店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

プロフィール

Author:川元 正樹
店主です。よろしく!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



赤ちゃんの泣き声は雑音か?という論争があるらしい。テレビで言ってたのだが ほとんどの人は雑音とは思っていない。大きな声で鳴いても 寛容で,赤ちゃんを心配したり 母親に同情するだろう。テレビでは「体調が悪い時など、耳障りに思う時がある」と、言っていたが、体調が悪いことが 原因なのだ。放送の目的は 2つのエピソードを紹介することだったようだ。バスの中で激しくなく赤ちゃんに対しての 運転手の態度、その正反対の事例を、伝えていた。アメリカでの事例 乗合バスの中で泣きじゃくる赤ちゃんの母親に対し 女性運転手が降りろと言い放っていて 母親は仕方なく 降車した。アメリカではそうなのかと 思いきや 母親の降車後、運転手の態度を不快に感じたほかの乗客も皆 降りてしまった。公共の場では弱者優先のアメリカなら 当然だろう。対して 日本で30年前のエピソードは、蒸し返す満員バスの中で、泣きじゃくる赤ちゃんの母親が、他の客の迷惑になってることだろうと 考え 途中で降りようとしたところ 運転手は車内放送を通じて ほかの客に 赤ちゃんの泣き声に対して 理解を求めたところ 乗客のたちから万雷の拍手を受けた。
赤ちゃんの泣き声を 雑音とか 騒音のように言う人はごく少数で、論争になんかなり得ない。不愉快な思いをする場合についてのアンケートではっきりしてるのは 親の態度に問題がありそうなときだ、なく子供に無関心な態度が見えるときだ。いくら寛容でも 他に迷惑をかけることは多い、それを見ぬ振りしたり、開き直って赤ちゃんだから仕方ないだろう と 主張したり。最近は赤ちゃんが泣いて何かを要求しても メールに夢中で その作業を終えるまで 赤ちゃんは無視される というケースが多いらしい。
喫茶業をしていた時 赤ちゃん連れの客もよく来た。しかし 泣いてる赤ちゃんほとんどいなかったので、母親に抱かれた赤ちゃんで気を使ったことはない。それより 歩き始めた幼子に苦労したことはよくあった。これも 親と仲睦ましく、ほほえましい会話をしていると 聞いてて私も頬が緩んできた。しかし 店内を走ったり、大声を出して、他の客に不を与えているのに 連れてきた親が 全く対応しないときは、店主が注意してやめさせなければならない。子供の存在を喜ぶ人もいるので、ほかの客の様子を見ながら、判断する。最も憤慨した事例を話そう。よく夫婦で来ていた客の ご主人だけ一人でコーヒーを飲んでた時、ほかのきゃくの子供が彼のテーブルに来たとき 彼は、明らかに不愉快そうに子供をにらんでいた。子供に「駄目だよ お母さんのとこにいてね」と声をかけると、こどもの母親がて連れに来た。その彼が自分の子を母親と一緒に連れてきたとき、子がが 隣の 小学生2人と母親のテーブルへ行き 読んでた雑誌を取ろうとする 母親は愛想笑いを返している 小学生たちは困惑している、他人の子を睨み付けた父親は 黙ってみている、母親はわが子がただかわいいとしか思ってなようで、うれしそうに笑っている。私は カウンターの中から、大きめの声で 「ほかの席に行かせないでください」と
行ってしまった。感情を抑えたつもりだが、怒った声だったのだろう。それ以降 その 夫婦は来なかった。ふざけてた子を冗談ぽくだったのだが 注意したら泣いてしまったことがある。しばらくのち一人で来店した母親が、先日のことを詫びた書置きを置いて行った。その母親とは以降親密になれた、その泣いた子とも。いずれにせよ子供はそれでいいんだ。大人が教えてあげてマナーを知っていくのだ。教えない親が悪いのだ。 
スポンサーサイト

新婚旅行でハワイに行っていた姪から おみやげが送られてきた。クッキーと コナコーヒー。コナコーヒーは最上級のエクストラ ファンシーのほとんどが日本に輸出されていて、地元で販売されているのは、それほど質の高くないもの と言われているが、心のこもった贈り物なら、おいしい と思える。やや深煎りながら、しっかり酸味は味わえる。クッキーは独特の香辛料の風味。
その姪の結婚式があったのは、3週間前。場所は大阪 中之島の大きなホテル。披露宴はその23階。中央区のビル群が真正面に見える。16年ぶりの大阪だった。やはり大都会だ。夜 大阪駅前の歩道橋で、友人を待ちながら体感した喧騒は、「すごい」という表現しか出てこない。姶良にいる友人に「今 阪神デパート前にいる」と メールすると「羨ましい」と返事が来た。彼女は若いころ 30年位前のようだが、この阪神デパートに勤めていたそうだ。懐かしいのだろうが、でも 長く鹿児島に住んでるものが 突然この環境に遭ったら、圧倒されるはずだ。私も 35年前なら この 都会に住んで、この梅田 や みなみ と呼ばれる難波界隈で楽しんでいた。
そのころ よくコンサートを見に行った中之島公会堂は、そのホテルのある場所では?、もう取り壊されたのか と思ったが どうやら 反対側、ホテルは中之島の西の端、公会堂は東の端に まだ ちゃんとあるといいうことだ。16年前にこの大阪の大きさを実感したのが、近鉄線で、瓢箪山まで行ったとき、中心地からどんどん離れていっても、鹿児島の中心地と同じような風景が づっと続く。今回も 帰りに関空まで乗った、南海電車の車窓にはづっと街並みが続く、50分余り乗っていたが、鹿児島のように 山中を通ったり 田園地帯を目にすることなく、大きなビルも 商店街も 次から次と目に入ってくる。数百万人が住む町とはこんなに広いのだ。
姪の結婚式に行ったのだ。とってもかわいかった 私の娘たちも大好きだった姪っ子の結婚式。その 素晴らしくて感動した 式や披露宴のことを書こうと思っている。ところが 大きな大阪の大きな印象も、強く刻まれてしまい、相当な文字数を費やしてしまった。結婚式のことも記さねば。ホテル内のチャペルでの式、披露宴には新郎側数人 新婦側十数人の親せきと、新郎の友人三十数人、新婦の友人十数人が参加。宴の始まる前には控室で あれ なんて言うんだっけ ウエルカムドリンクだったかな、ワインやカクテルが振る舞われ、格式高い と おじけつくような初めての体験 フランス料理もワインも シャンパンも おいしかった。姪の友人のお祝いのスピーチにもらい泣き。姪の感謝の言葉にも胸が熱くなり。最後の兄の挨拶を聞き終えてほっと。和やかに 行なわれた。
奄美のような余興はなし。姪の同窓生たち、奄美からも何人か来てくれて、スピーチしてくれた方は上海から。花婿のほうも大学の友人たちが 盛り上げてくれた。
あの 姪が無事結婚。社会に出てから結構 苦労もしてたようだが もちまえの明るさで、乗り切り その明るさが大阪人の婿の心をとらえたようだ。頑張れる 明るい性格 ちょっとうるさい と思うこともあるが それだけの元気さがあれば きっと大丈夫 幸せになれるよ。

s-DSC00625.jpgs-DSC00640.jpgs-DSC00649.jpg
                          ホテル披露宴会場からの眺め    前菜

今宵の1枚で紹介されていた 今宵の1枚で紹介されていた 懐かしい曲の数々。ほとんど高校生のときに聴いた曲ばかり。 Hamilton, Joe Frank & Reynolds「 Don't Pull Your Love」邦題恋の駆け引き。クリフ・リチャード「Early in the Morning ]しあわせの朝。ミッシェル・ポルナレフ「 Love Me Please Love Me」。マッシュ・マッカーン[As The Years Go By 」霧の中の二人。サイモン&ガーファンクル「スカボロ フェア」そして 天地真理「水色の恋」。
ボビーソロの「ほほにかかる涙」。ビートルズ「ミッシェル」は 60年代で発表されていたが 私が聞いたのは高校のとき。カンツォーネを知ったのが ジリオラチィンクエッティーをしってから。ドメニコ・モドューニュの「ボラーレ」はその前に知っていたが、カンツォーネに興味を持った高校生の時に、そのレコードを買った。ビートルズも本当に聞き始めたのは高校1年の時、同じ部活にいたO君の家で、たぶんお姉さんのだったのだろうビートルズのLPを聴いてからだった。「恋の駆け引き」はCBSのオムニバス盤で聞いた。このLPには ほかに ホリーズ「バスストップ」シーカーズ「ジョージ・ガール」などが入っていた。20曲入ったLPの最初がこの「恋のかけひき」冒頭のピアノが印象的。長いグループ名だが、リズムにのって読めるので すぐ憶えた。ミッシェル・ポルナレフも、難しい名前だ。「ミセル ポルノグラフ」などと読んだりした。しかし あのころは大人気のシンガー 真っ黒い表情がわからないサングラスを常にしていた。なんとこの動画はサングラスをしてない。初めてかれの素顔を見た、驚きだ。「しあわせの朝」はグレン・キャンベルの「IT ONLY MAKE BELEAVE」と対で記憶に残っている。たぶん同時にレコードを購入したのではないか。同じころ 同時に この 2つの曲を聴いていた。マッシュマッカーンは ラジオで何度も聞いた。同窓生のほとんどが知っていて、口ずさむ者も結構いた。イントロのギターが出るとこの歌だとすぐにわかる。70年 71年は ビートルズ解散後の S&G時代 「明日にかける橋」「サウンド オブ サイレンス」「ミセス ロビンソン」「ボクサー」「アメリカ」そしてこの「スカボロフェア」も毎日のように聴いていた。
一番うれしかったのは天地真理。動画にほんとうにアイドルだった彼女がたくさん出てくる。田上姉妹が作った曲自体、とても気に入っているのだが、あのころの彼女の姿が、目いっぱい見れて満足。
今宵の1枚にはほかに 「ジョニ エンジェル」が紹介されている。この曲も 60年代のアメリカン オールウエィズの代表曲なのだが、私が聞いたのはずっと大人になってかあらではないか。たぶん 泉聖治監督の映画「この胸のときめきを」で 挿入されていたのを聞いた時ではないか。今では その映画のシーンとともに懐かしく思い出す、すてきな曲になっている。
聞いていて 高校時代に戻れた。ありがたい!



あぁ~!同窓会行きたかった。

昨日の夕方 いとこで同窓生のいくやから、電話が入った。「今 つま恋から 帰ってきた」
17日の 同窓会に参加 帰宅したところ、同窓会会場は あのつま恋、ヤマハリゾート。
「たのしかった うれしかった いってよかった」そんな気分が あからさまに伝わる 弾んだ声。
あからさま という言葉をつい使ってしまったのは 行けなかった私の悔しさが ちょっと残っているから。久しぶりに会った友らとの一晩の交流は 40年前の少年に戻って、うきうきした喜びであふれたことだろう。「何十年ぶりに会った、だれだれは、どんな姿になっていて 今はどうしている。」何人もの旧友の名前が出てきて、うれしそうに話す、相当な時間、彼のその弾んだ声は続いた。
私もひと月前は「何としてでも同窓会にはいくよ」と 皆に話していたのだが、結局 断念せざる得なかった。3年前からこのイベントのために 労を尽くし ことあるごとに 連絡してくれていた 幹事のやまもとに合わせる顔がない、この2,3日は そんなことで、沈んだ気分が充満していた。
先ほど 彼から電話が来た いつものように。当然彼も弾んだ声で。尤も、彼はいつでも明るく賑やか。会が成功した安堵と喜びで 私のことなど、取るに足らないものだったのかもしれない。
しかし 行きたかった。ほんとに楽しみにしていた。久しぶりの同窓生との再会も、つま恋に行けるということも。拓郎かぐや姫のコンサートがあった場所、ポプコン決勝大会の会場。そこを見てみたかった。
実は、絶対いけるという確信はなかった。前回 鹿児島での会の後、突然の病気で倒れ、次は娘の病気が発覚、長い入院、一年後娘は逝ってしまい、以前からギクシャクしていた妻との仲は、それをきっかけに決定的に。しかし離婚したことで すっきり。故郷にもどって 再出発と、希望も見えてきたようで、つま恋に行く期待は膨らんでいた。
残念ながら 行けなかった理由は恥ずかしながらお金。引っ越し費用に、引っ越し前後の仕事の中断、鹿児島の店を閉じるため、すべての未払い費用を決済。でも まだ いくらかの余裕はあったし、借金してでも行く と 公言していた。
でも 今後のことを考えると、あきらめざる得なかった。仕入が現金決済に変わった、養育費を子供に送らねばならない、少しでも余裕を出して 子供のために使うべきではないかと考えもする。姪の結婚式で 大阪に出かけたのが2週間前。帰りに姶良に立ち寄り 娘に会って、小使いなど渡して すかりお金を使いはたして帰ってきたとき、無理するのはやめよう と思った、それでも 宝くじ購入など、あてにならない金を期待したりもしたが。
姪の結婚式は よかった 感動できた。当然行くべきだったし 行ってよかった。もし それがなければつま恋に行っていただろうが、今年の最大イベントは大阪だったということで、納得しよう。大阪でのこともぜひ 文章で残したい、改めて書きます。
同窓生に対する思いを感謝をこめて書こうとしていたのに、グチと言い訳ばかりになってしまった。
波乱の2012年だったが 新たな出発の年でもある。いろんな人に助けられて、やっていける事態は つづくだろう。その中でも 中学 高校の同窓生のみんなには これまでも これからも 助けられ 励まされて すすむことになる。その手をいつでも貸してくれる 彼らに、改めて 感謝。