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  隼人から見た新燃岳 国分天降川沿から見た
どちらの場所も、毎週必ず通っているけど、山の景色など見たこと無かった。煙を吐く新燃岳と、左は獅子戸岳だろうか。普段の暮らしで この遠景に目を向けることなく素通りしていたのが、狼煙のようにあがる噴煙が、その姿に衆目を引き付けている。この火山に見下ろされていたんだ。美しい霧島の山々が火山だと言うことも、気に留めてなかった。私は忘れていた。 よく行くスーパーの出口を進むと真正面に見えた。幹線道路を行きながらも見えた。なんと姶良に戻ってきてからもあちらこちらで見ることが出来る。鹿児島市内からでも錦江湾の向こうにその噴煙は見える。 この山が実はごく身近にあって 美しいだけの山ではないことを あらためて知った。 この写真を撮ったときは「いつも素通りで失礼な住民に 山が怒ってしまったかな」と冗談のようなことを考えていたが、ニュースで知った、都城や肝属 財部の惨状を見たら、冗談を口にできる状況ではない。夜通し 振動が続いたり、地響きがあったり 住民は不安でしょうがないだろう。早くの沈静化を、皆が望んでいる。
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 新燃岳の噴煙 午後五時 霧島連山 新燃岳が、朝から活発な噴火活動。東側の大隈半島 志布志 都城 小林は火山灰に見舞われたようだ。北側の大口でも降灰があったという。風が一方方向ではなかったのかな。桜島から離れている大口で火山灰とは驚きだ。 風下で一番近い場所になる小林 高原あたりでは 噴石も飛んできている。私の居る姶良からは ずっと遠いところの出来事と思っていたら、なんと隣の加治木町から、その噴煙がはっきり、直ぐ近くのように見えた。どちらかと言えば櫻島の方が、距離は近いはずなのだが、こんなに圧倒されるような噴煙の上がり方は初めて見たような気がする。 もし 風が南西の方に吹いたら、姶良にも大量の灰がやって来そうだ。あしたは要注意。テレビで聞いた予報ではそう 長く続くものではなさそうだが、この噴煙を見たら驚きと 恐ろしさを感じずにはいられない。
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コーヒー値上げのニュースが最近よく聞かれる。金融市場の複雑な要素が原因の一つになってはいるが、世界の消費量の増加は今後のコーヒー業界にとって大きな問題になってくる。前々から、中国の人たちがコーヒーを飲み始めたら、必ず品不足になる とは、言われていた。今 そうなりつつあるし、低い等級のコーヒーで満足していたブラジルの人たちも、専ら輸出していた 良質コーヒーを好んで飲むようになった。アラビカのグレードの高いコーヒーを飲む人口が増大している。 コーヒーの生産は、適した地域が限られていて、栽培面積を極端にひろげることは出来ない。新しく中国雲南やネパールなど新しい生産地も出来たが、アフリカでは、効率よく収入が得られないとして、生産者が減少している。生産量の増加は 品種改良などの手を尽くしても、難しいのが現実。自然環境の変化も深刻で、ハリケーンの被害が近年頻繁におそうカリブの国など、おおきな影響を受けており、ラニーニャやエルニーニョ現象も生産量に大きく関連している。 平成9年 1997年はエルニーニョのために 生産量が減少すると予測され、コーヒー市場への投機が過熱して相当な値上がりをした年だった。仕入れをするつど値が上がっていた。じつは、そのときと比べると今の値はまだ安い。丁度私は、喫茶業から小売業に変わったときで、目論見がはずれ苦労したものだ。当店のコーヒーの小売値は、喫茶をしていた19年前から変わらない。づっと同じ値段で買ってもらっている。今後値上げの予定も 今はない。コーヒーは日用品。毎日飲んでもらえるよう、何度でも買ってもらえるよう 手ごろな値段にすることをこれからも心がけます。
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21日の娘の入院についてのブログを見られた方々の人たちから、心配している旨や、お見舞いの言葉が寄せられています。ありがたいことです。私が すこし 深刻なふうに書いてしまったので、みなさんを驚かせてしまった。たしかに その日は、娘の状態がよくなかったのだが、実はその翌日からは いつもの元気を取り戻しているのだ。インフルエンザに関しては もう高熱は出ない。朝方熱が上がるのと 夜 咳が出る 2つの症状のみ。 その日の検査結果も、インフルエンザの影響が少なからずあったらしい。その後の検査では 急な悪化は認められず、まだ 余裕を見れるため、本来の治療はあとしばらくしてから。 最初の入院予定を3日延ばしたことは、逆に よかった という結果にもなっている。インフルエンザのウィルスが入ったまま治療すると「厄介なことがおこる」と、看護士が言っていた。感染したのは、入院予定日より前であるのは明らかで、症状の出ない潜伏中だったその日に判らずに 治療を始めていたら大変なことになっていたのかもしれなかった。症状が出てから入院したので、一応検査したらインフルエンザが確認され、治療を延期できた。 やはり 娘は運がいいのかもしれない。
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風来簿君が、与論の「家名」(ヤーナー)について書いていた。私も島に行って直ぐの頃 職場の女性が名前とは違う呼び名で、周囲の人たちから呼ばれていたのを、あだ名だろうと思っていた。ところが 同じ呼び名のあだ名が多い。しばらくしてから 与論では 戸籍上の名前と 家名という家族で呼び合う名前と 二つの名を誕生した赤ちゃんに付ける風習があるということを、知った。みんながこの家名で、呼ばれているわけではないが、普通日本では名づけられない面白い名前があるし 男性がマチとか ハナという名で呼ばれていたりで、不思議に思えた。ヤマという家名は結構多いのだが、 与論には「山」という姓の人も多い。みんなが「ヤマ」 と呼ぶ人を ずっと姓は、山さんだと。思いこんでいた。女性の名で ウトゥやマグ といのが多かったが、若いうちにそう呼ばれるのは、どうだったんだろう。 職場の別の女性などは、その家名を、絶対に教えてくれなかった。ミスヨロンにも選出された 聡明な美人の、後々わかった家名は、「ウシ」だった。さすがに 若い娘は 「ウシ」とは呼ばれたくないだろう。この 家名、祖父母や 曽祖父母のを引き継ぐのが習慣になっている。赤ちゃん誕生のお祝いに行ったとき、命名の紙面に大きく決定した名前が記され その左に 家名OOと、書かれている。その家名について 父親が 「OOじいちゃんの家名をとって、付けました」と、説明をしていた。 与論独自の風習と思っていたのだが、私の伯母にもそういう 戸籍とは違う名で呼ばれていた人たちがいた。私の父の兄弟は6男6女。その 3番目までの伯母達がは、ウニ伯母さん ウスナ伯母さん オイ伯母さんと、呼ばれていた、 本名が別だと言うことは しばらく前に 初めて知った。3人の戸籍上の名前は、聞いたことのないものだった。ウスナ伯母など本当は徳千代という綺麗な名前なのにこちらは全く知らない名前だ。母方の祖母も ヨシ姉さんと呼ばれていたが、本当はオイシ。奄美にも女性だけのようだが、家名のような風習が、あったのだろうか。今、そのことに気づいたところだ。ちょっと 調べてみたくなってきた。
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昨日は伯父の葬式があった。今日は伯母の訃報が届いた。 二人とも高齢だった。病気に苦しんでいた。家族も苦しんでいた。私には想像するしか出来ないが、みんな辛かっただろう。 二人とも私にとって ありがたい存在だった。優しかった。思い回らせれば、感謝の気持ちが湧き上がる。そんな人たちが、最後にこんな苦労をせねばならないとは。ただ介護を体験した人達が、「そのときとても濃密な関係が作れた」というのをよく聞くし、「これで楽になれただろう」と前向きにも考えられるという。そう考える方が、故人を送り出すのにはふさわしいことのような気がする。 伯母の葬儀は明後日。遠い場所ゆえ 最後の別れに出かけることは出来ないが、電文にて 草葉の陰にいる伯母に感謝の気持ちを伝えたい。
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娘の入院。3日間延ばしてもらった入院だったが、その間、予想以上に、状態が悪くなっていた。軽い治療ではすまないかも。しかも 発熱 それも高熱、検査したらA型のインフルエンザ。まず インフルエンザを治すのが先で、本来の治療は延期。その間 更に病の進行が心配だが、一応 抑える薬は使えるらしい。 どこで インフルエンザの菌が進入したか。多分 電車じゃないか。日曜日 鹿児島で友人に会うのに、電車で行った。「車で送ると」言ったのだが、「お父さんに面倒ばかりかけさせられない」と、一人で 出かけた。「心配だから送る」と繰り返したが、「大丈夫だから」と こちらも何度も同じ返事。許してしまったのがいけなかった。 入院日の延長も 今日聞いたところ、医師は「リスクが大きい」と言ったのだが、「両親も承知しているから」といって、許可してもらったという。私は事前にはきいてないぞ。「木曜日になったから」と聞かされただけだ。母親は承知してた と 言うより 勧めていた。 見た目は 元気なのだが 病気を抱えている。その認識の甘さが大失敗。免疫力が落ちていて、感染には気をつけないといけなかったのに、迂闊にも インフルエンザのことなど気にも留めなかった。しっかり そのことを注意して娘の行動を律していたら、余分なことで苦しませることもなかったのに。
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今日は病院へ 4週に一度診察を受けている。薬の処方箋を貰うのが主な目的だ。簡単な診察で、脈拍 心拍数異常なし。 医者「変わったことないですか、胸は痛みませんか」 私 「いや 大丈夫です」「変わったのは 体重が増えました」 医者「駄目です。それはいけません」 間髪いれずに厳しい返答。 体重が増えると 必ず血圧があがる。血圧が上がらないうちに、体重を戻しておけ という。 もう 健康な人と 変わりない体になっていると思っていたが、高血圧はやっぱりいけないらしい。だから 薬も飲み続けなければいけない。薬が切れて 一週間薬を、摂らなかった時 血圧が150近くまで上がったが。あれは危険だったわけだ。 そして また今夜も寒空のした ウォーキングへ。降雨の気配を感じ、遠くへいくのは止め、近くの15分周回コースを4周。 一週間前と比べると確かに 腹の出っ張りは小さくなってる。今夜も一時間運動が出来た。減量は進みそう。 雨 や雪のとき 同じようにやるのは 適当でないだろうと 自重しているが、運動は毎日やったほうがいい。 与論のボディービルダーSが、ウエートトレーニングで、体を絞る方法とやり方を メールで教えてくれた。沢山の写真と解説が送られてきた。軽めのトレーニングなら出来そうだ、これを継続してやればいいのだ。 室内で出来る。ちょっとのひまを見つけられたら出来る。あくまで 鍛えるんじゃなく シェープアップ。疲れるほどはやらなくていい。きついことをやる必要もない。心臓に負担をかけずにやれるウェートトレーニングがあるんだ。いい方法を教えてもらった。
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3回目の入院
娘は再入院です。本当は今日からの筈でしたが、病院に3日間延ばしてもらった。 早かった。3ヶ月くらいは家で、過ごせるだろうと思っていたのだが、検査の結果がよくなくて、後々の強い治療のときダメージがないよう、まだ 軽い治療で回復できるうちにと 早めの治療のため入院も早くなった。 退院したとき 思いがけず良好な状態になって、医師も驚いていたが、今回の悪い状況になった速さも 医師は予想できなかったようで、これもまた驚いていた。 ただ 娘は 「本来なら 自分のような症状なら 半年づっと入院 という人がほとんどだから、自分は幸運だった」と、話している。10月にはそのつもりで入院したのだから。あまりに予想より早かったので、いま やっておかなければならないことが、まだ 出来ておらず、最低限 済ませねばならない用事のために3日の猶予をいただいた次第。 最初の入院と、2回目の入院の間は、2ヶ月。今回のインターバルは3週間。でも 今回は軽い治療ですむ予定だ。うまくいけば 3週間くらいでまた帰れる。病室も一般病棟なので、友人達が面会に来てくれるだろう。ますます寒さが身にしみる季節 暖房の効いた病院の中の方が 過ごしやすいかも。と、気が晴れる方に考えているが、人生で一番楽しいうきうきした日々を過ごすのが普通の若い娘が、づっと病院で おとなしくしていなければならない。やはり 辛いだろう 悔しいだろう。昨年2月の私の入院が3週間だった。10日過ぎると もう早く外に行きたくてたまらなかった。今の娘の状態なら、時々外出も可能かもしれない。これより 悪い状態にならぬよう、またクリーン病棟に入ることのないよう、まだ 先になるのはわかっているが 完治するまで 順調に進んでくれるよう、ただ 願うばかりだ。
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柴田 容子さんの歌声
以前に書いたブログを、ちょっと 見てみようと、適当にクリックしたら、2009年10月に 「ミスターロンサム」の柴田容子さんのことを書いた記事にあたった。そこで 彼女のブログ「shibayoh日記」に移ってみると,いくつかの曲を聞くことができた。 その1曲目「ユーラシア」と言うのを聞いたとき、不躾なようだが「歌声が進化している」と思った。高音で歌うイメージだったのが、少し ハスキーがかって、感情もあえて抑えたような歌い方が、なんとも心地よく響いてくる。ギター1本の伴奏で、声で歌を奏でている。ウィグルの曲に柴田さんが歌詞をつけたそうだが、かの土地を想像しながら、じっくり聴くことが出来た。次に 「うまくいかなくても」という曲は やや アップテンポだがそれほど言葉を誇張することなく 淡々と流れていくフレーズがこれも心地よい。「白い朝」と言う曲は、以前(そうとう以前)聞いたことがあるスローな曲。歌声も以前のもの。これも優しさが感じられていい。 以前の懐かしい歌声と比べて今は 深みのある声に思える。ドラマチッックに歌い上げる 歌は 印象に残りやすいが、今の歌声のようにはっきり言葉が伝わってくる、ゆったりと聞き手の側を音楽が流れていくような 心地よい音楽は、長く聴いていたい歌、なぜか記憶に残ってしまう歌として 私を楽しませてくれる。 づっとライブ活動を続けていらしゃるようで、あたらしい歌も次々出してくれそう。CDも出てる。これからも 楽しみだ。
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夕食後 体重計に乗ってみた ら、 さらに 2k増加。増え始めたら止まらない。食事の量を減らしたのに。でも 2日 ウォーキングを休んだ。 寒いけど 歩いてこなければ。あすからはもっと気温が下がり 降雪の予報も。あすも歩かなければいけないが、歩けない状況になってしまったら 3日 4日 歩かなかったことになってしまう。そのためにおこる腹部の成長を想像すると 怖い。 1時間早足でウォーキング。いつものように 隣町の網掛川往復。終わって紅茶を一服した今 お腹は不快な気分にさせるほどに 出っ張っている。水以外 何も胃袋に入れてはいけない状況のようだ。
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また 与論の人のことだが、毎年 年賀状を出している老夫婦の姪だという方から電話をいただいた。ここ数年あちらからの通信はなくなっていたのだが、与論で大変世話になった方だったので、こちらからはづっと出し続けていた。姪御さんのお話では、奥さんのほうが入院していて 島外にいる自分が世話に来ていて 届いた年賀状の整理をしているが 私のことがわからないので 電話をしてみたということ。それでは ご主人は?と尋ねたところ 5年前になくなったということ。体調を悪くしていることは知っていたが亡くなっていたとは 思いもよらず驚いた。 私が最後に行った平成5年の時、ご主人が沖縄の病院に入院されていて奥さんも付き添いで行かれていたので 会えなかった。その後 経営していた会社を 廃業したと聞いて 電話をして 話したことはあった。そもそもは仕事上のお客様であったので その頃は与論の支店から私に連絡があったのだが、廃業後は支店の職員も接触することがなくなっていたのか。私のことを知ってる職員がいなくなっているのかも。 本当によくして貰った。昼食を一緒に摂らせて貰った。一緒に味噌汁を作ったこともあった。頂き物も、洋酒 ステーキ肉など、御自分達は、完全に和食主義なので 先のような自分に不要な頂き物が こちらへ回ってきた。転勤で島を去った後 何度も島に行ったが、必ずお二人の所へは顔を出し そのたびにまた ご馳走になった。 本当に いい思い出ばかり。考えてみれば もう 90に近い年齢 子供はいなかった。どんな暮らしだったんだろう。たまにでも電話を架けておけばよかった。奥さんの 早い回復を願い ご主人を偲び いろんな想い出を蘇らせた晩でした。
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下半身はズボンの上に ウインドブレーカー 上はトレーナーに厚手のジャンバー 首にタオルを巻いて、寒さ対策 万全にして ウォーキングへ。久しぶりに 汗が滲んだ。 昼間は、寒かった。配達先で、つり銭を渡すとき 私の手がお客に触れて、冷たいのを 謝ったし、肩をすぼめている私を見て 携帯懐炉をくださった方もいた。確かに寒かった。そのつもりで 出かけたら汗をかいた。 体の活動がいい具合に 活発になっているのだろうが、気温も夜だけど それほど 下がらなかった。空が曇っている。といっても 夜だから はっきり目で確認できるわけじゃなく、そういう雰囲気。星が出ていない。雨の気配。という事で すこし 暖かく感じるのだろう。 びっしょり汗をかくわけじゃなく、ほっかほかの体から熱気が発散されているようだ。汗が冷やされて冷たくなるような事もなく 体内の熱気を顔に触れる冷気が抑えてくれてとても心地よい。 いつもより20分長く歩いて、気分よく 体重計に乗った。相当落とせたと思った体重 減ったのは500g。 ため息がでた。さっきまでの充実感のようなワクワクした気分はすっかり失せてしまった。その後から現在まで 気分はよくない。今夜の空のように鬱陶しい。いっそ 雪でも降ってくれ。
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車のエンジンがかからなかった。昨晩はなんともなかったのに。子供の車のバッテリーとブースターケーブルでつないで キーをまわしたらかかった。安心して子供の車のエンジンを止め、ケーブルをはずしたら 止まった。チャージが足りなかったかと 再度やってみたが、かかっても しばらくするとまた止まる。残念 整備工場に電話して 来てもらった。結局バッテリー取替え。 「寒さで やられるんですよ」寒いとき バッテリーのトラブルが多いのは知っていた。でも なるべく電気を使わないように用心していたし 何より 先月 車検を終えたばっかりだ。 「検査で 異常なくても 突然 なるんです」 寒さのせい 自然には勝てないしょうがない。新しいバッテリーで、車のエンジンは元気を取り戻したように、動き出した。アクセルを 踏み込むと 高いエンジン音になるのだが 途中 ボン ボンと何か詰まったものが飛び出すような ノックの状態が発生する。 「これも 寒いとき なるんです」 まるで 車が 咳き込んでいるよう。気温の低下で 車も 体調が悪いようだ。
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よい天気!でも寒さが身にしみる。 朝方、小雨が降ったが、日中は、好天。陽が差している。気温は、暖房設備のないこの部屋で 午前が、 4度 マイナスの日もあったから それに比べたら暖かいのだろうが、長くいると 足が痛く感じるほど冷たい。夕刻は久しぶりにウォーキングに出たが 露出している手や顔が冷気で痛い。40分ほど歩いてやっと寒さを覚えなくなった。1時間ほど歩いたが、体内にたまった余分なものが減ったような感触は全くなし。体重を戻すのはいやはや難儀なものだ。 寒くても やらなきゃ。 こんな 時期に 与論の居酒屋 ひょうきん からは また アイスコーヒー用豆の大量注文。普段から断然アイスの方が多いのだが、冬場は ホット用にマイルドブレンドも送っていた。今回はアイスだけ。3月だと 多分暑くなっているのでアイスコーヒーが好まれるだろうが、こんな真冬に。もしかしたら 与論では コーヒーというのは 冷やして飲むもの という習慣が根付いているんじゃなかろうか。 まぁ アイスのほうが 何杯も呑んでくれそうなので こちらは沢山売れて ありがたいかな でも ホットのほうが種類は多いし、美味しい 自分の好みにあったコーヒーは見つけられるから、ホットもお客さんに勧めてください。ひょうきんの 小百合さん。
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背中が痛い。筋肉が ガチンガチンに硬くなっている。立ち上がるとき、段差を上がるとき、屈むとき 激痛が走る。昨晩も寝ていて寝返りを打とうしたら 激しい痛みで、出来なかった。今朝は、さらに痛みが強い。車に乗るとき降りるとき 普通にやると激痛。背中を曲げないように手で支えて、一瞬の痛みは何とか我慢してやっとのこと。振り向けないので、バックはミラーにしか頼れない。歩いていても段差があると慎重に一歩を出す。階段は避ける。寒いから筋肉が縮こまって、力も入って疲労しているのだろうが、疲労は姿勢の悪さに因るのかも。正月3日間 毎日 寝転んで テレビで駅伝を 昼過ぎまで5、6時間見ていた。肩肘付いて 頭だけ持ち上げ、体をねじって。この姿勢の悪さが、原因なのだろう。今 マイナス一度のこの部屋の寒さも影響しているだろう。先ほど風呂であたたまったら、少し状態がよくなった。 しかし ここ数日の生活は 一年前に戻ったように 怠惰なものになっている。アルコールは取らないが間食 夜更かし 夜中の飲食 また 腹が出てきてしまって、ズボンがきつい 体重計に乗ってみると 案の定 3キロ増えている。寒さゆえ 血圧上昇を危ぶんで外にウォーキングに出ていない。こんなときこそ摂食に十分配慮しなければいけなかったのに、怠ってしまった。反省。今夜から立てなおし。いつも拍手欄にコメントをくれるnaさんが「次 会ったとき 太ってたら 笑ちゃお」とコメントしてたのを づっと気にしている。絶対笑われないようスマートになるぞ。お菓子は我慢。夜の空腹は慣れればどうという事ない。食事は適量。そして歩く。 やらなければ!
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1984年から88年まで与論にいた。その最後の1年間、最も仲のよかったアグンチャー(与論の言葉で 仲良しの友人のこと)の一人が、S一郎君だ。 彼から年賀のメールが届いて、そこに彼のブリグのURLが記されてあった。タイトルは「さすらいの風来簿」 与論の日常、風習、行事 与論の事 何でも紹介してくれている。今日の記事は、3月の与論マラソンについて。 今年で20回目 第一回のとき 私も彼に誘われて参加した。彼と親しくなったきっかけは、町の駅伝チームで練習を一緒にやったことだ。毎日 バーベルを上げて 筋肉を鍛え ボディービルダーとして ミスター東京などのコンテストの常連入賞者の体型だが、持久力にも優れ、バネを生かしてぐんぐん迫力ある走法で駆けていた。 今回 フルマラソンを走るか?ハーフにするか、迷っているようだが、彼のこと フルに挑戦するだろう。 その前の記事は クラブ活動をしている高校生達のTシャツに書かれたスローガンを紹介。島の方言で書かれていたり、宣伝をかねたり ユニークなものをたくさん紹介している。成人式の様子を沢山写真に撮っているけど30年前に成人した彼は その会場でどんな存在だったのだろうか、勇気が要ったのでは。 私としては 懐かしい島ちゅの顔と近況が見れるし、彼の活躍の様子が知れて これから訪問するのが楽しみだ。 彼のブログはもう一つ「ふうらい簿」副題で(ミナミマグロ編 イカ釣り編)がある。[ 「水産総合研究センター」のホームページで、彼の活動内容を報告しているものだ。彼は 水産資源の調査の業務に携わっていて、世界中の海に出かけている。海の男 SEE MANだ。本人外国航路の船長の免許も持っているが、それよりも世界の海と港へ出かけて行く方が性に合っているらしい。英語で書かれた本を愛読するほどのバイリンガルでその風貌に、似合わないインテリジェンスでもある。 私より 年下だが 私より遥かに貫禄がある。酒も強い、優しい男。そんなわけで 与論での彼との交流は楽しかった。その後も 会う機会はしばしばあったが、ここ10年くらいは、ボディビル大会の写真を見ただけで、会っていない。これからは 彼のブログに触れていれば 交流出来てる気分になれそうだ。楽しみが増えた。
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鹿児島は雪です。朝 目覚めたときには、庭の木々の枝葉に 雪が堆積し、白い風景 隣家の屋根にも数センチの雪の層。午後には、それが十数センチにまでなった 雪は一日降り続いた。 病院から「絶対風邪を惹くな」と言われた 娘は、妹と外で はしゃぎ 雪だるまならぬ雪ウサギを作っている。大丈夫か。まぁ元気に走り回ってるからいいか。 夕方になり 気温がぐんと下がり 雪は一段と激しくなる。路面は凍結して滑る。車の屋根やフロントガラスに雪が重なり重なり 30センチくらいになってる。 大晦日の晩を 義父のうちで過ごし、帰る為車に乗ろうとすると ドアが凍って開かない。雪を払っても、フロントガラスは凍ったまま。前方に目を凝らし、スリップに注意してゆっくり慎重に車を進めて帰ってきた。 娘が戻ってきて久しぶりの家族四人で迎える正月。寒くて 荒天で、大変だけど、賑やかに楽しく過ごせている。ずっと正月も家電量販店で仕事をしていた娘は 「自分も元旦の日の買い物を楽しみたい」と 来店客を見ながら思っていたそうで、明日は 鹿児島のショッピングモールに行きたいと言っている。連れて行ってあげるつもりだが、明日も雪の予報。どうなるだろうか。 今 雪は止んでいる。でも 路面は完全に氷が張り付いている。スケートの真似事でも出来そうだ。星が見えた。いい天気になるかな。雪をしばらく楽しみたくもあるが、娘の願いに応えたいから、ぽかぽかの陽光で、雪も氷も溶かしてくれと、雪明りの綺麗な夜の景色を見ながら願っている。
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