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珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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FM瀬戸内が1周年ということで、事務局長で パーソナリティーも勤める本田美奈ちゃんが MBCラジオのインタビューを受けていた。舞の幼馴染。葬儀の時も島から駆けつけてくれた。小さいころは恥ずかしがり屋で、こちらから話しかけても、はにかんだ笑顔を返すだけだった。人懐っこく お喋りな舞とは対照的 二人の時 いつも舞が一方的に、喋っていた。このインタビューもラジオで聞く語りもなかなかのもの 素敵だ。音楽の勉強のため、高校から島を離れ、ずいぶん成長したようだ。FMの仕事に就いたのを知ったのも、MBCラジオでだった。「たんぽぽ倶楽部」の中で 「新しく開局するFM瀬戸内の本田美奈さんが 研修に来ています」と紹介され、番組内で頻繁にその声が聞こえて、驚いた。すぐにカセットテープをセットして録音。病室の舞にも聞かせた。その後連絡て、見舞いに来てくれたとき、舞が本当に喜んだ。研修で鹿児島に来るたびに 病室に来てくれていた。舞は小学校の頃、アナウンサーを夢見ていた。家族からうるさがられる大きな声だが、はっきりした聞きやすい声だ。そのきれいな声をよく褒められるので、その気になっていたのかも。かなわなかったメディアで喋ることを、今実践している美奈ちゃんにきっと天の彼方から声援を贈っているだろう。
その美奈ちゃんがリクエストした曲は 城南海の「愛つむぎ」。「歌の手から手へ、人から人へ、伝え 繋いでいくという意味が、ラジオの仕事をするうえで心がけてることと 一緒だから」という内容のことを語っていた。
ついでに書くけど、城南海さんのお父さんは、私が以前勤めていた職場の先輩。まじめで誠実、穏やかな人。よく語りかけてもらった。カラオケも聞いたけど、歌は上手とは言えない。娘の城南海の音楽の才能は、父親から引き継いでるかは疑問だが、素直で礼儀正しいと、評価されている人間性はお父さんからのものだろう。同窓生のおばさんもいるけど こちらはちょっと。これはどうでもいいこと。離れていて影響されずに良かった。人へ伝えることにいつも勤めている 美奈ちゃんと 城南海さん これからも注目し応援します。


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備長炭を火にかけ、半分ほどが赤々と、火が回ったところで、焙煎機の炭釜に投入し、スイッチを入れた。ところがドラムが回らない。モーターは動いている。ベルトを引いてみたが動かない。前面のベアリングが回らない。急ぎ潤滑スプレー大量にを噴霧し 回してみると僅かに動いた。ベアリングを変えようと前面のボルトを外し手前に引っ張るが、軸とベアリングが癒着した状態で動かない。そもそも そう簡単には外れないのはわかっている。グリスが間に挟まって固まってしまっているのだ。何度も潤滑スプレーを噴霧する。ベアリングのほうはだんだん回りがよくなってきた。こちらもグリスが固まっている。ピンを使ってその塊を取り除く。早く焙煎にかからないといけない。ベアリングの交換は後日にして、3時間遅れで焙煎開始。終了したのは夜中2時だった。
焙煎機は定期的なメンテナンスが必要だ。わかっているんだが。サイクロンのチャフを廃棄したのは、3か月前。ダクトの掃除は4か月前。モーターを取り外して羽の付着物をそぎ落としたのは、半年前、引っ越してきたとき。その前は3年くらいしてなかった。もう23年使っている機会だ。大事に労わって使わないといけないのに。鹿児島の可否館は、焙煎機のダクト掃除が大好きらしく、毎月必ず念入りにやっている。私とはタイプの違うコーヒーを焼いているが、焙煎機に対するこだわりは見習わなければ。とりあえず早急にベアリングの交換を。茶楽亭は「ベアリングはなるべく変えないほうがいい」といっていたが、普段のメンテナンスが十分ならそうなんだろう。
もし故障して使えなくなったとしたら、買い替えるのは困難だ。もうあと何年できるか分からない。23年前約100万円で購入した焙煎機だが、今はその3倍以上の高価なものになっている。当然性能もよくなっているんだけど。後継者がいれば次を目指せるが、あと 年取ってリタイヤするしか道は見えない。マリアッチは、「自分は65歳まで と決めている。それまでの為に、焙煎機のモーターを変えたり ベアリングを変えたり、メンテナンスをしっかりやっている」と言ってた。それを聞いたのはもう10年くらい前だけど あのAさん何歳になってるんだろう。琥珀亭は焙煎機の故障で廃業した。それを聞いた時は「ほんとにおいしいコーヒーだったのにもったいない」と思ったが、ほかにも事情があったようだ。簡単に買い替えれるのはヴォアラくらいだろう。コーヒーそのものより、高価な設備とか、自分の肩書とかを大事にしているむきがあり。
多くの人は 自分のコーヒーは 自分の焙煎機でないと作れないと思っている。炭火で温度管理が難しいわたしの焙煎機は、温度上昇に不安を覚えたときでも きっちりおいしく焼き上げてくれる。焙煎機のほうが、豆の状態や、天候などの環境に遭わせて、自然に調節して焼いてくれてるように思える。そんな コーヒー屋にとって、最も大切にしなければいけない焙煎機、不調になってから慌てるばかりで、自分の体の健康と同様、あまりに無頓着だった。

「違いのわかる」のセリフで有名なネスカフェのCMの「ダバダ~ダ」という曲は。ジャズピアノの八木正生の曲だそうだ。ネスカフェには何の興味もないが、このCMには興味がある。著名人が主人公になり 気取った態度でコーヒーを味わう。ほとんど当たり障りのない、無難な人たちで、誰が出ていたか?記憶に残ってない。たぶん このCMソングの印象が大きかったのだろう。これは31日の朝日新聞、「歌の旅人」を読んでの感想だ。「歌の旅人」は 毎週土曜日で 前日に「旅立ちの日に」を読んだばかり。今回は特別に日曜日も。よく見たら 「広告特集」とある。どうりで やたらと ネスレを褒めてると思った。
読みながら思い出したのは、「今夜はこれだな!」のセリフで始まった ビールのCM。セリフの後すぐ バド・パウエルの「クレオパトラの夢」の演奏が始まる。私にとっては痛快だった。大好きな曲だったから。初めて聞いたのは、81年の猪俣猛率いる「フォース」のコンサートで、西直樹のピアノ演奏を聞いたとき。私と同じように、テレビから流れるこの曲を耳にして、引きつけられた人は多かったようだ。この曲 アメリカではそれほど知られていない。バドをアイドルとしているバリー・ハリスさえ、日本公演で、リクエストされたこの曲を知らなかったのか、弾かなかった。日本では馴染みのこの曲が 演奏されず、肩透かし。この後 ウィントンケリーの「ジューン・ナイト」カーティス・フラー「ファイブ スポット アフターダーク」がこのCMで流され、多くの人がジャズに興味を持った。88年の菅野邦彦のライブで、高校生が「ボーダリック」をリクエストした。きっとこのCMでバド・パウエルを知り、そのアルバム「シーン・チェンジス」を聞いてその中の「ボーダリック」を気に入ったのだろう。ジャズ喫茶「フラワー」には 野球ばかりやってた 市役所の青年が「ウィントンケリーを聞かせてください」とやってきた。街ではよく知られた その筋の組長が、コーヒーをすすりながら 熱心にジャズに聞き入っていた。こんなありがたいCMだが、そこで宣伝されていたビールは 飲んだ記憶がない。





テレビの歌番組を見ていた。昭和 平成の国民的名曲とあるが、初めに紹介されたのは80年代のアイドル歌手たち。とても国民的という冠はつかないと思う。当時10代だった人たちにとっては懐かしく、親しみを覚えるだろうが、その後もづっと歌い継がれているとは言えない。その頃全くテレビの歌番組を見なかった私でも、聞き憶えのある歌ではあるけど。それより 平成の歌として紹介された、「負けないで」「ハナミズキ」「涙そうそう」の方は今 国民の多くに愛唱されているのではないか。70年代半ばなら「北の宿から」「津軽海峡冬景色」それにピンクレディの歌は ほとんどの日本在住者が知っていたはず。その頃の国民的なうたと言えるのかもしれない。年代によって好きな歌、思い出に残る歌は異なってくるのは確かだ。時代によってもそれは変遷するものでもあるのかもしれない。フォーク世代の私にしてみれば、今日紹介された「卒業写真」「なごり雪」「時代」は今も頻繁に耳にする。これは国民的名曲と、主張できる。

名曲「卒業写真」
 
同じ頃発表された、変わり果てた自分を悔やむうた 「時は流れて」