店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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クイズ番組を見ていた。桁外れにすぐれた頭脳の持ち主たちらしい。凡人は見ているだけ。考えてもわかりそうもない問題ばかり。考えてみたのは、冬季オリンピックの金メダリストとか 芥川賞受賞者名とか あとは 考える気にもなれない難問ばかり。太陽の大きさとか、薬の化学式とか 「学者かその専門家でないとわからんだろう」と思う問題を、次々回答していくのをあっけにとられながら見ていた。柔道の井上康生に似た優勝者が時には間違いもするが、冷静に 淡々と 正解をかさねていく。「なんだこのコンピューターみたいな男は」と思っていたら、決定した瞬間、顔を覆った。泣いていた。それを見て ほっとした。緊張から解放されて、感情があふれ出したようだ。コンピューターじゃなくて やっぱり人間だ。ぬくもりがある人間だ。医学部生だそうだ。医者になるんだったら 冷静な判断で職務をこなさなければならないけど、人を相手にするのだから、人間らしさ、温たかさを持ってなければ、心からの信頼関係は作れない。彼は 立派な医者に成れるかも って ただ印象だけで 医者に縁のないわたしは思った。出来れば 血液内科に進んでくれ。
太陽の大きさは 万有引力の法則から計算すると 2.0X10の30乗らしい 単位は何だっけ。31乗と回答した人 惜しかった。

では 九州大学医学部 名誉教授 北山修の歌を。

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全国中学生駅伝大会の女子で愛媛の新居浜東中が優勝。メンバーが全員バスケット部員。しかも3年生はおらず 1,2年生のみでオーダーを組んでいる。テレビ解説の宋茂が驚いていた、唖然としたが本音かも。毎日陸上競技のトレーニングに励んで走力を鍛えている子たちより、 このシーズンだけ大会出場のため練習した子達の方が強かったんだから、陸上の指導者としては少なからずショックだっただろう。でも こういう潜在能力を持った子達がいるということは、これから陸上長距離会界の層が厚くなると期待もできる。
大規模校でなければ 陸上部がある学校は少ない。大会に出る選手も普段は他の競技部に所属していて大会のためにしばらく陸上トレーニングをやって出てくる選手は多い。特にバスケットは長距離走の能力をも高める運動らしい。22年前、今 日本陸連の副会長、当時 順大の監督をしていた沢木啓祐氏が、奄美に来たとき 「長距離選手を目指しているが 学校に陸上部がない どの 部に入ったらいいか」という質問を受け 即座に「バスケットです」と答えていた。ダッシュを繰り返すバスケットの試合は、インターバルトレーニングのようなものなのかも知れない。ジャンプでばねも備わるだろう。
あの松野明美もバスケット部だった。マラソンの日本記録を作った事のある児玉泰介も中学ではバスケットをしていた。バスケット部の顧問をしていた吉川覚先生によると、川内市の大会に出るためバスケット部員に長距離走の練習をさせ、相当厳しい練習をさせた結果 優勝し 児玉と松田という二人の選手は川内実業高校で陸上をはじめその後旭化成で活躍した。
そういえば 私が高校のときの体育祭では、その頃 長距離をやる女生徒はいなかったので、400や800は専ら バスケット部員が走ってた。バスケット部員全員が長距離選手になれるわけではないけど、長距離走に必要な運動能力を高めるのに最も適したスポーツがバスケットと言うことだ。他にも 野球 サッカー あるいはバレー選手から 長距離のトップ選手になった人はいる。
さて 中学駅伝 鹿児島代表は女子横川 男子栗野 どちらもおなじ姶良地区の学校だ、隣町どうし。どちらもそれほど大きくはない学校だ。やはり 他のクラブの人たちから 選抜されたんだろう。栗野中の4区は見ごと区間新記録を出した。

マラソンは孤独だが駅伝はチームプレイ
最後は楽しくはしれなかった孤高のランナーの歌


日曜日に星浩が新聞に書いてたコラム。原発事故に関して 福島県内で 説明とお詫びをして回っている東京電力の職員の話。ある 会場で、大勢から抗議を受け 罵声も浴びせられ 何とか会を終えたあと 一人の年配の女性から一枚の紙片を手渡され、それを見ると「お互いに頑張りましょう」と書いてあり 涙が出た という話。みんなが辛い思いをしてるんだ。
このコラムの主題は みんなで復興に向けて頑張ろう と言うときに 起きた政治のごたごたを批判したもの。首相への不信任決議案が出た事で 復興へ向かって進まねばならないのに停滞を招いた。しかも その内状まで暴露していて、小沢と森という 対抗しているはずの二人が 蜜に連絡を取り合っていた。表向きは首相の震災復興への対応を批判しての抗議だったが、本音が 政権を狙っての行動に過ぎないと。阪神の大震災のときも「我々は 国や政治に何にも期待なんかしてない ただ 邪魔だけはせんでくれ」と言った人がいた。今度も被災者は、あきれてそう言いたいかもしれない。
「国を挙げて取り組まなければ」と語ってはいるが、被災者の困難な状況だけが目立ってしまう。揚げ足取りに一生懸命になる余裕はないはずだ。アメリカのように与野党全会一致で、批判無しと言うのも恐ろしいが、対立でなく協力しあう大義の中での議論であって欲しい。
被災者は再生を期して必死に頑張っている。被災者でなくても影響を受け別の被害を被る人もたくさんいる。国民皆この閉塞感から立ち上がろうとしている。お互い頑張りましょう と励ましあってる。

昔のわか者たち 立ち上がろう。

イタリアンブレンドの注文が殺到した。月に2度、ある喫茶店が大量に注文をしてくるが、今日は他のイタリアンを使用している施設3箇所からも注文があり、焼かなければならない。昨日もイタリアン3キロ出荷したため在庫がない。午前の発送に間に合わせるには、5時に起きて焙煎を始めなければならなかった。しかし 起きたのは7時。一度4時過ぎに目を覚ましたのだが、「あと一時間」とまた 寝てしまい次 起きたときは3時間たっていた。
間に合わない。霧島からの注文2件は 午後から自分で配達する事にして、配達不可能な2件の出荷を何とか間に合わせた。霧島は県内では有名な温泉施設だが 山の中で簡単には、行けそうになく いつも宅急便で送っている。うち 一箇所には一度行ったことがある。40分程かかっただろうか。もう一箇所は さらに奥の方。こちらは初めて行く。地図を見ても、白いページに道路が一本 通ってるだけ。不安だが行かないわけにはいかず、テレビではよく見る施設 実際に見たくもあり行ってきました。確かに山深いところにあるが、両施設は、同じ道路で結ばれており、意外と 楽にたどり着けた。 ただ 世間の喧騒から脱して来る人たちの宿泊施設なので、簡単には近づけない。写真も遠くから遠慮がちに取れるだけ。一箇所は敷地に入る事も出来ない。そのくらい徹底して快適さを追及している。さすがだと思う。こういうところでゆっくりしたいと 私も思った。一箇所は贅沢かもしれないが、泊まってみたい。もう一箇所は 一生に一度 泊まれるかどうか。
DSC00572_convert_20111227234254.jpg静か のんびり楽しめそう。
DSC00573_convert_20111227235035.jpgここから先は 宿泊客のプライベートエリア という事で、宿泊者意外立ち入り禁止。この山全部が施設で、その日は宿泊する人のもの。私は迷って入ってしまい、叱られた。



娘が作ってくれた縁

夕べの余韻が 興奮が まだ残っているようで、いろんな人に昨日のコンサートのことを話した。「よかったね」と言う返事がたくさん返ってきた。youtubeできくち寛さんの歌を聞いて、「いい歌だね」というコメントもあった。昨日は ライブの後、会場の「風季の陶」からクリスマスケーキが振舞われた。何しろ 30名あまりの人の分。でかい 60X45位の長方形 メートルじゃないよ、もちろん。みな 帰らずに ライブの余韻と ケーキを楽しんでいた。
その場で 店主や菊池さんや 何名かの水俣の人と会話が出来た。風季の陶の店内の造りが、素敵だったので、いろいろ質問した。なかなか希望通りにやってくれそうな建築業者が居なくて、やっと見つけたのが 「鹿児島の姶良の大工さん」ときいて ビックリ。すぐ海に出れて、いろんな楽しみが出来ると 寒いのに 外まで案内してくれた。
コーヒー屋と紹介されたことで 「コーヒー教室の開催の話が上がったり、今日は早速 コーヒーの問い合わせもあった。いろんな面で 有意義な水俣の晩だった。
私に声をかけて呼んでくださり、皆さんに紹介してくださったYさんに まず感謝。そして こんな素敵な人たちと関わっていた 舞のおかげだと思うと、菊池さんが言ってた、「亡くなった人はずっとあなたのことをみてますよ」と言う言葉が、真実であると胸に刻まれ「全ては舞のクリスマスプレゼントなんだ、ありがとう」一人思ってる傍らで 舞の声がした「もう いいから」

風季の陶店内 ライブの後もみな帰らない
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きくち寛さんライブ イン 風季の陶

行ってきました水俣。きくち寛さんライブ。行ってよかった。誘ってくれたYさんに感謝。あったかい空気の中で素敵な時間を過ごせました。歌の歌詞一つ一つ、私の胸を揺さぶりました。いろんなことを思い出しました。
水俣に縁を作ってくれた舞と一緒に聞きたかった と思っていたら。菊池さんとも 会場の風季の陶も 舞は深い縁があったのだ。マスターも 菊池さんも 奥さんも 娘さんも ほかにも数名 、舞の事を知ってた。
昨年八月 一時退院した舞は この店で、きくちさんに 自分ひとりのために 歌ってもらった事があったんだ。
今日私が体験した暖かかく心を和ませる体験を舞も体験してたのだ。感激した事だろう。たくさんの思い出の中にきっとその時のことも美しさという言葉をつけて残されているんだろう。私も今日の感激を記憶に留めることになる、永遠に舞と共通のものだ。



去年のこの日のブログには、娘が作った クリスマスケーキの写真が載っている。毎年 台を買ってきて 自分でデコレートして作っていた。従姉妹が菓子屋に勤めていて 無理やり買わされていた2,3年を除いて 毎年そうして作っていた。
今年はなし。気分が出ない。娘が生クリームを買ってきていたので、いくらか「やってみようか」という気も起こったが、残念ながら きょうは朝から 忙しく時間がとれず。
娘のため 「ケーキ屋で買おうか」と提案もしたが、「要らない」と言う。
いつもの喚声が起こらない 静かなクリスマスイブになった。ラジオはずっとクリスマスソング。
朝から夕方まで焙煎。夜になって 明日朝の出荷分の準備で11時まで。その間ラジオはついたままで いったい何曲 クリスマスソングを聞いたんだろう。ほとんど聞き流していたようで 何を聞いたか憶えていない。
仕事に追われてただけで つまらない 一日だったんじゃなかったか。いや 仕事があったんだから いい一日なのだ。なんだか徒労感とむなしさが束えている。この日に うちに居なくても 毎年 大きな声で「メリークリスマス」と、電話でけたたましいほどの賑やかさを、届けていたのに その声がもうない、その声の舞がいない。
居ないことで 思い出す。
水俣の、舞を 可愛がってくれてた Yさんから コンサートのお誘いがあった。義理の弟にあたる きくち寛のコンサート。まだ 聞いた事のないこの人の 水俣でのコンサートにわざわざお誘いの 電話をくださった。
私に聞かせたいうたがあるのでは。行ってみよう。舞のためにか、舞の代わりか。きっと 心に響くものが得られるだろう。さて 時間間に合うように 明日も朝から 頑張らねば。

水俣と言えば 村下孝蔵。生ギター一本で 踊子。


あと一週間ほどで今年も終わり と言う今の時期になって、お歳暮の注文がかなり来ている。毎年この時期が 一番多い。12月に入るとすぐ 注文してくださる方もいるが、毎年この時期となる方も多い。商売をしてる方は特に 自分の業務が優先だから、自身の事は後回しになる。歳暮に使う紅茶が今日入荷したので、箱につめて 包装する作業が 遅くまでかかった。まだ 器具類が届かない。一昨日で、こちらに送ってもらってるはずなのだが。運送屋も荷物が多くて、裁くのに時間がかかっているんだろう。
いつもとは違う 年末のはずなのに、いつもと同じように仕事をやってる。配達で鹿児島市内を走ってきて、市役所前の大通りのイルミネーションを見て 思い出した。辛く感じた。一年前 27日舞は退院した。医師も驚くほど症状がよくなり、家族みんなで そのイルミネーションのきらめきに歓声を上げながら 家に帰った。もう 入院しなくていいのでは と さえ考えるほど、快方に向かった。まさか 一月もしないうちにまた病院に戻ってしまうとは思いもしなかった。
普段 忘れているわけではないが、常に深く思い起こすわけでもない。毎日 墓前に行っても、花の水を替え、砂ほこりを洗い流し 線香を立てて、語りかける。寂しい感情を持つ事は稀だ。
喪中 欠礼の葉書を出している。受け取った人が、あらためて、舞のことを 私達家族の事を、思い返して、語り合った という話を聞いて、ありがたかった。
悔しさがこみ上げる事も、周囲の人達の情けを知る事も、やはり いつもとは違う年末だからだろう。



意外なところで聞くお国訛り

工房で作業をする時は いつもラジオを聞いてる。大体10時からはMBC「えちゃんのたんぽぽ倶楽部」この番組の途中にニッポン放送の「テレホン人生相談」が入る。先日の放送での主婦の相談者、言葉が明らかに鹿児島弁。話の中で県外に嫁いだことがわかったが、鹿児島弁のイントネーションは、そのまんま残っている。全国放送だからいろんな地方の人が、登場するわけだが みな 標準語を使うよう務めてはいるようだ、それでも 関西の人は関西弁しか話さない。九州の人は標準語を使ってるんだろうけど 訛りが出てしまう。九州でも県により言葉は多少違うのだが、九州外の人にはほとんど同じに聞こえるようだ。私も住んだ事のある 福岡と熊本の言葉は区別できるが後の長崎 佐賀 大分は その違いがわかっていない。宮崎 鹿児島は明らかに違うのだけど、他県の人からはそんなに違わないと、思われてるのだろうか。私の出身の奄美なんかは さすがに違うとわかると思うが、東京で、「九州の人でしょう 言葉でわかりました」と言われた事がある。まだ 奄美に居たときのことだ。
奄美の南部 古仁屋では 語尾に「しゃー」をつける。「早くせんばしゃー」早くしなさいよ 沖縄の「さー」とは違う。大学で 徳島の小松島から来た男が 同じ様に「シャー」をつけてたから 全く 独自の言葉と言うわけでもないのかもしれない。漫画「どかべん」に登場する 殿間も「しゃー」と言ってたな。
奄美の人間は自分達の方言「島口」「島ゆむた」は、他の人にはわからないと思ってる。実際 都会で話すと 東南アジアの出身者と思われる。わざと島口で 悪口を言ったりする。聞いてる人にはわからないと思ってるから。島の人間には わかるわけだから、聞こえてくると 島の人だ と気づく。
友人二人 東京の電車内で はしゃいでる女の子達の側で 「いぎー ばしゃんきゃ やかまいやー」といったところ 女の子の一人が「あんたなんか名瀬」と答えてきて ビックリ大失敗。でも 都会で島の人間に会えて 嬉しくもあったようだ。
学生時代 奈良に行ったとき 高校生を乗せたバスに「高山高校」と記されていた。飛騨高山から来たんだろうと思ってたが、女子生徒が話すのを聞いたら 鹿児島弁。肝属の高山高校だ。当時だと 女優 早乙女愛の出身校として有名。今なら 愛川翔だ。思わず一緒にいた同卿の友と 笑ったが。懐かしく 嬉しかったはずだ。今でもはっきり憶えているから。
さきの 人生相談の人 鹿児島を出て何年経っているんだろう。夫婦関係で悩んでいるようだが、喧嘩で鹿児島弁で口撃されたご主人、どれだけ理解できてたんだろう。

なんとなく なんとなく 鹿児島弁で 歌ってみよう


天才か変人か

昨日は懐かしい人に会った。久しぶり。店を鹿児島から姶良に移してからは、会ってなかったと思うので,12年ぶりくらいか。年賀状のやり取りは続いていた。喪中の葉書を贈ったところ、「霊前に供えて」と菓子が贈られてきたので、そのお礼に 訪ねた。どういう人かというと 面白い人 ちなみに女性。主婦 二児の母。
全く変わってなかった。母親になって 落ち着いてるか と思ったら、12年前と一緒。今でも 突拍子ない事をやって 9歳の双子の子供達に 「お母さん変な事する」と あきれられてるそうだ。
私との付き合いは 奄美の店の常連になってから。当時は架計呂間島の中学校の教師だった。小柄で 幼顔で 様子は中学生と変わらず。本人 文筆の業につきたくて、教師を辞めて それに専念しようか など 言っていた。
変わってる例 一つは ある日 落ち込んだような 悩ましい顔で 現れ、一枚の葉書を出して 眺めてた。「一目ぼれしちゃった、この絵に」見つめてたのは 丁度絵画展が開かれていて そこに展示されてる ある作者の自画像の絵だった。「どうしても欲しい。でも 30万払えない」画中の人物にほれたようだが、作者本人には興味がない。結局 分割で、購入した。やはり店の常連で画家のM氏「本人は襲うかも知れんけど、絵は安心だから、ずっと 手元に置いときなさい。」
次 本屋のお姉さんに惚れた。確かに綺麗な人だが、憧れでなく 好きになったようで、その本屋に連れて行き紹介してあげたときは、どきどきしてる様子があからさまで、顔を赤くしていた。
遠足で、もちろん教師だから 引率なんだけど、途中、可愛いヤギがいて そのヤギに夢中になりそのヤギを追っかけ山に入り すっかり仕事のことは忘れてしまい、あとで 先輩教師に 厳しく叱責された。カメラを貰ったときも おおはしゃぎ いすの上に立ち上がった様子は 幼児のよう。転勤で鹿児島に帰るときには楽しませてくれたことで、感謝状を贈った。
そんな彼女と あと先輩二人が私の店いよく来てくれてて その先輩の一人が 結婚の報告の葉書をくれたとき「結婚したのは私だけでは ないようですよ」と書いてあり てっきり もう一人の先輩かな と思ったら 彼女で ビックリ。まだ 子供っぽいし、 作家の夢ももち続け、結婚には到底程遠いと思っていたので 驚いた。結婚後も時々 鹿児島の店に顔を出してくれていたが、家庭に入っても、全く雰囲気は変わらず、ご主人ともうまく波長が合ってるよう 想像すると ままごとのようだが。
昨日も 久しぶりの会話が玄関口では納まらず、駐車場にまで 移動しながらも続き、車に乗ってもまだ 終わらなかった。昔と同じ身分じゃないのに 昔と同じように会話が弾んだ。12年前に戻った気分。
同窓生と積もる話をしたように感じた。ほんとは年が13歳違うんだけど。

彼女はジャズはそれほど好きではない。でも ビル・エバンスの「ワルツ フォー デビー」は大好きだった。
似合わないような気がするんだけど

あの つま恋で

「同窓会決定したぞ」山元から電話。来年東京地区で予定している 高校の全国同窓会の事なのだが、今月始めに、幹事である山元が「掛川のヤマハリゾートつま恋で やろうと思ってる」と言っていたが、昨日名瀬であった役員会で、それに決定したと言うことだ。あの伝説のつま恋 拓郎の熱烈ファンである山元「やったり」と言うところか。当然 細微なところまで調査しての決定だ。宿泊費 宴会費 東京からのアクセス。広大な施設で、レジャーも充実 ゴルフも出来る。など まぁ 満足できるもののようだ。
ただ 東京ではない。ついでに東京での予定も立てるつもりのものは、一泊余計になるかもしれない。親戚 知り合い 取引先 静岡に在る人って そういないだろう。
私達の高校時代は71年から74年、大学在籍期間も フォークソング全盛。みんな フォークを聞いてた。拓郎かぐや姫のあのときのコンサートもみな知ってる。その会場だったつま恋といえば みな「なるほど そうか」と反応するわけだ、コッキーポップでもなじみのポプコンのつま恋と、思い出す人もいるだろう。コンサートは見てないが、その会場だけでも見てみたいと 考えるものもいるかも知れない、その場所で 5万人の若者が一晩のパフォーマンスに酔いしれた事を想像し、青春時代が蘇るのでは。ちなみに 山元は 06年の復活コンサートを見に行っている。
まだ 1年近く後の事で、早いような気もするけど、本当は この時期でおおよその事が決まってないといけないのだ。おととしの鹿児島開催のときは、遅かった。私が決めないといけなかったのだが、父の入院などで、取り掛かりが遅れ、みなに 個々に相談はしたが、在住者が集まって話し合う事もなく 協力をお願いする事もなく、やっと半年前に会場決定したと思ったら 2ヵ月後ひっくり返されてしまった。みなを 説得するだけの情報が集められなかった。
決定したからにはそのつもりで、同窓会員みな 予定を組、協力しよう。

つま恋の37年前


つま恋5年前


一村とアスリート

今日も見てしまいました「吉田類の酒場放浪記」
横浜関内 川崎新丸子など 行った事のある懐かしい街が出てきた。新丸子などは 行ったのが33年前だから、駅前など 様子がすっかり変わったみたいだ。
最後に出た 大鵬 という店の 女将を見て、名瀬の 一村 を思い出した。夫婦とも私と同じ年。大鵬の女将が一村の女将と似ていた。年はあっちが若そうだけど。みんなリッ子ママと読んでる。ちなみに大将は とし坊 ちっとも大将らしくない。リッ子ママの方は 大きな体 大きな声で、よく笑い 賑やか。
大鵬の大将は、ずっと 厨房で一心に 調理に励んでいたが、とし坊は 仕事はしてるけど、一生懸命の姿は見せない。いつも楽しそう。共通点は 豊富な料理と 熱烈な常連が居ること。
とし坊は フォークソングが大好き、自分でコンサートをプロモートしてるから 加川良や 優歌団の木村充揮とし親しい。個人となった高田渡も 何度も店に来た。うわさを 聞いたのか 芸能人や ジャーナリストがよく訪れる。リッ子ママがやってるブログ「まりん&アオサ」によく そんな記事が出ている。
名瀬に居たとき よく行った居酒屋は この 一村と アスリート。 
アスリートはトライアスロン大好きな忠男くんの店。スポーツ仲間が集う店。忠男くんは 一言で真面目。人柄の良さも繁盛の要因。人柄のよさも、と言ったが、人柄の良さが一番かも。
名瀬に行くときは また寄ってみよう。ほかに挨拶に寄ろうと思う店は、以前の喫茶フラワーの娘 麻美さんが嫁いだ店 名前忘れてしまった。中野さんの店 何だったけ。「優歩」だった。もう一つ 姶良の大事なお客さん美智子さんのお姉さんで 私の父がお気に入りだったますみさんがご主人とやってる 「はぐれ坊主」。
過去に二度と行きたくなくなった店もあった。その店は 旦那が市役所に勤めていて、市役所職員をあからさまに優遇した。加入してたソフトボールチームは 半数以上が市役所職員だったので、試合後によく行ってたが、一つのグループでも 市職員にだけ割引券を私の目の前で配った。決定的に憤慨したのは、ジャズコンサートのアフターにと予約していて 有名ジャズメン 菅野邦彦 水橋孝 村上寛を 案内したら、席を取ってない。理由が「市役所の連中が来たから」・・・「こんな店ないほうがいい」と思ったら 程なく消えた。
せっかく、楽しかった素敵な 店のことを思い出してたのに、変なこと思い出してしまった。あの、へんてこりんな店名のせいだ。

西田佐知子のコーヒールンバは なかったけど 西田佐知子のお酒の歌はありました。
一村の店内

先日、焙煎をしながら、息苦しくなった事があった。換気扇が回ってなかった。危ない 酸欠だ。窓は締め切ってる。普段は寒くて部屋が密封状態とは考えてもいない 隙間風がどんどん入ってきてるように思っていたが、寒さは 壁の薄さのせいのようだ。当然排煙のためのダクトは備えている。ファンを稼動させ強制的に排気しているが、焙煎の初期段階の蒸らしでは排煙のためのダンバーを閉じておく。炭窯で発生した一酸化炭素が、空気取り込みの窓から室内に排出されているんだろう。これまでも換気扇のスイッチを入れ忘れていた事はあったが、時々出入りして 引き戸を しばらく空けてたりしてたので、酸欠になる事はなかったが、ここのところは寒くて なるべく外に出たくないし 焙煎機で暖められた空気を 逃がしたくはない。
友人Kの一人暮らしの叔父さんが室内で七輪を使って魚を焼いていて 一酸化炭素中毒になり 救急車で運ばれたことがあり、その怖さは十分知ってるつもりなのだが、自分がいつもやってる炭を燃やす作業の危険性については鈍感だった。家庭でもストーブや 温風ヒーターで、火を起こしているが、誰かが出入りする際に空気の悪さに気づき 換気を促す。昔は 火鉢で炭を燃やし その側でおじいさんが 気持ちよさそうにうとうとしてる場面もよくあったが、昔の家は 木製のがたがた窓で 隙間もいっぱいあった。
我が家にも火鉢がある 正確には木製の火箱だ。木工職人の兄が作った。以前は冬になるとよく 焙煎後の残り火の炭をくべて もちを焼いたりしていた。今は、家財が増えて 火箱を安全に使える場所がなくその上には本が積まれている。
隙間のない今の住宅は快適には違いない。電力節減が要請され 灯油も高騰 エネルギーの効率的消費には とてもいいと思う炭の火力の使用が、制限されてしまう この環境、残念な気もする。
とにかく 火を使う 瓦斯が出る 十分な注意が必要だと言うことを、改めて肝に銘じておこう。

隙間風が入り込みそうな部屋での出来事を想像させる歌

TESARS IN HEVEN

昼は先に書いたように うめまつりの「北山杉」を聞いた。そのまま 京都の歌「泪橋」を聞いたり、懐かしい 猫の「地下鉄に乗って」「雪」クライマックスの「花嫁」。焙煎が終わってからはゆっくりとジャズが聞きたくて、「真夏の夜のジャズ」と入力して 検索。当然53年前のニューポートジャズフェステバルの記録映画が出てくるセロニアスモンクを聞いて、次サッチモを と思って サムネイルを探してたら、タモリと清水ミチ子のジャズ談義が見つかり ちょっと寄り道。すると「タモリの音楽は世界だ」に出たときの、村治佳織の動画がある。よく見てた番組で、村治佳織をはじめてみたとき よく憶えている。高校生だったが、普通の高校生とは明らかに違う雰囲気にタモリも感心していた。今度は 村治佳織のオンパレード。そのときの「メヌエット~グリーンスリーブス」の演奏から始まり「ヒア カムズ サン」「イン マイライフ」「蘇洲夜曲」「主よ人の望みよ喜びよ」やわらかい綺麗な音色だ。最後にティアーズ イン ヘブン「を聞いて、アランフェスだ と思ってたら、「ティアーズ イン ヘブン」に心を揺さぶられた。美しいメロディーを美しいギターの音色で、ついでに美しい村治佳織が演奏している。鈴木重子のボーカルでよく聞いてる。こちらは とっても心地よく入ってくる。
作曲E・クラプトンとある なるほどエリッククラプトンの動画もある。聞いた。効いた。
長々と書いてきたけど、今日本当に書きたかったのは、この [TESARS IN HEVEN]のことだ。クラプトンが事故死した彼の息子のために作った歌だった。どんな気持ちで歌ってるんだろう。聞いてる人にはちゃんと伝わる。客観的になってるわけではなくても、冷静に聞けて、素敵な音楽と 捉えることが出来る。思いを込めた本人は 冷静に、伝えることに専念して演奏できるのだろうか。そして 私は共感できてるが、冷静に聴けてる。亡き人へささげるために作っても、たぶん 自分を救ってくれる歌でもあるんだろう。




Would you know my name if I saw you in heaven?
Would it be the same if I saw you in heaven?
I must be strong and carry on
'cause I know I don't belong here in heaven

もし天国でお父さんがお前に会ってもお前は私の名前がわかるだろうか
もし天国で会っても昔のままだろうか
私は強くなくてはいけない, 生き続けなくてはいけない
私は天国にいるような男じゃないことはわかっているから

時には落胆するときもある
時にはひざまずきたいときもある
時には失望するときもある
時にはお願いだからと乞うときもある お願いだからと


この扉の向こうに安らぎがある, きっと
そして私は知っている 天国にはもう涙はいらないことを        洋楽歌詞と和訳:歌詞,和訳,Tears,In,Heaven

村治佳織はhere ocomes the sunをどうぞ
そういえば 「家族に乾杯」に出てるんだ。

寒い!冬だ!北山杉だ!

夕べは寒くて 炬燵の中から出れず うとうとしながら 夜中まで過ごしてしまった。その前は風呂でいい気分になり、やはりうとうと、風呂と炬燵で4時間半。ブログサボり、ウォーキングも3日サボり。今も気温は3度とかなり低いが、焙煎中のため、室内に暖かい空気が貯まっている。足下だけはやはり冷たいけど。
で、 仕事中につき これ以上ブログに関わっていられないので、音楽アップでお許しを。
冬の歌と言えば わたしは「北山杉」この歌の思い出については、2回このブログで書いている。歌ってた うめまつり のリーダー増保良二さんから2回コメントも貰った。ピアノの小谷薫さんの従弟の方からもコメントがあった。何で好きかと言うと、この歌のように 恋人と別れた後の感傷に浸りたかった。恋人と別れる体験をしたかった?恋人なんか居ないのに?恋に全く縁がなかったから憧れか。
想い出になった日は 、まだ秋だったけど 京都はひんやりしてた。思い出の人は 京都で元気にしていると、彼女の親戚の友人に聞いた。ご主人が交通事故で、亡くなるという 不幸にもあったらしいけど。



2008年1月15日に映画「もがりの森」について書いている。この作品がカンヌでパルムドールを獲得したのを記念して、BSで放送されたのを見ての感想だ、落ち着いてじっくり見たわけでわなく、時々作業にかかりながらで、ほとんど立ったまま見てたと思う。
大事な人を失ったふたりの男女が、抱えている亡き人への深い愛惜の気持ちを断ち切れず、あるいは、自責の念に苦しみながら、辛い時を過ごしている。そんな二人が 一晩山奥で彷徨い、お互いを認め合い 助け合い、ふれあい、分かり合える。一人が思いを果たして背負ってたものをおろし、穏やかな、解放されたような表情を見せる。と、もう一人も、何か天から、許しの言葉が、注がれたのか、胸の痛みを号泣と一緒に拭い去れたような、見ていてほっとさせてくれる、そんな表情になれた。
08年の私は、その当時の普通の感覚で、感想を述べている。「亡き人をづっと思い続ける事は大変な事だ。」「他界の者も、生者がこの場で精一杯生きる事を望むだろう」。そして もう一度見たら違った感想を持つだろう、環境が違っていれば」と、書いている。
今 決して忘れないだろうし 忘れてはいけないと、思っている。多くの人が私達を励ます言葉として、同じように声をかけてくれている。精一杯生きていくつもりだが、ふと 何もして上げられなかった悔恨がこみ上がって来て、自分が何のために今 居るのか、と 悩むほどに、悲しく 寂しくもなる。でも 頑張って生きなくてはと 言い聞かす。
とても いい映画だった「もがりの森」。でもまだ見れない。一週間前 同じ 尾野真知子主演の 台湾との合作映画「トロッコ」を見た。これも 同じ感想。河瀬直美監督の話題が、先日の新聞に載っていた。奄美で 新しい映画の試写会を催す。彼女のおばあさんは 奄美の笠利の出身だそうだ。おととしの皆既日食のとき 河瀬監督も奄美に来て、地元民と、ボランティアのような活動をしていたことも なのかの記事で読んだ。奈良で一緒に暮らしてたおばあちゃんの事だろうか。NHKの朝ドラは時々見る。尾野真知子と河瀬直美監督の話題が 集中して聞こえてきた。そして 今日 「もがりの森」に関する記述を読み返したのは、たまたま無意識に 2008年1月15日の日付をクリックしたから。


テレビに促されてコーヒー事情を考える

BSテレビで コーヒーについて、特集していた。同じアラビカコーヒーの木から取れるコーヒーなのになぜ 産地によって味が違うのか。という話から始まり 生物学者の説明と 石光章商事の研究所の検査結果などを紹介。気候 土壌 海抜の高低などにより 違っているが 脂質と糖分の量に差があることなどが、紹介されてた。ほかに地形や日照などもその要因になってる。崖っぷちに成るコーヒーは、崖下からの強風から種子を守るため果肉が発達して、美味しいコーヒーになる と言った話は コーヒー業者の間などで話に出るが、番組ではどのような状態では どういう風になるといった詳しい話は要らない。焙煎についても 化学反応が起こると説明するが どのような反応かは 言ってない。ただ 実際に フライパンを使って焙煎してみせて、色と香の変化と 生豆と焙煎豆を比較してどれだけ膨張したかなどを、実験してみせたのは、時間もかかって大変だったろうに、よくやってくれたと思った。膨張が内部の炭酸ガスによっておきてる という説明を生物学者がしていたが、焼くと炭酸ガスが発生して、それがある程度抜けてからが美味しいというのが 私の認識だったので、本当なら初めて知ったわけで、最近、専門の本やレポートを読んでないことを反省。もう一つ 知識不足だったのは、ハワイのコーヒーと言えば コナとカウアイだったのに コナの東隣のカウ(kau)のコーヒーが注目されているということ。コナは一日のうち半分晴れ 半分曇りで、コーヒー栽培には適する気候。一方カウは 一日中曇り。高地だとしても、良質コーヒーが取れる条件ではない。シ実際飲んだことないからわからないけど。それより 気になったのは、生産地で品種改良を研究している日本人の 「ハワイは 高品質で高い値段で売れるコーヒーを造らないといけない」という意見。現実にそうしないと、アメリカでの経営は成り立たないだろう。アフリカでは良質でも ハワイと比べられないほどの少ないお金しか生産者に渡らない。生産者を守るためのフェァトレードが ヨーロッパで、広まってるが、巨大消費国のアメリカが参加してくれなければ、効果が薄い。生産地コナと消費地アメリカ本土は近い。アフリカからアメリカにわたる間に、生産者や 消費者から見れば 中間搾取では と思われるお金が 積みあがっている。この仕組みを何とかしないと。というのが私の訴えたい事。
番組では そんな事には触れていない。コナは確かに美味しい。とくに日本に入ってくるのは 最高等級のエクストラファンシー。べらぼうに高い。ブルーマウンテンにも値段は劣らない。たぶん 日用品としてコーヒーを飲むアメリカでは こんな高いコーヒー、ポピュラーじゃないんじゃないだろうか。日本人だけがありがたがって飲んでるのでは。そういうわけで 庶民向けコーヒーが中心の当店では扱っていません。

美味しく 楽しく コーヒールンバ


山元が、昨年4月のこのブログの記事を読み返してくれて、コメントをくれた。舞が、学校に行けず苦しんでる妹を励ましにやってきたことを書いたのだが、、舞の性格にも言及。小さい頃のエピソードや当時の出水での暮らしぶりなど、うら若き女性とは思えない、その強い性格と酒の絶えない豪放な生活をしていることなど書いてる。
しかし 自分で何でも解決できる力を持ち、他人への思いやりも人一倍である事など、全体としては褒めている。「この子が一年後天国に行ってしまうとは」という、山元の感想。こうして思い出してくれて ありがたい。
そのブログを書いた日の前日にも、舞が久しぶりに帰ってきたことが書いてある。一泊していたんだ。そこに「週初めまで体調を壊し、頭痛に苦しんでいたが」と書いてある。このとき既に病気の兆候はあったようだ。このときは、まさか これが 白血病の症状とは思いもしなかった。
「親に出来ない部分はしっかり物の姉に任せられる」と私達は、舞を頼りにしているた。2ヶ月前は 私が入院し舞に心配かけたし、週2回の休日は必ず 病院と家で、遅くまで手伝ってくれてた。そんなしっかり者の娘に苦労させてたと思うと、どうすればいいのかわからない、後悔とか無念さとか、ぶつかるものも見えない 苛立ちのような感情が起こってしまった。
翌5月には、私の誕生日にデコレーションケーキのイラストに「おめでとう」と添えてメールを送ってきてくれたことが書かれている。前日に電話で「最近 体調がよくなかったけど、今はもういいから」と言ってたことが記してあり、その日のメールに
「誕生日を迎えあられた事に感謝して これからも元気で居てね」と あって嬉しかったことも。
娘には、こんな嬉しくなる事を言わせて 私は娘に もう言うことが出来ない。
最近になって 悔しさと 悲しさが ぐっと強くなってた。お墓の前で、こみ上げてくる。夜歩きながら思い出す。自分がつまらない存在にしか思えない。
そんなときの山元の励ましのコメントだった。「今日と言う日を精一杯楽しもう」と。大事なお客様のSさんからもメールをいただいた。暖かい言葉を貰って、少し穏やかな感情に戻れて、この文が書けている。
みんな舞のことは忘れないでいてくれる。私の側に、いつでも誰か居てくれる。そう思えたら 大丈夫 頑張れる。




舞は オードリー・ヘップバーンが好きだった。入院中ヘップバーン主演の映画DVDを何本か 持っていて見せてた。もちろん病院だから こっそり。

みんなあの頃は可愛かったなぁ

昨日、浅田美代子の歌は出さなかった。しかしそれほど下手ではないと思った。ちょっと不安定なだけ。彼女と同じ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」への出演で 人気を博した風吹ジュン、岸本加代子も、同じように歌ってた、歌唱力は似たようなもんだ。女優としての人気に乗っかって 下手な歌も人気が出て当時はよく聞かされてた。確かに二人の歌 好きだった。
浅田美代子はほとんど映像で見る事がなかったのは 私が居た奄美で唯一放送してたNHKに出なかったから。オーディションを何回受けても通らなかったらしい。それでも 出したいNHKが考えたのが、日曜夜の人気番組「てんぷく笑劇場で、主人公が テレビのクイズ番組に出て その番組にゲストとして浅田美代子が出て歌う と言うもの。歌ってるけど女優として、という事だ。わらってしまいそうだが、それを見たときは 「これが浅田美代子か」と、雑誌では見れてた 人気タレントに注目したものだ。
昨日購入したほかのレコード、天地真理とアグネスチャンもすごい人気で 級友達に熱烈ファンがいたなぁ。卒業文集に 憧れの真理ちゃんの名を書いたり、アグネスチャン万歳と書いたのは、今 そのジャンルの学会で注目されてる大学教授。あの頃はかわいかった あの頃は。天地真理の主演映画は私も見に行った。その映画の中で相手役沢田研二が歌った「君をのせて」が気にいって、ずっと印象に残っている。
今夜はその歌でも聞いてもらおうかな。但し 一緒に乗ってるのは 奥さんの田中裕子、こんちくしょう の映像だが、なんと 田中裕子の綺麗な事 沢田研二がその魅力に虜になってしまうのもわかる。



「川元君のブログは 音楽が聴けるからいいね」「懐かしい歌が聞ける」「文はちょっと長いけど」こんな意見があった。貼り付けたyoutubeの音楽動画をみんな楽しんでるようだ。いつも苦労して書いてる文は 読んでないのかな。いいか 独り言なんだから。
「子供が古い歌教えて、と言うので 川元君のブログにある動画を見せてます」と言う人もあり。昨日そう聞いてたのを頭に浮かべながら、リサイクルショップに行くと、シングルレコードが数十枚おいてあった。その中から目に留まった 5枚を購入みな 70年代の懐かしい曲
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ほかに天地真理「水色の恋」アグネスチャン「ひなげしの花」もあるが 残念ながらジャケットがない。五輪真弓とウィーケンドはよく聞いていた。浅田美代子の歌は知ってるが あの頃、好んでは聞いてなかった。今になって
女優浅田美代子に好感がもてるようになり、あの下手で有名な歌も懐かしく聞ける。五輪真弓は「恋人よ」で歌う曲調が変わってしまった。それ以前のこの「少女」や「タバコの煙」「ミスタークラウディスカイ」などのほうが好きだ。大学に入って初めて行ったコンサートが五輪真弓だった。その時 弦楽5重奏をバックに歌ってたから あのときから フランス風を意識してたんじゃないだろうか。でも その後に出た「落日のテーマ」はすごく好きな歌だった。山本コータローとウィークエンドの代表曲はもちろん「岬めぐり」、その次に出たのがこの「はぐれ雲」曲調は同じ。詩の内容も恋を終わらせたあと、想い出を辿る旅。「はぐれ雲」はyoutubeでアップできず。岬めぐりを聞いてください。この岬はどこだろうと 遠い地方の静かな山間から 海岸に向かう 田舎バスを想像していたひとが多かったが、作詞の山上路夫が言ったのは 東京からすぐの三浦半島とのこと ちょっと興ざめ、と思ったひとも多かったようだ。
 

今期 一番の寒さ。姶良も気温4度で、一番の低温。師走の第2土曜日、巷では忘年会が花盛りといったところだろうか。忘年会のない私唯一の宴席に参加。会場は霧島市隼人、ホテル京セラ、やっぱり駐車場は満車。酒席だけど飲まない人だけでこんなに来ている。全体ではどれほどだろうか。このホテルだけでこれ おそらく今夜は 他の居酒屋なども大いに賑わっていたことだろう。
私の参加した会は、高校の恩師を囲む会。例年この時期にやってるから、忘年会もかねてると言っていいのかも。数学のこの先生に、実は私は受け持たれてない。おととし「熊本のKの代わりに出るよ」と参加したことで 私もメンバーにしてもらってる。今日は 大事な同窓生の集い と思って出させて貰った。ほとんどの人が舞のために駆けつけてくれた人達だ。
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メンバー内訳 教育界5人 医学薬学2人 法曹1人 行政の技官1人 自営業は私だけ。昨日82歳になった 元気な先生のお話から始まり、昔の思い出を語り さびしき事だが、他界した同窓生の話へ及ぶ。最後が病気の話とあっては、そろそろ老齢期かと、18歳から、現実の心配事に意識が戻され、また 元気で 集まれなすようにと、散会。
「さて 時間はまだ早い どこかで話の続きを」と思ったのは私だけで、皆 鹿児島へ 大口へ 加治木へと、奥様のお迎えなどで 帰っていった。「来年、夏にもやりましょう」 元気でまた集まれたらいいね、私の場合 そのとき鹿児島にいるかどうか 怪しいけど。

東京の下北沢には一度 行った事がある。コーヒー学校で店つくりの参考になると 教えられた、コーヒー店に行くためだった。駅を出ると、大勢の人たちが散策している様子が目にはいった。小さな通りだが、左右にたくさんの、多様な個性的な店が並んでいて、人々はそれらの店を眺めながら、時には店内に足を入れて、気に入ったものを探す事を楽しんでいる。その模様がずっと広範囲に続いていた。若者が多かった。私が向かったコーヒー店も客は皆 学生風の女性ばかりだった。かしこまってない若者が楽しく歩ける街だった。
その 下北沢の駅前に 大きな道路を作る計画がある。この たくさんの店を立ち退かせて 幅26メートルの道路に作り変えると言う。理由は緊急車両が入って来れないといってるが それにしても幅26メートルもの道路は要らない。さびれかけた商店街の建て直しでなく、繁盛してる店の密集を壊すのだ。当然街の人たちは反対し 行政訴訟に至っている。詳細は10月末に小熊英二が新聞に投稿しているのを読んで知った。
小田急が 地下化され駅舎も改築されるのに便乗して、周辺で道路を作ろうと 計画されたようだ。下北沢で楽しんだ事などない 役人が、地図だけ見て決めたんじゃなかろうか と 思ってしまうほど 無謀にしか思えない。。訴訟でも回答に窮して 劣勢なのに 行政は計画見直しに転じる様子はない。走り出したら止まらない、日本の大型公共工事の典型だ。と、新聞で 小熊英二が訴えていた。いまさら決定したものを変更するのはそんなに面倒なんだろうか。議会で、承認が必要だとしても、そんなに難儀な事だろうか 難儀でもやってもらわないと困るのだが、変更でなにが不利益になるのかが さっぱりわからない。立案者の評価を気にしてるとしたら、とっくに世間は悪評を下している。住民利益のために決断してくれたら、評価はぐんと 上がるのだが。
物を買うだけの目的なら、近くで済ませばいい。わざわざ、どこかの商店街に出かけるのは、そこで面白そうな店を見つけたら つぎは向かいの店へ と 自由に街路を行き来できる楽しみが魅力だからだ。大きな道路で分けられ車の通行で 往来が出来なくなれば その街の魅力は決定的に失われてしまう。

千住真理子さんが伝えた音楽の力

私の永遠のアイドル 千住真理子さんが テレビで話してた。バイオリンで天才少女と呼ばれてた彼女が20歳いのとき、海外の大きなコンクールの予選で落ちてしまい、それから バイオリンが弾けなくなってた事。
私が千住真理子を知ったのは 77年に日本音楽コンクールに14歳で決勝にすすんだことを伝えた FM雑誌の記事だった。その見出しは「おそるべき真理子さん」だった。「天から二物も三物も与えられた人として 才能と美貌を備えた、少女の写真があった。10歳で学生コンクールで2位 12歳でN響と競演 17歳でパガニーニで4位入賞 と 順調に何も恐れずに進んできたところで受けた屈辱が、音楽を捨てようとまで思わせた。
それが ある ホスピスに呼ばれて演奏したことで、本当の音楽に気づき、再び 演奏活動に戻れたが、そのスタイルはかなり違うものになってる。
ホスピスの入院患者が50人も彼女の演奏を聞きに来て、その命が残り少ない人たちの熱心なまなざしが愛情となってその場の空気を暖かくし それを感じたときに、それまで経験した事のない感動を覚えたという。そして 今まで自分がやってたのは バイオリンを弾いてただけで、音楽ではない。コンクールで入賞したのは 技術を競ってただけで、音楽の力は 人の心を動かすんだと悟った。今 東北の被災地で、幼児達に演奏で、音楽を与え、その力で心を豊かに 生きる楽しさをもてるように、と各地を回っている。コンサート活動ももちろんやってるが、子供へ音楽を教える活動は ずっと前からやってるのを、以前テレビで見た事がある。映像に出てきた子供達はみな 目を凝らすように 演奏する千住を注視して、身動きもしない。きっと 音楽の力を素直に受けていたんだろう。
彼女は今 49歳。穏やかな表情をしている。10代の頃も美しい少女だったが、いかにも天才風で鋭い雰囲気を持ってた。今も 美人なんだけど、普通の人、普通に年をとった人の表情をしている。もちろんバイオリンを持てば 天才に戻るが。「愛の夢」のやわらかい、美しい旋律と ぴったりマッチした人柄は やっぱり私のアイドルだ。
10代の演奏



昨日のブログに 山元が長文のコメントをくれた。拍手欄に。拍手をクリックすれば 上の方の拍手トップをクリックすれば読む事が出来る。
もともと人間は一つの生命体から誕生したが 欲を持った事から、分裂し 対立した。欲と感情があり 対立のは発生は避けられないが、互いに歩み寄らねば解決はない。と 主張。
相手のことにも 思いが及ぶか。自分の利益だけに執着すれば、なにも進展せず 次第に憎しみが増大する。
人類の歴史の原点にまで戻って考えれ とある。歴史上にある数々の紛争や 憎しみの要因となった出来事がまだ起こってない時 に戻って、やり直そうと。

国谷裕子が、イスラエルのペレス大統領にインタビューしていた。当然 パレスチナとの和平交渉の進展についてだ。大統領は「イスラエルは海に囲まれた島だ。周りの海が穏やかでないと、島も安定しない」と和平の必要を口にした。しかし 交渉停滞の原因となっている ガザ地区の入植地拡張や パレスチナへの攻撃については、「今やめることは出来ない 和平交渉には時間がかかる」と答えてる。内政の事情だろうか。ずっと和平交渉に関わってきた人だ、平和を願ってるはずだ。周囲の中東国が 政変で民主化に向かい、ヨーロッパで、イスラム国への嫌悪感が薄れてきている。パレスチナの国として 国連加盟申請に 賛成する国が多くなってる。イスラエルに対しての風当たりが強くなっている。それに 今もう一つ国内で、富の二極化に対しての不満が国民から噴出し国民には和平より経済という考えが大きくなっている。「経済でも、国を安定させるのに 和平が必要だ という考えを国民に訴えていくのが 強い力を持った政治家の役目では」というと、「政治家は、それほど強いものではない」と答えた。今日の新聞にベルギーの内閣樹立の記事があったが、スペイン、イタリア同様 経済市場によって政権が変わると言う、事態を 想定しているのかも。そうでなければ職務放棄か。
国民は和平を望んでいる。でも達成は ずっと後 と 諦めの様にいう国民が増え、和平は無理と言う意見もかなりに上っているようだ。和平に希望を持ち、そのために活動する若者達が紹介された、依然と比べはっきり 国民の関心は薄れているらしい、でも 活動を継続している、彼等には、希望が見えているようだし、私も彼等が希望に思える。

三浦一広君に教わる

飼い猫が、どこからか 軍手をくわえて帰ってくる。濡れた軍手が畳の上においてあったりする。何度も繰り返しやってしまう。それを私が躾のつもりで大きな声で叱り付けると、横から娘が「何か理由があるはずなんだから 怒らないで・」と言う。
三浦一広のことを書いた本「結いの島のふりむん」を読むと、同じようなことが書いてある。世間で厄介者のように言われる、いわゆる非行に走る子供達には そうなる理由があるということだ。よく 万引きをしてしまった子や、家庭で暴れる子達は、愛情に飢えてるという事を聞く。両親に自分の方を向いて欲しい、関心を向けて欲しくて、親が困るような事をやってしまうと聞く。彼等を更生させると言うのは、救ってあげる事なんだ。大人達がわかってあげる事。「どうせ大人はわかってくれない」と、希望を持てずにいる子たちに 社会的な役割を与え、それをやり遂げ 自信を持たせば、彼等は 目覚しい成長を遂げる。手記を投稿した元少年が「大人を信じられなかった」と言ってる、何をやっても悪いレッテルをつけてしか 見てくれない。「だからと言って悪い事をやっていいわけがない、甘ったれるな」と言いたくなる人もいるだろう。それほど追い詰められてる、とみるように出来れば、彼等を理解できるのではないか。
少年を死に導く 無責任なヤジを言った大人さえいたんだ。非行をなくすには大人が変わらないといけないのだろう。非行の多い社会は やっぱり 大人が悪いんだ。
「上からでは絶対駄目、同じ目線で、話さないと」とは、以前三浦が話してくれた。陸上大会の審判をしているとき、補助員の中学生に対して、怒鳴ってその後 そっぽを向かれ、三浦の言葉どおりに、私の方で 態度を改めたら、中学生達が、見事に変わって 生き生きと、役目を立派にこなしてくれたことがあった。その事は後に 感謝を込めて 三浦に話した。彼のやってる事は正しい。私は断言する。

最近 男子のマラソンは見てなかったが、今日の福岡国際は、終盤のデッドヒートに、目が離せず、久しぶりに興奮した。前半は 鹿児島出身の 瀬戸口 と入船を応援してたが、後半の日本人トップ争いでは 今井正人を応援していた、それが終盤苦しそうな表情をも見せながら全力を出して、日本人の先頭にたった川内を見たら いつの間にか彼も 応援するようになっていた。今井と川内のデッドヒートに釘付けになり、最後川内が抜けて ゴールに近づく頃には、2時間10分を切れるかどうか はらはらしながら。ぎりぎり10分を切って ゴールに倒れこみ、精根尽き果てた様子の彼を見て、すごい奴だと、感服した。久々にマラソンをわくわくしながら見れた。80年代の宋兄弟 伊藤国光 瀬古の争いから 谷口 中山 森下など 世界のトップクラスの選手が競ってた頃はどのレースも見るのが楽しみになってた。最近は専ら駅伝に熱中。たまに女子マラソンを見てるが、以前のように、2時間数十分ずっと見続ける事はない。
今日の主役 川内は、世界選手権に出るまでは全く知らなかった。東京マラソンで2時間8分台で3位になったのもたまたまじゃないかと思ってたけど、今日のレースを見て 強いと思った。その経歴も他のトップ選手とはかなり違う。春日部東高校 学習院大と 陸上ではほとんど名前を聞かない学校。春日部東には以前高松仁美という幅跳びの中学 高校で トップだった選手は居たが、それ以外は進学校としての標しか聞かない。学習院なんてスポーツのイメージなんてほとんどない。ただ 川内は 学連選抜で箱根を2度走っているから、その頃には活躍はしてた様だ。そして 今 公務員という事が、注目される 最大の要因のようだ。ただ 高校の事務職員と言う事なら 嘗て、ミュンヘンオリンピックに出た采谷義秋や、浜田安則といったトップ選手として活躍した教員がいた。コーチがいなくても 出来る という実績を作った選手がいたわけだ。もう何十年か前の事だから、実業団選手も今のようには恵まれてなかったのかもしれない。
彼の魅力は そんな 草の根的なこつこつ努力する姿や 試合で全力を出しきれる能力にある。普通の人たちから見れば、恵まれない環境で頑張る 我等がヒーローに見えて 応援したくなるタイプだろう。
彼は9月にもマラソンを走ってる、そして 2月の東京マラソンにも出ると言ってる。半年で3回マラソンを走るなんて、競技として長距離をやってるものには、とんでもない事だろう。彼は ほんとに走るのが好きなんだろう。好きな事なら何回でも、という 普通の凡人の考えも、痛快に思えた。

鬼の居ぬ間に

家の五月蝿い山の神が 旅行に行った。旅行といっても彼女達の宗教行事だから、全く 関係も感心もない、私には何にも言わない。娘が 2日ほど前に教えてくれた。それを知って、「よし!楽器をやろう」と先ず思った。普段はとても出来ない。音を極力抑えて 電子ピアノを弾くことには何も言わないが、レコードなどかけたなら、はっきりいやみを言われる。ギターなど「弾きたいな」と思って、取り出して 部屋に置いとくと しばらく後には戻されてる。そんなわけで 彼女の居ない間でないと、音が出せない。
早速 気分良く演奏した。 か、といえば全くだめ まず アルトサックスを吹いてみたが、 スムーズに音が出ない 運指は間違ってなく、メロディーは奏でられてるはずなのだが、音が途切れる。しばらくすると 息切れ。疲れた。一年くらい手にとってなかったかな。次にギター、こちらももうずいぶんやってない。左手の指先はすっかり柔らかくなって 玄をしっかり押さえる事が出来ない。コードはしっかり憶えている。動きも遅く、メロディーがスムーズに奏でられない。ギターはアンプ無しでやるから 五月蝿がられる事はない。でも やってるのを見ると「まだ 独身気分で居る」と、不満を向けられる。サックスなどは、きっと険しい顔で怒鳴りつけられるだろう。確かに五月蝿いと思う。猫が大きな音色に 怖がって逃げた。お腹に力が入るから、腹を引っ込めるのに効果あるかもと思いながらも 意気が上がって、続かない。近所のおばあちゃんおじいさんも五月蝿がってるかもしれないので、早々にやめたほうがよかったかも。明日までは出来る、以前のように楽しく思えたら、また やりたくなるだろう。海へ行くか 山へ行くか。「本気なら、やり方はどうにかして見つけるだろう」と、いまはプロになってる パーカッション奏者に 言われた事があるが、どうにかしてとまでは思わなくても自由に楽しくやれる機会が欲しいし 上手になりたい。山ノ神さま どんどん旅行に行ってください。喜んでお見送りします、

ローカル定期バスで旅をする番組で、旅人の若い俳優達が、バスで出会った 夫婦について、「必ず 前後の席にそれぞれ座って 同じ方向を見ている。同じ席には座らない」といって 出演の3人が、同じ感想を持っていた。そうなんだ 同じ方を見てるんだ。以前 北山修がラジオでそう言ってたのが、づっと頭に残っている。ある心理学者の意見だそうだ。ほんとの夫婦 恋人は 同じ方向を向いてる。「もし 駅のホームで 電車がやってくる方向を黙って見ている 男女がいたら それは 夫婦だ、もし 向かい合って話をしてる男女だったら 不倫関係か愛人だ」と言ったそうだ。そうだよな。そう思う。
それで 北山修が作った歌が「初恋の丘」高校生の時、聞いたと思う。その頃はかわいい、少女が憧れを歌ってると思ってきいてた。あの由紀さおりがかわいらしく歌ってる。「大事な初恋の思い出を いつまでも素敵なものとして心にとどめておけたらいいな。」まだ ほんとの恋を知らない少年は、その時そんな事を考えてたはず。

残念ながら 由紀さおりの 「初恋の丘」はyoutubeから削除されているので、誰かわからないけど、同じ曲をうたってるえいぞうをどうぞ


あなたと笑って あなたと歩いて あなたと祈って あなたと夢見た これだったんだけどなぁ。

N郎のOnce

よく 私のブログを訪れてくれてるミュージッシャンN郎さんのブログを、リンクに追加した。彼のブログで、「Once]という曲を歌ってる映像を見たから。イスラエルのガザ侵攻に対する、世界の無関心に訴えるために作った歌だそうだ。美しいピアノの音色と ハイハットのような高音のギターの伴奏で、力強く訴えている。
無差別テロも批判されるのは仕方ないけど、イスラエルの力ずくの破壊と強硬な攻撃的意志が、解決を困難にしている。パレスチナ側では、圧倒的軍事力になす術もなく「自爆テロで対抗するしかない。」と考えるのも仕様がない。現地に行ったジャーナリストが一様にイスラエルの弾圧と横暴を批難している。実際は無防備なパレスチナ人に一方敵に銃を向けるイスラエル兵の行為が目に余るというう。テロで攻撃されるイスラエルにとっても 憎しみは かなりのものだろう。その 解決には 世界が関わる必要があるんじゃないだろうか。
思ってるだけでなく 訴えなければいけない、言い続けなければいけないという 村上春樹のスピーチと同じだ。
この歌が 今は 東北の震災後の日本にも当てはまるものになってる。「どうして助けて上げられないんだ」と、訴えてている。