店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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昨年のケーキ
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今年のケーキ
去年は父が作りました。今年は娘が 「作りたい」とうるさいので やらせました。材料は私が買ってきて、病院にいる 姉の名前をつけるアイデアは私が提案。それなら妹の名も、クリスマスだからそれも 真ん中にも何か と 加わって こうなりました。
でも 去年との一番の違いは、イチゴが少ないこと。二日前に買っておいたイチゴ、食べられて少なくなっていました。誰が食べたか?判っているけど。しょうがない。もう 店は空いてないし(夜11時半)今年のイチゴは高いし。で、今年は半分に切って乗せた。台に挟む分も薄くして、イチゴジャムでごまかし。
でも 美味しかった。翌日 食事制限が取れて生クリームも食べれるようになった娘の病室でこっそり食べてもらい、喜んでくれたことで、ハッピークリスマス完結。
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201012051435000せい
病室から見た桜島

娘が約2ヵ月半閉じ込められていた病院の部屋は、5階で、錦江湾の方に窓がある。カーテンを開くと真正面に櫻島。行きかう船舶もはっきり見える。
トイレ シャワー設備 強力な空気清浄機が備わった個室。一応一日6300円という使用料が設定されているが、治療のため個室が必要と言うことで、部屋代の請求はなし。居住という事だけ考えれば、ホテル並みのいい環境。長い入院生活も、この快適な居住環境でいられたことで、穏やかに過ごせたのかもしれない。
退院が月曜日に決まった。この部屋で泊まるのは後3回。自宅よりも快適なのは明らか。退院後 劣った環境で寝れないんじゃないかと 心配している。

間に合いました。娘は、来週退院できそうです。
今週初めから、血小板の数が 驚くほど増えて、標準値を超えた。その後 好中球が増加して、食事制限も解除。外出も許された。
何より づっと首の静脈に差し込まれていた、カテーテルが抜かれて、首 肩の負担がなくなったのが、本人 よかったみたい。輸血ももうない。高価な血小板の輸血を 何回受けたことだろう。赤血球 ヘモグロビンの数も普通の人とほとんど変わりない。
「治療に 少なくとも六ヶ月入院が必要」と言われていて、本人も「来年三月まで入院」のつもりでいたが、「年末、二、三日帰宅できますか」と尋ねたのが、「退院して、通院での治療でいいよ」という 返事に、仰天。一瞬はよく判らず 「どうしよう」と思ったと言う。「次の治療に直ぐかかる必要はないので また 様子を 観察して 次の ことを考えよう」という事らしい。
治ったわけではない。骨髄移植は やはり 避けられないのかも。娘も わかっている。前回の 退院時のように自由 奔放な、生活をしていたら、また病室に後戻りだと 思えば、療養する目的の生活に徹するだろう。
とりあえず 家族が願っていた、4人で向かえる新年 が 叶う。明日 私が作る ケーキが賞味できるうちには帰ってくるだろう。

風邪をひいてしまった。鼻水止まらない。滴り落ちるように流れる。熱は38.7度が最高。今は7度代まで下がっている。頭が重い。インフルエンザではなさそうだ。
木曜日の夜中に入った風呂がぬるかった。夜更かしも続いていた。体力が落ちたところに、天候の寒冷度が一段と厳しくなって 体が冷え切ってしまった。ふとんにはいっても寒気が抜けず、足部は痛いほどの冷たさになっていた。この前兆に気づいて用心すればよかったのだが、夜更かしは続き、昨日から風邪の症状に苦しむ結果になってしまった。
流行性ではないと思うが、こんな状態では、娘のクリーンルームの病棟には入れない。彼女の入院中は、づっと毎日、病室を訪れていたが、今日は残念ながら行けなかった。下の娘に 差し入れの品を持っていてもらい 私は病棟の外で待機。携帯電話を架けて様子を伺い知れて不便はない。しかし 娘から見舞いの言葉を貰ってしまうとは、情けない。
幸い ねつは下がり、体のだるさ や 鼻水も 治まって快方に向かっている。明日は 娘の病室にもいけそうだ。
教訓として 「もう若くない、無理 無茶は 厳に慎め」


づっと気になっていた男の死亡が、安稜会名簿で、判った。
彼は、勤めていたときの同僚だ。私より5歳年下だが、当時独身同士だった私達は、よく一緒に行動した。夜の街を闊歩することも多かった。彼の居住する独身寮へもよく行っていた。二人でアダルトビデオを借りてきて 鑑賞したこともあった。私が退職してからも、よく訪ねてきてくれた。いい奴だった。これは皆が、そう思っていたはづだ。派手ではないが好青年というタイプ。人気者でもあった。
そんな彼の運命が狂ったのは 5 6年前だったろうか、無謀な運転のタクシーに轢かれてからだ。
彼の子供の通う幼稚園の会合からの帰り、社宅前の横断歩道を歩行中、スピードを減速せず 左折してきたタクシーに撥ね飛ばされた。頭部を強打し 重体となった。生命は取りとめ、怪我の治療を終えて 職場に復帰したが、彼にとっては 苦痛の毎日だったようだ。記憶障害があった。過去のことがわからない。他にも頭の 脳の働きが鈍くなっていた。通常の業務が遂行できず、結局退職せざる得なかった。その後の奄美にいる彼のことは、鹿児島にいる私には、情報が伝わらず、不明だった。
今夜 彼の同窓生だった 従兄弟に電話をしてみた。彼の苦しさがわかった。内容は今ここには書きたくない。彼も家族も辛かっただろう。一瞬の不幸な出来事で人生が狂った。記憶をも失ったら、人生全てを失ったような気がする。彼は そのとき あと1歩か2歩で、渡り終えるところだったそうだ、あと 数秒ずれてくれていたら、タクシーが 通常のように 減速して 確認して交差点に進入してくれたら、彼は 今 子供たちのよきパパとして
幸せな家族を支え、仕事を通して、町の人たちの役立つ存在として、信頼と評価を得ていただろう。
入院中の9月息を引き取ったらしい。
交通事故の恐ろしさは、概念として知ってるつもりだったが、彼のことを思うと、とてつもなく悲惨で、決して許されない、「不注意でした」では、済まされないことだとつくづく思った。毎日 運転している私にも「肝に命じておけ」と、天から、声が降ってきた。

大島高校の同窓会 安陵会の 名簿が届き 知っている名前を見つけては、懐かしんでいるが、逝去者の欄の名前が思った以上に多いことに驚き 寂しさを感じている。
同窓生については、その事実を知っているのだが、最近 訃報が届くことが多くなったと思っていた。
先輩 後輩の欄にも目をやると 在校時同じ部にいた者、校内の人気者だった者、卒業後 親しくなったり、それ以前から、よく知っていた者 「えぇ!」と驚くような 活発にしていた姿しか思い浮かばない 元気者も。
どうしてだろう と 考えてしまうが、人生 思いがけない事態が起こるものなのだ。
今は その顔を思い出し、偲ぶことしか出来ないが、その 周囲の人たちに会って、彼それに纏わる話を聞きたいものだ。
この寒い朝 私の今後を考え、何があっても安心出来るよう 身の回りを清めようと考えたひと時でした。

最近、よく泣く。テレビを見ながら泣く。ただ、番組の内容に感動して泣くわけではなく、画面に現れる感動して泣いている人を、見て 私も泣く。「トイレの神様」の歌を紹介する映像で、涙を流しながら聞いている中国の人たちをみて泣いた。いい歌だと 常々思ってはいるが、涙があふれることはなかった。外国人をも泣かせるすばらしい歌ということで、より強い感情を持ったが、泣いてる人たちの心情を思ったか事がわたしの泣いた理由。
山下達郎の「クリスマスイブ」を取り上げた「歌の旅人」では、この歌を世に認知させた JR東海のCM作成のエピソードが紹介され、「社内で、試写したとき 涙を流す人もいた」という話を聞いて、私も涙が出た。CM映像で 待ちぼうけの少女を演ずる深津絵里が、ひとすじの涙を流すシーンがあるが、ストーリー上必要な涙で、清清しさを感じさせるもので、心を震わせることはなかった。音楽と映像が、見事にマッチして、「いいなぁ」と思っていたら、「泣く人」の出現で、私も同感という事に至ったわけだ。
一緒にテレビを見ていた10代の娘は、私を見て笑っている。以前は「お父さんどうしたの」と不思議がったが、最近は毎度のことと 取り立てることもない。彼女のほうが、感動する話 かわいそうな話 が 大好きだが、泣くことはない。「年をとって涙もろくなった」という話は、年をとったことの弊害の例として、一般的だが、マイナスの方向の事象ではないんじゃないか。それだけ 心に響くものを取り入れることが出来るという事は、これまでの経験で熟成されてきた豊かな感情と、ゆとりの表れだと思う。泣くのは結構気持ちのいいものだ。こういう感情をもてるまで成長したと言う素敵なことじゃないか!

娘のなかよし同窓生3人が、寄せ書きを綴ったノートを、届けてくれた。出合った高校生のときの楽しそうな写真が,ふんだんに付けられ、その頃の思い出、振り返って思うと馬鹿な事やっていたおかしさ、楽しかったエピソードが、記されている。一人の家に泊まりこんで、夜中までかかって作ったそうだ。きっと 思い出し笑い転げながらの作業だったことだろう。最後の2ページに、それぞれの娘に対する想いと励ましの言葉が書かれてあった。前の入院の時に、毎日のように見舞いに来てくれて、娘の病状を聞いて 泣いてくれた人たちだ。彼女達の娘に対する思いを記した文を読んで、私も 胸が熱くなり 目が潤んだ。ありがたい 本当にありがたい、娘もこれを読んで、「早くよくなって みんなとあちこち遊びに行きたい」と思った筈だ。3人もそれを願っている。心強い励ましだ。娘にもいい同窓生がいるんだ。それは幸せなことなんだ。


出てこない、思い出せない 年のせい?

オードリー・ヘップバーンが好きな娘に「麗しのサブリナ」のDVDを持っていった。
見終えた娘は「よかった」と、感想を言い、「いつ頃の映画?」と尋ねてくれて この映画の話題が進展していった。サブリナパンツのことなど薀蓄も持たないのに得意の知ったかぶりで、語ろうとする。
ところが やっぱり年だ!名前が出てこない。
オードリー・ヘップバーンのライバルのことを話そうとしても、名前が出てこない。「アカデミー賞の主演女優賞をこの二人で何度か争って、結局相手に賞は持て行かれた」と話していても名前が出てこない不快なもどかしさに襲われる。「サウンドオブミュージックの人」 ついには「ライザミネリのお母さん 誰だっけ その人と名前が似ていた筈だ。」「レッド・ガーランドだ」「いや レッド・ガーランドじゃ似てない」「ジュディ・ガーランドだ」「レッド・ガーランドはピアニストだ」「そうだよ 沢田研二のジュリーだ 沢田研二はこの人のファンだったんだ」「ジュリー・アンドリュースだよ」なんと 遠回りしたことか。
今度は 最後に結ばれる渋めのあの男の名前が出てこない。「カサブランカのボギーは誰だったっけ」これも沢田研二が歌ってた「聞き分けのない女の頬を・・・・」と歌う 「カサブランカダンディー」「ボーギー ボーギーと歌うけど 誰だっけ」「ボギーOO]「ボビーOO」思い出せない。
「はぁ~」「はぁ~」と、あきれたように応えてた娘に「こりゃ完全に、耄碌したじいさんだ」と言われてしまった。「違う!ボガードだ ハンフリー・ボガードだ、わかったぞ」と一人得意になっても 娘は 「もう どうでもいい」というふうな態度。ひとり ひたすら喋り続けて、やっと 二人の役者の名前が、言えた。ほっとした。が、情けなくも思える。やっぱり頭の老化が始まっているかなぁ。

ブログの更新を休んで 2ヶ月になろうとしています。その間にも たくさんの人が 見てくれていたようで、最後の記事の拍手数が、思いもしないほどの数に達していて、本当に驚き、感謝している次第です。
2ヶ月前 娘の病院での検査の結果、状態が急激に悪化していて、直ぐに再入院という事になりました。本人は頗る元気。毎日 あちらこちら走り回って、家に落ち着くことが、ほとんどないくらい。しかし 彼女の体の中では病気がすさまじい勢いで進行しはじめたのです。
しばらく 何の症状も出ず、検査結果も良好の状態が続いていたので、「このまま 回復に向かっていくのでは」と よい方向へ移行することを 期待していた私達は、落胆と「やっぱりか」「とうとうこうなったか」と、考えられていた 悪い方への推移という結果に、動揺していました。
ただ 危険が迫った状態ではなく、「時間はかかるが、いろいろな対処法を考えながら、治療を進め、病気を治していきましょう」と言う医者の言葉に励まされ、予想される入院期間を聞かされて、かなり暗い表情を見せた娘も、きつい治療にも、強い意志で進んでいくことを、医師への返事を明るく返すことで示してくれた。
以来 娘は 1度 外出しただけで づっと病院内、しかも 病棟から出られない。本人 決して寝たきりということはなく、体の中の状態とは比例せず、体調良好。
私の役目として、毎日通って、話し相手になっている。夕刻から行って、面会終了の20時まで。病状のことも話すが、ほとんどは、他愛ない世間話。笑って過ごせています。
おそらく 後何ヶ月もこの状況はつづくでしょう。家族の面会しか許可されていないので、友人達とはメールをやり取りして楽しんでいるようですが、づっと個室に閉じこもっているよりは、誰か側にいることで、しばしでも和めたら。そう思うので、今後も毎日娘の下へ通います。もうそれが日常になっています。以前のブログを書き込む日常にも戻れるように努めます。時間がなくて出来なかったのではなく、気力の問題です。家族も一日一日精一杯のことが出来るようにしていかなければ。