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先日 「わたり鳥」を歌っていた「七福神」の映像があります と コメントを下さった 宮崎のKさんが、来て下さった。「鹿児島で用事があったので」とおっしゃったが それでも わざわざだ。実は Kさん わたり鳥 を作曲した 井上清春さんの 弟さんだった。「七福神、を 憶えてくださってたのが うれしくて」と言うが こちらは その10倍くらいの嬉しさだ。仕事中だったが すぐに見たくて、PCのドライブに挿入。37年前、ラジオで聞いた あの場面の映像が見れる。PCを手に入れてから 見たくて ずっとyoutubeで 探していた動画。やっと見ることができて感激、そして歌を聞いて感動。彼らはアマチュアだ。最高のグランプリの栄誉を獲得したあと直後の演奏も、何ら変わりなく 堂々と歌っている。井上さんのボーカルは、低い重厚な感の声ながら 高音部になめらかに登っていき、すごく 伸びやかだ。
受賞発表の瞬間から 受賞セレモニーのとき そして 再演奏の間 彼らは平然としている。喜びの表情ではない。どちらかと言えば 戸惑っているのだろうか。この大会、以前コメントをいただいたことのある柴田容子さん 八神純子 それに 中島みゆき も出場している。彼女等を抑えてのグランプリだ。本人たちの驚きは 容易に想像できる。それまでのフォークとは 趣がことなり、フォークと歌謡曲の融合などと評されていた。もちろん絶賛だ。映像をみて初めて分かったこと。メンバーに女性が二人。女性がいることは想像できていたが。ステージに並んだメンバーは5人。7人ではないのか それとも 後方のピアノとドラムスまで入れて7人なのだろうか。福岡大の7人で七福神だと思っていたが そういえば大学のある 七隈という地名もグループ名に関係していると言っていた。七隈の福大ということだったかな。もう一つ 綺麗なトランペットが響いている。これは ヤマハの楽団の人だろうと思っていたが、このメンバーの一人が吹いていた。
DVDは立て続けに 3回繰り返し観た。仕事を終えたあともまた見ている。もう 10回近く見たのでは。ポプコンの会場の様子も知ることができた。拓郎 かぐや姫のコンサートが おなじつま恋で、あったのも同じ時期。観衆が なんだか違う 同じ若者なんだけど、こちらはちょっと上品?このコンテストの格がそういう雰囲気を作っていたのかも。当時私は長髪 髭はまだ生やしてなかったけど 髪が一番長かった頃。服装など懐かしく見ていれるが 私が行ってたら 場違いの感を持ったかもしれぬ。
このつま恋である 11月の同窓会。この場所はまだあるんだろうか、行ったら是非見てみたい そして 空想で七福神のメンバーを立たせ、わたり鳥 を聞いてる 自分を想像してみよう。
Kさん 井上さん ほんとにありがとう。
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昨夜 テレビで「八日目の蝉」が あった様だ。娘が録画していた。それを 「見て!」という 「すごかったよ」と。私も見たかった映画だ。DVDのレンタルが始まるのを待っていた。今夜 寝っ転がって、観た。誘拐された主人公の現在と 誘拐犯と暮らしていた、幼児の時が 交差して出てくる。時間を追ってストーリーが流れると思っていた予想とは、異なっていた。角田光代の原作を読んでないので、原作に忠実に乗っているのかはわからない。最後にそれらが皆結実する。それまで母親だと信じていた人と、訳のわからぬまま、引き剥がされてしまった場所で、蘇った記憶に、自分の背負ってきた苦悩の訳を、理解でき、解き放つことが出来たのだろう。現実の自分を、受け入れることが出来、きぼうにも繋がった。
誘拐犯の方 こちらも主人公だ、その子供と 毎日を暮らすために 全てを投げ出し、全力を傾注した。こちらを主人公として、キネマ旬報では 誘拐犯役の永作博美を主演賞に選んでいる。たとえ きっかけは 恨みという因があったのかもしれなくとも、側にいつもいて、自分を頼る子供には 血のつながりとか 関係なく、親子の愛は完全なものとして、生まれている。ずっとずっと前 その命が存在したときから 自覚している愛のように思っているはず。私にはそれが わかる。
観終わったときは 涙があった。娘が 「どうだった」と 聞いてくる。顔を向けられずに。「うん」とだけ応えて そこを離れた。娘も こういう複雑な愛情を理解できるようになった かな と、成長をうれしくも思う、が、現実に 彼女の 両親への愛の表現は、複雑に悩んでいるに違いない。
この映画、まだ 本当の核になってるものが わかってないような気もする。もう一回見てみよう。感想はそれからにしよう。



「渡り鳥」  七福神

コッキーポップTVのことを書いた記事の最後に 「七福神の映像、のこってないだろうか」と言ったところ、ポプコン グランプリ受賞の時のビデオが残っていますという コメントをいただいた。そして リーダーで作詞作曲の井上清春さんの近況も教えてもらった。youtubeにアップされてないかと検索したが 出てきたのは この私のブログで、過去に書いた、七福神の名が出てくる2題。動画は無かった。ただ 宮崎のマンゴープリンを作っているレストランのブログに、井上さんの写真が出ていた。ご自分の娘さんの結婚式で 弾き語りをしている写真だった。宮崎で今も音楽活動を続け、コンサートも定期的にやっていることを、先のコメントで、教えてもらった。
いまこの曲は 38年前に録音したカセットテープで、ポプコンでの演奏を聞くだけしか出来ない。幸い そのテープがいまも無事で 聞けるから ありがたい。大洋を、果てしない時間をかけて遥かな目的地を求め飛び行く 渡り鳥を思い描ける 壮大な雰囲気の曲に載せ 浪々と、恋を失った女性を歌う、その歌を初めて聴いたときから、心が震わされていた。ライブ映像 是非見てみたい みんなにも見て欲しい。聞いて欲しい。

東京は昨日 台風の影響で、大変な状況だったようだ。テレビでは 強風にあおられ既に敗れてしまっている傘を必死に支えている人、電車の運休で 帰宅できずに 駅に佇む人たち。台風は丁度関東の真ん中を通過したのだから、もろに影響を受けてしまうのは仕方ない。鹿児島でなら 台風が上陸するようなとき、皆雨戸を閉めた家に、止まって、外になど出ないのだが、さすが東京 眠らない街は、台風でも休まない町なんだ。
鹿児島は、全く と、言っていいほど影響なし。いつもよりは 少し 風がある程度。それより 前夜に降った 桜島の大量の灰 ここでいう ドカ灰の方に参った。台風が雨を降らすので 車に積もった灰を 流してくれるだろうと期待したが、降らず 残念と思ってしまうしまつ。台風で被害のあった地域の方からすれば 不謹慎なことだろう。明日からは 次の台風5号の影響で、大雨の予想。今度はまともに鹿児島に向かってくるようだ。今は梅雨時。先週末から、強い雨の日が何日もある。田植えを終えたばかりの田んぼで、苗が 水没してしまっているのを見て 大丈夫だろうかと、心配になる。去年もこの時期 大雨が続いた。舞の病室から隣の立体駐車場にたたきつける雨を、または うっすらと霞んでしまっている櫻島を眺めていた。付き添いを交代するはずの 母親が、あまりに激しい雨に、「怖くて運転できない」と 病院にいけない旨言ってきたこともあった。ベッドに横たわって起きれない舞は ただ 空から突き刺さるように、降ってくる 雨の筋を眺めるだけ。何を思いながら見てたのだろうか。外の雨の音は聞こえないはずなのに、ザーザーと激しい音が耳にうるさいような感覚で、二人 外を眺めるだけで、言葉を発せなかった。
もう直ぐ 一年。あの時 ずっと舞と一緒だった。仕事は1時間か2時間しか出来なかった。焙煎が必要なときは
3時間。午後3時 4時に 病院から姶良に戻り、夕食までにまた 病院へ、舞は ほとんど食事には手がつかない状態にはなっていたが、少しでも食べてくれるんじゃないかと、病室に急いだ。間に合えそうに無いときは、姉に頼んで 付き添ってもらった。たまには母親が、夕方行ってくれてる時は、私は 病院の扉が施錠される21時までに戻ればいい。しかし 母親は、病気を治すための宗教行為が大事と、「道場」と呼ばれる、彼女らの集会場所に行っていた。夕刻交代してくれる約束の時でも、道場に行ってしまって、結局行ってないこともしばしば。それをあてに、仕事に帰ってきてたのに、仕事を切り上げ 急ぎ 病院へ と言うことが 何度もあった。 いまになって こんな恨み言っている。あちらにしてみれば、自分が懇願した 宗教行為を 拒絶した 夫を恨んでいる。あらためて 舞を偲ぶ日を 間近にして、我が家は荒廃してしまった。修復不可能な状況。
台風や 大雨より づっと たちの悪い 荒れ様だ。

裁判員裁判で専門家の法曹人が 苦労した事に 専門用語を、わかりやすい言葉に置き換えて 発言することだったと言う。専門家同士なら ひとつの単語で 全て分かり合えることを、その言葉や意味を普段使うことなく、理解できてない人に説明するのは、かなり苦労する。庭師が石を配置するとき 最後にバランスを崩すように 捨石をするのを、庭つくりを業としている人たちは当然のこととしてやっているのに、建築士には意味がわからず 設計者と 言い合っている場面で、結局「そういうもんなんだ」と、言うしかない造園士の苦労が紹介されていたことがある。
あたしの経験は 信用金庫で勤めていたとき、手形と 小切手を 説明するのに困ったことがある。世間では頻繁に利用され 当然皆 知っていると思っていたものが、田舎の 高齢の人が営む商店などで、経営者に「聞いたこと無い」といわれ 驚いたが、その説明をしてもなかなかわかってもらえなかった。その地域では 便宜的に普通預金の払い出し伝票を作って、納品する業者にわたし、業者は、その伝票を使って 窓口で 振り替え送金していた。「それだと 金額が勝手に書き換えられる、10000円を90000円にするのは簡単だと」と実際に 書いて見せても、「ここには そんな 悪いことする人はいない」とか「あなた達が 小切手帳代を 儲けたいから、そう言うんでしょ」とか、話が進められない。それに  手形 小切手が何なのか すっきり理解してもらえる言葉が 見つからない。大学の商法の試験なら、「権利の化体」「財産権の表象」その性質を「流通する証券」と 書けばよかったのだが、そのような言葉を 発したら 馬鹿みたいに思われそうだ。新任の支店長が徹底して手形 小切手の利用を訴え 今までの預金を譲渡のようなやり方は違法だからと訴え、数ヶ月で、顧客のほとんどに承諾してもらえた。私としてはかなり苦労した思い出だ。

京都太秦物語

京都太秦物語 映画 本編も、もちろんよかったが、メイキングフィルムも感動できた。学生達が一本の映画のために、全力を出し合い一体となって ひとつの目的の達成を目指す。映像学科という 映像を専門的に学ぶために集まった人達だから、その熱心に打ち込む姿は 当然なのだろう。しかし 頭で考える映画論 知識として得ている方法論だけでは、実際の映画作りを学んだことにはならないと、山田洋次 ここでは客員教授 が大学とタイアップして 学生達に実際に公開する映画制作を委ねたのだ。長期にわたり 体力を限界まで使い、神経を消耗し極限の疲労を乗り越えて、達成した 映画完成。本当の映画を学ぶという 体験が出来た満足感を 口々にする学生達の姿に、感激。
映画のほう、見終わった直後は、正直すっきりしなかった。なぜ彼女は 声を発しなかったのか。それは 「声を聞かせてくれ」と必死に懇願する男に 私が感情移入していたからだ。でも 彼女は 彼のために泣いてくれた。側に行かずとも 駅まで出かけ 遠くから ホームにいる彼を見つめ。彼を思った。言葉を発したい衝動があふれるほどにこみ上げていた。互いに言葉を交わしてしまったら、感情があふれ出し、全てを振り払って、近ずいたかもしれない。結局 そこを 抑えきれたことで、彼は 次へ向かうことが出来るだろう。彼女も その直ぐあと、会った 恋人の、突拍子無いようなプロポーズを、すんなり受け入れられた。
予告のサブタイトルに「私は この街を去るのだろうか」と出ていた。この映画のテーマは 京都太秦大映商店街 商店主らがみずから出演、役者をこなしながら、店と その町の歴史を語る。本物の役者も、あたかもほんとにそこの子息のように インタビューに応えるシーンもある。
日本の映画を象徴していた街を舞台に、映画とかかわって日々を営んだ人たちが登場し、若者が体験する、もがくほどの恋の苦悩を描く。
実験的な映画制作だったのだろうが、見事に 私の、切ない感情を久々に思い震るわせてくれた。立命館大学 映像学科の諸君 見事です。



南日本新聞で懐かしいM記者の記事を見つけた。最近 宮崎から転勤で戻ってきて 気づいた 鹿児島のバス事情についてだが、はっきりいって市バスへの苦言だ。赤字解消のためもっとバスを利用しましょう と 表示されているのを見て 「高飛車な言い方」に思える。運転手の愛想のない態度や乗客への不親切も目にする事があり、宮崎でのバスの対応との比較で厳しく言わざる得ないようだ。もっと利用してもらえるようにがんばります と言うのが本来だろう。
鹿児島市内でバスに乗ることはほとんどない。どこを通って行くのかがわからないからだ。おおまかに「中央駅経由 谷山行き」とあっても途中どこを通って行くのか、全くわからない。運転手に尋ねても、その停留所は「止まりません」と言い放って どのバスに乗ってください と、教えてくれない と言うこともM記者の憤懣のひとつだ。バス停には 時刻表が示されているが、00方面行きとしか表示されていない、鹿児島駅行きのバスなら天文館は通るはずだと思って乗ったらバスは方向の違うナポリ通りに入ったので 慌てたが 遠く回って、天文館へ向かい 終点まで行くバスだった、目的地に着けたが時間がかかりすぎた。姶良へ帰るために「姶良ニュータウン~伊敷ニュータウン」と表示された バスが駅に入ってきたので飛び乗ったら 姶良から来て伊敷へ向かうバスだった。どっちへ行くにも 同じ方向から やってくるので、運転手が「伊敷行きです」ろ一言言うべきだと思った。これは市バスじゃなかったな。バス停に路線をはっきり表示するべきだ、停車するバス停を知らせるべきだ。中には 道路を挟んで向かい合ったバス停なのに 停車するバスは全く違う路線と言うところもあった。バスは複雑なんだ。複雑で 表示するのも面倒だが、そんなことを怠って、利用者の利便に無関心で、利用しなさい と言っても、バスは不便 という印象は消えない。大阪では ちゃんと 停車する バス停名が表示され、バスは今どこのバス停に着いたかも知らせていた、待っている人は もう直ぐバスが来るとわかることで 余裕が持てる。
どうしても鹿児島市内でバスを利用しなければならないときは、事前に ネットで調べる。これもなかなか面倒。目的地の方向に行く路線がいくつもあったら その路線を全部調べなければならない羽目に。お年寄りでも 初めてバスを利用する たとえば観光で来た人にも、利用しやすいバスにするよう 要望します。

テレビで、井上陽水を中心に他5人のフォークシンガーが対談する番組が放送されていた。30年目の同窓会とサブタイトルが付いている。小室等 加川良 友部正人 高田渡 三上寛。既に故人になっている高田渡が出ているから、数年前に録画されたんだろう、再放送のようだ。前半の30分ほどは見逃してしまったが、6人全員での討論と、陽水とゲストそれぞれの対談、歌 が、繰り返されていた。全員の話では皆それぞれの性格が現れていると、説明が表示されていて、やたらうるさく、喋り続ける、三上寛、表情も変えず静かに聞いてる友部正人。各人に気を使いながら、言葉を発するか加川良。高田渡は、寝てるんじゃないかと、思うくらい 黙りこくっているのに、話し出すと、哲学的で、軽口も多く、人の意見を揶揄する三上寛を叱り飛ばす。陽水と 長老のごときまとめ役の 小室等は、ただ 笑っている。
それぞれ どうして音楽をはじめてのか という 問いで、皆 「表現がしたかった」という。人のことでなく 自分の言葉で伝えたかった と言うのがフォークシンガーたる ところだろうか。意外だったのは、加川良がGSを、やっていたということ、アニマルズに真髄していたと言う、それが「朝日の当たる家」を高田渡が日本語で歌っているのを聞いたのが、フォークに入るきっかけだったと。吉田拓郎と双璧だったと 説明のクレジットが出てたが、私はそうだったけど、世間では 全くそんなことなかったと思う。ファンの層が全く違う。熱烈ファンが多いという点は同じだが。 友部正人が「一本道」を歌った。陽水も小室も私も感動した。この人 谷川俊太郎も認める詩人だ。詩集を何冊も出せる才を持った人だ。で、その歌はニューミュージックだ。ニューミュージックとは、都会的ハイセンスな音楽と 一般に認識されていて、友部の歌は繊細な詩の表現だ。キングレコードのベルウッドレーベルが出来たとき、この「一本道」などが入ったデモ盤のレコードが製作され、それに初めて 「ニューミュージック」と言う言葉が出ている。35年前、確かに、こんな歌はなかった。詩を抑揚を付けながら朗読しているようにしか思えなかったかも。しかし その特徴あるメロディーに乗った詩
が、聞く人の中に すんなり入っていった。みんなが目指したように、表現する、訴える 主張する その手段の音楽が ニューミュージック として 発表された。 
最後に 「また 30年後 同窓会をやるとしたらどこでやりたいですか」と言う質問に、高田渡が「墓場」と答えている。既にそこに 待機しているのかもしれない。メディアでよく見る陽水と小室等が身近な存在のように考えていたが、この2人だけ 実際には見たことがない。後の人は コンサートで何度も見たし 友部正人は一緒に飲んだこともある。




コッキーポップTV

3日前 新聞のテレビ欄で、「中島みゆきの秘蔵映像」出演「大石五郎」という記事で 「これはコッキーポップに違いない」と判断 見逃してはならぬと、思ったが、その時間 娘が「AKB48の総選挙を見る」と言うので、譲って、録画することに。そして昨日見ることが出来た。ラジオで長く続いた番組がテレビになった「伝説の番組」ということでで、コッキーポップTVの懐かしい映像や番組のエピソードが紹介された。中島みゆきのほか、因幡晃 八神純子 NSP ツイスト クリスタルキング 円広志 あみん など メジャーな活躍をした人たちが出てきた。ただ クリスタルキング以降は 80年代で 私も社会人になっていた為 ほとんど見てない。他に チャゲ&アスカや渡部真知子「愛はかげろう」の雅夢も ポプコン出身だったと言うのは 初めて知った。長渕剛もそうなんだが、今とは全くイメージの違う歌だった。
大石五郎が 中島みゆきが 「時代」でポプコン グランプリをとったときのエピソードを話している。番組関係者、プロのミュージッシャンたち 誰も 「時代」を押す人はいなかった。ところが ポプコンの審査員であるアマチュアの人たちはプロが見落とした「時代」を評価した。これから 歌を聞くのも、レコードを買うのも このアマチュアの人たちだから、この人たちの意見こそが貴重なんだと、思い知ったと。 今では教科書に載るほどの世に知られる歌になっている。「別れ歌」を歌う中島みゆきを見ながら 大石五郎と徳光和男が「しかし いい女だよなぁ、なんで あの頃気付かなかったんだろう」と雑にしゃべっている。私は初めて中島みゆきを知った時から 歌も 女の人としても素敵だな と思っていた。憧れる年上のお姉さん的に見ていた。ただ、あのいつもふざえているような、酔ってるんじゃ?と疑われる喋り方で、損してたのではないか.本人この番組で 3枚目のLP[
「ありがとう」のジャケットを示しながら、「顔には自信ある」と言ってたっけ。
他にも たくさんの人が出てたんだけど。ウィッシュは もう解散してたけど、柴田容子さん 女性に支持されてた「屋根」の高田真喜子 タイトル曲に使われていた「白いページの中に」柴田まゆみ 田島裕子 中沢京子 奥野節子  そして高木麻早 チュ-インガム。ほかの番組にもよく出ていた宮城県の吉川団十郎やとんがりコーンの小泉何だっけ。アマチュアのままでいた 七福神の映像残ってないだろうか。思い出には沢山のミュージシャンが出てくる。



N'郎さんのブログで 尾崎紀世彦を追悼している。N'郎さんは ボーカルトレーニングで尾崎紀世彦を、お手本にしていたそうで、尾崎紀世彦のどの歌にも、並々ならぬ思い入れが あるようだ。
今宵の一枚では フランス人ギタリスト ステファン・レンベルの演奏を紹介している。曲は映画「ミッドナイト・イン・パリ」で彼が演奏して挿入された「ビストロ ファダ」彼の名も 曲名も 初めて聞いたが、典型的なジプシー音楽で懐かしさを感じる心地よさ。その後 you tube の画面には ジャンゴ・ラインハルトが5本のぎたーとクラリネット、アコーデオンを従えた演奏。にぎやかに軽快にリズミカルに。ステファン・グラッペリとの競演もいくつか聞い後、聞きたくなったのは スーパーギタートリオ。パコ・デルシア アル・デ・メオラ ジョン・マクラフリンの超絶技巧早弾き演奏。初めて聴いたのは1982年頃 レコード店に行くと、同窓生の店員 U「これ、すごいぞ」と言って聴かせてくれた。まず 驚き。トリオの演奏だが それにしてもどうやって演奏しているのだろう と 想像しても 耳に入る音楽に 想像する指の動きが 追いつかない。目に見えないくらい早く動いているに違いない と 思っていた。ありがたいことにyou tubeで見ることが出来た。このライブ映像の歓声、レコードの最初に出てくるそれと 同じ。この演奏が レコードになったのだろうか。不思議に思わざる得なかった指の動きは ちゃんと見えている。早いことは早いが、それより 安定して動く と言うことが特に印象付けられた。圧巻「地中海の舞踏」出だしが聞こえただけで「ウォー」と声が出そうになる。




県高校総体 陸上競技。毎年 鴨池運動公園陸上競技場に見に行っている。去年も下の娘と、舞の病院から直ぐの競技場へ出かけた。むすめは初めてだったが、丁度 同じ年齢の人たちの 全力走を熱心に見ていた。女子ハイジャンプには 中学の同級生も出ていた。陸上競技の強かった中学、他にも鹿児島南や鹿児島実の陸上部で同級生が頑張っていた。
毎年 配達のついでに 鴨池に寄っていたのだが、今年は配達中に時間がとれず、昨日、その目的だけで行って来た。おそらく この大会見れるのは今年が最後だろうと思って。来年は鹿児島にはいないと思う。もし 奄美に帰っていたら また 陸上の審判をやろうか。それなら この大会の審判員として 来れるかもしれない。
二人の 選手を見る目的もあった、いとこの息子 たかひろ。中学から陸上部で、この競技場へは来ていた、高校でも 陸上部に入ったと聞いてたので、出るとしたら100mH プログラムに出走者名は 載っていたが、残念ながら棄権だった。ロングジャンプも棄権 100X4Rも 回避している。故障しているようだ。
もう一人は 赤ちゃんの頃 私の店にも 家にも来て やんちゃ振りを発揮していた つよし君。既に 県下一周駅伝では 大島チームの中心選手となっている。去年も 3000m障害の決勝に進んだが 入賞はならなかった。今年は 6位入賞 南九州大会出場決定。ラスト80mで、6位争い わずかにリードを許していたが 最後の障害で 相手が転倒。鹿児島城西の選手は 気の毒で仕方ないが、入賞できたつよし君に対してのうれしさが大きかった。
全国レベルの川薩清修館の橋元 や 鹿児島女子 上原さんの 走りは やはり圧巻だった。これまでの陸上強豪校以外でも 中学が好成績を出している出水 や甲南 玉龍 と言った進学校。離島の屋久島 種子島中央 など好成績の選手の目立った学校が多かったように思える。私の後輩達も頑張った、女子やり投げで2位 200mで7位。やはり 後輩のたかひろ君 3年生になる来年にはきっと と 期待したい。

女子3000m 鹿児島女子 上原美幸さんが 県高校新で 優勝
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川内 ダイニングカフェ アンサンブル

川内へ行って来た。
舞が働いていた サンピア姶良で 調理師をしていた裕君が、独立 レストランを開業することになり、「コーヒーについて教えて欲しい」ということ。お母様からの要請だった。出水にいた舞は よく このお母様を訪ねていた。舞を 自分の娘のように かわいがってくれていた。入院中も 見舞いを重ねてくれた。是非 手伝わせていただき お返しが出来ればと思う。裕君の料理の腕は 舞から その確かさを 何度も聞いていた。ケーキのスポンジを口にしたとき その滑らかなおいしさに驚いたことがある。ただ 本人 いたっておとなしい。料理に関しては問題ないが、接待 経営に関しては お母様と 妹さんの手を借りるようだ。お二人 本人と違って 社交的3人のコンビなら きっとうまくいくだろう。
今 店舗を建設中。今月半ばに完成、来月はじめにオープン。
川内市 上川内の「ダイニングカフエ アンサンブル」
国道3号線沿いです。お近くを通る方 看板が目にとまったら 一度 いってみてください。

また逢う日まで

尾崎紀世彦さん死去の報。
1976年、レコード大賞に輝いた「また逢う日まで」を、聞いたとき、その歌の迫力に、驚いたものだ。前年からヒットしていた「ラブ ミー ナイト」のトム・ジョーンズと、その風貌と声量が似ていて、和製トム・ジョーンズともいわれていた。もともと ラテンミュージックを 歌っていたが、ワンダースと言うグループを経て、ソロシンガーに。「また逢う日まで」の最後のバックコーラスを、ワンダースの、元メンバーが努めている。懐かしい曲 思い出の曲 また 聴いてみよう。