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霧島路へ

久しぶりに 霧島牧園 高千穂へ配達。帰りは雄大かつ美しくまた神々しくもある山々の景観を楽しみたく、寄り道を、あちらこちら。
午前中、天気もよく霧島連山の遠景がはっきり見て取れる
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高千穂小学校前から東の方向 霧島山?
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韓国岳?
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高千穂小学校
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まほろばの里入り口から高岡山
あとから地図で調べれば、山の名前は判るだろうと思ったが、わからない。湯煙は、方々で、立ち昇っているのだが、新燃岳の噴煙はなし。本当ならいい時に来ているんだろうが、噴煙で新燃岳を特定したら その左右の山々の名前も判断できると思ったのだが、あてが外れた。
とにかく 道々どこもすばらしい遠景。姶良から 行きは、上りで40分。帰りは下りなのに1時間20分。
早く帰って焙煎を始めなければならないのだが、せっかくここまで来たのだからと、つい 嘉例川駅にもちょっと寄ってしまった。12時を過ぎた時刻。観光客が結構いた。あの 九州の駅弁NO1の弁当「百年の物語かれい川」の販売が終わったあとみたいだ。ホームに入って、線路の行く先を眺めていると、また 駅を賑わす100年前の人々の一人になったような気持ちになっていた。
DSC00468_convert_20110228104117.jpg DSC00470_convert_20110228020504.jpg DSC00469_convert_20110228104302.jpg
1903年 明治36年開業駅舎

仕事の途中の横道には違いない。帰ってからの作業は時間に追われて てんてこ舞いだった。仕方ない。それよりも横道で味わった爽快感が、今日の私の最高のもの。


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あれから23年

最近、与論の話題が多く耳に入ってくる。「風来簿」君のブログで、あちらの様子をうかがい知ることが出来、その記事に対してコメントをつけると、風来簿から 返信が来て、やり取りするうちに話題が広がり、昔の記憶が頭の中でかき回されて、断片的に蘇って、あの頃の楽しさが嬉々とした感情に昇華して蘇る。
「そんなこと よく 憶えているなぁ」 生活上も仕事上も 何の役にも立たないことを なぜかよく憶えている。ある家族の 子供たちの名前をすらすら出してみると、「お前 与論にいるんじゃないか」と,あきれられる。そういわれると こちらも 嬉しくて得意気な風にさらに記憶を探って情報をひけらかす。余計なことまで。仕事上、島の多くの人に接し人の縁に関しては、島人より 広範な情報を得ていたのかも。しかし
大事な事実を認識していなかった。おおきな勘違いにも至ってしまうことも。
ある 年長者の夫婦の写真があった 「君の知ってる人だ」という。すぐ ある人を思い出した。写真の顔と記憶にある顔がよく似てたから。でも 気づいた 私の記憶の中の顔は、20年以上前のもの。写真は今その年代の人。写真は ブログの記述から 仕事で毎日のようにあっていた Sさんだと分かった。すると、当時親しくしていたSさんの娘さんを思い出した。小柄なかわいい元気なその子は、ちょっと珍しいというか、あまりほかにない 難しい漢字で表す名前をしていて、それを漢字で記して 「よろしくお伝えください」とメールを送ったら、「よく この名前を、漢字まで 憶えていたね」と 驚かれた。人懐っこくて、人気者だったから、私の記憶にもはっきりその姿が残っているのだが、これもやはり 23年前のもの、20歳そこそこの彼女の姿なのだ。風来簿君から聞いたということで 彼女からもメールが届いたが、私のことは、聞いても直ぐにはわからなかったようだ、彼女も「ずっと昔のことなのに」とびくりしていた。彼女のビックリした顔も20歳のときのを想像している。風来簿君がアップした 夫婦の写真が、みな 私が中学 高校生のときの姿しか知らなかった人たちの 今であることに やはり 年月の経過を感じずにはいられない。
当然 私も 23年分の変化は認められるのだろう。同窓会で卒業以来の再会をした者達には、直ぐには気づいてもらえなかった。最も 私の場合 顔でなく 体型。久しぶり会うと皆 顔を見ないで、出っ張ってしまった腹ばかり見る。もし 見た目に変化があったとしても、その人であることは間違いなく。話せば 昔と一緒 と 安心するものだ。
「メデオのコズエの日記」という これも与論でお世話になったIK兄の娘さんのブログがあった。楽しいその記事を、読んでる間、高校生のその姿を思い出していたが、「長男と海へ」と書いてあるのを見て、子供のいる立派な母親になっている事実で、やはり 23年の年月の経過を思い知らされた。
先のSさんの息子。中学校の陸上大会でハードルを飛び 走っていた少年が、いま 4人の男児の父親だって。私よりづっと立派になっているんじゃないだろうか。

DSC00452_convert_20110224034422.jpgDSC00459_convert_20110224104102.jpgDSC00451_convert_20110224103853.jpg
県下一周駅伝最終日          全力を出し切った            大島チーム碇山君も頑張った
5日目第9中継所加治性応寺前

毎年 この場所で応援している。中継所は観衆が多く盛り上がる、ゴールする選手 スタートする選手 両方見れる。今回は 12チーム中10チームがここで 繰り上げスタートになり、たすき渡しの感激場面があまり見れずに残念だったが、11.3kmを走りきり最後の力を振り絞り駆け込んでくる姿には 感動させられる。ほとんどの選手がゴール後 倒れこんだり 蹲ったり しばらく立てない。こんなに 自分の力の全てを出し切れる能力を持った人たちなのだ。
優勝は鹿児島 高校日本一の鹿児島実の選手はやっぱりすごい。みんな 走れば区間賞 区間新連発 それも1分以上の更新。上位の姶良 日置なども全国トップレベルの高校生が活躍した。皆関東の大学に進み箱根を目指すらしい。
大島は7位 5日間のうち4日は日間5位 6位で頑張ったが、4日目だけ2位あとはずっと7位の肝属に1日だけ大差を付けられ、合計タイムで約3分差で7位。よく健闘した。今年から監督は 備兄弟の弟 普段はおとなしい男。黙々走る哲人。ただ お兄さんの結婚式での滑稽な激しい踊りにはビックリした。そのお兄さんから監督を引き継ぎ、見事に成果を出せた。選手が本来の力を出せた結果だ。それはやはり監督の采配の成果だ。嘗ては、最下位争いが常だったことを思えば、当然よくやった と 言える。私が名瀬に居たとき、まだ 生まれたばかりの赤ちゃんだった毅君が 高校生になって初出走。見事に走りきった。大島チーム 昨年の記録を大きく上回って躍進賞。
もう来年の大会を期待してしまう。区間賞をとった高3生は、いなくなるが、まだ 鹿実の三浦君がいる中3生にも期待できる選手がいる。
姶良では 毎年2つの大きな駅伝大会の応援が出来る。この県下一周と九州一周。毎年かならず応援に出かけている、もっとも楽しみな行事。

娘は誕生日を迎かえた。まさか 病室で誕生日を迎えるとは思っても見なかったが、友人等から沢山のお祝いのメールや電話を貰った。仲良しKKさんは、色画用紙を使った記念のクラフトにメッセージを貼り付けて、届けてくれた。高校の同級生が、多いが「出会ってから10年だね」という話になったという。みな それぞれに立場や環境の違う状況で 頑張っている。結婚した人 もうすぐ結婚する人 離婚を経験した人も。子供のいる人も。我々から見れば うら若き娘たちなのだが、もう既に人生の大きな節目を向かえ、困難を乗り越え、強さと優しさを併せ持つに至っている。
みな 誕生日を祝ってくれた。一応病状は気にしてくれるが、見舞いを述べたり慰めの言葉をかけるものはいない。KKさんのメッセージにあったように「病気のことを聞いたときは、ショックで落ち込んだけど今は 絶対治ると信じきれるから安心している」ということだ。退院したらみんなで旅行に行く約束もしているらしい。Hさんは娘のことがきっかけで 骨髄バンクの登録に行った。Hさんの職場の人もHさんの話を聞いて 登録してくれた。直接娘のためということにはならないかもしれないが、何かをせずにはおられなかったという。みんなありがとう。
そんなみんなに祝ってもらって、娘はまたまた 医者を驚かせている。急に、検査結果がよくなった。3日前の検査と比べたらかなりのよい数値が出ている。「こんなことめったにないよ」という医師に「もうすぐ退院できます?」と尋ねたが、「落ち着いて治療が出来るよう ここにいなさい。退院したらまた ハメはずすでしょう」という返事で、苦笑い。

201102151416000.jpg       娘が病室から撮った桜島噴火

娘の病院から帰ろうと小雨降る外に出た夜8時、何か顔に当たる。ふんわりしたものだが雪よりも比重がある。目が痛くなってきた、灰だ。暗くて目では確認できないが桜島の灰だ。車に乗ろうとドアに触れると、ザラッとした感触、運転席に乗り込んで、フロントガラスが灰に覆われて、前方がぼやけているのが判った。
霧島の新燃岳で都城 小林方面の被害が、報道されているが、桜島の方も「負けていられない」とでも思ったのか最近、噴火活動が活発になっている。それも 近年ずっと噴き出ていた昭和火口ではなく 南岳の方から。トカラ中之島の御岳も活動が活発になっていて 鹿児島の地下はエネルギーを強力に蓄えたマグマが飽和状態のようだ。
大きな地震が起こらないかも心配だ。奄美近海の100年に1度の大地震も、その可能性がクローズアップされてから10年以上経っていて「そろそろでは」という懸念も ここにきて大きくなっている。
まあ 自然のこと 大きな偉大な地球のこと 人間には如何ともし難い。心配ではあるが、日々の暮らしはつつがなく 時と共に進んでいく。そう出来ていることを良しとして、それを可能にしてくれている自然に畏怖の念を持って接しておこう。
風光明媚な桜島も、爆発して噴煙を上げる様子は、人間の横暴を、戒める警告のような気がしてきた。


朝 ウォーキングに出かけた。去年の夏までよく歩いた堤防を久しぶりに歩いた。桜島を正面に見ながら、海風に煽られながら。普段は夕食後 夜 歩く。暗い堤防は歩けない。以前は夕刻、おじいさんおばあさん達の散歩に混じって、かけられる挨拶も煩わしい 早歩きに励んだ。朝のウォーキングとなると8年ぶりくらいか。30歳台のときはよく 朝走っていた。酸素エネルギーを使い終わってから脂肪エネルギーの燃焼が始まる 体内に酸素が少ない朝の方が 脂肪エネルギーを使って痩せる。という話を 聞いたことがある。時間があればあさの方がいいのだろうか。ただ 今朝は 40分くらい経って 力が出なくなった。空腹 おきてから水しか飲んでいない。ふらふらになって帰り着いた。走るのではないから少し腹こなししたほうがよったかも。
久しぶりのことといえば もう一つ 夕べ 日本酒を飲んだ。熱燗にすれば温まるだろうと思って。一年前、病にかかってからは アルコールは 缶ビールを計5本飲んだくらい。それ以外の酒は 久しぶり。ほのかな香りの菊正宗の熱燗したものがのどを通ったときから、体のほてりが始まった。 しかし そんな感触を憶えたのは束の間急激に眠気が襲った。もう我慢して起きているのが耐えられなくなり、200ccを急ぎ飲み干し、寝床へ。直ぐに深い眠りに入ったらしく 今朝まで目が覚めることはなかった。眠れないとき これはいい薬になる。適量の酒は体を温めもするし、気持ちを癒す安定剤にもなる。あくまで 適量であればだ。


医者に「性格が変えられるか が問題です」と言われた。
体重が、元に戻らない。本当は、まだ減量が必要なのだが、寒くなって、ウォーキングは休みがち 夜の飲食もついついやってしまう。夏から順調に減量できていたのが、正月を境に以前の不健康な生活に戻ってしまった。
「自覚して、きつくても継続してやり通す。そういう強い意志を持てるか、我慢できるか。そういう性格に変われるか」
そうしないと 血圧はまた上がり、心臓に負担がかかり また 心筋梗塞の心配をしなければいけなくなる。確かに私の今の性格では やり遂げられないかも。気合を入れて勢いやり始めても、何らかの事情で、少し休むと、もう 楽な状況から戻せない。「ま、いいか」になってしまう。再びやり始めるのに精神的なキツサ を感じてしまう。また 同じ目に会えば、再び 心を入れ替え、頑張らねばと、意志を強くするのだが、再びの時の命の保証がない。
医師は ぐだぐだ 言い訳をする患者に、難しいが はっきり言った方がよいと 判断したようだ。性格のことをいわれるのは 嫌だろうが 自覚させるため言わざる得なかったのだ。
言われてみれば この性格のために 後悔したことは沢山ある。よく思い出すのは、大学受験のための浪人中。最初の3ヶ月、予備校から帰ったあと、8時間勉強した。しかし 3ヶ月でエネルギーが切れた。その後全くやる気を出せず、予備校にも行かなくなった。そして楽に受検し 楽に就職し 楽ばかり追って日々を過ごしている。
こんなこと書きながら、やらなければいけない沢山の用件が 頭に浮ぶが、やはり 適当にして何とか済まそう とか、うまくいくラッキーが得られるんじゃないかとか、甘いことをまだ考えてる この性格。

以前のブログを見てみようと、無作為にクリックしたのは08年10月の箇所だった。
島尾伸三氏が、「小高へ」を、出版したことに関しての新聞のインタヴュー記事を読み、その感想のようなものを書いている。世間から尊敬されている高名な作家の家庭でも、子供にとっては地獄だった、両親が親として機能してない壊れた家庭に絶望していたと、言っている。
この記事のあとだったと思うが、母親のミホさんも他界され、伸三さんの両親に対する感情は穏やかなものに変わっているように、その後の発言や新聞報道から察しられるが、このときでも「どんな親でも子供は親が好き」と言っている。
この記事を読んで、我が家も同じだ、親が壊してる、と、反省しているのだが、昨日も書いたように2年半経った今も、なんら変わっていない。ますます子供を苦しめている。家を出て行った子まで、難しい状況になって、家族皆で助け合わなければならないのだが、相手の申し出 意見に意義を想起して対立するばかり。
もう一つ 障害を持って生まれた猫の赤ちゃんが、死んでしまったことを書いたもの。この猫の病気を知って、家族皆で「この子猫が生きている限り愛情を注いで 大切に育てよう」と、話し合った。残念だが、短い命で終わったこの猫が我が家の不幸を全て背負っててくれたんじゃないか、不運はみな この子が天国に持って言ってくれたんじゃないか、家族が一体になれた事を、この子猫に感謝して、そう書いている。
この記事があるページをたまたま開いたわけだが、何故今日?と、考えると、 まさに今我が家に大切なことを、再認識させる記事だから、パソコンが「この記事を読み返して、しっかり反省しなさい」と叱ってくれているのかも。もうかなり身近になったパソコンだから。
別の感想、あの頃は少ないけど、真面目に一生懸命書いている。

娘が沢山話をしてくれた。楽しかった想い出を。主に中学時代、そして小学校のときのこと。
数ヶ月前にいじめをテーマにしたドラマのDVDを見て「自分も同じことをされた」と震えながら泣きじゃくっていたのに、今日は、その頃の楽しかった事ばかりが思い出されるようで、そのとき名前が挙がった人も、出会ったときのことは明るい話題として語っている。仲のよかった同級生、一人一人のことを思い出し「友達がこんなにいたのに、学校に行かなかった、もったいなかった」とまで 言えてる。山の上の小規模校の小学校では、毎日明るく楽しく通っていたので、特に何かというものは直ぐには浮ばないが、中学でのことは、一つづつのエピソードとして印象に残っているようだ。
娘の内心に何か変化があったようだ。最近生活上で、変わったことは、歯科治療を始めたこと。衛生士のお姉さんが優しくて、話がはずんだらしい。他人と普通に関われたことが、自信になったかな。
後は 家庭で明るく過ごせたら良いんだろう。そういう楽しい雰囲気を作って上げなければならないのだが、相変わらず 父親と母親はいがみ合ってばかりいる。親が変わらなければとは、判っているのに。駄目な親で申し訳ない。

最近配達に行くと「コーヒー値上げしなくていいんですか」「値上げのときは言ってくださいね」と、言葉をかけられる。みなさん 「値上げになってもかわもとさんのコーヒー飲みますよ」ということだ。中には 値上げ前に買いだめしておきたい」と言う人もいたけど、いずれにしても ありがたいこと。私のお客さんみんな良い人ばかり。報道で、コーヒーの高騰や大手の値上げについては承知しているようだ。コーヒーが好きで、こういうニュースにも興味を持つのだろう。
私の仕入れ値の方は、今までで、一番高かった平成8年の水準を越えてしまった。まだ 上がり続けている。あまりに長く高値が続くと困るが、いましばらくは、様子を見ることにしている。主な原因は金持ちがもっと儲けようと投機して値を吊り上げているから。儲かると判断したのは、需要増と減産の見込みからだが、これだけならここまでの値上がりはないはず。減産予想の相場は度々ある。値上がりで生産者や業界が利益増になるわけではない。この状況はコーヒーにとって不幸なこと。何とか、対抗策は打ち出せないものだろうか。世界規模でのことだから難しいようだが、ちょっとしたきっかけで、大きく変化するのが相場。ICO(国際コーヒー機構)または生産国政府で対応して欲しい。
私としては、大手の安い価格と私の価格の差が、縮まれば売り上げ増が見込まれるんじゃないかという期待もある。大手の、重油を炊いて起こした熱風をっ使って大量に焙煎されたコーヒーよりは、少量づつ直火焼きで焼いたこくのある新鮮さを保ったうちのコーヒーが美味しい、という自身はある。ただ 経営がその成果が出るまで耐えられるかが問題。

「今宵の一枚」のブログで プレスリーの「好きにならずにいられない」を、取り上げていた。プレスリーはそれほど好きなシンガーではない。私の姉の世代が大好きなシンガーだ。もちろん 世界的スターでその数々のヒット曲は、頻繁に耳に入ってくる。その中で この「好きにならずにいられない」は、とても好きな曲だ。原曲はフランスの歌曲「愛の喜び」。クライスラーのバイオリンで演奏される「愛の喜び」とは全く違う曲であることは当然わかる。他のミュージシャンのカバーも沢山あり、ジャズのシーンでも演奏される。このメロディーが流れてくると自然に上体が左右にスイングする心地よさがある。今 このプレスリーの「好きにならずにいられない」のことを書こうと思ったのは、高校生のときにコンサートフィルムで見た衝撃を思い出したからだ。コンサートの最後に歌ったこの曲の途中 長い長い間奏の間、プレスリーが客席に降りてき、総立ちの女性達の中をもみくちゃになりながら次々 女性達とキスをしながら進んでいくのだ。日本ならアイドルと握手をしただけで大興奮なのに、アメリカではキスまでするのか。キスを終えた女性達のうっとりした顔が綺麗だった。いったい何人の女性がこの幸運を得られたか、数え切れぬほどの回数をプレスリーがこなしていた。こなしていたと今は書いてしまうが、プレスリーにしてみれば、ファンサービスだったんだと思うからだ。当時は「とにかく誰かとキスしてみたい」と考えていたわたしは、その映像のなかの出来事を夢見心地で、見ていた。ほんとはあの時目をつぶって仕方なくやってたんじゃないかと、プレスリーの苦労を思ってしまう私、いつのまにか夢もゆがんでしまっている。でも 変わらぬ「好きにならずにいられない」の曲だけは いつまでも私を心地よくうっとりさせてくれている。
「今宵の一枚」では シルビーバルタン「悲しみの兵士」も紹介している。こちらは その美しい写真を見ているだけでうっとりする。

睡眠時無呼吸症候群と高田渡は無関係でも眠れないと歌う生活の柄


昨日は 眠くてたまらなかった。夕刻からは少々頭痛も。日曜日の朝 5時半に起きて焙煎したときからの疲れか。その時間から始めないと 午前の出荷が間に合わなかった。でも 鹿児島市内に店があった時は、同じ時間に起きて焙煎していた。疲れが出るのは、年のせい 何でもかんでも年のせいにしている。
夜 カーラジオで、高田漣 佐久間順平 南高節が、高田渡の話をしていた。例の ステージで歌いながら寝てしまう話。しょっちゅうだった様だ。伴奏している高田漣や佐久間順平は、あわてるのだが、観客は伝説のように言われていた その光景が 見られて 喜ぶのだそうだ。しばらくして目を覚ましたときは客席一せいの拍手と喚声が起こっていた。自分で起きない限り 誰かが起こそうとしても絶対起きない。しばらく寝かせるしかない。その間 伴奏者が歌って時間を埋めてたと言う。息子の高田漣の接し方に対して 「理想的な親子の関係」と、褒められることさえあったと言う。仕事中に寝てしまっても許される。しかも喜ばれる。高田渡だからこそだろうが、面白い。羨ましいじゃなくて楽しい。出演者3人で「生活の柄」を演奏した、これが 高田渡の話で大笑いした後だったこともあり、楽しい演奏に聞こえて、これがまたよかった。
家に帰って 22時のニュースショーをTVで見てたら、睡眠時無呼吸症候群についての特集をしていた。特徴的な症状は 昼間 強い眠気に襲われるのだそうだ。いびきをかいていたのが、十数秒間止まる その間呼吸をしてない この状態では、深い眠りに入れず、寝不足になってしまうらしい。一緒に見てた娘が「お父さんも、おんなじだよ」と言った。「そうかもな」と思った。ただ 私の場合 睡眠時間が 年の割りには? 少ないのも事実。
睡眠不足で無呼吸だったとしたら、これは 危ない。寝たいときはどこでも寝れる。運転中、スーパーや銀行の駐車場で、しばし睡眠ということもよくあり これが幸いなどと横着な考えをしていた。器官の十分な気道確保のための減量と、十分な睡眠時間をとれる生活習慣にすることを、更に心がけていかなければ。
おまけがあって、その後 見たBSの番組で、沖縄那覇の栄町の商店街を紹介していたが、先のニュース番組とは何の関係もない 局も違うのに、「生活の柄」という店名の飲食店が紹介された、店主がやはり 詩人の山之口獏と高田渡のファンということだ。「生活の柄」は「歩き疲れては草に埋もれて寝たのです。歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです」と、寝てばっかしの高田渡が、歌っている。
私の眠気ー高田渡の居眠りー睡眠時無呼吸症候群ー沖縄の「生活の柄」と繋がって楽しい晩だった、でも眠くて仕様がなかった。
     youtube動画 生活の柄

ルビーケーキ
霧島国分 剣ノ宇都の得意先 ルビーで、いただいた ケーキ。中が さつま芋だ。黒いところはチョコ。上にイチゴとホイップ。周囲はスポンジだが、ほとんどさつま芋。砂糖の甘みではなくて、芋の甘み。なぜか上品な甘みに感じる。
スポンジ枠に 芋をつめるように並べ 隙間にチョコを詰め スポンジ生地を流して焼いたようだ。芋が焼き芋より粘性があって、細やかな舌触りと味 スイートポテトに近い。
こんなスイーツの作り方を よく思いつくものだ。他の店とはちょっと違うメニューがいろいろある。小豆餡をトーストに乗せたり、サンドイッチにいもが挟まれていたり。サンドやトーストのセットが人気。クラブサンドのように チキン たまご ベーコン チーズなど 具がたっぷりのサンドにサラダ、スパゲティー ケーキ アイスクリームがつき 飲み物はコーヒー 紅茶 ホットもアイスも選択可。男性にも満足できるボリューム。美味しいので女性も完食。数種類のサンドにトーストもシナモン ガーリック など 豊富な種類。
飲み物も大きめのカップにたっぷり入っている。紅茶などはポットに入れられ、3杯くらい飲める量。国分の中心からは離れているが、昼時間には女性のグループの予約が入る。店は洋風だが メニューは洋風和風 入り混じってるような店。ルビーと言う店名は お嬢様の名前から摂っている。店主曰く 「田舎フェ ルビー」
新しいメニューが、次々出来上がるのを、楽しみに出来る店だ。

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YAMAHAアルトサックス YAS-32
売ってしまおうと思っていたが、昨日の吹奏楽を見て、今日も 小林香織のサックス演奏を見て、また 吹きたくなっている。
1987年に購入した物。23年前だが、まだ ラッカーの剥げもなく ピカピカのまま。あまり使ってないのだ。購入当初は、楽器を手に入れたことが嬉しくて、毎日 夜でも 近隣の迷惑も構わず 吹いていたが、与論に転出後は、走ることに夢中になり、自営に変わってからは、時間の余裕を無くし、今は 家族にうるさがられて、吹くことはめったになくなった。もともと 本格的に習うつもりはなく、ジャズプレーヤーの真似事でもしてみたいと言うのが持った理由。アートペッパーをまねて「ベサメムーチョ」を奏でる。リッチーコールをまねて「オルフェのサンバ」「レフトアローン」もよく吹いた。これはジャッキーマクリーンのまねではなかった。ポールデスモンド風の演奏で「テイクファイヴ」をやりたかったが 難しいので、「グリーンス リーヴス」を。適当に 勝手に めちゃくちゃなアドリブも入れて。
しかし今は づっと ケースに入ったまま ギターと一緒にタンスの上に置かれている。家族からは邪魔にされている。娘に譲りたかったが、全く興味を示さない。昨日も 聞かせてあげようと思ったのに、「もう やめて」と五月蝿く聞こえるだけらしい。
管楽器は、手入れが必要だ。使ったら、仕舞うとき綺麗に手入れをしなければならない。扱うのも慎重にしなければ壊れる。手にするのが億劫になる。部屋に置いてある電子ピアノは 蓋を開けてスイッチを入れるだけ。思い立てば直ぐ弾ける。という事で、普段ピアノのほうをよく触っている。
さて このアルトサックス 持っているというだけでは 意味がないだろう。さりとて 人前で演奏して聞かせるほどに達者になる自信はない。自己満足で、玩具の様でもいいから、なりきりジャズサックスプレイヤーで、楽しむことを 続けることにするか。

吹奏楽の全国大会 高校生の部を、テレビの衛星放送で、紹介していた。最近は他の番組でドラマチックに紹介されていたりしてその会場の名称と、共に 一般にも知られるようになった、大会だ。部員200人の学校、や 吹奏楽推薦入学制度のある学校、授業として吹奏楽を行っている学校。さすがに それだけ力を入れているだけに、どれも見事な演奏。楽器も100万円くらいのものを学校で備えているところもあるらしい。そんな中で 注目したのが前橋高校、他の高校が、55人の編成なのに ここは31人 これで 部員全員だそうだ。迫力ある音量を出すには不利であろうが、「丁寧さ」を信条に、小編成の良さを 逆に取り入れて、感心できる演奏を聞かせてくれた。
これを見て 思い出したのが、従姉妹のNObu江。中学のとき この 全国大会に出た彼女だが、高校は部員が極端に不足して 本来なら 県大会にも出られないところだったが、ひとり 何役もこなすことで、乗り切った。彼女は5つの打楽器を 右え、左へ、移動して はずすことなく完璧に演奏していた。そのことが 新聞で紹介され、それを見て とってもうれしかったことを思い出した。その後 皇居に招かれて、木魚をたたいたと、聞いたが、何の縁だったのかはわからない。
吹奏楽では、ジャズもよく演奏する。アドリブのようなスタイルもある 本当は譜面どおりに演奏しているんだろうけど。サクソホンの数の多さが特徴と言う解説もあった。私のアルトサックス。仕舞ったままで、もう 処分しようかと思っていたが、また 吹きたくなった。音楽を楽しみたい。もっともっと。おじさんを目覚めさせた 高校生達の吹奏楽だった。

夜になって 電話あり。
「川元さん?正樹兄?」「Fだよ}以前の職場の同僚からだった。
「コーヒーを貰ったら そっちのだった。もって来た人に 自分がよく知ってる人だと言ったらびっくりしてる」
それで 直ぐその場で 電話をして 得意になって見せてるようだ。持ってきた人とも話したが、その人も貰ったものだそうだ。オリジナルブレンド と、オーガニックブレンド 200gづつ。多分 生活彩官で購入したものだろう。ところが 彼等が居るのが 名瀬でなくて 沖永良部 和泊だという。最近、沖永良部へ送っただろうか。どうゆう風に回って いま彼等の手元に届いているんだろうか。
コーヒーを手にして 私を思い出し電話をくれたFもありがたいが、私の焼いたコーヒーがいろんな所へ、届けられているんだと、実感したことにも感激。
Fは、「コーヒー好きだから、これから飲むの、楽しみ」と言ってたが、嘗てコーヒーを飲むところを見たことがない、焼酎を一気飲みしている姿しか思い出せない。まぁ 年取ったから、焼酎を控えて、コーヒーを嗜んでいるだろうと、考えておこう。

鹿児島では30日に 県の地区対抗女子駅伝が、開催された。毎年楽しみにしている大会なのだが、近くで行われているのに まだ 沿道で見たことがない。いつも テレビで実況されるので、そちらを楽しんでいる。今回も 同窓生Mの娘さんが走っていた。監督は 名瀬で一緒に陸上競技連盟の活動をしていたM山さん。2月に行われる男子の県下一周駅伝はのときは 加治木の中継所へ出かけて、たまには 大島の選手に声をかけたりしている。女子も声援を走者に直接架けてあげたいとは思うのだが、レース全体を楽しめて、なにより暖かい室内にいて見ることが出来る、テレビ観戦で済ませている。
昨日は その 地区女子駅伝の走者の何名かを紹介する番組が放送された。チームの新戦力として期待されている人、20回目の出走となる人、以前は実業団のトップ選手だが 久しぶりにまた走ることを楽しんでいる人などそれぞれの駅伝へのかかわり方や思いを、伝えていた。その中で 大島チームの中学生が、県の中学生ではトップレベルで期待されているという事で、紹介されていた。マンツーマンで指導している教師が、懐かしい顔だった。与論の陸上競技連盟で一緒だったTTだ。20年ぶりに見たその様子は、以前より精悍なものに見えた。熱心さが伺えた。生徒と一緒に走っていた。与論では審判専門で、走るのは稀だったが、放送では格好よく走っていた。大島チームの監督をやっていたことも知ってはいた。ずっと陸上にかかわっていること、再た 大島のために力を貸してくれていること。嬉しいし、ありがたい。彼の教え子が 日本のトップで活躍する日が来るのを私も楽しみにしたい。
番組とは別にチームを紹介する記事で、この駅伝大会の名走者のように知られている川さんが、練習後に倒れて入院中だという事実はショックだった。やはり 名瀬でずっと一緒に陸上競技に関わっていた。もともと器械体操の選手で、そのバネを生かした走りで、市の運動会では100mも1000mも、1位 駅伝も区間賞、全日本マスターズ駅伝でも好成績だった。トライアスロンもこなす。ハーフマラソンを一緒に走ったときは、あっという間に私の前方に走り去ってしまった。朝から夜まで 仕事も 子育ても 練習も 目一杯にやる人だった。早く回復して欲しい。なんといっても県内の女性ランナーの象徴的存在だから。県下一周では、大島のエースとなった息子さんが走る。一緒に応援しよう。


パソコンの前に座って、もう40分になる。このブログを書くための画面を出してからでも30分。まだ 何を記そうか迷っている。昨日、書きたいことは沢山あると、書いたのに、いざ となると、 何を書くのがよいのか迷っている。今日のブログとして最も適当な話題はどれだろうか。テレビで 見知ったこと、新聞で、興味深かったこと、私個人の体験。何でもいいのだろうが、この時間になると、眠いのを我慢しての作業。もう 考えがめぐらなくなっている。今から書き出しても、最後までやるのは無理だ。これで きっぱりやめて 寝よう。明日 スッキリした脳で、書き上げることにして。
本日も 皆さん ありがとうございました。おやすみなさい。

4日間 サボってしまいました。
毎日見てくださってると言う 方からお電話をいただきました。折も折 更新されないブログに、「何かあったのでは」と心配されてのことでした。すみません。何も特別なことはありません。私が怠けただけです。ご心配おかけしました。
夜 寒くて 炬燵からなかなか出られず、やっと パソコンにむかってももう深夜で 眠気に負けてしまう。サッカーのアジア選手権の決勝を見た日からは 特に、寝不足のようで、夕食の後、そのままうたた寝。
書きたいことは いろいろあるのです。なにか 気取ってうまく書こうとすると、頭を悩ますし 時間も掛かる、考えても無駄なのかもしれない。どうせ 下手な文章 少しの稚拙表現など、構わず 好きなように書いて、なるべく 毎日 続くようにがんばって見ます。
とりあえず 入院中の娘のことを 少々。昨日 一般病棟から、クリーン病棟に移りました。でも ご心配なく。きのうまで居た部屋がどうしても希望という方が居て交代したのです。私たちもその部屋が自由に出入りできてよかったのですが、もともと クリーン病棟が空いてなくて、その部屋になったのだから、治療に専念するのは新しい部屋が適しているのだろう。予定では 後 2週間あまりの入院予定。早く 病室から出て また 友人達と楽しい時間を過ごすことを大いに楽しみにしている。