店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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3日前に、私は風邪を惹かないと書いたのに、今日は寒気と頭痛がする。たぶん風邪だろう。インフルエンザでは無いと思う。体温は37度。首にまで痛みがでている。ここ何日か寒かった。気温はそう低くないのだが寒気を感じていた。その寒いのを我慢していた。寝不足でもあるから体力が落ちているのは間違いない。眠気もピークかな。これ以上何も続けられそうにありません。 もう寝ます。


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2月も今週半ばまで、3月になるということは、確定申告の期日もあと半月。預金帳が、預金口座残高の計と合わず、相違を見つけて訂正するのに 相当な時間を費やしてしまった。昨日から7月の残が合わない。記帳漏れや 二重記帳が見つかって 訂正したが、7円違う。今朝午前中もずっと調べたが、取引の数字は全て合ってる。7月で7違ってた。どういうことかといえば、パソコンのエクセルに、預金通帳の残を書き出し、その月毎の残の合計を計算してたのだが、数字の上のセルに7月を示す7と入れた数字まで計算されてしまっていた。八月をみたら 8違っていた。こんな単純な違いに気づくのに なんと長い時間を費やしてしまった事か。どっと疲れた感じで後やる気が失せてしまった。何とか今日で預金帳は残高が一致して、完成できたが、まだ 売り掛け帳が残っている。最後に貸借対照表が ぴったり合うまで、まだまだ難儀な作業が続きそう。今年もぎりぎり3月14日か15日の提出になりそう。それまで 夜も やりたい事を我慢してでも頑張って やらないとと 思うが、、パソコンに向かうと つい インターネットを開いていろんなサイトを楽しんでしまう。今日も10時に、事務作業の続きをやろうと ここに座ったが、駅伝関係の動画を見てしまって、結局何にもやれてない やりたい事は我慢できない物なんだ。



あさま山荘事件から40年らしい。NHKでその時、中継された映像が、民放の分も含め、あらためて放送されていた。その時の報道についての検証をする目的の番組のようだ。
その日 高校は試験中だった。テレビの前で教科書を開いておきながら ずっとテレビばかり見ていた。札幌冬季オリンピックのすぐ後だった。それまで見たことの無い 生々しい映像だった。学生デモが機動隊と、やりあう映像や、東大安田講堂の攻防の模様は。後から 見せられていたが、実際その時起こっている、生々しい事件の映像を見るのは初めてで、今でも鮮明に覚えている。同窓生達も一緒だった。その時は あの学業優秀な学生達が 何故あの凄惨な事件を起こしてしまったのか、不思議に思う者も、いくらかは理解できるという者もいて、真剣に考えていた。革命の志は理解できても暴力は容認できない、まして人質を取る行為は卑劣だと思うのは、一致するところ、その後のかかわりかたは、人それぞれ。私にとって、その映像は既に過去の記憶にあるエピソードとしてしか残っていない。あらためて見てみると、少年だった当時よりもずっと衝撃的だと、思った。いまさらこれを深く考えようなんて 思ってなんかいないが、その後も 若い頭脳の暴走が度々起こる。マインドコントロールされているとか イニシエーションで、説明されて済まされていないか。昔も集団的カタルシスと言われたりしていた。
社会がそれで納得していたら、再発しないか?大人は 若者の不満を よく理解してあげないといけないのでは。
彼等の不満のエネルギーが、間違った手段で放出されないようにするのは 大人の責任。
番組では その時放送に関わった人たちの、その後の葛藤も伝えられた、目の前でおきてた異常な事態に自分はどう関わるべきだったか、肉体的な苦痛より、そちらの苦悩の方が堪えたようだ。

ちょっと重く書いてしまったかな、懐かしい歌でも聞いて 気を晴らそう。
やっぱり学生運動がテーマじゃ一緒かな

早春に駆ける

今年も始まりました 鹿児島県下一周駅伝。以前は 2月の第2週から始まっていたが、今は第4土曜がスタートのようだ。一番に応援するのはもちろん大島チーム。一日目は6位とまずまずのスタート。期待の与論の星 山田勇基が不調だったが、もう一人のエース川翔太が 見事区間賞 2位に55秒差をつけて。これは期待できる。実業団を辞めて沖永良部に戻っている武田も 一区5位と健在。春山 吉 川畑と 若い選手が区間上位で、健闘。
2日目には あのやんちゃな赤ん坊だった 國山毅が出走、頑張ってくれるだろう。備博典の監督采配も楽しみ。
この時期は毎年 この駅伝に夢中。1時間ごとに パソコンで 南日本新聞にアクセスして 順位確認。以前はテレホンサービスへ何度も電話していた。最終日、29日水曜までこのわくわくが続く。
私の沿道応援は いつものように最終日 第9中継所 加治木性応寺前で。 エースが集う10区に山田勇基走らないかな、その時は区間賞を取れる快走をしてくれるだろう。
昨年は高校日本一になった鹿児島実業の選手や 今大学で活躍している 全国トップレベルの選手の出走で注目されたが、今年は異色の選手達に注目。それとベテランンにも。
1日目 川辺が21年ぶりの日間優勝。21年前のヒーロー春松千秋監督の嬉しそうな顔が テレビで見れた。

001-016_Smiura.jpg 喜界島期待の三浦から春山へ001-025_Sekidenn.jpg山内主将から吉へ


インフルエンザ流行。我家は無縁

友人Kに電話をしたら いつもと声が違う。今日は仕事は休みのはず、寝てかな。
「今日は 休み 寝てた。インフルエンザ。昨日も仕事休んだ」「熱がある 頭が重い、お前も気い つけろ」
話を聞くと 幼稚園児の孫がインフルエンザに罹り 彼が病院へ抱っこして連れて行ったそうで その時罹ったようだ。孫からだから、悔やんではいないはず。同居している弟さんにもいずれうつるんじゃないか。そちらが心配だ。東京の山元も、先日 水泳の後「体が熱い 熱が出てきた」と言っていた。その前から 「どうも風邪気味」と言ってたから、インフルエンザを疑っていた。その後、重い症状にはならず 既に回復しているようだ。予防接種は毎年受けているそうで、大丈夫だったかな。ただ 彼 今は花粉症の症状が出てきて、苦労している。
我が家は 誰もインフルエンザに罹らない。昨年 舞が入院前にかかってしまい、治療が遅れる結果になってしまった。しかし 他の家族は誰もかからない 予防接種は受けてない。下の娘が 高校1年のときかかって以来誰もかからない。私のことを思い返してみて、もう10年以上罹ったことは無い。いつも仕事は一人だし、電車やバスにも乗らないし。大勢の人と接触する事が余り無いのだ。電話でいくら喋ってもうつりはしないし。
「腰とか痛くないですか」と最近聞かれたことがあるが、こっちも 以前毎年のように出てた 坐骨神経症がすっかり消えてしまったようだ。6年前脹脛の肉離れで、1年近く治療に通っていたが、その時受けた 電気治療が坐骨神経にもよかったのか それ以来 坐骨神経はどうも無い。その前 喫茶をしてた頃の ぎっくり腰も出ない。
頗る 健康で 快調 かと言うと、決してそんなわけない。
体重の増加に悩む、腹の出っ張りが不愉快、この年だ、血圧が気になる。薬を飲めばいいのに 飲みたくないと拒否する頑固で。そして 毎晩 このブログに夜中の時間をかけるため、慢性的寝不足。
インフルエンザウィルスは行っても得は無いと判断して、やってこないが、決して健康ではないと言う認識は しっかり持ってないと。

今週の「ブラタモリ}も面白かった。先週から引き続き、江戸の運河の名残を探していくのだが、隅田川から引き込まれた運河の後を探して やはり堤防を探して歩く。古地図を見ながら、予測を立て、進むと ちゃんとそこに古い堤防の一部が残っているのが見つかる。今はその上に新たなコンクリートを流した塀が作られているが、しっかり土台部分は、砂利の密度の濃い、昔の造作だとわかる。江戸時代、佐賀町という場所が 流通の要所だったと記録されているが 今の佐賀町を訪ねると そこは 隅田川に面した場所。運河の入り口に当たる。昭和の30年代までは倉庫群が存在してた様だ。その川向が日本橋、その奥に江戸城があったわけで、江戸の物流の様子が明らかになった。その運河の上に高速道路がある。古地図に現在地図を重ねると運河と高速道がぴったり一致する。なんと首都高は運河にそって進んでいる、運河がカーブすれば 首都高もカーブになってる。江戸で、運河を船が荷を運んでいたのが 今 トラックが上空の高速道路を走っているわけだ。運河を辿って、行き着いた場所は、今でも流通の元となる場所。国内トップの運送会社の多くがそこに 最大の物流センターを構えている。郵便局も 最大の「新東京郵便局」があり、番組ではその中を案内している。巨大さ、荷物の多さ、最新の仕分け設備、見るものビックリするばかり。最後に タモリがコメント。
「今でも 徳川の 遺産を食ってやっていると言うことだ。江戸で作られた 物流の仕組みを我々は使っているんだ」
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佐賀1丁目と福住1丁目の間の運河。
右が佐賀、左が福住。
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昨日ネットで コーヒーを注文してきたお客さんが「インドのコーヒーが楽しみです」と、言っていた。インドモンスーン・マラバールは美味しい。トラジャやガヨに匹敵する美味しいコーヒーだ、一口目に不思議な風味を感じる。それを「くせがある」と、敬遠する人も確かにいるようだ。二口目を飲んでみれば その美味しさに納得するのだが。他にインドのコーヒーが一般に普及しない要因が 名前だ。インドのコーヒー ケニアのコーヒーは高い品質が認められ、ヨーロッパではよく知られているのだが、日本ではこれらの国が 美味しいコーヒーの生産国という感覚がもてない。インドネシアもそうなんだが、スマトラ スラウェシ という島の名が マンデリン トラジャの産地と言うことは」よく知られるようになった。もしかしたら スラウェシなどはインドネシアと、思ってない人もいるかもしれない。他にエクアドル ベネゼーラなども名前で損しているかもしれない。クリスタルマウンテンは有名だが、キューバコーヒーというと興味を示さなかったり。逆に同じカリブでも ジャマイカはその地名でコーヒーを買ってもらえる。
その名前からの印象でコーヒーを択ぶ人が多いとすれば、ブレンドなどは客に好印象を持ってもらえるネーミングにしなければならない。普通のブレンド名ありふれたブレンド名でも コーヒーはその店独自の風味を持つもので、どの店のマイルドブレンド で、伝わる事は伝わるが、新しお客さんにアピールするには工夫が必要。
大阪にある 元井コーヒー に 行ったとき 元井さんが話してくれたのは「ソフトブレンドと、マイルドブレンドが売れてたので、ソフトマイルドと言う名にしたらもっと売れた。スペシャルソフトマイルドだとさらに売れた」お客には スペシャルという響きがそのとおり特別なものとして、より美味しいだろうと感じられて、購買意欲が増すのだろう。やはり大阪で、ブレンドにブルーマウンテンの略のブルマンという名を付け足して売ってる店があった。その店の名が「ブルマン」というのだ、モカブレンドに ブルマンモカブレンド。他 ブルマンコロンビアブレンドとか、ブルーマウンテンは入ってないのに、ブルマンとあるとブルーマウンテンを使っていると錯覚してしまう。こういうネーミングは問題だが 大手のコーヒー屋の「森の香りブレンド」などはさわやかなものを連想出来て よく考えたと思う。
私のスペシャルブレンドは、ほんとに一時的な特別に作るもの。たとえば 飲食店からの要望で その店だけのブレンドを作るとき、決定するまではスペシャルの名前、決定したら、その店の名を頭にした○○ブレンドと、名前も変える。

さっきから 何か話題はなかったか、考えている。パソコンに向かってもうかなりの時間がたってしまった。朝からのことを思い出しているが、特にこれを取り上げようと思うものが無い。結構忙しい日ではあった。いつもより遅めの起床だったが、朝食を後回しにして 仕事に取り掛かった。出荷の準備。県内への即日便を急がなければならなかった。午後からの鹿児島配達分の準備に手間取ってしまった。これらを 昼過ぎまでに済ませたが、午後1時に 散髪を予約していた。これが いつもとは違う。このために気持ちに焦りがあったと思う。「忙しい日に何で予約したの」そう問われるだろう。以前 散髪は苦手と書いたように 今回も2ヶ月 床屋へ行かなかった。その間床屋からは、5回以上のコーヒー注文を受けているんだけど。あまりのボサボサ頭がさすがに我慢できなくなった。1時間10分で、散髪終了。予想より早く終わって、少し余裕が。この余裕があとあといけなかった。まだまだやる事は沢山あるのに。配達以外で気になるのが友人Kの引越し。配達が終わったら、行って 荷物をいくらかでも運ぶと、約束している。4時電話したら「今日全部運んで 終わったよ」あれ!しまった。私の引越しの時には仕事を休んで兄弟で手伝ってくれたのに、私は手伝って上げられなかった。諦め 姉の勤める病院へ、配達後 袋を買いに寄った店が 病院の近くだったので、帰り 車に乗せて送ってあげようかと。そろそろ終業時間だし。駐車場から電話したが返答なし。たぶん 仕事が残ってしまってまだ帰れないんだろう。今度はさっきのK兄弟を慰労しようと 弁当を購入して向かった。疲れたと二人 寝転がってテレビを見てた。しばらく談笑。帰りはすっかり暗くなっていた。帰ってもまだやる事が残っている。仕事だからいいことなんだが、なんか 上手くいってない感じに、気分が晴れぬ。そんな感じで まだ ぼんやり過ごしている故、何が書けるかと、考えても思いつかない。集中も出来てない。
小学生のとき 先生が 私の日記を 教室でみんなの前で読み上げた。「今日は誰と どこへいって何をして それから どこへ行って 何をしました」「やったことばかり書いて ちっとも面白くない」悪文の見本として、私の日記を取り上げたのだった。あらかた 今日の文章もあの時と同じように、悪文の類になるんだろう。なんか集中できず だらだら 書いている。

今日 唯一心を和ませたのがビデオで聞いたこの曲




支えを遺して逝った

今月14日、長崎市内のトンネル内での交通事故で死亡した、保育士見習いの女性の事が、新聞社会面に出ていた。バレンタインの日。車内には学童保育の子供達に渡すためにチョコレートを自分の弁当箱と一緒においてあった。事故で弁当箱は壊れたが。チョコは無事で、翌日通夜の席で、保育園に手渡されたという内容。そして 子供達から寄せられた感謝の手紙が紹介されている。保育士になる夢を追いかけ、その夢の実現は、すぐそこまで来ていながらの、事故だった。23歳無念の死だったことだろう。彼女の携帯電話に、その死を、受け入れられない、信じたくない友達達が、今までと同じようにメールを送ってくる。それを見て 両親は 沢山の友達に囲まれていたことを悲しみは消えないが、喜んだ。
私と同じだ。舞の携帯電話もそのままにしてあり、友達からのメールが入ってくる。葬儀の直後から 一週間は親友たちが次々 ことばをかけてくれた、四十九日、舞に代わって私が送ったメールに たくさんのひとが 応え、返事をくれた。今でも 舞と話したくなったと 送信してくる。クリスマス お正月 誕生日 例年してたようにおめでとうと、言ってくれている。長崎の女性の両親と同じように 私もこの友人達の存在が、救いになった。「どうして舞がこんな目に」と言う思いはとっても強い。でも 舞の携帯に保存されているたくさんのアドレスとナンバーを見て、受信メールをみて 「この沢山の人たちと過ごせた時間はきっと 幸せだったんだろう」そう思えたら、世を恨む気持ちが消滅した。7ヶ月経った今でも 思い出すと悔しい。今になったからかもしれない。7ヶ月会ってない娘とは 思いでの中以外では、これからも会うことはないのだ。去っていった舞に取り残されたような気になっている。舞の友人達も同じらしい。舞がこの世をさったことは、彼女達 彼等にも 辛いことだったと わかった。同じ思いを共有してる 沢山の人の存在を知って、どれだけ楽になったか。舞がひき合わせてくれた この人達に感謝、そして 舞同様に親しくしていきたい。長崎のご両親も同じだと思う。遠い地の見知らぬ人たちだが、分かり合える 大事な人とになったのかも。

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昨夜は久しぶりに、夜の天文館で楽しんできた。十ヶ月ぶりだ。島から 同窓生Bがやってきた。かれ 本当はMTなのだが、1970年中学生の時に、国際的な問題として、報道されていたアフリカのある地の名前が彼のあだ名になった。からかわれて付けられたと、思うのだが、本人それに怒ることもなく、愛嬌ある雰囲気にその名が、印象付けられるに至って、40年間その名で 呼ばれ続けている。彼Bが 同席したやはり同窓生ichirouに 紹介したい女性がいると 語り始めた。そのichirou君、同窓生の多くが、嫁さんを見つけて上げたい と、思っている。「この間も名瀬のUに、同じことを言われたばかり」だそうだ。、同窓生だけでなく、先輩も、後輩も、嫁さん見つかって欲しいと願い、探してくれてもいる。そのみんなに好かれ、信頼もされ、幸福を祈ってもらっている彼ichirou君を紹介しよう。
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当然独身 結婚暦なし。造園士。性格 真面目、頗る紳士。いつでも柔和な顔。収入もそこそこ、貯金もたんまりかどうかはわからないけど、 決してBのような遊び人ではない。Bのよう は余計か。学生時代は結構もてていた。スポーツ万能。サッカー部に所属しながら 駅伝に借り出され。中学では野球で県大会ベスト4。小学生の頃は人気者、早熟な女子に告白されていた。父親は地元の名士。こんな彼 言うこと無いはずなんだが。
優しすぎか。人を傷つけたくなくて、相手を困惑させてしまうかもしれない言動を取らない。つまり 自分の意志を強行に訴える事もしない。昨日も お母さん 代わりを、買って出たN女史が、好きなタイプとか、望む結婚とかしつこい位に訪ねるが、はっきり言わない。将来ともに歩む伴侶の必要を多弁に説くが、にこやかに聞いているだけ。男色の癖は全く無いのだが、生真面目さと、律儀さと、生活面できっちりしてまめなところがは 女性顔負けかもしれない。彼の部屋へ行くと、独身男性の 決まりの乱雑さは見えない。本人も 出来たら結婚したい と言う意志は 確かにあった。周囲は できればじゃなく ぜひともichirouに嫁さんを と思っている。皆さん如何ですか。その意志がある女性、彼女ならいいかも とひらめいた方是非 ご連絡ください。

私が 「本当の夫婦なら いつも同じ方向を向いている。向き合っているのは愛人だ」という北山修の受け売りを披露したところ、N女史が 「こういう店で 女性が支払いをしたら夫婦、男が払ったら愛人」という自説を披露。すると Bが「うん 当たっているかも。自分は絶対払わない、いつもあれに払わせる」私のとこは違う 私が払う ふつうとは違うなぁ やっぱり と思ったら、これを読んだ知り合いから、人のことに気をもんでないで、自分の家庭のことに真剣になりなさい と いわれそうな気になってきた。

26回目の誕生日

2月18日。舞の26回目の誕生日です。先月も来てくれた、はるかさんと まなみさんはご夫婦で、来てくれました。お花を供えてくれました。フルーツは位牌の前に供えました。甘い汁があふれるおいしさのポンカンも一緒に備えました。今回はその後予定があるという事で、それほど長い時間は居られなかったけど、舞のことは十分に語り合う事が出来ました。報告がありました。はるかさんが入籍したと。舞に「ずっと旦那さんと一緒にいなさい」と、最後に言われたそうで、その約束を今まさに実行している事を 舞に報告。
誕生日を忘れずにいてくれて、来てくれた二組。どう 嬉しいでしょ。何より喜んでいるでしょう と舞に話しかけたら、無口ながら 満面の笑顔が返ってきた。

ジャズ三昧

昨日載せた一青幼の「江戸ポルカ」の動画を、コンサートのものが無いか、かなりの時間探していた。その時にたまたまジョウジ・アダムス ドン・プーレンバンドのsong from the old countrynoを演奏する動画を見つけた。いつかのマウントフジジャズフェステバルの興奮うお思い出した。亡くなったドラムのリッチモンド以外は同じメンバー。ドン・プーレンの手をこぶしのように丸くして ひねりながら鍵盤をたたく技法もやはり やっていた。ジョージ・アダムスの体を左右にゆすり お知りを振ってのブロウも一緒。観客の興奮も私の興奮も同じで、聞き入った。それでは もう一人のテナーを聞いてみたい、スタンレー・タレンタインだ。その「美しき愛のかけら」のテーマ「ピース オブ ドリームス」が聞きたい。一つあった。ストリングスの伴奏で、あの 美しく軽快なリズムのテナーが奏でる音楽が聞けた。
今日もまた聞きたくて、昨日聞いた2曲をまた開き、鑑賞。次に見つけたのが、ジャズ動画no jazz no life というブログ。そこから ジョン・コルトレーンの「オン グリーン ドルフィン ストリート」の演奏動画を開くと、そこに写っているのは、コルトレーン以外にも ウイントンケリー ポール・チェンバース ジミーコブ 彼等の動く姿は初めてみた。確かにレコードジャケットの写真と同じ顔だ。ポール チェンバースのまん丸の顔もそのまんまなのだが、口髭がついてる。髭の顔は見たことなかった。そういえばウイントンケリーも髭があった。今まで見た写真はヒゲはなかったと思うのだが。ともかく 初めて見たジャズの巨人たちの動画に感激。まだまだありそう。最近まで存命だったアートブレーキーやスタンゲッツはテレビで見てたし、セロニアスモンク、サッチモは映画で見ている。チャーリーパーカーやソニーロリンズもあるようだ。若くして死んでしまったクリフォード・ブラウンや バド・パウエルなんかも見たいな。バド・パウエルといえば・、
明日は デクスタ・。ゴードンが パウエルの生涯を演じた映画「ラウンドミッドナイト」が あるようだ。過去2回見ているけど また見よう。今夜はまさしくジャズナイト。

スタンレー・タレンタイン「ピース オブ ドリームス」



江戸は運河の町

「ブラタモリ」を見ていた。小名木川を船で散策していた。画面にこの川の名が表示されたから その名が判ったが、初めて聞いた名前だ。江戸時代の運河らしい。画面がデジタル処理され、川の両岸のビル群が、小さな古い建物に変わり、広々とした空き地が出来る。江戸の頃の川の様子が再現された。川には荷を運ぶ 多数の船が行き交っている。現在は運河の役目はほとんど終わっているが、大きな製粉工場が、東京港に入った小麦を 船で運んでいるらしい。一艘の船でトラック50台分運べるからだという。家康が作らせた運河だから420年前に出来たのか 命を受けたのが小名木と言う人だった。
運河としての役目を終えた川で、埋め立てられた川があり、 タモリはその痕跡を探していると、護岸の堤防跡を発見。それを見て そこに流れてた川を想像し、昔を偲ぶ。その想像がまた さっきと同じように 処理され、家々が消え、川が現れ、広い田園地帯となり、船人が行き交う。今度はさらに、戦前の様子だと思うが、川遊びをする子供達がいて、そこが埋め立てられ、埋め立て工事の作業に人々が汗流している。埋め立てが完成し、細い路地が現れ、家々が出来て、また最初の 現在の姿に戻る。
昔運河であった痕跡の堤防の一部を見ていて、はるか昔の人々の暮らしを思い浮かべる事が出来る。私が霧島の嘉例川駅のホームから線路の先を見つめて思うものと 同じだと思った。わたしは100年前を意識したが、タモリは400年前を見つめていた。
後の運河の、川遊びや 埋め立て工事の様子に想像が行ったのは、そこで暮らす二人の人が、埋め立てられる前の川の思い出を語ってくれたからだ。終戦後 焼け落ちた瓦礫を 運河に埋めたそうだ。古い写真が紹介された。その家がある 場所の嘗ての様子、川があり 竹ざおを積んだ船が停泊して、それを陸に運んでいる人がいる。川はずっと遠くまで延びていて、何より違うのは 両岸の家は皆 小さな平屋。ビルなんか コンクリート造りのたれ物なんか全く無い。
こうして歴史を辿って、遠い昔の人達 それは 自分の先祖かもしれない、その暮らしぶりに、思いを馳せてみるのも ロマンだな

まさか江戸時代、こんな歌は歌われなかっただろうが。江戸ポルカ
『---』一青窈『江戸ポルカ』 -PV- 投稿者 utadalove



アメリカンロック3曲

今宵の一枚 昨日は 「ウィズアウトユー」バッドフィンガーの歌を紹介している。ニルソンの歌で知られているが、オリジナルはバッドフィンガーでメンバーの二人が作った歌だと 紹介している。他にも沢山お人が歌っている。日本でもよく歌われている。沢山の日本人シンガーが歌っているけど、もう20年位前に聞いた 沖縄の歌姫喜屋武マリーの歌を先ず思い出す。
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ポップスかロックかと言えば 私はロックだと思う。イギリス人の二人が作った曲だけど アメリカンロックだと思う。マライアキャリーはロック歌手とはいえないけど、見事に広いオクターブを生かして歌っている。


他に 日本でよく知られ 日本人がカバーしているアメリカンロックといえば、ジャニスジョプリンの「ローズ」と ザ・バンドの「ウェイト」アメリカ人もよく歌っているけど。日本人のコンサートでも よく聞く。ロックをやろうとする者のバイエルみたいなものなのかもしれない。
「ローズ」は映画でジャニスを演じたベッド・ミドラーの歌が 世界的には知れれている。静けさの中から次第に力強さを見せていく。ジャニスの歌い方もいつもの荒々しく激しい歌とからは一転 綺麗に祈るように歌っている。
ジャニスと言えば 和製ジョプリンSHOW-YAの寺田恵子。(ほんとは和製ジョプリンの名は金子マリに付けられているけど)彼女の「ローズ」を聞いて、すごいシンガーだと確信した。

「ウェイト」もロックバンド ブルースバンドが 好んで演奏している。77年の大阪天王寺野音の春一コンサートで聞いた石田長生のGASの演奏が印象に残っている。

今日初めて この3曲の訳詞をじっくり読んでみた。白状するが この大好きな曲。何を歌っているか知らなかったのだ。「ウェイト」は軽口のようだが 「自由になりなさい」というリフレインが、60年代のアメリカで支持された。「ウィズアウトユー」で叫ぶ 大切な人を失った嘆きは、コーラスになって激しく訴えてくる。
「ローズ」の「傷つく事を恐れ踊ろうとせず 夢は醒める事を恐れてチャンスさえつかめない」私の弱点をずっしっと指摘されたように思えた。バンド演奏がかっこいいということで 聞いていたが、その歌詞の深い意味がアメリカンには重要だったんだ。
そういえばジブリ映画「思い出ぼろぼろ」で最後に「ローズ」の曲が流れていた。歌っていたのが都はるみだったとは驚き。

鹿児島市で配達の後、天文館へ。安いコインパークに駐車して、繁華街の方へ。デパートの山形屋玄関の案内板で、加賀100万石展と書いてあるのを見て、6階の展示場へ。大勢の人で賑わっている中、九谷焼や輪島塗、ケヤキの木工品、加賀友禅などを見て回り50分程で、車に戻った。夕方6時半を過ぎて薄暗い中、駐車場の2代目の車のヘッドライトが点灯している。近づくうちに それが自分の車だと確認できた。ライトを点けたままドアを開くとブザーが鳴るんだが、最近それが鳴らないときがある。さっきは駐車した後、後ろを通って行ったので ライトに気づかなかった。慌ててライトを消し、出庫しようと パーキングの精算機にコインを入れようとしたが、試しにと、車にキーを差込 回して エンジンを動かそうとしたが、掛からない。「グッ」と鳴っただけ。よくエンジンを切って カーラジオを聞いてたりしてるので、大丈夫だろうと思ってたら、駄目でした。バッテリーが上がってしまった。困った、もう夜になる。ここは鹿児島 いいつもの 加治木の整備士に来て貰う訳にはいかない。駐車しいる場所は少しだが傾斜になっている、ここを使って駆けられないだろうか、と思ったが 車はオートマ。誰かの車でチャージしてもらえたらいのだが。コードは積んである。
まず さっき 寄ったKへ電話したが出ない。次ちょっと遠くに住んでるga同窓生Hへ、もうビール飲んでる。近くに職場があるKKへ 「今日は出張から帰ってきたところで、空港からそのまま家に帰った。住まいは遠い。
先ほどのKの弟のタクシーにお願いしようと タクシー会社に電話。連絡を取ってもらった。ボンネットを開け、ブースターケーブルを取り出し車のまえに置いて、タクシーを待っていると、出庫にやってきた男性が「バッテリー切れですか」と声をかけてきた。自分が駐車したときこの車のライトがついてるのを目撃したのだろう。その人が「繋ぎましょうか」と言ってくれた。神に出会えたようなありがたいお言葉。「いいんですか お急ぎじゃないんですか」と言いながら 既にケーブルを持ってバッテリーにつないで準備を始めた。無事にエンジンがかかった。そこへ さっき出なかったKから電話。丁度よい 弟さんに連絡してもらって「もう来なくていい」と言ってもらおうと思ったが、「弟はいつも天文館で待機しているからすぐ来るよ」ということ。
ありがたき神様の男性は 電話しているうちに 自分の車のボンネットを閉め 運転席に座っている。慌てて運転席側に行き 深々頭を下げ お礼を言った。しばらくして タクシーが来た、手を上げて彼に合図を送って、すまないのでさっき買った弁当を彼にあげようと、車のドアを開け弁当を取っていると、私に気づいてなかったようでタクシーは通り過ぎてしまった。Kに再び電話して 連絡してもらったが、「弟は帰らせたからいいよ」 夕方客が多い時間に 迷惑かけてしまった。電話をしてしまった3人も 申し訳ない。
助けてくださった 方には感謝 どこの人か全く知らないけど。車のナンバーは5が3っつあったのだけは確認している。私の不注意で、みんなに手を煩わせてしまった、御免!これからは気をつけます。

相変わらず娘は買い物にいきたがる。チラシを見て「わっ すごい安い」「絶対行こう!」全く主婦気取り。それもおばさん風に。まだ 家に残ってるものでも、必要ないんじゃないかというようなものも、安い と知ったら行きたがる。そのお店に行って買い物をする。商品を見て回る。それが目的だから。
今日も 配達に出ようとすると 娘が付いて来る。「すぐそこまでだ」と言っても 「重富のNまで行って」とせがむ。「ばら肉が69円」「まだ あるだろう」「こんなに安い事 そうは無いよ」丁度昼時間だし 配達はすぐ終わるし、行ったら何か買うものがあるかもしれないので、結局連れて行った。肉だけ買うのに 籠をとる 「必要ないだろ」といっても、スーパーでの買い物はこのスタイルと。
コーンフレークが安かったので わたしが購入。あとは肉とカレールーと、ミニトマト。籠に入れたのはそれだけ。まだ レジには行かない。籠を腕に提げたスタイルで 商品棚の間を回る。商品を熱心に見て回る。まぁこれが楽しみなんだ。
様子を見ながら、これが普通なんだ、いい事なんだ、成長できてるんだ、と 考える事にした。家を出てから、2時間後帰宅。800円の買い物に費やした時間は長かった。
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以前ここで紹介した琉神マブイー を考案した後輩のHこと畠中が、「沖縄ヒーローの生みの親」として TBSテレビの「夢の扉」に出ていた。顔は、確かに彼だ、でも 雰囲気が違う。以前のようなチャランポランな様子は全く無い。そこにいるのは 沖縄の為に、そこの文化を伝えるために、尽力している、実業家の姿だった。
彼が沖縄の文化や言葉を、ずっと残すため 子供達に教えて行かなければと思ったのは、仕事で疲れ果てていた彼に、沖縄の風習で癒してくれた おばぁの言葉だったそうだ。落とした魂が体に戻るように と、「マブイー もどれー」とおまじないのように唱えてもらい、ありがたかったことで、こんなすばらしい言葉を子供に教える方法として ヒーロー物のテレビ番組を作り 台詞を沖縄口にしたのだ。
番組では、ヒーローショーをやってる俳優達の練習を見守る、畠中。彼等も子供にどう演じれば伝わるか真剣に考える。ショーで子供達の様子を見て、その反応に、満足げに微笑む畠中。その親達から感謝の声を聞いて、照れくさそうにする畠中。なんと最後は ハワイの放送局に行きそこで、意見をだす畠中。 ハワイでも 独自の文化が若年者に伝わらず、忘れられて行くのを、なんとかしたいと考えた人たちが 沖縄での琉神マブイー の成功を聞きつけ、あちらでも放送することになっ<たそうだ。ついに世界進出か。
見事に、沖縄でリーダー的存在になっている彼は、以前一緒にブルーフィルムを見ていた彼とは、もう異なるマブイーを持っている。お兄さんの死後 苦労もしたのだろう。
翻って私はというと。恥ずかしさしかでてこない。

彼もジャズを聞いてた
奄美であった、菅野邦彦のライブを聞いたんじゃないか




がんばれ気仙沼

東北の震災で被害を受けた工場など 中小企業に対して、国は請求があれば再開の為に補助金を出す事が決定しているが、これは 実際に工事がお行われ、営業を再開できてから 資金が受け取れる。それまでの工場建設や設備投資 運転資金は 民間金融機関かから借りなければならない。ところが頼みの銀行は、再開して営業が問題なく、回ってなければ融資しない。結局資金不足で事業の再開が出来ない。そういうニュースを 聞いていたのだが、今日テレビで見た 気仙沼信用金庫の対応は、とにかく 必要な資金を出して、顧客が再出発できるように手伝おうという もので、顧客にとっては、ほんとに頼りになる存在だと、思った。ただ 私が見たのは30分だけ。その間だけでも、資金を必要としている顧客も 信金も必死で取り組んでる様子が伺えた。どちらも大変だと思う。
国が過去に行った、緊急の企業救済策は、仕組みが甘くて、不正が横行した、過去の住専の問題も官業の甘さゆえだったから、今回は、きちんと仕組みを作ったのだろうが、なんとも利用しにくいものになっている。申請した補助金は決定したのに、資金は手元に届かないのだ。銀行はリスクを取らないから、確実に回収できる優良企業でないと、そう簡単には融資しない。
信用金庫もあぶないリスクはとれないけど、公的な補償協会の補償を取り付けるなどして、何とか 顧客の要望にこたえようとしていた。うまく解決できればひと安心、それまでは、どちらも気が気でない。眠れぬ日もあったんじゃないかと、心配した。
「被災した人たちは、また頑張ろうと、強い意志を持っている。その意志が萎えないように、手伝わなければならない」と 信金の理事が話していた。
被災企業が、事業再開できれば、また 以前の元気な 町に戻れる。そうでなければ、寂れていくばかり。活気あるもとの気仙沼を 取り戻すために 皆必死になっているんだ。
テレビで 信金の内部の様子、融資決定の段取りとか、融資を受ける企業の詳細や具体的な金額が、放送されていた。本来公にはしない情報のように思っていたものが、放送された。ただ 担当者の顔は出ても、企業の名称や、個人名は出していない。個人事業者もでない。社会的存在である会社だから公に出来たんだろう。
信金を200日かけて取材したドキュメンタリー。スリリングな場面、必死な登場者。しばらく記憶に残りそうだ。

先日水俣からいらっしゃった 「風季の陶」のご主人は京都の出身だそうだ。
懐かしい京都の話も少しばかり出来た。京都はいい街です。好きな所です。大阪にいた学生時代、何度も行きました。ただ 行ったのはほとんど、京阪電車で、四条と三条へ。円山音楽堂と京都会館へコンサートを見に行ってた。大学の4時間目 5時間目をサボって。大阪でも サンケイホールや 中ノ島の公会堂、厚生年金ホール それに天王寺の野音などで、沢山のコンサートを見たが、同じくらい京都でも見ている。いちばん印象に残っているのは 何回かここで話た あこがれの先輩と行った 円山音楽堂の黄昏コンサート。茶木みやこ 西岡たかし 西岡恭三と難波弘之のいたカリブの嵐。レージーヒップの長田もゲストで出ていた。ちょっと寒かったけど、大いに楽しめた。と、思う。でも「終わったらどういう風に先輩に告白しようか」と気を揉んでいたっけ。結局暗澹たる気分で帰る羽目になろうとは思ってもいなかった。そういう思いで深いコンサート。
京都会館で憶えているのは中山ラビの4ロックがすごく盛り上がった。気分がよかった。森田童子の不思議な世界に引き込まれたのも印象深い。ほかに京都に縁のある 高石友也とナターシャセブンは 大阪で年度か見たけど 京都では見てない、宵々山コンサートも行けなかった。昨日紹介した 緒方君に連れられてライブハウスたくたくに行ったことがある。洋楽オンリーの彼が なぜか知っていた。演奏はロックだった 日本のバンドだけど。その日はレーザーニウムというのも体験した、これは緒方君のおごり 私は何のことか全く知らなかったが、彼が京都にきたからには是非 行ってみたいと言うので。初めて体験した不思議なものだった。今では動くイルミネーションの如く、あちこちで催されるが、音楽にあわせていろんな形を作るレーザー光線の美しさに魅了された。その音楽が ピンクフロイド キングクリムゾン ELPなど 当時まさしく我々が熱中してた音楽。古都のイメージの京都には新しい文化が他に先んじて存在していた。
京都は学生の街 と言うのを 実感したのは、同窓生 津田の所へ訪ねていったとき。彼の大学の周辺には他にも有名大学がいくつかあり、丁度私が行ったときは学園祭シーズン、そこには学生があふれてると言っていいくらいに賑わっていた。大学近くの津田の部屋に一泊させてもらった。ショックだった。何が?っておもうでしょう。かれの勉強してる様子が想像できたから。その本の多さに口をあんぐりさせてとまってしまった。部屋の四方に置かれた本棚にぎっしり納められて、入りきれない本がその前に山積みされている、勉強机があって、空いてるのは布団一枚敷ける場所だけ。しばらくたって、彼に電話をしたら引っ越してしまってた。「私が来たら勉強の邪魔になる」と思ったんだ とその時は勘ぐったが、後に そうではなかった事がわかりほっとした。弁護士になった彼は相変わらず今でも勉強を怠らない。
音楽と友人との酒宴を楽しんでた私の学生生活と比べ 津田の意思と意欲の強さに感服した次第。
索漠とした感で、悩みも大きかった20歳頃だが、こうして思い返せば、楽しかったし、いろんな体験が出来 有意義な時代だったんだろう。京都にすぐいける環境も幸せだった。

中山ラビが京都を歌った代表曲「夢のドライブ」


黄昏コンサートでは聞けなかった、しっとりした京都を語る茶木みやこ
       

Nさんの娘さんも、ピンクフロイド好きとコメントしてくれた。それじゃぁ また ピンクフロイドの曲を紹介しようと思い、関連した内容のことを書こうと考えたが、ピンクフロイドなど プログレッシブロックのことを沢山語っていた緒方君のことしか思いつかない。
鹿児島の伊集院高校の出身と言うことで、すぐ、仲良くなれた。日吉町永吉に家があった。大学では最も親しく 長い時間をともに過ごしたのが彼だ。私のほうがかなり影響を受けた。彼の趣味は私も多少は興味を持っているものだったが、その内容の濃さ、知識の豊富さは、ちょっとついていけないものだった。
さっき言ったようにプログレに詳しいのだが、聴く音楽はロックだけでなく、ジルベルトのボサノバ、高瀬アキのジャズピアノ、マルタ・アルゲリッチにケイト・ブッシュ。それを 学生にはなんとも贅沢な、マッキントッシュのセパレートアンプ、タンノイのスピーカー、マイクロのプレーヤーで、聞く。アンプを購入したときは私もついていったが、バイトで得た全ての金をそれに費やした。二十数万円だった。三十万近かったと思う。本人「オーディオ評論家」を自負していた。風貌は髪が背中半分を隠すほどの長髪。ひょろっと痩せ型。顔は結構よかった。今ならイケメンか?
読む本も19,20歳くらいの若者が読むにはちょっときついんじゃないかと思える、埴谷雄高の「死霊」をはじめ吉本隆明、高橋和己 丸山真男など。試験勉強を一緒にしていた時、テキストを読んで理解する早さに、驚かされた事もあった。 学生運動とりわけ 浅間山荘事件について、一般とは異なる意見を持っていた。そんな彼が、国際政治のゼミを受けるようになって、変貌していく。風貌は相変わらずだったけど。確かに以前から、軍備の専門誌の「丸」という雑誌を読んでいたが、軍事問題に興味が傾いていった。「日本は軍備を増強して、国際政治でイニシアティブを持つべきだ」。そういえば こんな国家の事を、飲み屋で語っていたら、隣の叔父さんが「頼もしい」と、ビールをおごってくれたことがあった。
そんなイデオロギーを語るようになっても、音楽と オーディオと 読書の趣味は衰えず、「彼女が欲しい」と普通の発言も出ていた。
彼は自衛官になった。幹部の自衛官だそうだ。卒業式のあと一緒に大阪から フェリーに乗って鹿児島に帰ってきて、天文館で分かれて以来会ってない。彼も大阪の川西の家に泊まったことがあり、その時電話があって話したのが、音信の最後だ。今は」どうしているんだろうか。川西は消息を知ってると思うが。鹿児島には帰ってきたりしてるんだろうか。たぶん会ったら雰囲気が違ってるんじゃないだろうか。それもまた興味深い。

彼がよく語ってた、ピンクフロイドのアルバムは「原始心母」。アルバムの一曲はかなり長いので、適当な長さのライブの映像を。それでも長いけど。


私も彼も好きだった キングクリムゾン「エピタフ」



水俣駅 「風季のとう」の美味しいパン

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遠方 水俣からはるばるの来客。昨年末 きくち寛さんのコンサートにお邪魔して お世話になった、風季の陶のご主人と奥様。その後 何度か電話でお話させていただき、こーひーの話などしていたが、今日はわざわざ姶良まで来てくださった。出水 宮之城間の紫尾峠が凍結の心配があるため、そのルートを回避し、伊佐 栗野を通るルートで2時間あまりかけての遠行。娘舞も大好きだった、パンを沢山持ってきてくださった。
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お通夜のとき コンサートに誘ってくださった山内さんが持ってきてお供えしてくださったのもこの「風季のとう」のパンだったんだ。今は 水俣駅構内にある パン工房は息子さんが営んでいて 今日のパンも息子さんが作ったもの。すぐ2個食べた。メロンパンのつもりで口にしたらバナナの風味が口いっぱい広かった。3種類の豆をトッピングしたパンはその豆の甘さとパンの素朴な風味が見事にマッチ。なるほど。他に豆を練りこんだ食パン 蒸しパン 雑穀を混ぜた食パン、アンパン メロンパン クリームパン どれも皆おいしさが空想でき、それだけで口の中に甘さを感じる。楽しみ。
焙煎の話で「自然条件がその出来に影響する」と言う話をすると 「パンも一緒、天候で醗酵の仕方が違う」らしい。ネット通販もしていたそうで、共通の話題も弾んで、ありがたい、よき時間になった。
「また来ます」と言葉を残して帰っていったが 今度は私が行かなければ。
来るとき、近くまで来ながら、違う方向へ向かって かなり遠回りしていた。帰るとき、来た方へ走り出したが、反対方向が正しく、10分余り早いんだけど、せっかく夫婦二人のドライブだから、仲良く 長い時間かけても いいだろうと、そのまま見送った。 パンは既に大方娘が食している。明日朝私が食べる分残させた。楽しみ。

では ふきのとう の歌をどうぞ。




昨日のNHK[鶴瓶の家族に乾杯」は倉敷を訪問していた。倉敷と言えば有名なのは、古い町並みが残る美観地区や大原美術館。私が先ず思い浮かべるのは、倉敷珈琲館と 大学での友人森本君。倉敷珈琲館は、日本のコーヒー界で神の如くその名が知られている襟立氏がプロデュースした有名店。その美観地区にあるらしい。
森本君は、倉敷のスーパーの息子。卒業後は家業の仕事に就いた。一度電話で話した以外、連絡は無い。漫画を描くのが趣味だった。我々から見ると趣味の域ははるかに超えていた。下宿を訪ねるとほとんどが机に向かって、作画中の時だった。作品をなかなか見せてくれなかった。我々が行くと、すぐ 絵は引き出しにしまい込んだ。私だけたまに見せてもらっていたが、漫画雑誌に出てるものと遜色ないものだと思った。体重100キロ、丸っこい、ふっくらとした体で、細目にメガネをかけて、可愛い顔の男。その大きな体を折り曲げて一心に描いていた。雑誌のいイラスト懸賞で、一等になり 高価な商品を獲得して 「すごい」と思ったが、その頃には、漫画雑誌に自作を投稿していて、掲載される事もあったのだ。ただ 少女雑誌への投稿で、その作品にあわせて名前も変えていた。何故、少女漫画かといえば、「そっちのほうがギャラがいい」とか。結構稼いでいたんじゃないか。ただ コメディー漫画で 少年漫画でも通る内容。卒業後の電話でも、「集英社のマーガレットに載った」と、話してくれたので、これはすぐ購入した「ワンパック」よいう名で、確かに彼が書いてたものが、掲載されていた。その雑誌は今も実家に置いてある。その森本君の消息はわからない。夢を諦めず、職業漫画家になっていないだろうか。
それとも スーパーの立派な経営者になっているか。
大学時代の友人達とは、いま 大阪にいる一人とだけ 年賀状のやり取りをしている。彼とは、卒業して10年目にかれの家にとめてもらった事があり 電話で話した事もなんどかある。ほかにも面白い連中がいた。
倉敷で思い出した森本君から、いろんな当時の友人の顔も思い浮かべた。ほんとに みんな どうしてるかな。

森本君と同じ下宿にいた緒方君がよく聞いてたピンクフロイド。マニアックすぎるけど。




昨日から雨。今日の夜はかなり激しく降った。気温の方は上がって、久しぶりに10度を超している。それでもまだ厚着のまま。ジャンバーを脱いでいたが、やっぱり寒気を感じる。
そういえば 昨日から運転中に頭部に熱を感じることがしばしばあった。熱はないけど ちょっと風邪気味かな。のどが乾く。
今日はけっこう雨に濡れてしまっているし、眠気も強くて、早々就寝を決め込む。テレビでは連日の雪害の映像。降って流れてくれる雨はいい。降って積もって災害をもたらす雪に、困惑する人たち。取り除いてもまた積もる。身の危険をも感じながら過ごさねばならない人たちだが、苦労を見せず たくましく見える。
そんな過酷な状況に全く不似合いな情緒的雪の晩の歌。



NHK紅白でのセッションだが、ジャズが大好きな私にとっては、あまり好んでないプレイヤーが3人。ジャズでない石川鷹彦、吉田建ジャズでも大西順子はいい。ドラムの日野元彦も、ちょっと派手だけど、奄美ではエネルギッシュな演奏で、観客を喜ばせたから、親近感を持っている。ウッドBの金沢なんて 奄美でのコンサートで勝手な事ばかりして、リーダーの田村翌に苦言を刺されていたが、自分の楽器を持ってきてなくて、現地で借りた と言う話を後から聞いて唖然とした。
せっかくの拓郎の歌なのに こんな 口をたたいているのは、風邪で気分がすぐれぬ所為?悪しからず。

娘と卓球をしてきた。中学の部活で卓球をしていた娘が、数日前から、「卓球したい 連れてって」とせがんでいた。ずっと前から言われていて 「行くよ」と軽くOKしていながら、果たしてなかった。ここ数日、その要求が頻繁になっていた。場所は加治木 陶夢ランド {加治木龍門陶芸・健康の里}

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その多目的ホール、
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料金は 時間315円。安い!施設は山にある。遠いように思えて、なかなか来だせなかった。実際に車を走らせると、15分で来れるから、そう 遠いわけではなかったのだが坂道を登るのが億劫だった。わたしが上る訳ではなく、車が上るのだが。街中の民間の卓球場だと料金が2倍だ。卓球をやるとしたらここしか思いつかなかった。やっと連れてこれた。娘は喜びおお張り切りだが 私は30分で息が切れてきた。そんなに上手くは無いので逃した球を取りに行かねばならない。広い部屋に もう一組 家族で楽しんでる人たちがいる。そこまで転がってしまっては迷惑をかけてしまうので、走る。心拍数が極端に激しくなる運動は、禁止されているが、卓球を遊び程度にやるのはかまわないということだった。が、こんなに走らないとといけないとなると、大丈夫だろうか。一時間経過して、まだまだやり足りない娘を尻目に 私はさっさと片付け。やっと終わったと言う感じ。不満を口にした娘だが、顔は笑って嬉しそう。楽しかったようだ。私も約束を果たせて、一安心。
「楽しかった また 来ようね。」娘の言葉に、聞こえなかったふりで、応えた。

娘と行った霧島路

得意先の霧島の温泉旅館へ、娘を助手ということで 連れて行った。先月イベントのためと言うことで、コーヒーメーカー用に挽いたコーヒーが、残ったので、これを 普段使っている、サイフォン用に挽きなおして欲しいという依頼があり、ミルとシーラーを持って出かけた。荷物を運ぶのにもう一人必要だったため、娘には「霧島にドライブ」と伝えて喜ばせ、連れてきた。作業ではシーラーで袋とじをさせたので、まぁ役にはたったが、ふつうのホテルとは違い、かやぶき屋根の離れの形態の建物や、放し飼いの鶏に興味深深で、どこかえ、消えてしまう事しばしば。「貴重な体験」と言ってくれたので、連れてきた甲斐があった。
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そこへ行く途中、2ヶ所に立ち寄っている。まず 鹿児島空港の滑走路 東端の駐車場?よく車が止まっていて、みかんの移動販売車も常に商品を並べているが、舗装された広いそのスペースは何の目的に存在しているのかはわからない。離着陸の飛行機が その真上を通過するので、近い距離で、飛行する航空機の迫力ある場面を見ることが出来る場所 と言う以外には、周囲に何の施設も無いので駐車場としての役目は果たしてない。駐車場ではないのかもしれない。飛行機の離着陸を楽しめる場所として、知ってる人は知っていると言う場所。今日も丁度 離陸した飛行機があり 娘はそれに「すごーい」を連発していた。
次に立ち寄ったのは、霧島方面に行くときいつも立ち寄る 嘉例川駅。娘がどんな反応を示すか、わからなかったが、以外にも 110年前に立てられた駅舎に興味を持ったようだ。「電車乗らないのに、何しに行くの?」といいながら、入っていったが、待合室の天井を眺め、今の建物とは違う とわかってから、また「すごーい」とことばがでる。数人の観光目的らしい人たちが先にいて、やはり展示物を注視しているのを知って、この駅が価値のあるものという認識が出来たのかもしれない。ホームから レールが延びていく先を眺めていると、前方の信号が赤く点滅し始め、べるがなった、電車が到着するようだ。少し前なら列車、この駅が出来た頃なら汽車だったが、今は電車。去年イベントで、ジーゼル機関車が走るのを見た。人吉のほうでは 機関車SL人吉号が走ることもあるらしい。入ってきたのは、「特急はやとの風」。
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停車すると 乗客が皆 降りてきて、やはり 駅舎を見回している。天井を見上げて写真を取ったり、乗員に頼んで 記念のスナップ写真を撮ってもらったり。駅の外にまで出て撮影している人もいる。10分ほど停車していた。乗客はみな観光目的で、先を急ぐ人はいなかったのだろう、ここと 横川駅、歴史あるこれらの駅は肥薩線の観光スポットになっているわけだ。「はやとの風」号も他の電車とは違い、黒い車体に、内装は木材を使い無垢のきの木目まで鮮やか。ビュフェ風のテーブルの配置など、娘に教えると、これにも目を奪われた様子。
「お父さん 私を ここに連れて来たかったんだ」と言う言葉に、感謝の意が感じられ、私も満足。娘にとってははじめての体験が多かった、霧島路だった。



挨拶は「寒いですね」一日何ども、そればかり。

予想通り、今朝の最低気温は、今期いちばん、それどころか過去最低気温の箇所もいくつかあった。姶良での記録は出てないが、鹿児島がマイナス2.8度 溝辺でマイナス7.4 同窓生でブログイオス日記のてふてふ君のいる大口はマイナス9度 姶良も夕べでマイナス4度だから、それよりもっと低くなってたのだろう。庭のプランターに貯まっていた水は 暑さ2cmの氷になっていた。日中も冷え込みは続き、雪は見えなかったが、顔に触れる空気は頬を刺すような痛みを感じさせた。
今 気温は1度 プラスだ。一日寒かった感覚が抜けず 昨日よりも着込んでいる。さっきから鼻をすすっている。
テレビを見ると、北の方の 大雪が報じられている。大変な状況。気温も北海道などマイナス29度とか言ってる。雪崩で人が生き埋めになったり、吹雪の中 路上で何台もの車が通行不可能になり、何時間もその厳寒の中で過ごすハメに。鹿児島の寒さに悲鳴を上げている私達とは 桁違いの厳しい状況に向かっているんだ。

「木枯らしの少女] 後にABBAを結成するビョルンとベニーの歌


南沙織も歌ってました



今 パソコンには気温マイナス3度と、表示されている。昼間でもマイナス1度となっていた。ニュースでは 鹿児島1度と、発表さえていた。天気は晴れ、陽は差しているが風が強い。鹿児島市内は雪が降ったらしいが 姶良は粉雪がパラパラという程度。外の気温はマイナスと言うほどではなさそう。陽の差し込まない室内の方が寒いようだ。まだ暖房を入れてない。そもそも暖房器具が無い。焙煎に使った備長炭の燃え残りを火にかけ、十分に燃え始めたら 火起こしのまま炭の消し粉の上においている。十分に熱さないと、この空気の寒さで、炭の温度がさがり 消えてしまう。でも 赤々と燃え出すと これは結構 温かい。現在 台所は夕食の準備で 瓦斯レンジは占領され、炭が起こせない。9時にまだ夕食準備とは 普通の家庭なら 遅すぎだが、我が家はこれが日常。私は待てないので先に勝手に自分で作って食べた。食事のことは いいのだが。足は靴下を2枚履き 靴を履いて備えてるつもりだが、あしの指先は痛くて 感覚がなくなったように感じられる。
また 下がった マイナス4度になった。上半身の方は万全。肌シャツ2枚、カッターシャツ、カーデェガン、ウィンドブレーカー、さらに スキージャンバー 計6枚着込んで、手と頭を除いたトルソーは寒くない。着膨れで動きにくいが、パソコンの前に座っているだけなら 問題はなし。ただ この後 明日朝の出荷準備をしないといけない。動き辛くても 脱ぐわけにはいかない。
そろそろ 瓦斯レンジが空いたようだ。火にかけて15分くらいで十分な燃焼になる。我が家には 火鉢がある。正確には火箱。奄美で木工の工房を営んでいる兄が、奄美に自生しているセンダンの木を使って製作したもの。ずっと冬には炭をくべ もっちを焼いたり 時にはフライパンを置いて、焼きそばを作り、お湯も沸かせる。残念ながら今は、出水から越してきた娘の荷物の為に、一部屋埋まっていて、この 火箱を置くスペースが無い。先日 奄美に帰った日は、向こうも結構 寒かったが、兄の家は大きめの火箱一つで、家の中はポカポカ。夜は そこで鍋料理を味わった。喚気に注意が必要だけど、燃えている炭の赤い色を見ていると、体の中まで 温かくなるような気になってくる。最近は 薪ストーブを備える家も増えてきている。炎の赤も心を温かく和ませるようだ。
hibako.jpg火箱 蓋を閉めた状態 tana_convert_20120202230011.jpg
hyouhonn2.jpg hyouhonn1.jpg    kaitennisu_convert_20120202231230.jpg
標本箱

木工房 川元 0997-52-1154
奄美市名瀬長浜町19-8

最近 すっかり少食になって、今夜は、かりんとうを 袋半分食べただけで、全く空腹を感じない。かりんとうは食事といえないか。血糖値が上がって 満腹感すらある。昼もかゆと冷奴。朝は食パン3枚。ただ 焙煎をしたのでコーヒーの試飲で8杯淹れて それぞれカップの3分の一くらいが胃に入った。このところ夜はライスを抜く事が多い。といっても焼きそばだったり ビーフンだったりだから 炭水化物を取っていることに変わりは無い。それでか?体重はまだ減らない。困ったものだ。もっと食事を減らさないといけないか。
寒くて 血圧を心配して、外気に触れる時間が長くなっては と ウォーキングをやってないのが問題なんだろう。カロリーの無いコーヒーは問題ないけど これは 水分補給になっているんだろうか。今日はあまりみずは飲んでない。心筋梗塞を誘発した脱水症状には気をつけないといけないので、普段水はかなり飲んでいる。その水分の量が体重に響いているんじゃないかと思っていたが、水分を余り取ってない今日も 体重はいつものとおり。やはり消費しなければ脂肪はなくならないということだ。
食事に興味を持たなくなったのではない。「吉田類の酒場放浪記」は毎週見ている 美味しいおつまみを食べずとも楽しめる。新聞の料理レシピも読んでいる、今日は義兄の為に 油ソーメンを作ってあげた。美味しく出来た。
見たり 作ったり で 満足して、自分で食べない。涎が出そうなくらいの欲求がない。体が欲して無いということは、体にエネルギーがたまっているんだろう。消費してないのだ。とても健康とはいえぬ状態。
頑張って 運動して、空腹を感じて 腹いっぱい食べて、そういう生活に戻さねば。明日から 市内の配達は歩いて行こうか。お客に遅いと怒られるかな。





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