店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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さっきから 名前が出てこない、もどかしい。ラジオのクイズ。ロンドンオリンピックで活躍が期待されている、身長156cnの選手というと 誰?次に はじめてのキッス というヒントがあり 旗手だね それなら簡単、分かった と おもったら 名前が出てこない。女子レスリングで 3連覇がかかっていて、コーチは榮和人で。顔ももちろん分かっている。次のヒント 配筋力が200k以上、名前は南沙織と河合奈保子からとった など 言われても まだ出てこない。
昨夜も、ユニクロが出てこなかった。娘に 「銀座にある 衣料の格安店で、有名なあの店の系列店はなんという名前だっけ、アルファベット2文字の」その有名店が出てこない。「ファーストディティングが経営してるの店」娘「はぁ」「あの 生協のところにある店」 「ユニクロ」「そう ユニクロ アハハ」笑うしかない。
そして あの 選手の名前。笑ってられないのかも これはいよいよ 始まったか。最近 よく頭痛がするが これは関係ないか。寝不足?すこし関係あるかも。この年だ 老化はあきらかに始まっている。人の名前に限らず、いろんな名詞が出てこないことが 多くなった。そういえば 脳年齢を測るというクイズのサイトがあったが またやってみようか。
ここまで 書いても やっぱり あの女子選手のなん前は 出てこない。
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一年越しの感謝

2011年7月17日
本日は 舞のために来てくださいまして ありがとうございました。25年5箇月の人生でした。私は舞を、幸せにしてあげられませんでした。でも 舞は 素晴らしい人たちと 出会い、 幸せな日々を過ごしていたと思います。同窓生のみなさん、サンピア姶良 ベスト電器出水店の同僚のみなさん 出水のみなさん 川内のみなさん 水俣のみなさん 沢山の人たちとふれあい、充実した日々を過ごすことが出来てたようです。一年間の闘病は辛かったはずです。でも弱音をはくことなく頑張ってくれました。「体はボロボロでも心はづっと綺麗になったよ。」そうまで言ってました。立派な娘です。私の誇りです。そんな舞を失うのは辛いです。もし神の導きというのなら その神を殴ってやりたい そんな心境です。
しかし ここに舞と、共にいてくれる 沢山の人たちがいることを知って 救われました。
これから 私たち家族は舞の意思を尊重し みなさまが健康で平穏な日々を過ごせることを祈り、人への思いやりを大切にしながら 世で役立つ人間になることを誓います。
これまで 舞のそばにいてくれて、あるいは 私たちを支えて下さった皆さん ほんとうにありがとうございました。

葬儀での私の挨拶です 原稿が或わけではないので、正確ではないが、このようなことを述べさせてもらった。当日は台風が接近していた。奄美から来てくれてた人達は、船と飛行機の欠航が予想されたため、式を途中退席せざる得なかった。この人たちに、私のお礼は このとき 伝えられなかった。「もう一度聞きたい」という要望もあるが、これは 私の前 友人として言葉をおくってくれた晴香さんに 感激させられ さらに 舞の幼時からこれまでの写真が 舞の好きな西野カナ「ベストフレンド」にのってスクリ-ンに映し出されたのを見て、こみあげて来ている その震える場内の空気のまま 私の言葉が流れたからだ。
みんなにお礼が言いたかった。通夜と葬儀に来てくれた沢山の人に。重富中の同窓生 東高校の同窓生。出水で出会ったお友達 飲み友達がいっぱいいた。夜遅くまで勤務したあと、出水からの遠い道のりを、全員が来てくれたべスト電器の皆さん。サンピアの最後を共に務めた人達。小さい舞を可愛がってくれた古仁屋の人 そして 私の同窓生も多数 心強かった。もちろん親戚も。
あれから一年立ちました。やっぱり さみしいです。でも 舞とつながっている皆さんの存在は、大きな支えになっています。きっと 幸せを感じられる日があることを信じて過ごしていきます。感謝しながら。

一年前

あれから一年。丁度今の時間、舞は 意識をなくした。その瞬間は私は居なかった。最後に声をかけたのは8時前「車 移動してくるね」「うん」。病室には看護師がいた。病院に一晩停めてた車を、県庁の駐車場に移動させ、病院へ戻り、無菌病棟の2枚の扉を通り抜けたところへ さっき 病室にいた看護師が「急に 悪くなりました。奥さんを呼んでください」 言葉の前に 「よかった」と発していた。笑い顔にみえた。彼女にとっては、私に伝える という 作業が最優先で それを完了できて安堵でもしたのだろうか。
病室で舞は目を閉じ 汗をかき、激しく呼吸していた。呼びかけに反応はなかった。前日のことを思い出そうとしても、なんら 特別なことは、浮かばない いつもと同じようにすごし 同じような会話をした。ただ 熱が下がらなかった。熱冷ましの点滴を入れると、40度近い熱が、36度代まで下がっていたが、その日はなかなか下がらず、その夜 やってきた看護師が「9度までしか下がらないですね、」とため息を付きながら話したのを聞いて、不安を感じたことはあった。でも いつものように会話した。
母親が病院に到着して 医師から説明があった。「もう 反応がありません 多分 今日か 明日です」
「万策 尽きましたか」言いながら「2箇月は 持たせます と言ったじゃないか」と、内心 怒りがあった。まだ2週間しかたってないのに。それなら 危険があっても臍帯血移植に踏み切ったほうがよかった。この頃 確かな理由もなく不満が増大していたようだ。あの宣告を受けた直後 看護師たちと談笑していたこの医師にも不信感を抱くようになっていた。
意識はもどらぬままでも、舞の様子は変わらず、脈も 呼吸も 血圧も いつもの通り。夜勤のあの看護士は、既におらず その時の事は 聞いていない、何かあったのでは と、勘ぐってしまったりもした。時々 苦しそうにする舞の喉にくだを入れて吸引すると、血のしみた 痰が大量に出てくる。今まで 吸引しても苦しくて 途中でやめていたが この大量の痰にも不快な思いをさせられていたんだ。
同窓生3人に 意識をなくしていることだけ伝えた。愛美さんは 前日 手術をすませたばかり、二人は勤務中。たまたま 川内の裕君の家族と、姶良の秀美さん夫婦が初めて見舞いに来た。こんな状況になっているとは、驚いたことだろう。
意識をなくして12時間後 急激に心拍数が落ち始め 30分後 絶えた。
ちょうど 晴香さんが 病院に到着した時だった。佳那さhhから すぐそっちに行きたいと電話があったが、自宅からは あまりに遠い。
私たちは 悲しみを、噛み締める間などなかった。その時から葬儀の準備と 退室の片付け作業がはじまる。

思い出すのが 辛くなった。何を書こうとしているのかわからなくなった。書き始めてから4時間。この大事な一日、舞のために と思っていたが 無駄に過ごしているのかもしれない。舞と語るんだったら もっと からっと明るい話になるはずだ。 

東京の摩里さんから お花が届きました。3日前には 佳那さんが お母様と一緒に、いらしてくれて 仏前に花かごを供えてくれました。その日の夕方 北九州市にいる 愛美さんからメール 「今月はいけないけど 来月は帰ります 舞に会いに行きます」。晴香さんからも 「香織ちゃんと 18日に行きます」と 電話あり。自分の店をオープンさせたばかりの裕君も 「サンピアで一緒だった人たちが 墓参りに行きたいと行ってます。そのあと 仏壇にも手を合わせたいので 御宅におじゃましてもいいですか」23日にみんなでくるそうだ。舞が小さいとき とっても可愛がってくれてた勝也君からも お備えものが 届いてる。姶良で 合う人の中にも 「もう 一年ですね」と 声をかけてくれる人がいる。こう 書いているうちに、福岡のあずささん 出水のちぃ こと千春さんからもお供え物が届いている。
私も最近、頻繁に、あの時のことを思い出しているけど、みんなも そうなんだ 忘れてないんだ。みんな 舞のことが 好きだった。今でも大好きなんだ。父として 嬉しいけど そんな舞を どうして助けてあげられなかったんだ。最善を尽くしたか?と問えば 後悔することばかり。毎日 病院へ通ったのも、連夜 泊まって付き添ったのも なんら いい結果には なっていない。セカンドオピニオンを、大阪大か 熊本大で受ける予定も、結局出来ず。骨随バンクへの登録を 医師が用紙を持ってくるまでしなかった。こちらから 申し込み手続きを積極的にやっておけば 早い段階で 適合ドナーの不在がわかり 最初から臍帯血移植を、選択していれば、間に合ったかもしれない。元気な舞を見て、「なんとかなるかも」と、安易な考えを持ってしまっていた。舞に厳しくできなっかた。入院を送らせて佐賀へ行ったとき。鹿児島市内へ電車で行くといったとき「駄目 送っていくから」と言うも、「一人で行きたい」と、強く訴える。それを絶対させては いけなかったのに、強硬に説得しなかった。
仕方ない ではすまないのかもしれない。みんなから 大好きな舞を奪ったのは、私の無能 無策の所以だったのだ。毎日 お墓で 舞に語りかけている、毎日 謝らなければならない。
そんな 私に ねぎらいの言葉をかけてくれる 舞の友達。そんな彼らの存在が、いま 私には最も大事なものに思える。舞は最高の親孝行をして行ってくれている、この人たちを引き合わせてくれた。

赤が重なって黒くなった?

YOUのつぶやきブログ 熱海に住むデザイナーyouji-toyodaさんのブログで、色を重ねた時の変化について、色を重ねると白くなる 加色法と 色を重ねて 黒くなる 減色法とがあると 教えてくれている。レッド グリーン ブルーを重ねると 白くなる。マゼンダ シアン イエローを重ねると黒くなる。後者が プリンターの原理のようだ。それで 赤 青でなく マゼンダ シアン なんだ。黒の中に全ての色があるという考え、加色法も白の中に全ての色がある。テレビやパソコンのディスプレイは加色法の考えで成り立っているらしい。なるほど とは 思いつつも、まだよくわかってはいない私、何で この話を取り上げたかと言うと。コーヒーの色は何色か?という話を、鹿児島のコーヒー屋 マリアッチの安藤氏が、1997年のコーヒー文化学会 福岡大会で、講演したのを思い出したからだ。彼は 赤いセルロイドを数枚用意し、それを重ねていって色が 黒に変わっていくことを示し、「コーヒーは黒いのではなく 赤い。赤が重なって黒くみえるのです」と 彼が赤と主張するのは コーヒーを研究したヨーロッパの古典に コーヒーを「レッドポタージュ」と呼んでたという記述があったからだ。
福岡の会の主催者から「鹿児島から、何か 出してくれないか」と 要請があったそうだ。公演ではなく 余興のようなものを期待したらしい。安藤さんのは まじめなコーヒーのお話だが 聞いてる人たちは 余興のように楽しんだようだ。彼は 熱心に 自分の意見を主張したが、次に 講演を行った コーヒー界の神様 関口一郎翁が「さっき 鹿児島の人が コーヒーの色を 赤だとか 黒だ とか 言ってたけど コーヒーは琥珀色です」と発言。御大の発言で 安藤さんの登壇は 余興にされてしまった。関口翁二してみれば 自分のみせの 名は「ランブル」琥珀だ コーヒーは琥珀色でなくてはならないのだ。よく言われるが コーヒー屋は 薀蓄が大好きで しかも頑固。コーヒーに関することならいくらでも喋れるし 自分の意見を曲げない。安藤さん このときは神の意見には逆らえず落胆したが その後の 懇親会で その神と存分に 会話が出来、賛同を得た意見もあったそうで、すこぶる上機嫌であった。
私が彼と会うと 私はほとんど聞き役。ただ 内心 「そうは 思わない」と思うのは 「コーヒーは嗜好品で 価値の高いもの 飲むにも礼儀がある」と言ってるが、「私のコーヒーは 日用品 好きなように飲んでください」と 思っている。どちらも おいしいコーヒーを提供しようという 強い意志の元に 努力していることは 同じだと言うことは ご承知ください。

ダイニングカフェ アンサンブル 間もなくオープン

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川内の、アンサンブルが 間もなくオープン まだ店舗の周囲の工事が続いているが、店内はきれいに完成、11日の開店初日に備え、大工さんたち、関係者にランチを振舞って、調理作業やサービス 接待に問題は 発生しないか、欠けてるモノはないか、客の意見をきき 改善しようと、最後の点検 確認に 従業員一同励んでいた。
納品に行った 私も、いただきました。
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ランチセット  1050円      デザート
ライスと スープ サラダ ドリンクのコーヒー又は 紅茶が付きます。
高尚なフランス料理を堪能した気分。調理人 裕君の料理 久しぶりだったが、やっぱり美味しい。甘鯛の塩加減って 簡単じゃないと思うが、絶妙。アイスクリームのそこの スポンジの滑らかさは、以前私の舌が 驚き感激した あの時と一緒。彼にしかできないんじゃないか、と 思うほど、ほかで、味わったことがない。ソースやドレッシングはもちろん、この皿に乗っているほとんどが手作り。かれの オリジナリティーいっぱい。
ランチ以外に 単品料理もあり、ケーキのセットあり、ドリンクだけでもOK
予約すれば、申し出た料金に合わせた、コースを創作してくれるそうだ。もちろん ワインもシャンパンンもビールもあり。すてきな空間で 素敵なフランス料理で 素敵なひとときを、と、なりうること間違いなし。
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私の納めるコーヒーも、この料理の価値を落とさぬよう、しっとりした雰囲気を壊さぬよう、優しい風味のブレンドを3品試作。この中のどれを使うかは、お店の皆で、決めるだろうが、どれもモカの風味を生かした 香り豊かな爽やかな風味に仕上げた。
いつもは 美味しく飲んでいただくように、と、 お客さんの好みにあったコーヒーの提供を考え、薦めている。今回は 料理にあわせて 考えてみた。食事の後のコーヒーは、口の中をさっぱりさせるとか、代謝をよくする、消化促進とか そういう効能の事を主張する場合あ多い。しかし 最後のコーヒーまで 料理だという 考えを疎かにしてはならぬ、そういう意識を、今回は持つことができた。アンサンブルの美味しい料理のおかげだ。 

ブログ「今宵の一枚」で ジリオラ・チンクエッティーの「夢見る思い」を紹介している。動画は1964年のユーロビジョンコンテストのときのもの。綺麗だ。高校時代ジリオラ・チンクエッティーの歌は、よく聞いた。レコードも買った、ラジオからもよく流れた。初めて知ったのは 70年頃ヒットした 「ツバメのように」だったと思う。その前に 「雨」がヒットして よく知られていたはずだが、ジリオラ・チンクエッティーという歌手を知ってから 「雨」と言う名曲を知った。レコードジャケットに顔は出ているし、雑誌などで紹介されてる写真を何枚も見他のだが、「美人だ」という印象はもってなかった。それより楽曲のよさと 彼女のくぐもった特徴ある声が魅力的だった。初めて歌ってる姿を見たのは72年。NHKが サンレモ音楽祭の様子を放映していて その中でジリオラ・チンクエッティーが「バラのことづけ」を歌っていた。そのころはレコードをかけながら一緒に歌っていた。イタリア語などもちろんわかるはずない。歌詞を見て それは ローマ字読みすれば言いことに気づいた。英語より読むのは簡単 意味はわからなくても。結構憶えたものだ。LPレコードは エバーグリーンシリーズが唯一残っている。このレコードには少々不満がある。私がもっとも好きな そして よく歌った 「恋よまわれ」が日本語で歌われている。この歌詞 ほとんどイタリア語で覚えている。イタリア語で何度も歌った。いみはわかってないから イタリア語のつもりで と言うことになるが。間でもやっぱりイタリア語で歌いたいのだが「サペーぺッぺケ イルモンドバ ペルケドラモンド ジアラモーレ」を「世界は今 息づいてる、私の胸はときめいてる」と。「カルベベ トゥノノサイ キノノソビレマジキャマイ」は「節が巡れば、恋の花も開くわ」と歌っている。音楽教師から「イタリア語のRは 舌を震わせて発音する」と。教えられたのでそれも 練習した。ぎこちないが なんとか出来ていた。日本語で歌ったのはの本のファンへのサービスであったのだろうが、なんだか違う歌に聞こえる。「風によせて」もいい歌だが それほど広まらなかったのだろうか ラジオで 聴者からこの曲の譜面が届いて 曲名を尋ねられたらしいのだが、誰もわからない 譜面通りに歌った曲は 「風によせて」と
ピッタリ でも 聴取者からの回答も 違うものばかり 私は一発で分かったのに と やきもきしたのを憶えている。その後 「太陽の扉」までは よく聞いていた。1974年発売のようだ。学生最後の年。FM
放送にあわせて 生活していた時期。好きな歌を 求め 楽しんでいた。今 ジリオラ・チンクエッティー聞いてもやっぱり 素敵な歌だと思うが、ビジュアルも気になっているのは 音楽の楽しみ方に幅が出たかな。この機にたくさん動画を見た どれを見ても 綺麗だと思う。



いつも ブログを書くときに使う 古いデスクトップのパソコンが、駄目になった。暑さのせいもあるのかも。
なんとかパソコンを復旧させてから と思っているうちに 一週間。ブログ更新せず、コメント等の確認も怠り。
昨日の予想外の訪問者の感激を ブログに記さねばと、ノートの方で書く事に。昨日の訪問者のお兄さん 七福神のリーダーだった、井上清春さんからコメントが 届いていることに気づいた。こんな 嬉しい ありがたいことを5日間も気付かなかったなんて、迂闊だった。
37年前の活動や「わたり鳥」が作られた背景 そして 今の活動などを 教えてくださった。昨日の弟Kさんとの会話でも 音楽活動を積極的に行っていて 弟さんもいっしょにやることも多いと 言ってた。次の日曜7月8日に チャリティーコンサートを主催して 催す。


こういう活動をずっとやているのだ。バンドを結成した大学時代も 長崎の療養所に出かけ、慰問の演奏をやっていて「わたり鳥」は そのとき、その療養所にいる 筋ジストロフィーの友人を励まそうと 作ったうただそうだ。
その 友人に届けるつもりの歌が、あの つま恋の会場にいたすべての人の胸を熱くしてしまったのだ。記念のべすとアルバムもいただいた。宮崎の風景が、自然が 随所に出てくる。心温まる歌が満載。一曲 恋人と別れた思い出の歌がある 作詞は昨日いらっしゃった弟のKさんだ。ロマンチストなんだ やっぱり。
コメントに 「これからも地道にやっていきます」とあった 地に足がついてる ということだ。音楽は楽しいもの、人を楽しくさせるもの、そして街を みんなを明るくしてくれるもの。井上ファミリーバンドがそれを実証してくれるはず。隣の宮崎 いつか聞きにいけるぞ。



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