店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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テレビをつけたら 喫茶 ルノアールが出ている。ゲストでルノアールの社長も出てる。ルノアールの店の紹介番組か と思ったら、現在、の喫茶業の考察で、ルノアールが紹介されているのは、新しい形態のシニアをターゲットにした、カフェの展開を紹介するためだったようだ。
ルノアールの高級志向は喫茶の本来の目的からすれば、それにかなっていると思う。ただ 単にコーヒー好きという人には、敬遠されるだろうが、日常を忘れてくつろぐ場所としての目的からなら、顧客の立場で満足できる店だろう。私が学んだ山下コーヒーの直営店 皇琲亭も高級志向だが、店はルノアールほど高級感はない。カップに関しては相当に良い輸入カップを使っている。しかし最も主張するのは、コーヒーそのもの。一杯700円と高価だが、やはり 美味しい。700円払ってまた飲みに行きたくなる美味しさだ。
話はもどるが、ルノアールを利用していたサラリーマンが、定年しても、ルノアールに行くか というそれは難しいようだ、そこは一応のステータスがあり、ビジネスに繋がる場所として認識されており、日常ふらっと行くのははばかれる。そこで ルノアール、の名を冠にしたファミリー型の店を 都心でなく郊外に作っていくらしい。一号店は上々の出来らしい。しかし これは珈琲店ではない。ファミリーレストランに近い。猥雑な感じがする。テレビのレポーターは顧客の反応の良さを評価して伝えているが、同時に紹介された、かつての名曲喫茶 歌声喫茶 今も新店舗が出ているジャズ喫茶等と比べたら 違いは大きい。きちっとしたコンセプトではないように思える。学生が討論を重ねたサロンの役目も じっくり味わう珈琲店の雰囲気も満たさず、憩いの場でなく休憩所になるのでは。
金沢のモナミのマスターだった故鞍信一氏が定義した、「味わい 憩い 学ぶ場所」とした 喫茶店の要素を満たしたコーヒーの香り高いお店であってほしい。少なくともルノアールはそれに近かったと思うのだが。
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昨夜は3時までテレビを見てしまった 3時だと今朝になるのかな。スキーの世界選手権。複合の団体 距離競争をやっていた、日本が第2集団から先頭に追いつき、第3走者でトップに。アンカーの第4走者もずっと先頭を伺い、期待を持たせたが、最後に置いていかれ4位、残念。ずっと先頭争いをしていたから、力は出せたのだろう。
一旦テレビを消し、しばらく後 またテレビをつけると、ジャンプが始まるようだ、混合複合。あの高梨さらも出る。期待できそう、解説の荻原も、金メダルの可能性を口にしている、楽しみ と、既に1時半過ぎてるのに、まだテレビ前に腰を落ち着けていた。そのとおり 2回めのジャンプの第二跳躍者でトップに出ると 次の高梨、さらに竹内が圧巻のジャンプ。逃げ切った ではなく、圧倒的な力を見せつけて、敗者が残念とも思はず、悔しさも生じないのではと、言うくらいの差をつけて 優勝。解説が原田雅彦だったので あのリレハンメルの場面を思い出して、まさか!ということも浮かんだが、それまでの日本チームの勢いから 最後の竹内のジャンプも安心して見られた。この競技は来年のオリンピックでは行われないそうだが、この種目の世界チャンピオンは日本であるという事実が しばらく継続されるわけだ。

このところ 夜のお出かけが頻繁だ。先々週末 川元家の新年会に出てから、そのあとは同窓生たちとの宴に誘われている。鹿児島からおまわりさん友が来て、次にやはり鹿児島の造園師、そして今日は中学の同窓生が広島から帰郷したということで集まり。鹿児島のふたりは、あちらでよく会っていた、引越しの時に手伝ってもらったり、個人的に助けてもらっていた。広島からの同窓生は、福岡の予備校へお互い通っていた33年前いらいの再会。
私はあまり飲めない お酒はあまり飲んではいけない。一度止まったことのある心臓保護のためだ。皆 わかっているから勧めはしない。酒が進んで他の皆が酔い始め 声高に 賑やかになると、酔ってないはずの私も 同じように気分が高揚し、愉快になる。カラオケで次々みなが歌い出すと、私も歌いたくなる。しかし 酔ってない分、気恥ずかしさは 抜けず、なかなか手を上げられず そろそろお開きかという頃にやっと一曲。それで満足。同窓生たちとの気がねすることもないひとときは実に楽しい。愉快だ。酔わないので 二日酔いもない。頭痛もない。
ただ 造園師君たちと2次会ということで、訪ねた、2年前に他界した同窓生が営んでいたスナックへ行った時は、あまりの騒々しさに頭が痛くなった。店はほぼ満席。ほかの皆は酔いとともに気分も盛り上がっているのだろうが、酔ってないものには、日常からあまりに離れすぎていて 居心地が悪い。私の居心地の悪さは、飾られた故人の写真。彼女が急死したのは、私が入院した半月後、私と同じ病気。私は助かって 彼女は助からなかった。何が違ったのか。彼女の悲報を聞いたときに、このブログにそう書いた。病気を思い出してしまった。こんな享楽の場にいてはいけないのではないか。そう考え始めると、もう気分が落ちていくだけ、救急車を呼ぶ場面まで想像してしまった。大音量のカラオケは、滞ることなく延々と続き、私の頭痛もそこにいる間 続いた。
さて 今日の同窓会。同窓生の帰郷を歓迎する集まりなのだが、今 この街にいる同窓生全員が参加。といっても7人と 後輩一人。熊本の中学故 少ない。早い時間に 同窓生Y君のお姉さんのお店に集まり、歌でなく 話で盛り上がった。良い会だった。しかも今日パチンコで 大勝ちしたM君の奢りだった。

平和の流れる街 ポールサイモン

ブログ「今宵の一枚」1173夜は ポールサイモン「僕のコダクローム」1973年の曲だから サイモンとガーファンクル解散後 ポールサイモンがソロになってまもない頃。その頃私がもっともすっきだったアーティストがポールサイモンだ、翌年 初の日本公演があった。高校を卒業して都会で学生生活に入るから ぜひ見に行こうと思ったが、残念ながら福岡で浪人。福岡での公演もなかった。73年にポールサイモンの初めてのソロアルバムが出たはず。もちろん買った。その中で最も好きになった曲はPECE LIKE A RIVER 「平和の流れる街」。シングルになった「母と子の絆」「僕とフリオと校庭で」「ダンカンの歌」も収まっていたが、この「平和の流れる街」が最も気に入った。理由は ギター。ポールサイモン自身が演奏、特に間奏でのギターの弾ける音に、惹きつけられ 自分でコピーできなくても真似事でもやってみようと、何度も聞いた。
YOU TUBEでコンサートの映像があったものの バックバンドが付いて メロディーも若干アレンジされている。レコードはまだ持っているからそれを聞けばいいのだが、動画で見たいと探していたら 日本人か アメリカ人かもわからないが、コピーして自画撮りした人がいる。私にはできなかったこの「平和の流れる街」のあの間奏を見事にコピー演奏している。でも ポールサイモンのギターには敵わないかな。さらに検索して見つけた あのLPレコードの写真。
 




舞は27歳

舞の誕生日ということで、親友まなみさんからメールが届いた。天国でも舞がみんなと親しんで賑やかに過ごしているだろうと 思いを伝えてくれ、間近に迫った自分の出産でブルーな気分に陥ったとき、舞ならきっと励ましてくれる、天国から見守ってくれて応援してね という願いを伝えていた。沢山の友達が舞との縁をまだ大切にしてくれている。鹿児島に行ったとき 舞宛の年賀状を見せてもらった。当然皆直接 見てもらうことはできないが、言葉を伝えたい、きっと 届くだろうと、何人もの人が送ってくれている。結婚を報告してきた人もいる。「舞に最初に報告したかった 舞はきっと喜んでくれるよね」と。舞の姿が見れなくなっても、心の中に確かにいる舞と話がしたい そんな思いを語ってもいる。そんな大切な舞の友人たちは、父親の私にもメールをくれる。この素晴らしい人たちとの交流が舞のおかげでできる喜び。舞は私にこんな幸せを残してくれた。

4ヶ月ぶりに散髪をした。奄美に戻ってきて初めてだ。散髪は苦手だと前にも書いたが、流石に4ヶ月伸ばし放題では、鬱陶しく、さぎょうの邪魔でもある。行く床屋がなかったのだ。いや 奄美に床屋がないわけじゃない、そこらじゅうに沢山ある。私がずっとお願いしていた床屋がなくなっていた、そう思っていた。そこは居酒屋に変わっていた。高校生の時からその床屋さんに散髪してもらっていた、ほかへはどうも行きづらい。先日鹿児島へ行ったとき姶良のいつもの「理美容パーク」へ行こうかと思ったが、姶良へ行った月曜日は休みだった。仕方ないので
近くで済まそうと思っていたら、前あった店、今居酒屋になっているその二階に ネオンサインが回っている。上がっていくと そのひとがいた。私を見て びっくりしたようで「何十年ぶりよ」と言う。「たったの16年です」と答える。鹿児島へ越してから16年だが、母の葬儀があった13年前に寄ったのが最後。その時は、突然私が来なくなった理由がわからず、憮然とした表情で迎えられたが、今回はこの地に不在だったことを承知しているので、すこぶるにこやかに歓迎の様子。髪を切ってもらいながら、会話が途切れない。店主ももう70代半ばになって いつまでやっていられるか不安なので、床屋は極狭くして、前の店舗は賃貸し。以前は4脚あった椅子も一脚のみ。共通の知人もいたので その人たちの近況など尋ね聞き、懐かしい話題にも及ぶ。私が姶良にいたということで、姶良にいる店主のお知り合いの名を上げてくれたのが、私が世話になった人たちで、驚き。以前 賃借りしていた家の家主は 笠利の人であることは知っているが 彼は店主の同窓生。今 笠利に農園を持ちタンカンの収穫でほとんど笠利にいる。「翌日合うので話してみよう」と言う。もうひとり ずっとコーヒーを買って下さってたTさんが 甥っ子になるという。Tさん夫人は、昔からよく知っている。龍郷秋名の人。ご主人はやはり笠利の人ということで、島に帰ったとき獲ったというトゥビンニャの貝をもらったこともある。あいらにいる間も 店主と縁のある人たちと交流していたというわけだ。16年ぶりのよもやま話が続く中、私の髪は私が何の要望も話さぬうちに わたしの希望通りに仕上がり、その時間も30数分、以前と全く同じ。70半ばでも腕はまだまだ確かなよう。安心して任せられる。今度はちゃんとひと月後には来よう。


久しぶりの同窓生たちとの宴会で、バレンタインデーの話題が出た。この年になっては全く縁のない話題と私は思っているが、勤めをしている者にはまだ縁があるようだ。しかし 決して若い頃のようなわくわくするような、ものではないようで、龍郷のKは「職場の女の子たちが、みんなで準備して くれるんだけど お返しも要求される。あつかましい連中で、あれがいいと品物まで指定して」4人しかいない男性職員にはなんとも面倒だと。金融機関のYも、「もらったらお返しに 気が重くなる」二人共社内でそれなりの地位にいる。相応のものを 返してあげないといけないと思うと何とも めんどくさい。女子職員が気を使って チョコを準備したのに、「こんなものはわたしも、家族にも食べさせません」と 拒否した歯科医師がいたが 職場は気まずい雰囲気になったようだ。
私は、お店で買い物をしたときサービスでチョコをちょこっと袋に入れてもらったことしかないので、バレンタインデーで悩むことはなかった。チョコをデジ袋に入れてもらって、その日がバレンタインデーだと気付くくらいだ。配達先の生活菜館マツオで、陳列されたバラエティーに富んだチョコのやまを見て その日が近いのはわかっていたけど。舞は、どうしてたんだろう。あげてたかどうかでなく、お返しをだ。なんと高校生の時の彼女 その日にチョコをもらってきてた。それもいっぱいにはいった手提げ袋を両手に下げて帰ってきた。同級生の女の子たちがくれたそうだ。まいは 男みたいな存在だったのだろう。確かに男子に対して厳しい性格。男子と同等に見られてたか 対男子で女性の見方だったからか、あるいは世話好きで 愛のキューピット的橋渡しをしてあげたお礼か。本人が誰かにあげることはなかったんだろうか。父は貰った記憶がない。でも彼氏はいたから父知らないところで 彼を喜ばせるためのセレモニーは参加してたんだろう。若い子が誰かの為に熱心にチョコレトーの品定めをしている姿は微笑ましい。縁のない私も否定はしない。舞が望むなら作ってあげたのに。

朝日のようにさわやかにウィントンケリー

またまた テレビをきっかけにジャズを聴きたくなった。居酒屋を紹介する番組で、隣のバーも映し出された。カウンターの後ろ、二枚目マスターが示したレコード棚にぎっしり入ったレコードの一番前は マンハッタン ジャズ クィンテットのジャケットだった。バーでジャズはお似合いだ。
学生時代オーディオブームでjBLや,アルテックのスピーカーを備えた喫茶店が流行っていた。好きな音楽を聞きながらできる仕事 と思って喫茶をはじめたのだが、今ならバーがいいかも、なんて夢見心地でボ~っと 紅茶をすすりながら聞いたのは、ウィントンケリー。softly as in a morning sunriseの前奏のあと主旋律最初の一音、ソフトな絶妙なタッチに いつも感激する、からだが反応する 両肩がピクンと上がるのだ。淡々と流れるなかに時に元気を与えるような強いタッチ。そしてまた 静寂のなかでゆっくり朝を照らす日をはっきりイメージできる、そんな旋律がほんとうに淡々と流れる。ジャズの会のたまり場だったフラワーで、ジャズの会メンバーのH兄が
「あさ 仕事味行く前 LP ケリーブルーをかけて softly を聞いてから仕事に行く」と言うと マスターの久さんが「仕事前はワークソング聞かんと」と返してた そんな光景を思い出した。


吉田拓郎と沢田研二がTVで対談していた。意外なことに 吉田拓郎にとって沢田研二はずっとアイドルだったそうだ。年齢は吉田拓郎の方が、2歳上。沢田研二も吉田拓郎のコンサートに行くなどしていて、その自由な演奏スタイルを羨ましがっていた。拓郎も学生時に渡辺プロダクションの門を叩いたことがあるというのは初めて聞いた。演歌の似合わない拓郎が一曲だけ好きな演歌として細川たかしの「矢切の渡し」のことを話していた。彼曰く「途中まで細川たかしが出てこない。途中で突然細川たかしが現れる。うまい!と思った」北酒場のような張りのある甲高い声が細川たかしの特徴なのに、それをあえて抑えて歌っていることに、歌唱のうまさを感じたようだ。もっともというか、もちろん 演歌はほとんど聞かない。沢田研二にしても、演歌を歌う姿はとても想像できない。ふたりの会話にでてきた話題としては驚いたが 面白くもあった。二人共夫人が女優という共通点があるが、家庭の様子はふたり全く違うようだ。拓郎は奥さんがいないと何にもできない。沢田研二は奥様のために朝食を用意してあげてるそうだ。レコード大賞について 「どういうふうに決まるの」という拓郎の問いに「パワー関係」と沢田が答え、ちょっと苦笑い。それもまずいこと言ったかなと、いうようなお互いこの話はやめようと、思っているようなしばしの沈黙。その様子のおかしさ。一時間 大半は拓郎が一方的に喋り、応じる沢田はことばを選び淡々と語る。60代半ばになったふたりのヒーローの会話は楽しかった。
思い出したのは、私も演歌は好んで聞くことはない。それでも耳に入ってくる歌の中には、妙に気になったり、口ずさんだりする歌があった。西崎みどりの「旅愁」は好きだった。TV時代劇の主題歌だったが、劇のことは憶えてない。テレビで歌う西崎みどりの姿はよく憶えている。14歳の少女が情感たっぷりに歌う上手さに酔わされた。
日舞の家元の娘という紹介だったが、幼少から芸能活動はしていたようだ。その姿は美しかった。たぶんその美しい姿がずっと記憶にとどめ置かれた要因だろう。

拓郎の歌も聞いてみたい。最近よく聞くのは「元気です」。この曲とともに宮崎美子の顔が浮かぶ。むかしむかしのときめきを思い出したこのyoutubeの動画を見たからだ。


ある人の話を聞いて その男を、嫌いになった。「銀行員が失礼なことを言ったので、土下座して謝らせた」と、ふんぞり返って喋った。土下座を強要するその感覚がなんとも下品だ。よく聞くと その男のわがまま身勝手に、銀行員が痺れを切らせて言い放ったようだ。
土下座とか 頭を丸めるとか、大嫌いだ 不愉快だ。AKBのメンバーの丸刈りについて メディアは多様な意見を紹介している。女性でも中には 明るく晴れやかに丸刈りを表現する人もいるが、苦痛の表情で見せられるのは、後味の悪いモヤモヤした気分を残してしまう。自分の意志でやったと言っている。本人を攻めるつもりはない。その組織に問題があるのでは。丸刈りにしなければならない状況を作ってしまってはいないか。恋愛禁止なんて人権軽視のようなルールの存在も、この組織のおかしな一面だ。もっとも恋愛するなと言われても 人を好きになるのは正常な人間なら当然。昔風に言うなら不純異性交遊を慎め、ということなのだろうか。この女性たちを使って利益を得ているものたちが、そのルールを示しているのなら、彼女らの人格を尊重して、業務外の行動の自由まで縛る規則は削除したほうがいい。画面で見せる のびのびした表情は普段もそうであったほうが、見るものたちには魅力的に見える。
柔道の暴力にしても、「厳しくしなければ強くならない」との伝統的な考えが、選手の人格否定のような暴言や暴力を行わせ、監督 コーチは、その伝統的な考えに従って威圧的な態度でいなければならなかったのではないか。過去 それで成功した時期もあったのだろう。しかし、それは選手を萎縮させることにもなり、好成績にはつながらない。オリンピックの開会式で、他国の選手たちがにこやかに行進しているのに、日本選手だけは 列を乱すなとでも言われたのか、ほとんど笑のない 緊張した顔が並んだことがあった。その大会で日本チームは不振だったため、反省として、その入場行進が話題になった。選手は試合前リラックスできたほうが力を発揮できるというのは、皆承知のはず。
いいパフォーマンスを見せて欲しい。メンバーがのびのびやれる環境にして欲しい。丸刈りを強要したら傷害罪、土下座強要は侮辱罪 それくらいに思って、相手への尊厳は忘れないでいてほしい。彼女達の日々の努力は並大抵のものではないだろう。それだけでも尊敬に値する。先の銀行員も顧客のために精一杯のことをやったわけで、もしほったかしていたらその男は、市場での信頼を失っていた。以前 金融期間に勤めていた私も、脅されたことがあった。しかし 謝らなかった。支店長も私の見方になってくれた。もし 支店長が謝罪を命じたら、すぐ辞メタだろう。理不尽なルールや取り組みには、人材も逃げていく。有能なものは集まってこない。有能でない私はその後5年間 その職で安閑と過ごしていた。

日曜日 娘に会いに行ってきた。母親が宗教活動で二日間留守にするとのこと。昨年12月以来。今回も内緒のはずだったが、バレたようだ。考えて見たら 父親が娘に会うのになんで内緒にしなけりゃならないんだ。娘が母親に気を使っているからだ。「お母さんが出発したら、電話するから、それまで待っててよ」
知ったら不機嫌になる母親には絶対隠しておくべきと悲しい判断をしたのだ。あとで知ったら激怒するだろうけど。娘の様子で感づいたのだろう、出発前に鹿児島までの電車賃を無心され、何も尋ねずそのお金を渡したという
。留守中に 買い物や 病気のおじの世話をいいつけながら そのためのお金は置いていかなかった、私に出させればいいとでも思ったのか。
まぁ いい。おかげで 二日間 娘と楽しく過ごせた。娘の明らかな成長が確信できた。歩きっぱなしで大変だった。娘がそうしたいと言った。鹿児島駅から天文館へ歩き、市電で谷山上塩屋まで行き 歩いてイオン鹿児島へ。帰りも歩いて、また市電で荒田八幡で降り、歩いてフレスポへ。フレスポからは、すぐ前のバス停から中央駅へ移動したが、今度は二人にとって想い出深い 一番街を散策。姶良へ戻っても、加治木まで歩いて夕食。姶良へ戻って喫茶店を探したが、いずれも既に閉店。づっと歩いている。雨が降り出し、諦め 娘を家に送り届け 私はまた歩いて加治木のホテルへ。翌日も大変だった。流石にもう歩きたくなかったのだが、隼人を通って国分重久に行くはずのバスが、隼人へは向かわず、10号線を直進する 慌てて降車し、目的の霧島イオンへ タクシーに乗ろうと提案したが、娘は「私歩くのは平気」と。また歩き出す。帰り、隼人からAZまでも、一時間かかってもいいから歩くという 娘の意見には無理だと同意できず、バス停に行くも バスは1時間後しか来ない。それまで待ってようとする娘をさとし タクシーに乗った。「いいの 大丈夫」という娘。父親になるべくお金を使わせないようにと考えていたようだ。子供にそんな心配をさせて全く不甲斐ない父親だ。
一緒にいた時間は長かった。歩きながらもずっと話していた。話の内容は明らかに以前の幼稚なものではなく、こころの成長をうかがわせるものだった。他人より遅いけど 成長してくれている実感は嬉しい。何より 明るかった。「二日間ほんとに楽しかった」という最後の言葉は 私もこみ上げるほど嬉しかった。足は疲労でぱんぱんに張ってたが、気分は 行ってよかったという満足感でいっぱいだった。この子のために 明日からまた頑張るぞといよくが湧いた。帰宅した日、体重は3キロ減っていた。



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