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郵便受けに新聞が入ってないことが、続いた。どうも 誰かが抜き取っているようだ。私が購読しているA新聞は、午前3時頃届く、近隣の多くの人が取っている地元紙のM新聞は5時頃配達されている。7時半頃郵便受けを見ると新聞は入っていなかった。3時から5時の間に、私のところにだけ配達されている新聞を抜いたのか、7時くらいまでの間なら、A新聞を、目標にしたか。もしかしたら 我が家への攻撃か。A新聞が目標として、読むためか、A新聞の報道に不満を持ってのことか。
私が手に出来なかった分の新聞は、販売店が再度届けてくれた。これからは、面倒かけるが、門の内の他人の手が及ばない場所まで持ってきてもらうようにした。郵便受けには、読み終えた新聞を入れておこう。どうぞ持っていってください。私なら古新聞でもまだ読んでなければ喜んで貰う。持っていった人はどうだろうか。単にいたずらか、それとも 活字に貪欲か、後者なら、なんか許してあげそうになる。
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昨夜 熊本のKから電話。「今 鹿児島に向かっているところで、姶良を走っている」
一人暮らしを、している奥様のお母さんの所へ、、毎月帰っているのは、知っているが、わざわざ 電話で知らせてくるのは、めずらしい。「明日 午後空いてるから もし 時間があったら来ないか」電話では時々話しているが、2月の入院中、見舞いに来てくれたとき以来 会ってはいない。私も この減量達成した痩身を、確認させたくて、今日 彼が滞在する 奥様の実家へ尋ねて行った。
縁側に座って しばし、四方山の、話題で、楽しんだ。先ず 私の体型が、写真で見た同窓会の時とは、全然違うことを認め。奥様と 回復が進んだことを喜んでくれた。それから娘の教育相談。彼は 国立大の教授だが、私立大の講師も勤めていて、私大の内情にも詳しい。今は 誰でも大学に入れる時代。地方の私大は、入学者の減少に悩んでいて、学生確保に入学条件は相当ゆるくなっている。高校を卒業さえすれば大学に行ける。だから 高校はのんびり楽しく過ごして構わない。子供に問題が、生じたとき親に原因がある。両親の関係の問題だ。私も 知識として そのことは分かっている。でも 感情が阻害して修正できない。「他人の子供の教育論は、正しく論じられるが、自分の子供のことは出来ない」「奥さんがやってる、嫌な事でも その人の趣味と思って、他の時間で関係を大切に」私も 家族に全く理解されてない、趣味と習慣があるから、相手の嫌な趣味も認めないわけにはいかないか。笑いながらの会話、決して真剣に論じているわけではない。途中、彼が、手入れをしたという庭を散策し剪定された木々を自慢したり、庭弄りの楽しさを訴えたり。彼も 大学にいなけりゃ普通の地味な風貌のお父さん、多分奥様に言われて汗を流しているんだろう。彼の子供達が、この夏 熊本市内の繁華街にカクテルバーを、オープンさせるそうで、私としてはその件に 何か手伝いできればと思った次第。一時間足らずの間、楽しく充実した時間だった。彼の奥様のお母様から頂いたカステラを土産に、家に戻ると、私も庭の草取りに、かかった。汗びっしょりになりながら。娘が「お父さんいったいどうしたの」と、不思議がる。Kに会ったことで家族が喜んでくれる結果に。よかった。また 近いうち会おう。

naさんからの質問。「トラジャコーヒーは、トアルコトラジャですか」
トラジャコーヒーは、インドネシア スラゥエシ島(嘗て 日本ではセレベス島と呼ばれた)トラジャ地方で取れるコーヒー。一般にはスラゥエシ・トラジャ、 カロシ・トラジャという商品名で、取引されている。トアルコは大手のキーコーヒーが、現地の自前のコーヒー農園で栽培収穫された コーヒーに独自の命名をしたもの。
戦前 日本では人気があり、よく知られたコーヒーだったが、戦後生産量が減り、輸入されなくなっていたのを、キーコーヒーが、生産を始め、再び、日本でもトラジャコーヒーの名が知られるようになって、コクのある苦味が人気となり、輸入量も増えてきた。マンデリンと、同じタイプだが、クセがなく上品な味わい。当店でも熱烈トラジャファンが何人かいて、年中 トラジャだけ飲んでいる。

トラジャの焙煎豆を、こぼしてしまった。1.6キのトラジャが一杯に入った袋を、机に無造作に置いて、急ぎの作業に係ったところ、後ろでザ~と、音がする。袋が倒れてコーヒー豆が床に零れ落ちている。慌てて袋を起こしたが、たくさんの豆が 床に散らばった。拾い計ると550グラム。2475円の損失。これは この豆を売ったら2475円になるということで、原価はもちろんもっと安い。でも、せっかく神経を使い暑さの中苦労して仕上げたものを台なしにしてしまったショックは、かなり大きい。
最近不運続き、「泣きっ面にハチ」という諺を、何度頭に浮かべたことか、水道管の破裂 義父の病気の発見、家族には極秘の、駐車違反の罰金支払い。他にも思い出したくない不運いろいろ。私の怠慢に拠るものもあるので、そのたび自己嫌悪に陥る。元来、ペシミストの私、「もう 死んでしまいたい」と、直ぐ心の中で捨て台詞をはく。決して死ぬことはないと確信もしているから大丈夫だが。太宰の小説で、「秋物のカーデガンを貰った 秋まで生きていようと思った」という一節を思い出す。娘の縁談が決まるまで生きていようとか、また与論に行ってからとか、一回くらいは年金を受け取ってからとか、なんとも軽い理屈を、取り付けて 「それまで生きていよう」と、納得させている。
youtubeで、吉田拓郎 中島みゆきの 「永遠の嘘をついてくれ」を見たら、毎度のように感動が湧き起こり、厭世をすっかり忘れている。素敵な音楽を聴く 素敵な時間が、持てるならやっぱり生きていようと、音楽家でもないのに、また理屈を一つ考えた。東京のやまもとのように、吉田拓郎に深く心髄して 人生の半分が、拓郎の歌というのなら、アインシュタインが「死ぬということは 大好きなショパンが、聞けなくなること」といったように
「死ぬということは 拓郎が聞けなくなること」と、言えるかもしれない。もちろん彼の家族が一番であることは疑いのないところで、その次の話である。と、言い訳を、しておかないと、私にも何か攻撃が来そうで、親父は切ない。
私が中島みゆき 吉田拓郎に感動したのは、70年代学生時代の幸せを 思いだしたから。10代後半から20代まで、「暗い青春」の時だった。印象としてはそうだ。ただ それを楽しんでもいた。とにかく自由だった。いろんなカルチャーに触れた。やっぱり幸せだった。
生きていれば 今感じてる不幸も 幸せな人生の中の ひとつのエピソードに過ぎないのだろう。「ああ!もう嫌だ!」と、愚痴を飛ばしながら、憂さを晴らしながら、我慢我慢の人生も幸せな人生なのだろう、いい理屈を考えられたぞ。今日は オスカーピーターソンを聞いて、私の幸せを確認しよう。

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久しぶりの青空でした。午後4時頃からこの青空と日差しが、戻ってきました。午前中から昼にかけては小雨。3日前から室内に干してあった洗濯物がまだ湿っていたので、コインランドリーへ行って乾燥させたのが2時半頃、まだ小雨。この青空になって今日の洗濯物を陽に当てようと、配達を終えて急ぎ家に戻ったのが4時半。それから6時半まで外に出していたが、乾かなかった。気温はそれほど上がっていない、日差しが弱かったようだ。それでも昨日までの、猛烈な豪雨の薄暗い天気に比べれば、なんと明るく清々しいこと。田んぼの水面が、きらきら光って僅かに波立つのが美しく目に入るが、水没してしまった苗が倒れていたり、流されたらしく、部分的に抜けている箇所がある。昨日 土砂降りの中 心配そうに田んぼの様子を伺っていた農家の老人の様子が思い出された。これからはしっかり日差しを浴びて 成長して欲しい。
夜 久しぶりにウォーキング。30分経過して加治木の網掛川に到達したとき、顔にポツンと水滴を感じた。空を見上げるとまたあの暗い空に変わっている。雲の切れ間に月が見え隠れしているから、これまでと比べたらまだいいか。急ぎかえって テレビを見ると、東日本が大雨になっている。何か大きな被害が出そうな嫌な予感。杞憂に終わってくれればいいのだが。
鹿児島は明日も この 青空が見れるようだ。

背中が痛くて、整骨院に通い始めた。立ているだけで痛い。歩いていると感じないのだが、突っ立っていると痛くて我慢できないほど。特に右肩甲骨に沿ったところ。整骨士が、その箇所の固さに驚いていた。くすりのせいかも知れない。ウォーキングのとき片手に持つ500ccペットボトルの負荷の影響か。背もたれいすに座って上体を、後ろにそらすと、ボキッ と、音がしてびっくりする。身体の異常か、疲労のせいか。確かに寝てると楽だ。体重はかなり減った。退院してから5k減。背中の張りによる痛み以外に体の不調はない。筋肉痛なら休めば快方に向かうかも。でも痛みの発生からかなり経っているから単なる筋肉の痛みではないかも。分からないのでとりあえず今日は早めに寝て 明日どう変わるか試してみよう。
そお思って時計を見たらこんな時間。あんまり休む時間はないか。

今日も雨 一日中断続的に激しい雨が降り続いている。今は雷鳴が、10分近く鳴り止まない 稲光もはっきりかなり強い光、近くに落ちているようだ、それも 相当数。国道10号は、通行止め。娘が通った小学校のある 北山の上地区の全世帯に避難勧告が出て、皆、北山小に避難しているようだ。
とにかくすごい雨としか表現しようがない。強い風も伴って横殴り、傘を差しても外に出た途端下肢と背中がずぶ濡れ。出かけたスーパーの駐車場は前面水溜り。町の中を流れる川の、草が生い茂っている河原が、増水のため消えた。
山々の頂はどれも濃い霞に隠れていて、空の色も不気味な黒と灰色。頻繁に霧が出る、住吉池の付近は多分へッドライトをつけても数メートル先しか見えないほどの濃い霧が出ているだろう。行ってみようと提案したが、車に同乗していた娘が反対。西姶良に上って町の風景を見おろした。
何故娘が一緒に乗ってるかというと、「父の日だから どっか行こう」という。父の日だから付き合ってあげるのか、父の日くらいどっか連れてって か、どっちにしても娘の希望だ。父の本心は「こんな雨の日、外出せず家でゴロンと寝ていたい」。ただ 娘の思いも分かっている。前日 テレビで、小学校の時可愛がってくれたお姉さんが、父の日の記念に、彼女のお父さんとデートするという企画に参加して、その模様が放送されていた。それを嬉しそうに見ていた娘が、自分も と、考えるのは、当然か。
というわけで 豪雨に見舞われた今日、西姶良の端の公園から、姶良の町を見下ろして、二人で「すごい」と、喜ぶ機会を得て、嬉しそうにはしゃぐ娘に、父もちょっと嬉しくて、結局いい日だった と、満足している。
明日も続くらしいこの雨だけは もういい!早く晴れてくれ。

ワールドカップ、オランダ戦、1-0で敗れました。しかしさすが注目の試合。普段スポーツに興味を示さない娘が、試合開始1時間前から、テレビをつけて楽しみにしている。出水の長女に電話して「NHKで出水の弁当屋が出てるよ」と伝えると、「何言ってるの、これからサッカー見るんだから」
連日ワールドカップの話題ばかり放送されているから、今日最大のイベントとなって皆それに乗っかっている。第一戦勝ったので、大会前の酷評が一転、監督選手をたたえる言葉にあふれ、盛り上げている。
今日は、敗戦だったが、いい試合をしたんじゃないか。はらはらしながら見ていて飽きなかった。よりいっそう次の試合まで 盛り上げ続けるのだろう。
街では、サッカーボールを蹴って遊ぶ子供達の姿が目立ってきている。お父さんと子供の蹴りあう姿もあった。以前なら親子のキャッチボールが普通だったが、今は、キックボールだ。女の子もやってる。女子サッカーもポピュラーになって、子供達は男女問わず、将来のJリーガー なでしこジャパンと日本代表が呼ばれる女子のLリーガーになることを夢見て、もしかしたら ワールドカップに出ているつもりになって、ボールを追っかけているんだろう。


全体としては、雨は危惧した程ではなかった。しかし 午後1時頃 鹿児島市内へ向かう途中での雨は、すごい激しさで不安を覚えない者はいないくらいの豪雨だった。鹿児島へ向かうにしたがって激しさが増していき、走行する車も いつもより速度が控えめだった。市内に入っても 雨のせいか車両が多くて、なかなか進まない。配達先のIさんから「こんな天気だから、もう次でいいよ」と、電話が。もう暫くで到着するところまで来ている事を伝え、急ぐ。Iさん「甲突川が警戒水量になったから 早く帰らんとたいへんですよ」と、忠告。次に 配達した 同窓生Kも、いつもは暫く雑談するのが、「もう帰った方がよかぞ。10号線通れんくなるぞ」みな心配してくれている。過去の惨事のことを憶えているからだろう。平成5年の、鹿児島では「8.6水害」と呼ばれている大水害。市内中心部の冠水 10号線竜ヶ水の土砂崩れ多数の犠牲者が出た。私はそのときはまだ鹿児島にはいなかったが、そのときの雨の状況は、怖いくらいの大雨を目の当たりにしても「8.6水害のときはこんなもんじゃなかった」という体験者の話から 空から川が流れているような雨だったんだと想像できる。私の体験では、昭和62年に与論で経験した「短時間大雨情報」の状態が一日続いたということだろうか。
配達はまだ残っていたので 急いで周り、午後3時前には鹿児島を後にした。いつもより2時間近く早い鹿児島配達終了。行きも1時間半早かったんだけど。
大雨の度に、こんな心配しなければならないのを何とか出来ないものか。昨日も書いたが、大雨警報が出るとそれを訴えたくなる。自然のことだけど、人が出来る対策はいろいろ提案されている。そんなに県民が求めてない事業に大金をかけないで、ほんとに望んでることにまわして欲しい。
雨の日の独り言は、行政に対してまた吼えてしまった。

昨日は暑かった。気温30度くらいあったんじゃないだろうか。その気象状況は今日の午前中まで続いた。奄美では豪雨で、運転中、視界が悪く危険を感じるほどだと、ラジオの投稿が、読み上げられていた。その豪雨の前線が、鹿児島に北上してくるので、今後鹿児島地方が大雨になるという天気予報は聞いていた。だが午前中の快晴はその後予想されていた荒天の懸念を、忘れさせてしまっていた。
昼過ぎから小雨 幸い 洗濯物は既に乾いていた。3時を過ぎるとやや強い雨。夕刻は激しい雨。夜になるとまた小雨。降雨は、それほどでもないのか と思ってしまいそうだが、空を見上げると、不気味な暗さ。夜の闇の中でも低く雲が立ち込めているのがわかる。
さて、明日から 明後日まで激しい雨 と予報が出ている。明日が心配。我が家は 大きな川の近くにあるが、川の堤防は相当に高く、また 幅もあり 決壊の心配はない、平衡して流れている水路が、あふれたことが過去にあるらしいが、そう気を揉むほどでもなさそう。心配なのは、交通の遮断。何度もがけ崩れを起こした歴史のある、国道10号重富、磯間は、警戒降雨量が設定されその量に達すると通行止めになる。何度も経験した。鹿児島に行きたい車両は山の方へ向かう、吉田を通る県道か、高速へ。姶良から行くと、どちらの道も最初は、同じ道を通らなければならない。大渋滞になる。車列に飲まれると暫くは全く動けなくなる。行政もわかっているが、づっとこの状態は続いている。
というように、明日の鹿児島市内への配達に、懸念が出ているわけだ。昼頃行くから行きは大丈夫だろうが、帰りが心配になる。早い時間で通行止めになれば、電話で、顧客に行けない旨を話せば解ってもらえるのが、行けるのに行かない訳にはいかない。帰りに通行止めになると、山の上へ、帰れるだろうが、いったい何時間かかるかが問題なのだ。とりあえず 早めに行って、配達を済ませ、他の用件は後日に回し、帰りを急ごう。自然のことゆえそのときにならないと 実際どうなるかはわからないけど、早めに準備して、備えておくに越したことはない。
しかし 主要道路の国道のこんな状況を、民間から改善の方法の提案がしばしばなされるが、行政は、一顧だにしない。決定する議会が、自らの思惑の中にない件について、取り上げようという意志がないんだろう。目立つ大型工事には熱心なのに。

相続登記の準備中。父の遺産の、土地建物 山林 保安林を相続登記で子供の名義に変更する手続きの準備をしている。これまで自分の関わる登記はほとんど自分で行っているので、今回も同じようにと、やっているが、かなり戸惑っている。これまでに 条件付所有権移転仮登記、合筆登記 地目変更 住所変更による名義人表示変更 売買による所有権移転の登記を行っている。大学で不動産登記法は、他の科目よりは熱心に取り組んでいて、興味を持っていることが自分でやろうと思う理由だが、「司法書士にならないのか」と、言われると、そこまで深く勉強する根気は、持っていない。
虎の巻は、30年前に古本屋で手に入れた「登記申請書式」 法務省が編纂している本。これを見ながら、六法 宅建関連の本など参考にやっている。ただ それで完全に出来るわけは、なく やはり疑問が出たり、申請時に間違いを指摘されたりする。地目変更と名義人表示変更だけが、全く一人でできた。でも地目変更のための農地法5条の許可申請は、農振地区だったこともあってかなり苦労して、役場にいる親類の助けで何とかできた。
やはり 素人がやると、どこかにミスが出てしまう。これまでそのたびにプロである 司法書士や、法務局の窓口で登記官の人に教えてもらっている。
例えば、仮登記は申請人単独で出来る とあったので、譲渡人に関係なくかと思ったら、これは 権利書が不要だという意味だった。合筆では、不動産を表示する順番。所有権移転では、原因証書となる売買契約書の日付が重要になることや、登録免許税の算出方が違っていたのは、10年以上前に改定されていたのを知らなかった。私の六法は、平成4年版。
今回も子供の小学生のときの父兄仲間のKさんに細かく教えてもらっている。申請に必要な書面、添付書類は揃ってた筈だったが、被相続人の出生から死亡までの記載がある戸籍謄本は、現戸籍に出生年月日も死亡届けの記載もあるからこれですむと思ったら、15歳からの連続したものが必要とされ、独立する前の戸籍、祖父の戸籍、祖父の死後、変更された長兄の叔父の戸籍をも取らなければならなかった。同一地番の不動産は、一回の申請でよいとあったので、所在が違う山林などは別の申請書が」必要と理解していたが、同一法務局の管轄なら一つの申請でよかった。私が最も迷って、これを解決しなければ登記申請不可能と、思っていたのが、資産の評価証明で保安林が 非課税と表示されていたため、これを申請書にそのまま非課税と書くのか、0円だから1000円と書くのか、非課税だからといって評価額が0ということはないはずだ。教えてもらった結果、役場の税務課で、隣接地の評価額単価を調べてそれを元に計算した価格を証明書の備考欄に記入してもらわないといけないとのこと。これは、 どの本を見ても書いてはないだろう、実務に携わっているプロの人でないと教えてもらえなかった。
お酒とコーヒーの手土産で、快く教えてくださったkさんほんとうに助かりました。感謝してます。



テレビもラジオも、朝から サッカーの話題ばかりだ。
ワールドカップが始まって、放送局はどこも特集を組んで、世界的スポーツの祭典を、盛り上げている。自局で大会の試合を中継するためのアピールでもあるようだ。実際既にいくつかの試合が放映されているが、イングランド フランス アルゼンチンなど強豪国としてよく知られたチームの試合だけでなく、アルジェリアとスロベニアの試合などあまりなじみのない国の試合も放送されている。日本で興味を持って見る人がどれだけいるんだろうかと、考えてしまうが、ワールドカップでの試合だと、特段の期待がもたれるんだろう。普段ほとんどサッカーを見ない私も 韓国とギリシャの試合は見てしまった、結構面白かった、興奮した。
このような 国際大会が、日本で中継されるようになったのは、70年代後半だったと思う。その頃は、よく見た。日本は出てないが、世界レベルのプレイに目を見張っていた。大リーグベースボールのワールドシリーズの放送も同じ時期に始まったと思う。ドジャース対ヤンキースの試合をみて そのスピードと力感に、日本野球との差を目の当たりにした。今のように 日本人が大リーグで活躍するとか、WBC大会で世界一になることなど考えてもいなかった頃だ。
サッカーでも 正確なパスやシュート、ドリブルの速さ、ボールキープの技術など、世界的なレベルの高さに驚いていた。82年の準決勝 フランス対ドイツ 延長でリードされた状況で放たれたドイツ ルンメニンゲのアウトサイドキックのシュートは、思わず声を発したほどすごい技術だった。ジーコのオーバーヘッドもはっきり記憶にある。
こんな興奮を覚えるシーンが大いに期待できるから、このワールドカップはみんな注目し、楽しみにしているんだろう。真夜中でも集まってみんなで観戦する人達もいる、熱中しすぎて彼女に逃げられたという人もいた。今回も寝不足は織り込み済みという輩も、結構いる。
こんなに世間がそわそわするワールドカップで、今日は日本の試合が控えている。テレビラジオが、聴視者の一番興味を持っていることを、とりあげれば、これから始まる日本の試合になるのは当然かなとおもう。
そろそろ 始まるかな。テレビをつけて観戦しよう。みんなで応援というわけには行かない我が家。静かにイヤホーンをつけて見ます。
テレビニュースでもうひとつ大きく報道されている小惑星探査機 はやぶさ のドラマティックな帰還に感激した様にこれからみる試合でも感激を味わいたい。決して、途中で眠くなることがないような試合を期待して。

梅雨入りしました。

「南九州地方は、今日入梅したらしい」というニュースを ラジオから聞いたとき、雨はまだ降ってなかった。この一週間でも、降雨は僅か。此処2、3日は、全く降ってない。この状況で、入梅は、実感に乏しかった。それが、4時頃から強い雨に。やっぱり入梅したことを実感。
梅雨が来るまでにしなければいけないことがいくつかあったのに、やってない。
物干し竿への降雨を防ぐひさしの屋根の修理や、雨樋が、途中で外れてしまっている箇所など。今日昼は網戸の張替えをした。雨が降ってなかったので。何かひとつでも梅雨対策をしておけばよかった。嫌の梅雨が、また始まってしまったと鬱な、気分にもなる。庭の草取りも雨では出来ない。が庭の木々を潤わす慈雨でもある。近くの田んぼは、丁度田植えが始まったところ、満々に水が張られた田んぼにさらに潤いの雨が注がれ、「秋には美味しいご飯が食べられる」と、その田んぼで収穫された米が、口に入るわけじゃないのに、うれしい想像をしてしまった。
夜 知覧にいるはずのMに電話したところ、彼は 屋久島にいた。「すごい雨だぞ」。屋久島の多雨は、よく知られている。この雨が豊かな森を作っている。そんなことにまで 考えを廻らせば、梅雨の多雨も、我々の生活環境に大事なもの、必要なものとして受け止められそう。
雨に濡れた庭の草木を、ぼんやり眺めて過ごすのも、世俗を忘れさせてくれていいもんだ。

このFC2ブログのトラックバックテーマに、「クラシック音楽は聴きますか」というのがある。私の答えは、今なら「聴かない」。テレビなどで演奏してる映像に、たまたま出会ったら、それはチャンネルを変えることなく見る。最近は、辻井伸行の特集をよくやっているので、これらは楽しんで見ている。でも進んでクラシック音楽を聴こうとは、思わなくなった。今は聴かない でも 20代中盤ころは、よく聴いていた。大学の、終盤ころは、朝「田園」を聞いて、夜 就寝前に 「新世界より 第2楽章」を、聞くことを、日課にしていた。チャイコフスキーとラフマニノフのピアノコンチェルトや、シベリウスのバイオリンコンチェルトが、好きで、よく聴いていた。20代後半からは、専らジャズにとりつかれ、クラシックを聴く機会は極端に少なくなった。それでも、喫茶業をしていた時は、クラシックのレコードやCDも、よくかけた。クラシックの中でもちょっとアイドル化された人たちの演奏が多かったけど。熊本マリ 千住真理子 藤原真理 アルゲリッチ 前橋汀子 など。真理 真理子という名の演奏家が、皆美人でファンだった。それで 我が娘にも「真理」という名をつけた次第。FMラジオの「おしゃべりクラシック」という番組も楽しかった。レコードも20枚くらいはクラシックがあるけど 1000円~2000円の廉価版がほとんど。CDは、それほど多くの枚数は、持ってないが、先の アイドル達や村地佳織の演奏を繰り返し何度も聞いていた。実はクラシックを聴く特徴として、そのとき気に入ってる極を繰り返し、それだけ聞くということが私にはある。ジャズやフォークを、聴くときは、一曲聞いたら、次は他の曲となるが、長いクラシックの曲を全て聴いたら、しばらく後、または次聴く時、さっきと同じ曲を聴いていた。レコードを取り替えるのが面倒だからではなく。いま聴きたい曲が、その曲に限定されるのだ。くるみ割り人形の 行進曲ばかりの時も 花のワルツばかりのとき。ストラビンスキーの 火の鳥 ペトルーシュカ 春の祭典 ラベルのボレロ ハッヘルベルのカノンなどがそうだった。世紀をまたいで、聞かせるクラシックの曲の魅力が、そういう 虜になる聞き方をさせたのだろうか。
今もこれらの曲はよく耳にはしている。ただ、クラシックの演奏家のを、聞くことは少なくなったが、ジャズやロックで、クラシックの曲をアレンジしたものは、よく耳にしている。キケロのショパンジャズや、ルーシェのプレイバッハという名盤がある。ガーシュインの曲やオンザトレイルなどはスタンダードになっている。アランフェス ムソルグスキーの曲 これも名演奏といわれるものがある。ジャズでなくとも ELPの展覧会の絵 ナッツロッカー プロコルハルム 青い影 ポップスで、はじめて聴いたのは、シルビーバルタンが、モーツアルトの40番を歌った「悲しみのシンフォニー」だった。日本でも エリーゼのためにが、情熱の花 今は平原綾香が、ジュピターや 威風堂々に歌詞を付け歌っている。やはりどれも曲に魅力があるからこうして取り上げられているのだろう。クラシックとして残っている曲すべては、未来にまで、人々の心を揺り動かす そんな幸福な時を与える事が出来る、そのことの偉大さを感じ取った人々によって愛され続けているんだろう。おんなじ曲ばかりでなくそのときの気分で聞けたらいいなと思う。静かな夜更けの今 ドビッシーでも聴いてみようか。

県高校総体 空手女子団体 大島が優勝

2010060815370000.jpg県高校総体空手 大島Vs徳之島(県体育館)

県高校総体空手女子団体の決勝リーグの試合、写真は大島対徳之島 結果は大島の3勝一敗1引き分け。この後大島高校は 鹿児島城西に3-2 鹿児島第一に4-1で、連勝し優勝。気合で勝ったかな。一番声が出て元気があった。優勝を架けた最後の試合は、好調な3人を先に出して、勢いそのまま圧倒した感じ。下馬評では、優勝候補筆頭だった相手は、明らかに萎縮したような感じで、気が付いたら3敗目を喫していた。
2年前にも、観戦したが、そのときと違うのは、観客席に 大島高校の応援団がいたこと、離島からだから 他の学校よりは少ないけど、選手の活躍にこちらも大きな声援が飛んでいた。2年前は、男子が決勝リーグを戦っていたが、100人あまりの相手の大応援団に取り囲まれて、十人ほどの部員だけが一生懸命応援していた。そのとき出てた女子の与論高校は、観客席からの応援なし。控えもいない5人の選手だけで戦い、どの試合も大健闘、後一歩で優勝を、逃したが、少しでも観客席から応援で後押しできたらと思ったものだ。
今回は、大島高校の応援に揃いのトレーナー姿の父兄たちが、声援と拍手を送っていた。他の高校も、応援は父兄が中心で、在校生の動員はなかったようだ。
私は、近くに配達に来たついでに、立ち寄って、観戦しただけで、応援に加わったりはしてないが、母校の活躍に、内心勝利を願い、興奮を覚え、帰らなければいけない時間を30分オーバーしてしまったほど。見るだけでもいいし、応援の声で、選手が発奮してくれるなら、やっぱりみんなで応援に行こう。
名瀬の生活採館マツオの息子が、10日からの競泳に出場するためやってくる、父親は店の営業で、応援に来る予定はないようだが、これから電話で 昨日のことを話し「やっぱり応援には来た方がいい」と、話してみよう。

昨日は ブログ更新出来ず。4月からの連続更新が途絶えた。昨晩10時過ぎから、パソコンを、立ち上げて、「さて何を書こうか」と、考え始めると、たちまち強烈な眠気で、考える能力を維持できず、翌日予定されてる病院での診察で、よくない結果を指摘され薬が増えたりしたら大変なので、ブログ更新は、断念して休むことにした。昨日は朝 早かった。資源ごみの、収集日だったから。朝7時前から1時間の間に収集場所にもって行かなければならない。場所は各自治会で、きめられた1箇所で、月1回。姶良町が行う収集は、月2回日曜日7時から3時間。平日は町外れの施設へ持ち込み。10時から14時までの間。これだけで県内の他所から転入して人には、機会が少ないと思うようだ。自治会以外の収集場所は、町中部からは遠隔の地にあるため、多くの人は、月1回の収集日を利用するしかない。さらに
その分別方法は、新転入者にとっては大変な労を費やすことに思えて、気が滅入るようだ。この制度が始まったときは当時の町民の多くは、反発したし、ノイローゼになったと言う話も聞いた。
全てのプラスティク 飲料水の缶 食品の缶 その蓋 ペットボトル 瓶は、色によって5種に分別 これらは全て洗って 乾かしておかなければならない。紙はダンボール 新聞 本 紙パック その他の紙、それぞれ指定された紙製紐で、十字に結ぶ。電池 蛍光灯、そして 埋めてしまうしかない不燃物 危険物。適当にやって分けないといけないものがまざっていたり、洗浄されてなかったりすると、やり直しさせられたり、回収を拒まれたり。特に厳しいのは資源になるものを不燃物に混ぜている場合。油の容器など洗うのが困難なものは、ついそうしたくなる。この4月に転入した人たちは毎日気が重くなることだろう。多くの住民は慣れてきていて 制度が定着していると、言えるのかも知れないが、環境問題と言うよりは、行政の都合のような気がしてならない。住民の不満をわかっている議員や、町長は、選挙のたびに「ごみ問題に取り組みます」と言うが、実際にはっきり改善されたという変更は見えない。、ただ 最初の頃のようには、うるさく言わなくなった。一番の変化は 収集する側の人が、腹が立つほど居丈高だったのが、そうではなくなり、今は不愉快な怒られ方をする事はない。機械が改善されたと言うことでダンボールのテープやラベルをはがす必要がなくあった。施設への持込で、以前はいちいち、ここまで持ってきた理由を文書にしなければならなかったり、急がされたりしてたが、今は持ち込みに関する文書もなくなり、施設の人も、手伝ってくれるようになった。
しかし まだ 改善して欲しい。行政の都合に住民をあわさせるのでなく。住民の負担を、減らせる方法を考えて欲しい。一ヶ月間に貯まったプラスチックのごみは、かなりの量、減らしたくとも、食料を買うと、そのごみが付いてくる。アパートやマンションでは、保管場所がない。部屋の中にごみのためのスペースが要る。水を使うし 洗剤を、使うときもある。自治会以外の収集場所にはみな 車で行く。環境のためにどれほどよいことなのか。それより 売却して資金を得る目的に因ってないか。学校で、独自に廃品回収を行い 民間業者に引き取ってもらうとき、瓶 缶は、洗わなくてよい。新聞も本も一緒に持っていってくれる。集めて回る作業を別にすれば、こっちの方が楽で、比べて町のは面倒だと誰もが思う。
環境を守るため、どうしてもやらないといけないことなのかもしれない。役所はそのことでどういう利益が住民にもたらされるか、示さなければならないと思うし、住民負担を減らすために、行政がしてあげれる方法などいくつも考えられる。環境意識の高いヨーロッパは、もっと進んだ制度になっているらしい。それは住民にその理由が受け入れられているし、ごみをなるべく出さない ごみにしないという発想の方に重きをおいているようだ。
環境保護の必要は、理解しているが、住民に作業負担をさせて、どのくらいの成果なのかという疑問とリサイクルするための分別は、結果的に経済活動で、関わってるものの利益になっているのではと言う疑問が、ひっかかる。

昨日水道工事をするときに、漏水している箇所近くの 荷物を、移動したため、補修のためのセメントが固まった今日、荷物を、片付ける作業。先ずカウンターを10センチほど移動してから。カウンター上の荷物は除いてあるから、移動は一人で、大丈夫と、動かしてみる。重い。カウンターの内側を見ると ダンボールが、数個ある。本だ。
妻に処分するよう要求されてた本を、隠してあったのだ。何の本だったか全くわからない。憶えているのは、妻が勝手に捨てようと紐でくくって、階段に置いてあったのを、「自分で運ぶ」と言って、箱に詰めて隠したこと。多分、絶対手放したくない本だったと思う。「植草 甚一」の、シリーズ本などだったんじゃなかろうか。30年前、大きな本屋なら大体購入できたが、いまは、手に入らない。残してよかったと、思うだけで、結局確認しなかった。
片づけを早く済ませないと、「通りから見えるところだから、早く済ませて」と、急かされ、本だけに関わってる余裕なし。それに 見つかって言い訳する羽目になりたくない。箱は5個あり、おそらく120冊くらいあるはずだが、他の本を、確かめたいが 植草甚一 の本など気に入ったものは 読んでいるから、暫くそのままにしておく。いつか新しく書斎付きの家でも作れたら、壁一面本棚にして、ぎっしり本を並べたいと夢見ている。
「読んだ本なら もう置いておかなくていいでしょう」というのが 妻の言い分、狭い家に住んでいるから、そういわれるのは仕方ない。でも 手放せないのだ。本を捨てると言うことがまず出来ない。喫茶店をしていた時に顧客用に購入していた女性ファッション雑誌でも、捨てれなく、みんなにもらってくださいと、お願いしてたほど。それにもまして 他人からみたら 「変な人」と、思うに違いないのが、新聞。全て確認して、読み終えないと処分できない。たとえ 何ヶ月たったものでも、一年前のでも、読み終わってない新聞は、とってある。今日も1月2月の新聞が出てきた、2月は 入院で、読めなかったから、ほとんど残っている。明日の作業は この新聞を処分すること。処分するために読むこと。


また、こんな時簡に起きていて、書き込んでいる。9時半頃まで、NHKのニュースウォッチの、菅新政権についての報道をゴロ寝して見ていたが、眠気が強くなり、寒気もしたので、ベッドに入りしばし 休眠 30分程 の、つもりが、起きたのは、日付がかわった1時半。
3日間 朝6時に目覚めてしまう日が続いた。水道の漏水が、気になっていたからだ。それが、解決。思ったほど難儀には、ならないで、一日かかるかもと、思われていた工事は、午前中で、終了。止水栓の、締りが悪かったのも、役場水道課に電話で、訴えたら、直ぐに新しいものに取り替えてくれた。一応応急処置なので、古い水道管を、取り替える必要がまだ残っているが、とりあえずは安心。
午後から配達に行った鹿児島市内で、眠気を感じ、立ち寄った奄美大島信金の駐車場で休憩20分の睡眠。安心して疲れを感じ始めているようだ。
夕刻の、ウォーキングはいつもより ゆっくり。食欲も旺盛、昨日の倍くらいの量を食べた。そしてまた眠くなって、起きたら こうしてなかなか寝れない。
健康には気を使っているつもり。その意識は強いのだが、実際の行動は不健康な結果になっている。

新しいお客さんが、暫くすると、急に注文量が多くなることがある。大変嬉しい状況だ。そのお客さんが、周囲に私の商品を紹介して、一緒に注文してくれるのだ、いわゆる くちこみ 最近は特に 私と同じ、島出身者のお客さんで、私の商品の宣伝係りを、してくれている方が、増えた。
笠利出身のIさんが、同じ団地の人や、同窓生に伝えてくれて、その同窓生のNさんが、、また自分の居住地近辺の人に 勧めてくて、お客が増えた。
今日配達した、Tさんも龍郷の人、ご主人は笠利。前回から 注文の量が、3倍くらいに増えた。同じ団地内の親しい人達に、宣伝してくれて、その人たちの分も一緒に注文してくれる。一軒への配達は、4人のお客さんへの配達になる。Tさんは、ずっと以前からの知り合い。尤も姶良に住んでいるとは、全く知らず。久しぶりにばったり再会したのは、小学校の家庭学級で、コーヒーの話をしにいった時。PTAの役員などをしていて、バザーの時など私のコーヒーを使ってくれていたが、自分個人で注文するようになったのは最近。一緒に注文してくれるのも PTAの関係の知り合いのようだ。中にひとり、姶良にいることは以前から知っていた高校の先輩 Aさんもいて、嬉しかった。
私の姶良での商売はこういう、ありがたい人たちに助けられてやってきたことは、以前にも陳べた事がある。若いSさん ご主人と共に、喧伝してくれたS上さん 初期の頃の最高の功労は、この二人の口添えだ。娘と小学校え、同級だったHさんのお母さんは、国分隼人の人たちにもすすめて、しかもご自分が買われて それぞれの友人に届けてくれる。私の配達業務まで手伝ってくれている。
伊集院に住む、お姉さんから聞いたということで、鹿児島市内の妹さんがその後継続して注文してくれている例もある。こうやって私の商品を、広めてくださった方々の、おかげで、こんな零細な私の店の、今まで続けてこられたと、思うとほんとにありがたい。この人達を、裏切ることのないように、業務に励むのが第一の使命。更に皆さんに伝えて広めていただけるように、品質とサービスを向上さて行かなければと、Tさんの配達を終えて、誓いました。


朝から、ばたばたして、そのまま、一日が終わった。困ったことになってしまっているが、疲れが 心地よく感じられるのは何故だろう。
昨夜、水道の蛇口は、全て、締められているのに、水の流れる音がする。どこかで水が漏れている。以前にも水道メーターの、直ぐ先で、水道管に穴が開いてしまって、コンクリートの、隙間から水が吹き出していたことがあった。水道工事業者に直してもらった。今回はトイレからその流れる音が聞こえる。トイレ内の壁板を、はがしても、管がぬれてはいない。外に出てみてやはり地下から聞こえていることがわかった。
今朝 前回の業者に連絡が取れず、妻の知り合いの会社へ連絡。やってきた作業員は駐車場のコンクリートをはがしてみて、まだ家屋に近いほうと、確認。コンクリート層の厚い此処からが大変 ということ、費用もかなりになるということなので、どうするか。「また連絡します」と引き取ってもらった。
今は水道の元栓を、水を使うときだけ開いて、短時間で、集中して水作業をこなしている。地下では 無駄に水が流れているのだが、この集中しててきぱきやる 作業が気持ちよい。このまましておくわけにはいかないので明日また 作業してもらわないといけないが、古い家で、他にも修繕の必要な箇所が、いくつかあり、妻は 引っ越したい と言っている。
こんな日に 珈琲の注文も、次々入り、出荷に追われて、ばたばたの、一日が過ぎた。鹿児島市内では桜島の爆発で出た大量の灰に降られ、全国的には政治での大きな出来事の、ニュースが、聞こえてきたが、それらに注目できる余裕も無くいつの間にかこの夜の時間になっていた。

最近懐かしい歌を聴きたいときに開く「団塊世代の想い出」のブログに、「今聴きたいこの曲」というカテゴリーがあり、「トイレの神様」という歌がアップされている。
関西弁で歌う歌詞にジーンとむねが、熱くなった。歌っている植村花菜が、実際おばあちゃんと暮らしていた思い出を歌っていて、何でもおばあちゃんと一緒にやった小学生の時のことから、大きくなって、自由になりたく、おばあちゃんを、疎ましく思うようになり、言い争うようになり、家を出て行ってしまう。おばあちゃんが、いなくなって、自分のとても大切な者を失ってしまったことを悔やんでいる。話の中で、トイレ掃除をしない「わたし」に「トイレには美しい女神さんがいて、トイレを綺麗にしてくれる人は、べっぴんさんになる」と教える。それで 「私」はべっぴんさんになれるように、毎日トイレを磨く、おばあちゃんを思い出しながら。終盤 自分を省み 感謝の言葉を伝える。このあたりで、聞いているおじさんは、「よかったぁ~」と、嬉しくなる。一生懸命孫のために尽くした おばあちゃんの心情の方に気持ちが移入しているから。そろそろ、おじいちゃん おばあちゃんに、なりそうな 団塊世代には、ありがたい、今の歌 だろう。
それに ギターの弾き語りで切々と歌うスタイルも、フォークに、親しんだ世代には、最も安らぐ事の出来る癒しの音楽なんだ。