店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

プロフィール

川元 正樹

Author:川元 正樹
店主です。よろしく!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


年度末 移動時期。私も久しぶりの見送りをしてきた。場所は 鹿児島新港、送る相手は 娘の小学校のときの担任だった松本先生。奄美龍郷町大勝小への移動で、今日フェリーで、出発した。小規模校の姶良 北山小で娘は2度 担任をしてもらっている。小規模校ゆえ、いろんな行事は父兄と一緒にやる。飲む機会も多い。家も近い。今 教師では 私の一番身近な存在だったかも知れない。娘も思いで深い先生の見送りに是非行きたいと言う。

20120331174503.jpg

北山小から 移った 加治木の永原小も 小規模校、見送りには 教員以外に たくさんの生徒が保護者と一緒に来ていた。港は同じように奄美へ転勤していく何人もの教師を見送るために やってきた たくさんの人たちで賑わい 拡声器を使った 励ましのことばの連呼や、万歳の 声。そして 恒例の 紙テープの束。

2012033117490000.jpg

この時期のいつもの風景だけど、違うのはここが鹿児島ということ。
以前は毎年こういう見送りをしていた。私自身も、与論から転出するときは同じように盛大な 万歳の声に送られ、名瀬に戻った。
島から 鹿児島方面へ行く人を見送っていた。「お世話になりました あちらでも頑張ってください」という言葉で送っていた。今日は奄美に行く人を見送る。「頑張ってください」は一緒だが、「島をよろしく」という気持ちになる。松本先生の行く大勝小の校区は私の父の故郷。従姉がたくさんいる。大勝集落の区長も 私の従兄弟。以前大勝小のPTA会長もしてた従兄弟は 学校とのかかわりが今でも多い。松本先生なら、彼等の期待にこたえてくれるだろう。私も 娘も まだ 先生との縁が続く事が、嬉しい。
スポンサーサイト

「カーネーション」終わりました。最後のシーンは 病院の待合室のテレビの前に 入院しているらしい老婆が車椅子で座り 放送が始まったその「カーネーション」を見ている というものだった、老婆が誰かは 後姿だけで 明かされない。数人を想像できる。同じようなシーンは 45年前の「おはなはん」でもあった。最後のシーンは おはなはんがやはり 始まった第一回目の 自分を題材にしたドラマを見ているシーン テレビ画面は出ず、テーマ曲だけが流れていた。「おはなはん」の平均視聴率が45.8%だって。すごい数字です。あのころはまだチャンネル数も少なく、朝ごはんもきっちりとる習慣だったから 皆がその時間ご飯を口に運びながら、テレビのおはなはんに 目が注がれていたんだろう。
さて 「カーネーション」今週一番心に残ったのは、嘗ての愛人の 娘に対面したときの 糸子の嗚咽。いろんな感情で、いろんな意味が含まれているのだろう。懐かしさもあるが、分かれた時の辛さも思い出す。目の前の女性の父親は たぶん 糸子の生きていく中で常に心の中の大きな存在であり、支えでもあった人なんだろう。いつまでも諦め切れないというのではなく、すばらしい価値を保ったまま、彼女の中に存在し続けた。それも 分かれた何十年も前の姿で。目の前の立派に成長し、既に熟年の域にいるその人の娘との出会いは、あらためて、自分があれからも長く生きてこられたという事を実感させられ、その人も その人の世界で、立派に務めてきていたことで、安堵の気持ちにもなる。心の中で置き去りにされていたものを 綺麗に片付けることが出来たのではないか。
威勢のよい外見を見せる中に 重いものを持ち続けていた。これが この主人公を魅力的に感じさせる所以なのでは。

今 ラジオをつけたら 鈴木杏樹さんが、金縛り について話していた。
レム睡眠というのがあるそうだ。眠り は浅い眠りから 深い眠りになっていくが 20から30分でまた浅い眠りになる このときの浅い眠りが レム睡眠で、寝ている間は 周期的に深い浅井を繰り返して寝ているそうだ。このレム睡眠のとき 脳は活動しているのに 体は寝ている。それで 脳の命令に 体が動かせない という状態が 金縛りらしい。寝不足 過労 ストレスなどからよく引き起こされるらしい。
私が 覚えている 自分が金縛りにあった経験で 最も強烈だったのは20代前半。カフカの「変身」を読んだ翌朝だった。主人公のザムザ君が朝 目を覚ましたら 自分の体が昆虫になっていた という 実存主義文学の名作。私は 自分の体が ゴキブリになってしまった夢を見ていたようで、記憶の中では もがいていて、叫んでいたのだが、からだが固まって自由にならない。一人暮らしだったから ほんとに叫んだかどうかは 確認できないが、体の硬直は 実際そうだったのだろう。「変身」では 昆虫になったとある、カブトムシという説が多いが、読んでるときも私は、家族が気持ち悪がっているということで、ゴキブリを空想していた。この空想したゴキブリの所為で、翌朝苦しんだ と思っていたのだが、そうでなく 自分自身の体調の所為だったようだ。それ以来 私は おぞましい映像 怖い話が大嫌いになった。オカルト映画なんか見たら、また 金縛りにあう そう思っていた。それは関係なかったようだ、だからこれから見ようとも 決して思わないけど。ラブロマンスの映画を見たら、素敵な夢が見れるということも無行けど、寝る前にそのシーンを自分に置き換えて想像するのは楽しい。その時だけだけど。
寝不足 ストレス となると 今でも不規則生活が続いているけど 最近 金縛りに会ったことは無い。鈴木さんの話では若い人に 多いという。脳も体も 元気な人に起こるんだ。安心した。残念ながらの安心。

昨日 桜のことを書いたら、その後桜に関してのいろんなことがあった。まだ 誰も昨日のブログを見ていないのに。書いた後直ぐ 出かけたら、近くのマンションの塀に沿って植えられている 桜が ちゃんと咲いていた。白い花で、見上げたとき 空の色に溶け込んで わからなかったようだ。町中で、ピンクの桜の花もちらほら見つけられた。
夜 山元から電話「今年の天気は、おかしい 東京はまだ 桜が咲かない」彼も昨日のブログは見てない。与論のT嬢から久しぶりにメール。「今年は桜が咲かなかった。去年の台風のせいみたい」やはり 桜を意識する事がなかったようだが、去年のことを ふと 思い出したのだろうか。
カーラジオからは 桜の歌ばかり聞こえてくる。
何で 桜のことを書いたのか。朝 寒かったので 厚着していたら、いつの間にか外は ぐんぐん気温が上がり。来客に応対して 外にでた時、通りすがりの半袖姿の人と 目が合って 恥ずかしかったことを、書こうと思ったのだ。寒い朝と温かい その時間の陽気を桜の咲き具合で 説明するつもりだったのに、桜のいろんなことが頭に浮び、主題が桜に変わった。
豊田勇造のうたも 偶然だ。その前の日。車を走らせながら なぜか 豊田勇造の「ジェフ べックは来なかった、雨の円山音楽堂」という 歌を 口ずさんでいた。なんで突然浮んだかは判らない。昨日は 桜のことを考えたら、この「桜吹雪」が必然のように浮んだ。
偶然 がいくつもあった 一日。

もう直ぐ4月 春 桜の季節、のはず。昨年は街に咲いている 桜の写真をたくさん撮っていた。与論で唯一のソメイヨシノが咲く Sさん家のT嬢が 大好きな桜の咲き誇る様子が見たいというので、その桜の群生している 甲突川沿い や 高岡公園の写真を送ってあげた。今年も要望があれば送ってあげるのだが、何も言って来ない。でも 言ってきても実は困るのだ。姶良では桜が咲いてない。国分の天降川沿い や 蒲生では咲いているのだが、姶良の毎年花見で賑わう西公園あたりは まだ 咲かない。それに朝寒い。この気候ではまだかな と思うが、でも もう直ぐ4月。与論もまだ寒くて、桜が開花せず、T嬢も桜のこと、忘れているんじゃないか。与論は寒いってこと無いか。気温は25度以上あるし、今週末は海開きのはず。奄美の桜マラソンもとっくに終わっている。奄美の緋寒桜は1月から咲いている。
なぜか 桜が恋しい。今年は いろんな場面で 桜が取り上げられる。東北震災の被災地の復興を願って、桜を植えたというニュースもあった。まさに盛り と鮮やかに 美しく咲き 暫し 人を楽しませてくれる桜に、希望の言葉を思い起こし、やがて はかなく散ってしまっても、 来年また、ずっと毎年 永遠に花を咲かせて、希望を持ち続ける意義を示してくれる。
昼過ぎて 外は 暖かい 日差しが強くさす陽気。明るい 眩しい。桜も直ぐだ。半袖姿の人が 前を通った。朝から着ているジャンバーが恥ずかしくなった。

大好きな歌です よく歌ってました。


先日 頭痛がすると書いてしまった為に、心配してくださった方が いて、 配達に行くと「体調 よくないんですか」とか 言われ 受信メールには 「大丈夫?」と必ず付いてくる。すみません 大丈夫です。寝不足が原因なので、睡眠さえしっかり取れたら なんともありません。
夜 早めに寝ることを心がけ、ブログは朝書こうと思います。ところが、朝 時間が取れずに、書けない事があり、すると 毎日更新されるブログが 更新成されて無いと、また 「体調悪いんじゃないか」と心配してくれる人もいて。
皆様 ご心配かけてすみません。私 いたって元気です。時間がなくても 一言 記して 更新するようにします。読み手には つまらない内容になりそうですが、よろしく。

ドイツのZDFがが製作して ドイツで放送されたのは「フクシマの嘘」というタイトル。
「原子力村」という集団の存在を明らかにしている、電気事業者、政治家、官庁 学者で、原発推進を訴える人たちで、特に経済優先の哲学を持つ人たち。それに、福島の発電所のメンテナンスを請け負っていた、アメリカの企業まで加わる。
彼等の保身のための、秘密主義は、既に暴かれている。その内容の詳細を知る事が出来たのだが、余りにも身勝手だ。多くの国民を危険にさらしておいて、それでも 自分の利益を守ろうとするのか。
震災2日目にメルトダウンを口にした、原子力保安員の審議官は、すぐ更迭され 変わった審議官は翌日の会見で笑って見せている。
何より 重大なのは 原発に慎重論を持っていると思われた、その時の首相に、情報を与えなかったこと。首相の問いに 何ら 本当のことを伝えなかったこと。首相が現場に行ったことを 「混乱に拍車をかけた」といった、調査結果の発表があったが、電気事業者に不信をもった故、乗り込まざる得なかったようだ。罵声を発した 大臣も 余りの無責任さに、爆発したようだ。
今 原発推進を口にする大臣と 企業との金銭での繋がり、反対する知事を貶めるための 冤罪作り。関西でも原発再稼動のための、検討会が持たれ、原子力委員会が事実上OKを出した。その委員会のメンバー5人は 電気事業者の関係先からお金を貰っていることを 今朝の新聞が伝えている。
自分達の特権とでも言わんばかりに、自分等の都合にあわせて、情報を操作している。元首相の怒りは、震災より前にある。やるべきことをやっていなかった事実。欠陥を見つけたことを報告した技術者に対して、報告した事をとがめ、それに対しての処置は何もせず、通報を受けた、官庁もまたそれを無視している。そんな体質の企業や団体とわかってしまってからは、彼等の言うことの 何も信じられない。
この 報道のことをNHがBSで取り上げ、記者にインタビューしている。記者が 被災地を回って聞いた、被災者の思いは、「置き去りにされた」と思っている。電力会社も 政府も マスコミも信じられなくなっている。



N郎さんが、ドイツの報道機関が伝えた、原発に関する記事を紹介したブログを 教えてくれた。N郎さんが「海外のメディアだからこそ、正しく見極めています」と 言っているように、日本の報道でまだ疑問が明らかにされてない部分を説明しようとしている。日本で報道されたことの裏に真実があるとしたら、これまで報道で知ったことの印象が かなり違ってしまう。
この 内容には私も 目を奪われてしまった。ここで私の意見を展開すると、終わるのに苦労しそう。皆さんに読んでもらうだけにしよう。
カレイドスコープというブログです">


「カーネーション」のガン患者役の女優を調べてみた。中村優子 福井出身 37歳 東京外大卒。河瀬直美監督の映画 「火垂」で主演している。知らなかった。河瀬直美が「火垂」という映画を撮っていたのも知らなかった。河瀬の公開された映画は全部 見たつもりだったのに。他 「ストロベリーショートケーキ」でも主演 「クビオ大佐」「血と骨」など 話題になった映画にも出て、映画賞の主演女優賞も獲得している。すぐれた演技で 映画界では注目されている存在のようだ。
「役者魂」というブログで「実在しているかのようなリアルさで見るものに強烈な印象をあたえる」と 紹介されている。まさしく 私が「カーネーション」で見た印象と同じだ。ストリッパー役や 銀座のホステス役では 事前にその現場を体験したそうだ。ストリップ劇場に飛び込んで おどりを習い、本番の舞台にも立ったり、銀座の高級クラブでお客の接待をし 出すお酒の造り方 振る舞いを練習。「血と骨」で演じた 「脳腫瘍」の愛人役の為に、その病気について、症状や 患者の状態を深く調べ、患者の内面までも追求したそうだ。
「カーネーション」の末期がん患者も、その状況におかれた患者の心情が理解できているから、あれほど真に迫った演技が出来るのだろう。
早速 レンタルビデオ店に「火垂」を探しに行ったが、なかった。他の彼女の出演作を探したが無い。唯一「血と骨」があったが、レンタル中。かなりの作品に出ているんだが、一般にはそれほど知られて無いんだろうか。知ってしまったからにはどうしても見たいのだが。



朝から泣きました。ハムサンドを食べ ミルクティーを飲みながら朝ドラ「カーネーション」を見て、ファッションショーの最後に 、末期がんの女性が登場、子供達 夫そして観客に その たぶん最後の、美しい立ち姿を披露する奇跡に、夏木マリ演ずる主人公の涙と同時に、見ているほうもこみ上げた。この演じている女優、宮沢りえに似ているけど、誰だろう。昨日の放送の、泣きながら言う台詞、本当の患者さんじゃないかと思った。しかし 一段と心が揺れたのは、やっぱり舞を思ったから。舞にまた おしゃれをして、街で遊ぶ様子を 見せて欲しかった。病気になる前は、普通におしゃされをして、化粧をして、仲間と楽しんでいた。親が眩くなる衣装を見につけ、妹が心配するほど化粧をして、若さを謳歌していた。髪もまた生えてきたし、また 友達と 賑やかに歓談する日を楽しみにしていたはずなのに。
NHKの朝ドラは近年 ほとんど見てなかったが、この「カーネーション」は久しぶりに 連日見ている。途中からだけど。新山千春と川崎亜沙美の大喧嘩のシーンを見て、川崎亜沙美が女子プロレスラーと知って、それ以来ずっと見ている。もちろん尾野真知子は 大好きな女優だ、最近映画の「トロッコ」も見ている。
後1週間で、完となる。これから 泣けるシーンが目白押しかも。

3月11日の 震災1年目にあった テレビの特集を、娘がいくつか録画していた。その中のテレビ朝日の番組で、気象庁が最初に発表した、「3mの津波の予報」が検証だれていた。実際には 最大で40m4近い波が押し寄せたわけで、その差は 余りにも大きい。人々は 3mならと、ビルの屋上や 上階に避難した。その20分後6mの津波 に訂正 さらに 10mを、超える津波に訂正されたときは もう 手遅れ、津波は既に 町々を襲っていた。テレビの中で,町の首長は「気象庁発表を鵜呑みにしてしまったことを 後悔していた。
しかし 気象庁の方も あの時点では あの発表しか出来なかった。その後の現実は予測できなかった。地震予測ついては、かなりの研究がなされているように思えるが、実は まだまだ難しいようだ。研究者が、地震予知の研究費の大幅増を国に要望したとき それで 予知が可能になるのかとの問いに 「予知が可能かどうかの研究が出来る」と答えた。まだ そういう段階のようだ。
桜島にも 「我々は科学を信用しない」と言う意味の碑があるそうだ。大正の大噴火のとき、動物の異常な行動や海の変化に 大きな噴火が近いのでは と 島民が心配して、気象台に何度も問い合わせたが、気象台では 特に変わったデータは出ておらず、心配ない という返事を繰り返していた。それに従って批難しなかったため 多くの犠牲者を出した。その戒めに 作られた碑だ。
東北の震災では、過去にその地で起こった 大津波の経験から、直ぐに高台に批難できた人たちが助かった。たぶん 地震速報など聞いてるまもなく、急ぎ批難したのだろう。今回 前兆のような現象があったという話は聞かないが、台風前の夕刻の空が 異様に赤く染まるように、地震に結びつく 言い伝えになってる 自然現象を、もっと真剣に判断に取り入れていいのではないか。自然の驚異は自然から学んで対処するということだ。

「昭和青春グラフティー」で東京オリンピックの裏話を知り、「あの時もそうだったのか」と、思った。北京オリンピックのとき中国政府と北京市が、余りにも露骨な形だけの成功を目指して、住民無視の対策を取ったり、中国人に不人気の競技には、小中学生を動員して、競技場の観客席を埋めたりしている 報道を あきれてみていた。47年前の東京でも、似たようなことが行われていたそうだ。まさしく蓋をしているのだ。景観のふさわしくないと判断された地域や、下水道などの都市整備が済んでないところは、幹線道路から見えないように、塀を作って隠している。悪臭がしていた、川は 蓋をして暗渠に。交通路整備に高速道建設は、用地買収の手間を省くため、川に杭を打って作っている。江戸の中心地 日本橋の上にも 高速の高架が出来。「野暮なものが出来ちゃった」よ地元の人は嘆いている。このとき 東京の川の25%が失われたと、ゲストのなぎらけんいちが、話していた。彼は当時、小学生で、学校行事として、陸上競技を見に行ったが、10000mの予選を 人もまばらな観客席で見たそうだ。全く興味も無いので、レースのことなんか憶えてなく先生の つまらなさそうに言った「さっ 帰ろうか」といった言葉だけ憶えているそうだ。学校に対して 観戦するよう要請があり、仕方なく行ったらしい。
しかし 私達はそんなこと全く知らない。壁を作る様子など 報道もされていたはずなのだが、憶えてないのか。一般の人は 東京オリンピックに期待し 楽しみにしていた。抗議の声も聞こえなかった。東京オリンピックのためなら と 我慢もしていた。羽田から 会場への直通高速道は、のり養殖が盛んだった 大森の海を埋め立てて作ることを、勝手に道路公団が決めてしまい、初めは納得できなかった、仕事を失う事になるのり養殖業者も、「オリンピックのため」という言葉に、従うしかなく 魚業権放棄を決めた会場には 漁民の嗚咽があふれたそうだ。司会の関口弘の「あの頃は この先 きっといいことがある 幸せになれると 信じていた だから 我慢できた」という言葉で、当時の大人たちの気持ちがわかったような気がする。
東京オリンピックは成功だった。たくさんの感動の場面があった。記録映画を何度も見て そのたびに 感動が蘇る。また見たいと、今も 思う。




新幹線の旧型車両が、廃車となり、最後の運行や記念セレモニーの様子が、大きく報道で取り上げられていた。その新幹線に纏わる思い出を 懐かしそうに語ったり、時に涙を滲ませて万感の風を見せて語る人もいた。この車両64年の新幹線開業時のものではなく、80年代から使われているものだそうだ。それでも 25年から30年。便利な早い新幹線のおかげで 特別な経験ができたひとは多いだろう。山下達郎の音楽に乗って流れた、シンデレラエクスプレスのCMのような 甘い思い出を持つ人もたくさんいただろう。そういう人たちにとってこの電車へ、深い思い入れが存在するのはよくわかる。
私は 4回、新幹線に乗っている。全部 70年代だ。4回は 他の人と比べて 少ないと思う。鉄道の無い奄美や 沖縄の人でも 本土での交通手段として新幹線を利用してる人は多いかも知れない。そう頻繁に旅行する事がないせいもあるが、他の交通手段を使うからだ。東京 大阪へは 飛行機。九州内なら、自分で車を運転。時間と料金の両方を勘案して決めるが、新幹線という選択になかなかならない。過去 新幹線に乗ったのも、受険の為、確実に目的地に行く必要があったとき。就職試験で岡山に行ったときもそうだ。一緒に上京する友人が、新幹線にしてたので、それに合わせてとか。いずれも帰りは、夜行列車で、行きの倍の時間をかけて帰ってきている。夜行列車は全部いわゆる鈍行。大阪にいた頃、東京からの帰りは、24時前の横浜発に乗り、朝7時頃名古屋着。近鉄に乗り換えて 大阪布施まで。途中中川で乗り換え 近鉄は特急以外は普通料金だけでよかったので、準急とか快速に乗っていた。布施には10時頃着。ほとんど夜から朝にかけての移動で時間的に便利なのだ。車窓の風景は楽しめないけど。
ただ 夜行列車の中でぐっすり眠れるわけではなく、疲労はたまる。若かったときだから可能だったのだろ。今 旅行に行くとしたら、関西 関東ほどの遠隔地でなくて、電車を利用するとしたら、なるべく疲れないようにと、新幹線を利用するかも。




吉本隆明の存在は私の中で 大きなものであった、はずなのだが、その死の報を聞いて、思い返してみたら、その著書は ほとんど読んでない。本は 何冊か所持している。20代の頃 古本屋で 吉本隆明の「共同幻想論」など4冊の本が まとめて売られていて、その4冊を購入。それを抱えたまま レコード店に行ったところ、そこで勤めていた 同窓生、元生徒会長のUに「飯の種にもならん 時代錯誤のそんな本買って どうするんだ」と、言われたのを憶えている。だから 読まなかったのでは決して無いのだが、各本 数ページをパラパラとめくって読んだあと、そのままだ。実家にまだその4冊ともあるはずだ。やっぱり 難しい本だ。じっくり腰をすえて読まないと 理解できないと思い、ゆっくり時間が取れたときに と 思いながら そのままだ。
吉本隆明のことをしったのは 以前 話した 大学での友人Oの部屋に、その著書があったのを 見たからだ、彼から、現代の思想のリーダーとして 吉本隆明、埴谷雄高 丸山真男 の名前を教えてもらった。高橋和己を彼が愛読してたのも記憶していて、私も読んだが、同じ小説家の埴谷雄高とは違う位置づけだったのは何故だったのか、埴谷雄高のほうから より影響を受けたのだろう。
私も大学の図書館で 分厚い「死霊」を借りて読んだが、読むのは楽ではなかったことを よく憶えている。埴谷雄高の著作は その後も文芸誌「群像」に掲載されたのを読んだりして、私にとっては 馴染みの作家だ。それにコーヒーが好きで、モカを愛飲したことや 私の先輩になる島尾伸三が親しくて、彼の追悼文を書いてたりしてた事で、あの口を とんがらせて喋る 顔に親しみを憶えていた。
吉本隆明への シンパシーは どこからか。サブカルチャー や思想転向、既成政党批判 私の興味が引かれたことと、娘の人気作家 ばなな氏の存在ゆえだったかも知れない。 ところで 
丸山真男については、 読んだ事無い。新聞記事などでその論が解説されていたりするのを読むだけ。あの 眼光鋭い顔は、一度見ただけで覚えたが。

共同幻想曲 じゃなくて 幻想即興曲


中学生日記最終回

50年続いたNHKの中学生日記が今日で最終回だったようだ。今日だけは見た。「最終回だったようだ」というのは 新聞のテレビ欄に そう書いてあったのだが、放送のエンディングが普通だったので、ほんとに終わりだろうかと、不本意な気分になっているからだ。
50年とあるが 小学生の頃「高校生日記」というのもあった。あれは 中学生日記が変わったのではなくて、当時も中学生日記は放送されていたのだろうか。あの頃 兄と姉が見ていた傍らで私も見ていた。ただ ほとんど憶えていない。高校生のほうは 受検の意義や、定時制高校の悩みを取り上げていたのを 憶えている。中学生日記は、高校生になってから 見てたのを憶えている。女優 戸田恵子が そのままの名前で出ていた。恵子さんにあこがれている 学業優秀な小塚君がいて、このメガネをかけ刈上げの頭髪の小塚君に似ていた、同級生のHのことをコズカ君と呼んでからかっていた。Hの方は、真面目 実直な小塚くんとは 全く正反対の性格だったが。
今日の最終回にその戸田恵子や竹下恵子、近藤好正など 嘗て 中学生のとき出ていた俳優が出るということで見てみようと思ったのだ。今日の役どころは、父親 母親、校長先生。中学生として出ていたときの映像が出るんじゃないかと期待したがそれはなかった。
ドラマのほうは いじめをテーマにした かなり重いもの。中学生が自分の虐められた体験を語る場面は、台詞でなく本当に自分の体験を話しているようで、胸を打たれた。中学生に是非見て欲しい番組なんだが、内容の濃さ故、敬遠されもするんだろう。

中学生日記のエンディングに使われたらしい、出演中学生たちのダンス


昨夜は頭痛に悩まされた。激しい頭痛だった。何が起こったのかと、不安だった。頭の後ろの方だが 深さでいうと真ん中付近。脳の図を見たところ 側頭葉というところではないだろうか。脳内出欠とか、くも膜下とかを懸念していた。翌朝の出荷の準備をしないといけなかったが、止め。早く寝ることにした。
ところが 寝る前にメールを確認 と パソコンに向かい ついでに静かな音楽でも聞いてからと、ユーチューブで、ジャズを聴き、次いで グラビアつきの音楽を聴いてるうちに 頭痛が止んでいた。そして今朝、頭痛なし。
推測すると、やっぱり疲れの所為か。神経が疲れてたんだろう。音楽と心地よい視覚への刺激で、リラックスでき、睡眠で休息でき、無事に回復。しばらくは夜更かしを慎み、穏やかに過ごします。しばらくでなく ずっとでないといけないかな。

確定申告書を提出してきました。貸借対照表は、早くで 勘定が合って すぐ出来上がるはずだったのだけど、試算表や決算書を作る段階で、いろいろ不都合や、勘定科目間違いなどが見つかり、結局昨日 全部やり直すハメに。
出来たのは 夜中2時半。ブログどころではなかった。
何とか 期限内に提出できて やれやれだが、内容を見て、その数字に気分が落ち込む。去年前半は ほとんど付き添いで病院にいたから、休業の日も多く仕方ない。でも舞の所為なんかじゃ決して無い。舞は「お父さんいいから 仕事してきて、大丈夫だから」と、いつも言ってた。私が舞と居たかったのだから。私にとってそれが大事だから。
23年度の業務は 今日で終わり。今から 今の業務に専念します。
夕べ ブログを休んだ言い訳を書こうと思ったけど、やっぱり 舞のことを思い出す。23年度は終わりでも、舞は永遠。

マラソン女子のオリンピック代表で3番目に選出されたのは 尾崎好美だそうだ。私は現時点で 一番実力があるのは尾崎好美だと思うのだが、選考委員の間では 先の二人に劣ると判断してたのだろうか。
この3番目に選ばれた選手が過去の大会成績がいいのだ。ソウルでは最後まで 小島と代表を争った浅井えり子が 日本人トップだった。最もこのときは3人とも20番台だから、ほとんど同じ記録と言っていいんだけれど。バルセロナでは よく知られている事だが、松野明美か有森裕子か、世間を騒がせていた。結果 有森が選ばれ本番では銀メダル。次のアトランタも、北海道マラソンしか走ってない有森に対し、鈴木博美が好タイムを出し、選考レースで優勝していた浅利 真木の評価が高く、有森不利が伝えられていた、が、陸連は実績を評価して有森を選出 またも本番でメダル獲得。シドニー金の高橋も 怪我で選考レース出場が危ぶまれたが、最後の名古屋に何とか間に合い優勝。タイムも2時間21分代で、22分代を出し、候補に挙がっていた弘山を逆転。ただ このとき高橋は誰にも日本トップの実力であると認めさせる力を持っていた。だから 怪我を克服して選ばれたことでみなホットしたと言うところ。3番目で期待度も薄く気楽に走れて好結果と言うこともあろうが、オリンピックの注目度は他とは比べようが無い。そんな中で外国の強豪と互角に戦える人を という選考の基本があるようだが。
実績十分の尾崎が3番目に選出されたのなら これは幸運と、楽しみに思える。後の二人はマラソン経験は浅いようだが どの駅伝でも見事な活躍をしているチームのエース 重友などは この後日本を代表する選手になれそうな、そんな予感を持たしてくれる。

オリンピックはイギリス ロンドン
イギリスと言えば ビートルズ


川内君選ばれず。注目を浴びてた、あの福岡で強かった川内は オリンピック代表に選ばれなかった。東京での失敗で印象が悪くなった という意見もあるが、福岡での2時間9分台の記録では、やはり見劣りするかもしれない。本人も7分台を出したら、すっきり選ばれると思い それが出来なければ諦める と、割り切ってたようで、落選会見の歯切れはよかった。ただ 補欠の選考で、別の一人が選ばれたわけだが、こちらは、実業団連盟の推薦でもあったのかと 思いたくなる、筋が通ってるとは思えない 理由が 述べられていて、こちらはスッキリしない。川内にすれば補欠なんて中途半端な状況にいるよりは、次の目標に直ぐ向かえる方がよかったのだろう。選ばれた人の会見と 同じくらい川内の会見は報道陣がつめかけ、注目度と人気は 断然彼がトップだったようだ。男子マラソンが注目されるようになったことは、 彼の功績と言う意見はかなり多い。彼が出るレースはどれも注目されるだろう。オリンピックが注目されるのは当然 その度合いは 一般大会とは比べ物にならぬほど。選ばれた3人、記憶に残るくらいの活躍をして欲しい。北京に出たの誰だったか、もう忘れてて 一人も思い出せない。女子は憶えているのだが。


一年前のことを思い出している。今日は日本中の人がそうする日だ。昨年、最も大きな出来事と言えばあの東北の惨劇だ。私にとっては その4ヵ月後に子供を失った事が、最大の悲しみだが、日本人にとっては 一年前の今日の出来事が、過去10年間でも最悪のものとして記憶されるはず。
あの日は 父の3回忌のため帰省する日で、忙しくしていた。地震発生のときはスーパーにいた。買い物を終え、車に乗り、エンジンをかけると同時に カーラジオもオンになり 聞こえてきたのは、大きな地震の発生を伝え、津波に備えるよう呼びかける、必死な声だった。家へ帰ってテレビをつけると、波が押し寄せて街にどんどん侵入していた。やがてその並波が 家を押し流し 船を街中へ運び、その船と車両が一緒に流されていくと言う信じられない光景だった。東京の山元から電話が来て「地震で電車が止まり 閉じ込められている」。日本の太平洋岸から島輿の海岸に 津波警報が出されていた。与論からも、津波警報が出て、島中央の親戚宅に批難したというメールもきた。鹿児島港も警報は出ていると思ったが、船の欠航は無いだろうと、島に帰るため港に向かった。警報が解除にならないとふねが接岸できないと言うことで、待合室で ずっと待ちながらてれびに見いっていた。津波は引いた後だが、後 瓦礫しか見れない凄惨な様子がずっと映し出されていた。
結局 船は欠航。港から近い 舞の入院先の病院に行った。舞もテレビを見てた。二人 画面に見いったが、話は出なかった。その頃はまだ 舞は元気だった。高熱がよくでるようにはなっていたが、昼間は元気にロビーへ行って他の患者さんと会話を楽しんでいたりしていた。
翌日 飛行機で島に帰ることにして 空港に向かった私に 母親から メール「舞のことが心配なら 行かないで」いきなりなんだ 昨日港へ行くときは何も言わなかったのに。「もう 飛行機に乗るところ いまさら 無理だ」よ返事すると、「今回だけは 行かないで」「あなたが行かなくても 法事は 何とでもなるでしょ」
こんな事いわれると 絶対行ってやる。と 返事せず 飛行機に乗った。舞のことが心配なのは当たり前だろう。だから 日帰りで すぐ 帰るんだ。本心は 舞から聞いてた、翌々日の日曜日、 彼女達が信仰している 宗教の鹿屋の施設の完成祝いがあり、そこへやってくる「教え主」と呼ばれる、頭に 舞が面談できることになっていて、私に鹿屋まで送って欲しいのだ。法事の後 その夜 やっと警報が解除になった名瀬港で ぎりぎり船に間に合って、鹿児島港に戻り 鹿屋まで行くことが出来た。鹿屋の町は普通だった。宗教施設の完成を祝う人たちは、何より 今は その事が最も大事で、日本中が心を痛めてる 状況に無関心なのかと 思った事で、鹿屋が日常と変わらぬように印象を持ったのだ。帰りのフェリーで見たテレビでは、首相が 原発事故の重大な状況について発表していた。その夜 舞からは感謝のメールが来た。
翌日 病室に行くと 舞はやはりテレビを見ながら、震災のことを話してきた、表情も普通の人と同じ、悲痛な感情があらわれていた。前日 「体は悪くなったけど 心は ずっと綺麗になった 気がする」と言ってた。前から綺麗だった。他人を思いやる気持ちは人一倍強かった。
その2ヵ月半後 病気が急速に進行し始め、私達は、何かにすがり 何かを忘れようとしながら過ごしていた。他人のことを思う余裕をなくしていた。舞は 妹の事 友人達のことを 思っていたようだ。
東北には 家族を失った人が 大勢いる。それも、さっきまで そこにいた人が、数時間後には冷たくなっているような、予測など出来ない状況でだ。いま 彼等が 悲しみを乗り越え、次へ向かおうとする姿を、しっかり見てないといけないのだろう。生きている人は、頑張って 生きていかなければ。私も 同じ言葉を たくさんの友人からいただいた。
一年前を思い出し、私の身辺の諍いをも思い出し、そして ともからの言葉を思い出し。命の大切さを、あらためて考えさせられた一日。




おはよう!朝8時40分 7時半に起床して資源ごみを出しに 収集所まで行き 帰ってきたところです。
昨夜は早く寝てしまった。早寝するつもりはなかったのだが、ちょっと横になってて 目が覚めたら朝4時だった。布団を敷いたのが10時。その前炬燵に半身突っ込んでテレビを見ながら寝てしまったのが9時前。昼も寝ている。遅い昼食を2時半ごろとって、しばらく、やはり炬燵に入って、ゴロンとしているうち寝込んでしまってたが、寒さを感じて目が醒めた。娘が炬燵布団を陽に干そうと取ってしまっていた。「風邪引いたじゃないか」と娘に言い放ったが、風邪気味は2,3日前からの事だ。しかし よく寝た。普段は 早寝と夜更かしと交互になってるのが習慣だが、早寝と言っても、12時は過ぎる。昨夜のような早い時間の就寝は ここ10年は経験ない。
ここしばらくの寝不足分を 取り戻そうと体が欲したのかもしれない。
勤めていた20年前は 確かに 日曜は休息の日だった。ほとんど一日寝ていた。仕事は毎日のように残業で、帰りは夜9時以降、それから、ゆっくりくつろいでいると、直ぐ12時を過ぎる。たまには誘われて あるいは一人で 飲酒して帰ってくることもある。翌朝は二日酔いのまま仕事行ってた。土曜はいろんな行事が行われてたり、普段出来ない やりたい事をする日で、日曜が専ら休む日。勤めてた10年間こんな習慣だった。十分寝て元気になった日曜の夜はまた 夜更かし。
さて 十分睡眠をとった今朝は、頗る快調。課と思えば 背中が痛い 肩が凝ってる。夕べはちょっと横になっただけで、そのまま就寝つもり出なかったから、服はそのまま 分厚いジャンバーを着けたまま窮屈な格好で寝てしまった。寝直したら元に戻るかな そんな分けない。残念ながら今日はこの凝りと痛みを我慢しながら過ごすハメになりそうだ。

藤原真理の風

確定申告の作業が遅々として進まず。(まだ 終わってない)休憩にちょっと音楽を。パソコンに向かっているから、手っ取り早く ユーチューブで、静かに村治佳織のポップな曲の演奏を聞き始め、千住真理子の繊細なバイオリンの音色で、連ドラ「ほんまもん」のテーマ「君を信じて」と中学生の千住が奏でた「慕情」にひきつけられ、これは ちょっと休憩の時間だけではすまなくなってしまい、藤原真理も是非聞きたくなった。私の娘の名前は真理。上の舞に似た名前をつけたわけだが、込めた願いは、音楽を好きになって欲しいということで、クラシック界の美女3人 千住真理子 藤原真理 熊本マリ、この3人のアイドルまりちゃんにも 少しあやかりたい願いも入っている。ほとんど放送メディアに出ないと思ってた藤原真理だが 風のコンサートと CWニコルと対談している動画は たぶんテレビの映像だろう。昔と同じ雰囲気と表情が残っていた。彼女が注目されたのは1978年チャイコフスキーコンクールで2位になったときだ。当時のFM雑誌で盛んに取り上げられ、その時テレビで一度だけ見たことがある。ショートカットの髪と、話すときのはにかんだ表情が印象に残っている、そのかわいらしい顔が、演奏に入ると、厳しくなる。その対比も素敵に思えた。今はもう60歳を過ぎているはず。今日見た動画は 40代くらいのものだろうか。演奏は「鳥の歌」ジブリ映画「風の谷のナウシカ」から「風の伝説」「遠い日々」私が持ってるCDも 「風のメッセージ」と、風がテーマだが、今日聞いた3曲は「風 ナウシカの思い出に捧げる」と言うタイトルのCDに収録されてる中からのもののようだ。
ヨーヨーマの演奏を「大河がゆったりと荘厳に流れているよう」と表現した人がいた。藤原真理の演奏とそのチェロの音色は、「深い森の中で、大木を揺らし 枝葉のざわめきが遠くから聞こえる そこに吹き込む風」のようだ。
時に繊細に 時におおらかに 時に力強く。チェロというそれほど鮮やかな印象のなかった楽器が、とても好きになったのは、藤原真理の演奏を聞いてからだったのは 間違いない。たぶん その時の音楽と、演奏している藤原真理の姿に 酔いしれたのだろう。心和み、リラックスできた時間だった。
だが ちょっと長すぎた、今から事務作業再開する気分にはとてもなれぬ。

グリーン レクイエム チェロ演奏 藤原真理




雨はまだ降り続く。いったい何日目だろう。そして寒い。気温7度は一時期と比べれば、ずっと高いほうなのだが、汗ばむ陽気を体感した後では、この気温でも震えるほどの寒気を感じる。未だウォーキングには出てない。昼間、銀行や、買い物などの用事は、 歩いて 傘を差して行くようにしている。割と早足で。しかし 片道12分程度では、減量には結びつかない。用事を果たすときは歩行がとまるので、帰りの歩行をくわえても、体に満足感は湧いてこない。40分以上続けて歩いて効果ありと いわれているし、1時間を目標にして歩いていた体には何の刺激にもならない。室内で何か 運動を と思っても これが続けて1時間と言うのは無理。そういう運動も思い浮ばない。汗が滲むほど忙しく仕事ができればいいのだが、いたって暇。思い切って 加治木あたりの配達は歩いていこうか。遅くなって 叱られそうだ。
天気予報では明日も雨。空をうらんでも仕方ない。今は 太らないように生活することを心がけるか。と、ポップコーンを口にほおばりながら書いている。いかん!


ついついサッカーに見入ってしまった。紅茶を飲もうと台所へ行き、娘が見てたテレビがコマーシャルに変わり、他のチャンネルを探っているとき、サッカーをやっているのが、目にとまり、「今どっちが勝ってた」と もう一度サッカーの画面に戻させ、娘がテレビ前から立ち去った後はチャンネルをそのまま、私も立ったまま 見続けていた。紅茶を淹れる前、まず 洗い物をはじめたところ、背中からのテレビ音声が ドイツの先取点を伝えた。振り向いて それを確認し また 洗い物を始めると すぐ 2点目が いとも簡単に入れられたように アナウンスしているのが聞こえる。「なんだ がっかり」とはならなかった。そこから 立ったままでの観戦が始まった。2点取られた時点で まだ まける予想はしていない。案の定 同点に追いつき、また 取られても また追いつき、そして・・・ 結果は知らない 終了のホイッスルは聞いてないから。しかしドイツが4点目を取ったのまでは見ている。結果はか大方予想できてる。もしかしたら あの後 また同点に追いついたのでは、という期待は結果により否定されているわけではない。まだまけてない と 思っていられる状況にしておいた。
女子サッカーが面白い。たぶん 日本が強いからだろう。期待させてくれる。今日も面白かった。見事なパス回しだった。試合の間立ってても、疲れなど を憶えない位に 集中して見ることができる、すばらしいものだった。
ここで まけてしまったことが 後のオリンピックにいい影響が出せるんじゃないかと そんな気になってくる。勝ち続けるより、一度負けを経験して、新たな気力が生まれるのでは。今大会では、控えだった選手がたくさん出て、よい結果を残したようだ、まだ 名前を知らない選手が結構活躍していた。前のアメリカ戦で、キーパーは福元もよかった。勝敗を別にして、チームとしてはいい結果になったと、思った。
サッカーに関しては ちっとも詳しくない 私の 感想です。


夜 ホームセンターへ行くと、丁度出てきた 先輩のWさんとばったり。久しぶり。公立病院の薬剤士で、数年前から姶良で勤務してるのは聞いていて知ってたし、一度 電話をもらった事も会ったが、会うことがなかった。姶良での勤務は2度目で、前は私が役場前に店を出していたときで、時々 奥様と店によってくれてた、その後大島に戻り、私の父が県立病院に入院していたときは、薬の説明を先輩がしてくれた。そんなお世話になた先輩が、なんだか小さく見える。どうも 体調がよくなく、仕事をやめたそうだ。そして まもなく 奄美に帰る。
「死ぬときは 島の方がいいから」なんて、笑いながら言っていた。
前の姶良勤務のときに 子供さんが生まれた。今10歳くらいだろうか。まだまだ 頑張らないといけないお父さん。島に帰って、新たな出発ですね。美味しい空気と、豊富な健康食材で 元気になれるでしょう。お友達のI先輩と、夜な夜な屋仁川で遊ぶ事を控えたら、大丈夫でしょう。
w先輩、中学のときの2級上、I先輩も 歯科医のN先輩も、もう一人のWさん。市役所名物のEさん。みんなお世話になった人たちで、尊敬もしてた人たちです。

先輩たちも 土曜の夜見るのが楽しみにだった 竜雷太主演 「これが青春だ」
主題歌は布施明


雨続きだ。何日目だろう 晴れてたのはいつだったのか 憶えてないくらい 雨が続いている。今日も時々は晴れ間も見えたが、一日通して雨は降り続いてる。特に夜になってからは かなり激しく降った。
今気温は15度。もう3月だ かなり温かくなっている。
忘れてた事がある。ウォーキングをしなきゃ。気温の低い間は、やめてたけど、この温かさならやらなければ。3月になったら始めようと以前は思っていた。が、しばらくやめて、普段の生活から抜け落ちた行動は意識の中からも消えてしまって、今日まで 気づかず思い出せずにいた。
昨日、ヨロンマラソン、来年こそは出ようと、気持ちを高揚させてたのに、3月だからウォーキングを始める という意欲は起きてない。長く休みすぎた。
体重は変わらない。少食になったせいで、増加はしていない。といっても太り過ぎの状態で留まっているわけだから、不健康は続いている。
雨が止んだようだ。今から歩いてみようか と思ったら、とんでもない時間。しかし 意欲のあった頃は こんな時間でも歩いていた。
とりあえず 明日からまた歩く と決断。まずは鏡に自分の姿を写し、その不恰好を意識して、絶対続けなければいけない事を自覚することからだ。


歩き続けるうた 生活の柄 画面で作詞も高田渡と表示されているが 沖縄の詩人山之口獏の詞だ。



ヨロンマラソン

朝から ヨロンマラソンのネット中継を見ていた。まだ ランナーが到着していない、城の昇竜橋を登りきった地点にあるフードステーションを映し出していた。懐かし場所で、懐かしい人たちを 思い出していたら その懐かしい人たちが出てきた。私のヨロンでのアグンチャー(友達)の顔。観光協会長になったT 陸連会長だったHさん。毎年着ぐるみで、パフォーマンスする Mさん夫妻。道路端で三味線弾いたり太鼓たたいたりしている見憶えのある人たち。ランナー達が橋を昇りきってやってくると、待機していた人たちが、やたらと賑やかになる。みんなで並んで踊っている。画面が小さくて 踊っている人たちの顔は判明しないが、私がいた20年前も こういう賑やかな人たちが たくさんいた。城は婦人会が元気だったが、今は 壮年団も元気なようだ。最後は 制服姿で接待していたJALのCAの人たちも一緒に踊っていた。ランナーだけの大会でなく、島の人みんな、関わってる人たちみんなが楽しんでいるのがよくわかる。
私が参加した 21年前と違うのは 女性ランナーのカラフルなファッショナブルなウェアー。ランニングスカートが普及して、ほとんどの女性ランナーが愛用しているようだ。
画面がゴール地点に変わると、消防所長Nの顔が。ゴール前でカメラを構えてずっと待機しているのは、写真屋のI兄。3時間程のタイムで フルマラソンのトップランナーが帰ってきた。インタビューしているのはよくテレビで見ているKTSのタレント。これは別に懐かしくは無いけど、いつもの人が違う場面での登場に、懐かしさと同じ感情が。ひまわりキッズと呼ばれる小学生達が ゴール1キロ前から ランナーの伴走をする。何人もの子がいるが、ランナーの方が多いから ゴールからまた 1キロ地点に戻って、他のランナーとまたゴールして、と 何往復もしている。子供達を伴ったらんなーは皆嬉しそう。風来坊がキッズ二人を引き連れてゴール。こっちへ向かってくる。私を見つけて挨拶に来たか と、思ったが わたしはあそこにはいない。WeBカメラのほうへやってきたのだ、そこで 記念撮影をしている様子。後で聞いたら そこに風来坊クラブナンバー2番の Nさんがカメラを持って待ち構えていたそうだ。先ほど 風来坊君から 今日の完走パーティーの様子をユーチューブにアップした旨報告あり。早速見ると やっぱりすごい盛り上がり。行けばよかった と 悔やんでいる。

完走パーティー





明日はヨロンマラソン。21回目の開催。平成4年に与論からの風来坊君の電話で誘われ第一回大会に出たが、それっきり。その時足の甲を痛め それが一年以上治らず、体重も増えて、それ以来 与論マラソンはテレビ放送で楽しむだけになってる。嘗て 一緒に頑張った 陸上連盟の人たちが運営に携わってがんばっているのに と思うと 行けないことが残念で申し訳なくも思う。
風来坊君 今年も走るが ついに フルマラソンを諦め ハーフに出ると言う。50半ばで泣く泣く決断。しかし友人のK歯科、去年19回目のフルを走ったが 今年も走るんだろうな。あの 筋骨隆々の体で、持久力まで備わっているとは。それより 去年20回連続出場だったM先輩 今年21回目も頑張るだろう。島から 鹿児島に居を移しても 毎年このときは 里帰りして マラソンを走り、走りながら沿道に知り合いを見つけては、久しぶりの挨拶駕できる。各家々を回らずにすむので、これは好都合。
昨年の大会の後 風来坊と その従姉妹のT嬢に「来年は 僕も ハーフに出る。走れないから 歩くけど」と宣言したのだが、結局トレーニングせず 体重も落ちず。先ほど約束を反古にした事を二人に謝った。
全国から この大会を 楽しみに来る人たちが大勢いる。何度も来てる人がいる。ヨロンという島の魅力に惹かれてやってくる。コースから見れる眺望も 島の人たちの応援も ランナーが楽し見ながら走れる。島と島人とランナーが一つになって成功している大会。
明日 好天で迎えられたらいいのだが。そして 私は 明日の今頃は 「来年は必ず 行こう」とまた 定年の如く思っているはず」
与論マラソン2012WeB中継

「新宿はみなとまち~~」と森進一が歌っていたが、江戸の新宿 昔の内藤新宿は宿場だった。昨日の「ブラタモリ」で、知った。新宿湊町という地名もあるが。今の新宿通りが 元の甲州街道。今も 昔も 交通の幹線道路だった。車の交通量の多い道路だが 昔は馬車が、何頭も行き交い、馬糞だらけの道だった。今 副都心の名で呼ばれる新宿も 江戸では 町はずれ 江戸に入る 最後の宿場として 休憩して身支度をやり直す人たちに利用されていたそうだ。明治の新宿駅が出来た頃、駅利用者は一日平均50人。今は 2百数十万人。いったい何倍になるんだろう。
新宿御苑も含め一帯は内藤家という武家の所有地だった。番組にはその17代目の頭首になる人物が出演。御苑に入るのに200円の入場券を購入。本来なら自分の庭なのに お金を払って入ると言う、おかしさで タモリが大いに愉快そうにする。甲州街道と青梅街道の分岐点に追分と言う地名がある、そこで二手にそれぞれ分かれ 進むうちに二人の距離が離れていく、それをあらわした追分と言う名に 風情を感じる。また、甲州街道がいきなり右へ 左へ 右へ と 屈折しているが、これは 玉川上水を通すために道の方を作り直したようだ、江戸にとって町民の命に関わる水を守る方がより大事だった。毎日のように新宿で仕事をしているタモリは この新宿をよく散策もしていて、いろんな事情にも詳しいが、番組で自分の知識が役に立ち、また 新たな発見をし、疑問が明るみに出る。頗る愉快そう、満足そう。見ているほうも 楽しく満足。

向田邦子が教えてくれた

「向田邦子が教えてくれること」という番組が」一月三日にあった。録画してあったのだけれどまだ ぜんぶは 見てなかった。今日、未視聴の部分をみた。レポートする山口智子が 磯浜に腰を下ろし 向田のこと 自分の思いを語ってる場面からだ。その前の部分を見たのは何日だったか?どんな内容だったか、すっかり忘れている。山口智子が、東京 青山や 鹿児島を巡りながら、向田邦子の本のその場所に関連した箇所を朗読したり、向田が書いた 男と女の関係 家族の関係について 自分の苦悩をも踏まえてコメントしている。
鹿児島サンロイヤルホテルの最上階にある展望レストランに場面が移り、窓際の席に自分の飲み物と、向かい側の席にビールとサンドイッチをおく。向田の好物で、ここでもそれを食したらしい。窓からは正面に大きく桜島が見える。向田はここで、桜島を眺めながら6時間を過ごしたそうだ。「鹿児島感傷旅行」で、このホテルの前が 子供のとき遊んだ天保山の砂浜だったと 教えられている。病気に罹って、是非もう一度生きたいと思ってた鹿児島の、よく遊んで 最も思いで深い天保山の砂浜から見た桜島に感傷的になっている姿は、たぶん声をかけられず そっとしておかねばならない雰囲気を作っていただろう。本人にとってはそう長くないほんのひと時の6時間だったとおもう。「もし 寿命があとわずかと わかったとき 是非言ってみたいと言う場所がありますか」と問われた山口智子は暫し考え込み「今は言いたくないです」と 返事している。あるはずなんだけど 具体的にどことは浮かばないようだ。番組の最後に「これまで 私を温かく見守ってくれた全てに ありがとう と感謝して回りたい」と応えた。私が考えてた全く同じ答えだった。
東京表参道の向田がよく通ったコーヒー店でも 自分のコーヒーと 臨席にもう一つ向田のコーヒーを置く。山口智子が心酔していた向田と同席で語り合ってる気分なのか。コーヒー店は、その名は出なかったが、コーヒー関係のものなら知っている「大坊珈琲」だ。
最後に「手袋を探す」と言うエッセイを択んで読んだ。一冬 手袋無しで過ごしたことを、意地とか我慢のように周囲に思われたが、ただ 気に入った手袋が見つからなかっただけ とある。そして 何十年もったった今でも 手袋を探している。51歳で事故死した向田だが ずっと自分の向かう道を探し続けていたのか。この「手袋をまだ探している」と言うのを、山口智子もすごく納得 気に入ったよだ。そして 絆について言及。山口にとって絆は重っ苦しいもので 金偏であらわされていた、でも 向田の足跡をめぐって、「やっぱり 絆は 糸偏だ。糸で結ばれてるもので、こちらからきろぷと思えば切れる」のしかかっていた重みが取れたようだ。山口智子にとっての感傷旅行でもあったようだ>





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。