同士に住む男女、お互いの生活の中の音を、聞きあって お互いの存在を意識していたが、顔をあわせることはなかった。で、二人とも よく 同じ歌を口ずさむ。ハッピーエンドの「風を集めて」私の年代なら ハッピーエンドというグループ 風を集めて と言ううたを、しりうるだろうが、映画のふたりの年代なら知ってるはずがない。二人とも 中学のコーラスで歌っていた。二人は同窓生だったということ。丁度田舎に帰った折、恩師の謝恩会で再会し お互いの存在に心をときめかすが、まだ、二人とも隣同士であるかとは知らない。在学中から意識していたかどうかは、はっきりさせてないが、少なくとも 男の方は、思っていたと想像できる。田舎で 男から女へ、謝恩会に関する用件の電話をするシーンで、見ている者はふたりの関係を知って驚き、それからは いったい会えるのか、どんな風に会うのか、そこに注目が行ってしまう。もし会えなければ、どんなエンディングで観衆を、納得させ穏やかに鑑賞を終了させてくれるのか。他に いろんなエピソードがあるけど、二人が会えるかどうか だけに注目が行ってしまった。「おとなり」と言うタイトルで、ラブコメディーを、想像していた。なら 話はハッピーエンドだ。その後の展開はなくていいと、思っていたら、予想通りのエンドだった。エンディングクレディットのバックに、映像はなく 二人の会話と「風を集めて」のヂュエットが、ながれる。しあわせそうに。で、見ていた私もほっとする。
主演の麻生久美子は、今注目の女優なんだろう。先日「民夫のしあわせ」に出たのを見たばかり。「かんぞう先生」のおてんば娘が、いつの間にか大女優になっていたようだ。「夕凪の街 桜の国」「涙そうそう」「有頂天ホテル」どの映画も印象深く、記憶されている。
今日の映画、ベタなラブストーリーと、とらえる向きもあろうが、私はみて、さわやかに熱い思いになれた。


六日ぶりに歩いた。2週間くらい前から、右足のふくらはぎと、その上部分,膝の後ろに痛みがあった。我慢して歩く事は出来るのだが、悪化しないよう用心していた。初めは痛くとも 減量が大事と、歩いていたが、毎日やらないで、休みながら様子を見て 実行する事にした。痛みがひどくなって 日常生活に支障が出ては、大変だ。土曜日の80分痛みをこらえながら歩いてからは、日曜 月曜歩かず、火曜は 卓球をしたからいい。水曜は、縄文の森を、歩いたからいい。そして昨日木曜は雨。今日は 痛み出したらその時点で中止するつもりだったが、少々歩く速度を落とし、40分の、ウォーキング。幸い痛まなかった。ただ 夜になって買い物へ、徒歩で、出かけ往復30分。買った荷物を持っての帰り道、痛みだして残念。3時間経った今も痛い。
ウォーキングしながら、30代の走っていたときの事を、思い出していた。本格的に走り始めたのは、与論で 駅伝チームに入ってから。自分でジョギングはしていたが、陸上競技として 始めたときはやがて30歳と、いう時だった。
中学の時、長距離走は、得意だったので、あの頃の軽やかなスピード感あふれる走りを、目指して、練習に励んでいたが、故障も多かった。腸脛靭帯炎で、左右の足の長さが違ってきたり、足の指間の骨の疲労で、軟骨が出たり、コースの窪みに足を取られて捻挫したり。与論には 外科医は、居らず、整骨院に、通っていたが、そこで言われたのは、「練習すればするほど遅くなってる」 筋力を、つける運動はせず、早く走る 長い距離を走る という事にばかり意識が行き、筋肉に支えられてない間接や靭帯が疲労したり、変形してしまったりで、早くは走れなくなる という事だった。RUNNING PHILOSOPHYと 私は勝手に言ってたが、走りながら苦しくなると それに耐えている自分を、内心自慢したくなり、そのかっこよさに陶酔してしまうときがある。金にもならん事を、苦しみを我慢してやることに遣り甲斐を感じ、楽しみさえ覚える。だから体に痛みがあっても走らずにはおれない。そして故障は深刻になっていく。走らないで、休む事が 我慢できないのだ。
昨今の私も 歩き続ける事に陶酔していたかも WORKING HIGHの状態だ。足の痛みがあっても歩かずにはいられない。日ごとに 歩く距離 時間が 長くなり、歩くスピードも速めることが出来るようになると、次さらに長い距離を と意気込み体が、無理をして 故障に繋がる。理解しているんだが、ついついしてしまう。これも 我慢が出来ないという私の性分に因むことなのかも。



奄美の南海日日新聞のホームページで、掲載された記事を読んでいたら、「奄美市名瀬で進むドーナツ化現象」という見出しに、注目がいった。小学校の児童数の推移にそれが顕著に現れているらしい。旧名瀬市には、5校の大規模校と5校の小規模校がある。でも 我々の小学生時代は3校の大規模校だった、厳密には2つの大規模校と1つの中規模校になる。市街地にある学校に生徒が、集中していた。それが 以前小規模校だった2つの学校の生徒増が、進んで、今は、住宅の新築が目立つ地区の朝日小だけが増えている。もうひとつの生徒が増加していた小宿小は、地区の子供達が成長し低学年児童が、減少。新たな若い世代の流入が、なく,93年1020余名いた児童は、395人に激減。一方私の通った伊津部小は、現在291人、08年の413人からかなり減ったが、私が在籍していた67年は1000人を超えていたはずだ。丁度 学校近くで、盛んに宅地造成が行われ、公営団地などの新築、で、校区内の人口が増加していた時期だった。さらに学校前の海岸埋めてで、その後も暫く児童数はふえていたはずだ。その後 小宿地区 朝日地区と、宅地が造成され 住宅が増え児童も増えていった。逆に街の中心にあった奄美小 名瀬小は、人口が周辺地区に移動して 児童数が減少、奄美小が、593人一学年3クラスかな 名瀬小466人 学年2クラスの計算になる
私の同窓生達は、奄美小10クラス 名瀬小7クラスという大人数の中での小学時代だった。それも当時は1クラス50人という時代。名瀬の人口は 当時とほとんど変わってないと思う。世帯数は増えている。街中の様子も、駐車場が増えているのは確かだが、住宅が、極端に減ってはいない。これは 子供の減少だ。街中心部には、昔からの人が住んでいる。子育てをする世代がいない。そして 子供の出生率低下という現象も、顕在化してくる。私の同窓生には、兄弟4名 5名というのは珍しくはなかった、9人 10人と言う者も クラスには、2人くらい必ずいた。各家族の人数が、一人でも増やすことが出来れば、6・7年後には格校2クラスは、増えるのだが。平地の少ない名瀬市街地にこれ以上家は建てられなくなると、今度は 隣の龍郷 住用 あたりで家屋の新築が増えるかも。昔なら 峠を越えての往来は大変難儀だったが、今は 道路事情が格段に進歩し、市街地への通勤を、楽にさせてくれている。ますます 周辺への人口移動は広がりドーナツ化現象が、さらに進む。ただ 南海日日新聞の記事では、鹿児島市などでも起こっている現象だとして、どうこう対策を と、いうことは書いてない。学校施設の管理維持のための経費が、余分なものに、なってしまいかねない事と、学校の活動に支障が出る事などの、問題が提起されるかもしれないが、まだ、閉校の危機などに及ぶ事はなく。安閑としていられる状況なのだろう。私が感慨にふけるのは、校庭いっぱいに生徒が並んでた時の記憶にのこっている場面が、いまは 3分の1の、規模になり、索漠ととしてはいないか。あの 沢山あった教室は、どうなっているのか。寂しい感情を、伴って思いを回らせるから。

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上野原縄文の森 復元集落

連休最終日は、娘と 霧島市上野原縄文の森公園へ。
時間が空いたので、「どこか行くか」と尋ねたところ、「近くで買い物したい」と言う。お金を使うは、なるべう避け、ドライブでも というのがこちらの魂胆。霧島でも山の方の「まほろばの里」は、一度も言った事ないので、「いいかな」と、とりあえず検索。遊戯施設 全て有料。娘には「小さい子供の遊び場しかない」と、報告。桜島は、今日も朝から噴火を繰り返して、火山灰に降られるのは真っ平。そこで「じゃあ縄文の森」ということに。
娘が考古学に興味を持ってるはずはなく、行きたい理由は「そこのレストランに行きたい」。何か特別に評価できるものがあるレストランではなく、小学生のとき来て、楽しい思い出としてのこっている中に、ここで食事をした事も思い出したからだ。どちらかと言うと 料理も従業員の態度も、私には評価できない店だったが、娘は注文して、ほんの数分で出てきたハンバーグに、嬉しそうだった。ちょっと不愉快な、私とは対照的に娘は、公園の行きたい施設を目指して、私をせかす、地層観察 復元集落 遺跡保存館 古代家屋郡 復元された竪穴住居の中に暗いにもかかわらず、次々入って、感心しているような発言をするが、歴史に思いを馳せているんじゃなく、珍しいものを見れた事での感嘆の声だろう。県内の各地の遺跡での調査を基にした、復元住居では、それぞれの違いがはっきりしていて、私にも興味深いものだった 奄美龍郷の遺跡跡から復元した、珊瑚の石垣を土台にした住居では、「私の先祖はこういう住まいで暮らしていたのか」と、感慨深かった。広い園内を、1時間半歩きまわり、疲れた足に心地よさを感じながら、帰りには娘の「また来ようね」と言う言葉に私も 「うん」と、同意していた。
満足のいく休日を過ごせて、今年の充実したゴールデンウィークを、締めくくれるはずだったが、岐路の途中に寄ったスーパーで、娘のわがままに我慢できず激高してしまった父親。その後は無言で車を走らせていた。「これで娘の思い出の楽しかった部分が、消えてしまうかな」と、がっかりしながら。

昨晩遅く福岡から戻った妻は、今朝早く、静岡へ発った。彼女の宗教活動なので、一人だけ。「家族のためにお参りしてくる」と、言い残して。「あまり深く宗教にばかり関わらない方が家族のため」と、腹の中で思いながら、送り出した。「休日なのに休む暇もない」と、連休明けに帰ってきたら 言うだろう。
私は、連休などないのだが、忙しくもないので、この期間はゆっくり過ごせる。ほんとに何もしないでゆっくりしている。昼寝が出来る。配達に出たついでに、運動公園に、足を伸ばし、高校野球 中学サッカー バレーボールを、観戦してきた。近くの古本屋が割り引きセールをしていると聞き、出かけた。暇だから本でも と考えるのだが、実際は直ぐに読書に掛かるわけではない。そのうち読もうと思って、机上においていても時が流れ流れ、埃を被ってしまってそれを振り払うために手に取る時やっと読んでみようと思うのがいつもの事だ。今回11冊購入。安かったからついつい。「群像」「すばる」などの 文芸誌が、多いので、好きな作家の文だけ読んで終わりに出来る。一昨日 昨日は、テレビも結構見た。普段テレビにばかりかじりついてる娘を叱っているので、自分からテレビを見ることはなるべくしないようにしている。こうして だらだらと時間の無駄使いみたいに過ごして、世間が浮かれているゴールデンウィークは私に何の感慨も 思いでも起こさせずに明日で終わりとなる。
唯一 今日 娘と卓球をしに行った事だけは、娘との間に記憶となって残りそうだ。久しぶりに娘を喜ばせる事が出来た。わずかな時間、一緒に汗をかいただけだが、元卓球部員の娘の得意な事を、私もやって面白かった。普段から時々やっていたらよかったのだが、この卓球が出来る施設が、ちょっと遠い。家に卓球台を、置ければいいのだが狭い我が家に場所はない。まあ たまにだから私も面白かった。ゴールデンウィークだから思い出に残る。そんな特別な時だから、ゴールデンなんて言われ みんなワクワクするのかな。
明日 こどもの日 我が家の大きな子供は、なにか期待してるかな。「どっか食時に連れてって」という要求が 一番あり難いのだが。どうせ わたしが食事を作らなければならないから。



この時期 恒例の博多どんたくは、220万人の人出が、予想されると、テレビニュースで、言っていた。その220万人の中の2人になったであろう 我が家の2人が、帰ってきた。十分満喫できたと見えて、頗る明るく 機嫌がよい。福岡の町は今日 朝から町中祭りの雰囲気で、特別な格好の人達が、繰り出して、なにやら興奮を感じさせていたようだ。いくつかの演舞台を見てその様子を語ってくれた。
昨日は、キャナルシティーで、サーカスの公演があったようで、これにも興奮した娘が、携帯に撮った動画をいくつも見せてくれた。帰ってきたのが夜10時前、遅い時間にもかかわらず、醒めぬ興奮で、話しが続き、笑い声が絶えない
「行ってよかった」と満足できた二日間だったようだ。いろんな出来事や、体験の中で、最も強い印象を持ったのは、人の多さ、すなわち 町の大きさだったと言う。どこへ行っても、沢山の人がいて、広い道路があり、私が36年前経験したのと同じように、博多駅を出て、正面に現れた3棟の大きなビルに驚いたそうだ。興奮しているとはいえ 快活に喋る娘の変化が伺えて、私も一緒に旅の喜びを共有できている。

私のブログを今日訪問してくれた まさほんさんのブログ 「我、岐路に立つ」を、こちらからも訪ねて見たら、高知白バイ事件の事が書いてあった。普通の人がどおみても 無罪としか思えないのに、高知の仲良し警察、検察 裁判官が、おかしな判決を出してしまい、それが訂正される事なく最高裁で、確定してしまった事件。まさほんさんも「本当にひどい、あってはならない話し」と、書いている。被告とされてしまった片岡晴彦さん 被告じゃなく被害者なんだが、片岡さんを支援する会のホームページが、リンクされており、そこで再審開始請求の署名ができることがわかり、実行。
「高知白バイ事件=片岡晴彦再審請求準備中に、高知の自民党県議の話が載っている。「国家権力に逆らうのは無茶だ」と、「裁判所が警察の捏造とかを認めると、国家権力が、崩壊する だから決して認めない。」
映画の「それでもぼくはやってない」に出てくるせりふを、思いだした。「無罪判決を出すと言う事は、国家に逆らう事になる だから裁判官は無罪判決を、出せない」映画の中の台詞に、リアリティーがあってすごく印象に残っているが、実際に公権力の側にいる人間が、言っているとしたら、映画で味わった絶望感が、ほんとに絶望に思えてくる。
この事件 ブレーキ痕などを警察が捏造した疑いもでている。無罪のひとを警察が悪意で有罪にしてしまおうとしているんじゃないか、昔の悪代官さながらだ。「高知白バイ事件・・・」のブログでは、この事件を 多くの重要な証拠を、取り上げて詳しく検証している、ただ、彼らが重要と、主張する証拠を裁判所が拒絶。裁判所の考えがわからない
初めから有罪にする為の手続きを、しているだけなんじゃないか。「公権力である警察検察の言う事がすべて正しい」という前提で判断を下す、「おかしな裁判官」だという テレビでのコメントは以前 私も紹介した。判決文は、弁護側の主張を否定するための詭弁が、並べられていた。
今 冤罪が次々明るみになっている。疑問が生じたら、勇気を持って、検証しなおして欲しい。多くの国民が注目している。再審の開始を、期待している。