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作家の山下惣一さんが言ってた。「我々 農家は去年と同じ収穫が得られたら 安定というが、経済界では 停滞という」TPP交渉に関して 対立する意見を持つ 両者は、根本から考えが違う例として話したのだろう。それよりも 政治に対しての不信を訴える言葉が際立っていた。不信というより 農政に従った自分たちを悔やんでいる。昭和36年の農業基本法制定から日本の農業は衰退したという。農業にも経営効率を持ち込み、選択的生産として高収入につながり、外国産にも対抗できる、作物の生産を推奨した。山下さんたちも指導に従い、ミカンの生産を大規模に始めたが、全国的な生産過剰で、価格が下がり、政府のオレンジ輸入自由化の政策で、さらに大きな打撃を受けた。オレンジ自由化は、アメリカとの貿易摩擦の解消が目的。国民生活より通商政策を重視した結果。かつてのみかん山は、今、荒れた竹藪に変わってしまっている。国が推奨したミカン生産への転換は、40年前 愛媛の大学で農業経営を学んでいた姉から、その問題点を聞いたことがある。かなり早くから、誤りが指摘されていたのだ。
大量に効率よくできる食物ばかりでなく、わずかでも国民には必要な野菜だってある。自給率の低下は、国民が求めるより安全な食料の不足という結果にもなる。多くの国民は 日本の農産物が世界でもより安全であることを知っている。できれば国産品を使いたいと希望している。政治の都合で農業政策をとる愚かは止め、国民の安全な生活を、第一にした方策を示してほしい。そもそも農業に携わっていない官僚が決めてしまってないかという不満も大きい。以前 すぐ近くの国のばかな首領が、農家に、土地を有効に使えと、作物の植え付けを「間隔を狭めて植えれば、もっとたくさん植えられるだろう」と命じたため、栄養分が行きわたらず、劣悪な果実しか得られなかったという話があった。農業を知らぬ者の 余計な口出しの最悪な例だが、効率とか、政治の事情とかを、国民の命を守る 農業に持ち出さないでと思ってしまう。山下さんの理想の農業経営として、その土地で、消費してもらうということを、提案していた。大規模に全国に出荷されるのでなく、その地域に必要なものを生産し、その地域でそれを消費する。それができれば、おのずとコスト削減など、農家の安定につながるのでは。
山下惣一さんの「野に誌す」を読んだのは、35年くらい前だろうか。農民文学という言葉が新鮮だった。時々 新聞のコラムが出てるのを見たくらいだったが、ずっと書きつづけていて、著書もかなりになってるんだ。農業人の粘り強さだな まさに。

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昨夜は焙煎をした。その前 夕方から、龍郷へ配達に行ったので、いつもより 2時間遅れで開始。五釜しかできなかったが 終了は日が変わって1時。それから 24時間営業のスーパーへ弁当を買いに。お寿司を軽く口にして、シャワーを浴び、福井静さんの事がどうしても書きたく、ブログに取り掛かり、終わったときは3時をまわっていた。
当然 今朝は眠かった。いや 今朝だけでなく 一日中眠い。兄に 手伝いを頼まれて、標本箱を塗装する作業。その塗料の強い刺激臭で、神経はそれに過敏反応。眠気を脳に伝えず。夕方になり一気に眠気に襲われ、テレビの前に横になった途端、鼾をかきだした んだろう。自分ではわからないが 子供たちが 鼾のうるささを訴えていたから きっとそうだ。3時間後、目覚めた後も気分がよくない。瞼が重たい、何にもしたくない。ご飯も面倒、ウォーキングなんて行く気になれず。
ラジオをつけて、また 横になる。かぐや姫が聞こえてくる。鹿児島で南こうせつと伊勢正三のコンサートがあったらしい。其れゆえの特集か。聞いてて少し気分が晴れてきた。そこへ 東京から電話、やまもと君といつもの四方山話。友人のことなど、とりとめなく喋って 気がつけば また 日付が変わっている。それから パソコンに向かって これを書き始めた。何かを書こうと思ったわけではなく、今日も何か書かなければとの思い。何を書こうかと考えながら 書いている いっこうに進まず。ついにまた この時間。昨日よりは早いが、これでは眠気が解消どころか 増すばかり 明日も 眠気をこらえて一日過ごすことになりそう。 

テレビから福井静さんの「ホームタウン」が聞こえてきた。建築会社のコマーシャルだった。そういえば最近 「素顔」が前の自動車学校とは違うCMで流れていたんじゃなかったか。聞きたくなった。youtubeを探してみた。「素顔」があった。以前はなかったのに、いくつかのイベントのステージの模様が動画になっている。数年前 ショッピングモールでのライブを見た娘が、身じろぎもせず聞き入っているのをみて、驚いたことをブログに書いたことがある。あんな集中した顔、初めて見た。その時は探したがなかった。「素顔」「ホームタウン」映画 「海の金魚」で使われた「さかな」が代表曲かな。でも今日初めて聞いた「ナチュラル」もいい。彼女のライブは 鹿児島にいれば割と容易に見れる。お祭りやイベントには引っ張りだこで、鹿児島市内であれば 娘を連れてすぐ行くことができた。語るときの のんびりしたような ゆっくりした口調も面白い そして聞いているうちに 馴染んでくる。県外でのライブも結構やっているようだが、まだまだ知られた存在にはなっていない。鹿児島で絶対的支持を受けた歌姫。とりあえず 聞いてもらおう。




2年前のちょうどこの時間 舞は、旅立った。今日は三回忌だ。2年たって今 悔しくてたまらない。なんとしでも助けてあげなければならなかったのに、本人の頑張る意志と、病院に任せて、私は何もしてあげてないのではないか。2010年9月のブログで、「退院してきた舞が家族で一番元気。以前と同じように、出水に行って 友人らと楽しんでいる。
まだ 病人なんだから、家でおとなしくしてほしいのだが」とある。この一か月後、再入院しなければならなかった。舞のために、もっと厳しく言い聞かせるべきではなかったか。妹を元気づけたことを感謝しているが、舞の身体が最も大事だったのに、元気そうな姿に油断してしまった。翌1月3度目の入院でも、猶予できぬ状況なのに、舞と母親の言動に、反対の意見を強硬には言わなかった。舞に嫌われてもいうべきだったのでは。熊本の大学病院でのセカンドオピニオンも、後に紹介された九州大教授に診てもらうことも 実現できなかった。けいれんを起こす前の母親の知人の看護士を職としている人が、食事を与えてくれるというのを、不安を持ちながら承知してしまったが、やはり 勤務しているときと同じように、患者をせかしながら、本人はいつもやってるとおりなんだろうが、舞は苦しそうに食べている。「もっと ゆっくり」と、お願いしたが、耳に入らなかったようだ。
直後 舞はけいれんを起こしてしまった。「このせいだ」と、彼女を憎んだ。新たな病の進行があったのだが、引き金になってはいないか。そう思うと、強引にでも止めさせればよかった。今更だけど 後悔することばかり 思い起こされる。舞がもういない事実もまだ受け入れきれないでいるのかも。思い出がよみがえる。楽しい気分になる。そしてその先が存在しないことに気づき、こみ上げてくる。この繰り返しがすこぶる多くなった。
いつも いうけど、父親の私の後悔であり、舞はちっともそんなこと思ってない。周りの人すべてに感謝していた。舞のためにこれからすべきことは、舞の意思を伝える事、舞と同じように感謝すること。なんだが、心の狭い私にはなかなかできない。
朝から 舞の友達や親戚から、いくつかの電話やメールが届いた。みんな 忘れないでいてくれる。舞と心のつながりを持っている人たちだ。その繋がりを私が継承して行こう。舞が大切にしていた人たちの事を、私もずっと忘れず、大切な存在として見守っていきたい。笑顔の舞の写真を見ながら、お供えした ミルキーとポッキーに手を伸ばし、舞と一緒に齧っているつもりになったら、そういう会話を舞とかわしている場面が、浮かんできた。


中国から帰国したかっこさんとランチしながら しばし 歓談。このしばし 気づいたら3時間になっていた。会うのは3年ぶり。私が隼人の病院に入院していた時、島へ帰る 飛行機の空き時間に ご主人と見舞いに来てくれた。今回は、お母様が入院されたということで、お世話のための帰郷。もう退院されたのだが、介護が必要なため、後しばらく、お母様に付き添うそうだ。ご主人のお父様も入院中で、お母様は普段から足が悪く、二人がいらっしゃる笠利のほうへも出かけていて、友人たちに会う時間が取れずにいたが、二人の母親が、どちらもデイ サービスを受けに行くこの日 やっと時間が取れたということ。もともと大柄で、丈夫そうな身体だが、毎日の介護は神経的にも疲れるだろう。人に対する 優しさ 思いやりは 昔から 人一倍強かった。
3時間 いろんな話ができた。中国での生活、医学を勉強中の二人の息子さんの事。自宅のある福岡の事。彼女のイデオロギー的なものも少し伺えた。ご主人とのなれ初めを尋ねたが、高校の後輩で弟さんの同級生。同じ大学に進学してきたので、お付き合いはその時からだが、結婚に発展する親密な交際はいつからか?何がきっかけか?決定的な要素については曖昧なよう。その中で もっとも印象深かったのは、御主人の勤勉さ 努力家であることを語ったとき。ご主人を尊敬している。彼女の方は私の離婚に驚いていた、隼人に見舞いに来たときに会った元嫁との破断が信じがたいかのよう。正直に話した。
これまで 帰省した時 同じように会っていたのは 川口だった。川口亡きあと 私が代わりになれたのかな。そう考えると うれしい。もちろん 思い出話に、川口も、先日死去の報が入った森山のことも語った。ランチをしたその店は、4年前まで やはり同級生の長嶺のドーナッツ屋だった店だ。


何度か観た、あるいは何度も観たい映画がある。もっとも観た回数が多いのは、「東京オリンピック」かも テレビで放送されるごとに観た。「男はつらいよ」シリーズのように昔 観た映画が レンタルDVDで観れるようになったり、放送もされるようになって、また 観たのもある。BS放送で古い映画を放送してくれるので、再度見ることができた映画も多くなった。レンタルビデオやDVDで借りてきて観た映画で、お金を出してでも繰り返し見たくなる映画もある。「チルソクの夏」が 3回借りて観た。今日BSで放映していた「深呼吸の必要」も既に2回借りて観ている。今日で見るのは3回目というわけだ。
初めは「深呼吸の必要」というタイトルに目を引かれた。学生の頃見ていたテレビの「若い広場」のなかの斉藤とも子がインタビューをする「マイ ブックのコーナー」で長田弘志が出ていたのを見て、そのすぐあと「深呼吸の必要」という詩集が 文芸賞を獲得したことを知っていた。その時からこのタイトルは知っていて、興味もあったが、まだこの本は読んでない。長田弘が雑誌に掲載したエッセイは読んだことがある。長田弘という詩人への興味もあることはあったが、「深呼吸の必要」というタイトルを気に入っていたことがこの映画を見ようと思った一番の理由だ。
11年前の映画。出演者は今となってはよく知られた面々だが、最初観た当時、主演の香里奈は知らなかった、初めて見た。長沢まさみはまだ少女。成宮寛貴の顔もあどけない。谷原章介と大森南朋くらいか知ってたのは。金子さやかもその後にテレビに出ているのを知った。おじいとおばあは、その風貌から、ほんとに沖縄のキビ農家の人じゃないかとおもったが、おばあの吉田妙子はその後沖縄が舞台の映画やテレビドラマで何度も観ることになる。
内容は募集に応じて都会から来た若者たちが、農家に寝泊まりしながらキビ狩りをする。
スリルもない ラブロマンスもない。どんでん返しのような、極端なこともない。ましてコメディーでもない。繰り返し サトウキビの刈り取りと 食事の場面と、そして朝起きる場面と。会話の中にその人物がどういう人で何を背負っているか とか、推測できる場面がある。観ているこちらも いつの間にか 彼らと同じ立場になって 感情移入できてる。期限までに 収穫が終われるだろうか?素直になれない少年にかける言葉は?朝から夕方まで頑張って、楽しみは夕食だけか 暑い中 キツイよな。と。
音楽を感じなかった。刈ってるサトウキビの穂が天に向かって伸びていて その空からぎらぎらした陽が差し込んでくる場面で、突然 チェロの低い音の旋律が聞こえてきた。この陽に照らされた天候の中の作業がいかに酷なものか といってるような旋律が。でも 考えたら、キビ狩りするのは冬だ。だいたい12月から始まり 多いときは4月末まで、平年3月までだ。休みの日に海辺で遊び 水着になって海中にいるシーンがあった。作業着で、キビ狩りをする以外は、みな Tシャツ 短パンだった。でも冬だったのだ。収穫して製糖工場に搬入する期限を 3月31日と言ってたから、設定は2月と3月なんだ。
舞台は沖縄の離島のようだったが、撮影は沖永良部で行われた。実際に成長したサトウキビを刈るから、その時期に撮影もしたのだろう。3月なら泳げないこともないか。
映画の後半 大森南朋演じるリーダーが豪雨の中、軽トラック事故で大けが。隠していたが医者だった谷原章介演じる青年が助ける場面から、話が明るく進んでいく。若者たちの連帯感から、お互いの当面の目標に向かっての意欲が増す。暗いキャラクターだった長沢まさみの表情が明るくなり、朝を迎える喜びを語る。なんでもない平易な内容のはずなのに、観ながら、感激したり、おもわず 頬をたっぷりゆるめた表情になっていたりする。
何がいいんだろう。どうして深呼吸が必要なんだろう。長沢まさみが言った、「くたくたになるまで働いたら朝はくるんだ」という たった一言のセリフにすべてが込められているんだろう。深呼吸って何のためにするんだろう。深呼吸してみようと思う場面に出会うこともなくなっている。息切れならしょっちゅうだが、深呼吸とはちがうなぁ。





普段 焙煎は夜やる。たまに、朝やるときもある。今日は昼やった。午後2時前に火を入れ、7時半前終了。夜やるのと 何が違う? 暑い!とにかく暑い。10分おきに水を飲む。氷水を。甘いジュースやスポーツドリンクも欲しくなる。そうしないと頭がふらつきそう。扇風機を3台回している。これは 焙煎機の熱を外に出すため。焙煎機の中は ダクトを通して 排煙と同時に温度の調整もできる。と言っても温度上昇のスピードの調整で、200度から210度に上がる時間を遅らせる効果だ。焙煎機の側は おそらく45度くらい。姶良では 夏場42度だったが、今日はそれより明らかに暑い。一釜終わるたびに外に出る。外の涼しい空気に触れて気持ちいい。外も炎天下のはずなのだが、焙煎機の周辺に比べるとはるかに涼しい。兄が「閉めるよ」といって 店と居間の間の引き戸を引いた。建物の反対側にある兄の事務所まで焙煎の熱が伝わってきているそうだ。夕方になって 暑さが和らいだ。と言っても 真昼に比べたらだ。相変わらず、焙煎機から熱の放射を受け、 汗びっしょりになった肌を、大型の工場用扇風機の前にさらし、はぁっと 声をついて、温泉につかったときの極楽気分をしばし感じる。状況は全く逆なのだが。
焙煎はうまくいった。気温が高いので、温度上昇はスムーズ。冬よりも一時間早く作業が終わる。おいしく焼けてるはずだが、試飲は明日。終わった後、残った炭を釜から出す作業がまた厳しい。取り出して 消し粉の上におくが、放射された熱で痛い。熱いでなく痛いのだ。完全に燃えた炭の温度は ガスなどよりはるかに高い。2,3本の炭を出してすぐ粉をかけて 熱の放射を遮断する。全部出してしまうまで待っていられない。また 数本出して粉をかける。 そのたびに熱を浴びてる手と、釜の正面に立っている大腿が強い熱射で痛い。
夜 焼くと多いときは夜中の2時ころまでかかることがある。でも 夏の間は夜やろう。
決して、焙煎を苦痛に感じてるのではありません。しっかり仕事ができた満足感です。
沢山 注文が来て、たくさん焙煎できることを 望んでいます。「焙煎 大変そうだから、注文控えよう なんて 絶対 思わないでください。


別府葉子さんへの賛歌

最近 このブログの閲覧履歴に シャンソン歌手 別府葉子さんのブログが記録されている。youtubeで一曲きいてみた。いい!
本場仕込みのシャンソン歌手 とある。落ち着いた、安定した歌唱。といっていのか。どきどきはしないが 深く その歌を追っかけて 行きたくなる。たくさんの歌がアップされている。シャンソンの定番 「愛の賛歌」から「バラ色の人生」「枯葉」「パリの空の下」。私の好きなミレイユ・マチューでよく聞いた「ラストワルツ」。シャンソン歌手では ベコーとミレイユ・マチューが好きだ アズナブールは苦手。フレンチポップスのシルビーバルタン ミッシェル・ポルナレフも、好んでよく聞く。フランス語独特の響きが心地よい。
別府葉子さんは今日初めて聞いただけだけど、素敵だ。日本のシャンソン歌手で一番だと
今なら言える。次の一曲 次の と、もう7曲きいた。なじみのある曲が次々出てくる。
70年代に話題になった「リリーマルレーン」「百万本のバラ」は加藤登紀子のとは歌詞が異なるが、物語の悲哀を最も感じさせる歌い方 抑揚。「コーヒールンバ」もある。ラテンの「花祭り」。「ローズ」まである。プロフィールによると 「小中学校で合唱を、高校・大学ではクラシックギター、ロックバンドと、幅広く音楽活動。」とある。大学でフランス語を専攻してたようで、これが シャンソンへ進んだきっかけか。中島みゆきの「時代」も歌っている。知らなかったがシャンソンのいろんな賞を獲得していて、シャンソンファンにはよく知られた存在だったのだ。プロフィールにはさらに「フランス語と日本語を操り、原曲のイメージを再現で きる実力派として、人気を得ている」どんな歌でもこなせるが、きちんと自分のスタイルで表現している。




同窓会会長濱田君のお母様のお通夜へ。たくさんの参列者がいた。当然同窓生もちらほら。
しかし ちらほらでしかないのが不思議。彼の付き合いは広い。奥さまも同窓せいだし、ほとんどの同窓生がある程度の付き合いを普段保っている。中学 高校と、全部の学年 級長だったり、生徒会役員だったり、人望も厚い。たまたま帰省中のNさんに会えるんじゃないかと期待したり、と 彼のお母様を偲ぶために来たはずなのに違うことを期待するのはおかしい。と 思いながらも、最近頻繁になった、同窓生親御さんの通夜や葬儀に参列している。同じような感想を一人が口にすると、ある一人が「故人が 我々のために こういう 引き合わせを してくれたんだ。故人が最後に施す、礼なんだよ」と言ってくれた。隣の席では、6歳年下の 弟さんの同窓生たち、かなりの人数が、賑わっている。明らかにミニ同窓会だ。お酒が入って、いい気分になって笑い声もして。我々のほうは 濱田家の家族の事が話題だから、故人を偲ぶことにつながってるから いいのか なんて、理屈を考えたけど、私のは 隣の同窓会集団の中に 久しぶりKさんの顔を見て嬉しかったり、と 理屈に合わぬことを 喜んでいる。理屈はいらないんだ。故人のおかげでいい時をすごせて、それを故人に感謝すれば。
葬儀 通夜に行くと 必ず見かける人たちがいる。たぶん、町である ほとんどの葬儀に顔を出しているんだろう。市会議員の人たちだ。彼らの目的?もちろん故人のためだろう。
市民のために日頃から活動しているのだから、これも市民のためにと 思っての参加なんだ。きっと。


梅雨が明けた奄美。暑い。少し動いただけで 汗がでる。何度も作業を中断して、水を飲む。500ccのペットボトルに入れた水は、15分で飲み干した。また満たしてそばに置き、作業。またすぐなくなる。ほかにスポーツ飲料も牛乳もウーロン茶もサイダーも飲んだ。いったい何リットルの水分を摂取したのだろう。
7月に入った直後の梅雨明け。24年前もそうだった。6月半ばで勤めを辞め、東京のコーヒー学校で学ぶため、島を発ったのが7月2日だった。あの時もその前日梅雨明け。照りつける太陽で、空港駐車場のコンクリートがギラギラ反射して眩しかった。
東京は寒かった。まだ 梅雨からはまだ抜けてなかった。街行く人も長袖姿だった。居候先のR兄さんから借りたジャンバーを羽織って出かけた。梅雨だから連日雨。それから10日ほど後だったろうか 夏に変わったのは。7月を東日本で過ごすのははじめてだった。夏でない7月の経験が初めて。梅雨明け後は真夏の気候だったはずなのだが、
東京にいた一月半 暑いと感じたことがなかったように思う。ずっと 冷房の中にいたような。朝 宿泊しているR兄さんのアパートから 駅に向かい 小田急線に乗り 新宿で乗り換えて 池袋へ、電車の中、駅構内冷房。池袋東口から出てすぐ、三越横に 現代珈琲専門学院 がある。こちらは午後3時まで。その後は 地下鉄に乗って、後楽園へ あるいは 秋葉原へ、あるいは 神田神保町へ、ときには ちょっと遠いけど TKコーポレーションのあった 門前仲町へ、、合羽橋にもよく行った。丁度都市対抗野球をやっていた 東京ドームへ10回くらい行った。500円で入れ田。新日鉄堺の試合を4回見た。ピッチャー 野茂英雄が全試合完投した。佐々岡 与田の投げあいもすごかった。東京ドーム内野席3階も冷房が効いていた。秋葉原は駅下の部品専門店街をまず回って、外へ出る。パソコンの専門店が多かったが 私が行くのはオーディオの店。スピーカー 、ターンテーブル、カートリッジ など 購入。冷房の効いた心地よい店内で 長い時間過ごした。東京ドームから 水道橋まで さらに神保町までと歩いたことも何度かあった。でも きつかった 暑かった という記憶はない。神保町の古本街も楽しい町だった。マラソンランナーが練習をしていると聞いた神宮外苑にも行った SB食品の新宅 金井 中村 達が走っていた。木々に覆われ涼しい環境だった。駒沢公園の陸上競技場 平塚の競技場でも有名選手を間じかに見れた。代々木、の第二体育館ではバスケットの実業団大会をやっていた。三田と青山のライブハウスでジャズを聴いた。先日テレビの銀座特集で、バニーガールが出てきた。「おっ 懐かしい」と思ったら TKコーポレーションのTKに連れて行ってもらったあの店だった。珈琲店を尋ねて 下北沢 御茶ノ水 銀座などを巡った。毎日エキサイティング 熱い一月半だった。でも どこも涼しかった。実際に汗をかいたのは、多摩川の堤防沿いを 登戸かから 双子多摩川駅が川向こうに見える位置まで往復したときだけ。
東京から戻ると直ぐ与論へ。暑かった。喫茶海岸りで、手伝い。冷房はかかっているけど 厨房は全く効かず。一月だけ借りたアパートは冷房なし 扇風機さえなく、朝から 夜中まで ずっと暑かった。

テレビをつけたまま 寝てしまっていた。目覚めて頭を起こし、画面に目を向けると フィギアスケートの安藤美姫がインタビューを受けている。見出しに「出産 そしてソチへ」とある。彼女も浅田真央同様 結婚して 出産 という女性としての生き方への憧れを持っていて、その事を答えているのか と思ったら、何と 既に出産を経験して、母親になっていて、その上で アスリートとして オリンピックを目指すと言っている。生活全てをアスリートとして過ごすのでなく、ON OFFの区別をはっきりさせて、アスリートであること その前に 女性である事、両方あって自分だ という その意識で 今を生きている。
いいことだ。インタビュー後の コメントでもあったが、「恋愛すると スポーツに集中できなくなる」という意見が日本には多い。もし そうなったとしたら、そのスポーツの価値がその人にとっては恋愛より勝るものではなかったというだけではないか。アメリカでの生活を続けていた安藤には、恋愛とスポーツが対立する関係とは思えないだろう。「アメリカンは 恋人ができると より やるきを起こしてよい結果を出す」かなり前だけど、水泳の長崎宏子が言っていた。日本でも恋人の存在を明らかにするアスリートは増えてきた。ただ 一流選手に対してはプライベートまで探ろうとする輩が、報道関係にはいる。スポーツで頑張ってるんだから、プライベートで、何しようと 自由にさせておけばいいのにと思う。福原愛がデートしたって何もおかしくない。それを本人が謝罪する姿なんて見たくない、そんな報道いらない。松野明美を指導していた藤田監督が、厳しい練習に耐えている彼女達にせめてプライベートでは好きな事をやらせてあげたい」と言っていた。
普通 恋人ができると 生活に張りが出て、俄然やる気を起こすでしょう。アスリートだって同じだ。
安藤の場合 出産したということは、体に変化が出ているわけだ それを、回復しなければならないし、子育てという大事な責務も負っている。その上で オリンピックを目指すというのは、相当な覚悟が必要だ。周囲のサポートが欠かせない。1年間競技を休んだので 実績もなく、かなり ハードルは高そうだ。でも 挑戦する彼女を大いに応援したい。同じ意見をこのインタビューを見た、沢山の人が思っただろう。

島の先生 22年前の薩川編

昨日 観そこなった「島の先生」を 見終えたところです。以前あった「島の裁判官」同様 毎回 重い内容で、その展開を、集中を切らすことなく見続けました。舞台が加計呂麻島。当然最初、是非見よう と、意識したのは その奄美 加計呂麻で撮影されたから ということだ。島に 主演の仲間由紀惠や石坂浩二が来たんだ と思うだけでも すごい事。しかし 島が舞台であることよりも ドラマの内容の濃さで惹きつけられた。子供の現状 過疎の島の現状。親子の関係。実際に世間で、起こることの少なくない事象を 深く踏み込んで、描いていた。今みた 最終回、最後のシーン。諸鈍のデイゴ並木をふたりが歩いていた。諸鈍には親戚が多くいた。今となっては 縁がとかれ 元親戚だが、みな いい人だった。また 会う機会はあるのか このデイゴ並木にまた行くことはあるだろうかと、その場面を見ながら思った。でも娘にとってはずっと親戚だから 断絶することはないだろう。このドラマ、先生が主役だから当然出てくる学校。その撮影は薩川小学校だ。昔 薩摩から来た川畑さんが学校を開いた地 だから薩川。学校が中心の集落だ。薩川と聞くと、その薩川小学校 中学校に、22年前にいた3人の教員を思い出す。思い出すといっても 付き合いはまだ続いている。私が喫茶をしていた時の常連であり、今でもコーヒーを 買ってくれるお得意さんだったりでお友達。今 屋久島にいるTさんとは、数日前電話で話したばかり。与論に赴任しているYさんの娘さんが 新聞に載っていた。中学総体地区大会の卓球で優勝したという記事。もうひとり、おととしの12月 ブログで紹介したユニークな天才ママHさん。高校のソフトボール部でキャチャーをしていたしっかり者のYさん、陸上部でやり投げ選手だったTさんは行動派。北海道までいって酪農を体験したりマラソン走ったり。う~んさすがとうなずいてしまう。養護教員として児童心理を深く勉強していて 娘のことで相談にのってもらったこともある。中学教師だけど中学生より子供みたいだったHさんは、双子の女の子のお母さんを立派につとめているが、会話をすると昔のまんま。時々子供に窘められるといってた。結婚しているYさん Hさんは いまはなかなか会う機会がなく 年賀状のやり取りで近況などを知らせあっている。独身のTは 鹿児島で会うこともよくあったし 姶良にも来ていた。月に2度配達に行ってたKさんの家によく泊まりに来てたので、その動向はよくわかっていた。3人とも薩川が初任地だった。「島の人たちにかわいがってもらった」と言っていた。転勤で島を出るときには 青年たちが船を出して 定期船を追いかけ 旗を振って見送ってくれて 感激したことを話していた。ドラマと同じように 島の人たちに大事にされたんだ。いいところだったんだ。
私の店の広告にもモデルとして出てもらった。
本人たちには後で承諾してもらうけど みんな美人だから 出してもいいでしょう
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