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昨日の疑問に NHKが答えてくれた。久保田早紀「異邦人」、誕生のエピソードを、番組で約30分にわたり 紹介してくれた。「私のためにありがとう」なんて あつかましく思ったり。
先ず 私がイメージした吉井淳二の「ペルシャの市場」でなく、平山郁夫が描いた、シルクロードの世界なんだ。そういえば NHKの「シルクロード」は、全く知らなかった中国奥地、天山山脈やタクラマカン砂漠、敦煌といった土地の様子や文化にすごく興味を持ってみていた。孫悟空や井上靖の小説の舞台で、ロマンあふれるシルクロードに、多くの人があこがれていた。
あの時初めて聞いたメロディーと思っていたが、「飛んでイスタンブール」「ガンダーラ」といった中央アジアをイメージした曲はあったんだ。
曲はファドのアマリア・ロドリゲスの歌を聴いて、イメージができたようだ。詩もアマリア・ロドリゲスの歌から、恋の歌である必要はないと判断し、作ったが、なんと 東京郊外を走る朝の通学電車の中からの風景が織り込まれているという。公園で遊ぶ子供が手を広げてみんなを呼んでるしぐさや、
自分の子供のときの思い出やら。
曲の誕生にはレコードディレクターの意図が強く反映されたようだ。久保田早紀の声の質に注目し、シルクロードに乗っかることを思いついたようだ、先のアマリア・ロドリゲスのレコードを何枚も久保田に聞かせもしている。それが コマーシャルとタイアップして爆発的に世間に広まったというわけ。
しかし、その現象で、自分を見失ってしまいそうな不安に、音楽を楽しめなくなった久保田は、子供の頃から好きだった教会の賛美歌に戻ることで、また たのしい音楽を取り戻したということ。
ユーミンの音楽に憧れ、一度はその位置につけたが、そこを保つのは、とてつもなく大変なことだったようだ。
今 生き生きとした表情で、小さなコンサート演奏を行い、ほんとに近い位置で、聞き手に語りかける様子は、苦しんだあとの判断がただしい結果に至ったことを証明している。
 やっぱり 若い久保田早紀も見たいよね
  
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別府葉子の「パリの空の下」に幸せな気分

シャンソンで好きな歌は「パリの空の下」。これは前にも言った。元気に息づくパリの下町の人たちのこと ゆったり流れ続けるセーヌの風景、うろ覚えながら 嘗てみた映画「パリの空の下セーヌは流れる」のシーン。旋律に揺られるように思い浮かぶ。
突然なんで、シャンソンの話になったか?というと このブログを見て下さっているシャンソン歌手、別府葉子さんのブログ「葉子通信」を私も見ている。そのページに埋め込まれた、「いつも何度でも」「百万本のバラ」のyoutubeの動画を見たりすると、ほかの歌も聴きたくなり、「六月の雨」から「リリーマルレーン」「ローズ」「ラビアンロゼ」「サントワマミー」と聞いて、やっぱりあった 私の好きな「パリの空の下」アコーデオンでなくギターの弾き語りにピアノの伴奏。揺られながら、思い浮かべて聞いていた。これをみんなに見て欲しくて、これを書いたというわけ。
     

そうか 「枯葉」もシャンソンだった。もちろん好きな曲だが、ジャズのスタンダードautum lievesとしていつも聞いていて、リズムもさまざま サラボーンの強風に撒き散らされてる枯葉もあって、シャンソンとして限定はしてなかった。ちなみに 私がカラオケで歌うのは、「サントワマミー」 パソコンディスプレイの別府葉子とかってにヂュエットしまた。

渡邊さんの「今宵の一枚」で 久保田早紀「異邦人」を聞きながら、感心してしまっていた。「どうしてこんな歌が作れたんだろう」 30年以上前、若い久保田早紀にペルシャを思い浮かべる、メロディーとその風景にマッチした壮大さを感じる詩が作れたことは驚きだ。遥かかなたの異国文化への憧れにカミュの小説で知った「異邦人」という言葉に惹かれて聞いていた。今聞くと、ほんとにスケールの大きさを感じてしまう。
この一曲だけで 表から去ってしまった彼女。いきなり 有名になり、大金が入ってきて 戸惑い、怖くなって 活動を止めたと聞いていた。いまは 教会音楽をやっていると聞いた。
当然 ほかの動画も見たくなる。探していたら、今の久保田早紀 現姓 久米小百合が教会で歌っている。「異邦人」はづっと歌い続けていたんだろう。ピアノの弾き語りでその世界を表現している。華々しさでなく、語るように人とその世界の雄大さを、心豊に穏やかに、あるいは寛げる、そんな歌を届けてくれている。



ことしの夏の甲子園で、決勝を戦った二高校の評判が頗るいい。そのマナーの良さによるものらしい。
相手チームに対して敬意を持っての行動らしいが、それらの中にはプロ野球でもときどき見られる行為もある。嘗ては当たり前のマナーが今は軽るんじられているのか。決勝の両校とも、よき社会人となるためのマナーの教育を施していると言うことが監督の談として伝わっている。二校が評判になるのは 勝利至上主義の学校が多くなってしまったからだろう。みんな勝ちたいのだからしかたないのかもしれないが、今年好成績だったチームで、禁止されている2塁ランナーが捕手のサインを盗み見て打者に伝える行為を行っていたことが、対戦相手から伝えられている。ランナーだけでなくコーチボックスから、掛け声に紛らせて伝達していたらしい。そうとわかれば 逆のサインを出して、貶めたり、ランナーの前に内野手が立って、捕手が見えないようにしたり、対策をとって成功した例もあるようだ。なんとしてでも勝ちたいのだろうが、何でそんなに勝たなければならないのか、事情があるんだろうか。
チームに関係なく 観戦するものにとっては、このマナーが大事。数年前のハンカチ王子のように、マナーの素晴らしさは、大きなインパクトになるのだ。
野球に限らず、応援したくなるチームはマナーのいいほうのチームだ。卓球部だった娘の中学時代 大会を欠かさず見学に行ったが、団体戦の決勝はいつも同じ中学の対戦。マナーのよいチームとそうでないチーム。当然マナーの良い方を応援し、そのチームが優勝していた。マナーの良くない方のエースは高校に進むとマナーのよいプレーヤーになっていた。指導者の問題なのだ。
姶良でよく観戦していた 高校のハンドボールの試合でも、強いけどマナーに関して顔をしかめざる得ないチームが、優勝していた。その監督は勝つために手段を選ばないことで有名だった。マナー良く としたら、相手に有利になることになると思っているらしい。ラフプレーも ペナルティーも 負けなければ ルール違反じゃあないというのか?

奄美のお盆は、旧暦で行われる。月遅れではないので、旧暦の7月13日が入り。今年は新暦8月19日から21日までだ。兄の仕事は18日から休み。こちらではお盆の送りをした翌日、旧暦7月16日は仕事を休む風習になっている。したがって今日まで休み。商店も今日は休んでいるところが多い。私の方は、お盆を済ませた、島外からの注文のために業務はいつものとおり。18日などはいつもより忙しいくらいだった。でも今日は 静かなお盆明けの日をゆっくり過ごしていた。
明日から町はいつものように活動するのだろうが、すぐ週末になる。何となく、日曜まで
お盆休みの感覚のまま行ってしまいそうな雰囲気。
お盆の時の楽しみ。それは懐かし人たちに会えること。帰省した人も多いので 同窓会の時期でもある。中学の同窓会があった。島の中学なのだが、私は3年の3学期に熊本から転入してきた。実際通ったのは60日だけ。私を知らない人も多い。以前参加した時、別の中学じゃなかった? と 何にもの人に言われ、もう出まい と、思っていたのだが、同じ町内に住む、同じクラスだったMさんに 会うたび促されたので、今回久々に参加。私を知らない人がいるのは仕方ない。3年間同じ中学に通ったのに、すっかり誰だかわからなくなってる者もいるほど、年月がたって、私が転校生であることなど全く関係なしという状態。男は 小学校 高校が一緒だった人たちが多く、その人たちの事はわかったが、女性の方は ほとんど覚えなし。旧姓を聞いて、聞き覚えのある名であっても、40年前どんな人だったかはすぐには判然としない。結局、初対面と変わらぬ様な人たちと過ごした宴会で、間髪入れずに賑々しく繰り返されるカラオケを、聞き続けていた同窓会だった。
昨日は熊本の中学で一緒だったYが訪ねてきてくれた。彼は、姶良に実家があり、去年まではあちらで会っていたが、今年は叔父叔母の初盆ということで奄美に帰ってきた。当時の同窓生達に連絡したが、お盆の祭事等で、出てこれぬ者が多く、私とマツオと、たまたま鹿児島から帰省していたもう一人のヤマモトとY 4人で酒席をもった。3時間会話が」はずむ、カラオケの騒音なし、代わりに、我々に合わせて拓郎の歌が流れる。
墓参りも楽しみなのだ。墓地でもたくさんの人に会える。我が家の墓は 墓地の入口に近い場所にある。行きかう人たちの中に 知った顔を見つける、あるいは、私を見つけて声をかけてくれる人も多い。何十年ぶりかに会う同窓生もいた。その隣から声をかけてくれたのは、元同僚の奥さま、そうか 二人 義理の姉妹になってたんだ。帰り道でも何人もの人とあいさつを交わした。これも ご先祖様の引き合わせ と、思うべきなのか。6月に会ったかっ子さんも帰省している、鹿児島での仲間 イチローも帰ってる、Iさんももうすぐ帰ってくる、会えてら嬉しい人たちだ。
中学の同窓会の翌日、前日あった 女性と町のスーパーで偶然会った。「昨日はご苦労さん」とあいさつはしたが、なんという人かは 未だにわからない。


世界陸上が始まって、やっぱり寝不足になっている。テレビ放送が10時頃から始まり、終了は3時。その日のメインイベント、注目競技はその最後の時間に行われるので、それまで頑張って起きている。途中どうしても居眠りしてしまい、予選敗退の日本選手のレースを見逃したことも多々ある。第2回のローマ大会の時 全部の中継を見たが、あの時は夜中 0時を過ぎてからだった。8時頃から0時まで寝て、それから4時ころまで観戦、」そして出勤前7時ころまでまた寝る。若かったし、きついこともなく しっかり楽しめた。今は ちょっときつい。テレビの前に横たわり、いつの間にか、寝てしまい、目覚めるとまた、横になったまま しばらく見、またいつの間にか居眠り。録画して あとで集中して観戦すればいいのにと思うだろうが、録画機器がない。
さい先よく女子マラソンのメダル獲得で 日本選手の活躍も楽しみだが、期待された選手が不調でも、それほど知名度のなかった人のベストに近い記録を出す活躍にまあ、観ていて満足。それと 過去の世界陸上の放送と違うのは、以前のように スタジオのタレントの顔が出てくるのが そう頻繁ではない。競技の変わり目には出てるが、以前は一レース終わるごとに出ていた。昨日ネットで観た記事で、「日本陸連が TBSにクレーム」というのがあった。あまりにタレントの露出頻度がおおくて、娯楽番組になっている、スポーツ放送として相応しくない ということらしい。野球放送だって、放送席が出るのは、3回だけだ。観てる人はその会場の雰囲気も味わいたい。ずっとスタジアムを映していて欲しい。夜中まで見てる人は 陸上が好きな人、このタレントのファンなんて少数だろう。最後に感想をコメントするだけにして、解説は専門家に任せるべき。
男女の100m決勝や昨日のイシンバエワの優勝など、会場の興奮が、はっきり伝わってくる、放送こそが楽しみなんだ。あと 何日続くのかな。寝不足が続いても、興奮を覚え感動する機会がたくさんある世界陸上観戦を楽しみたい。


一大事!兄が入院してしまった。何が一大事かって?兄の仕事を手伝っている私の仕事量が増えるし、責任も出てくるから。兄の体調を心配し、兄のために頑張ろうと 決意するのが、当然の事かもしれないのに、なんとも身勝手な弟だ。
今日は一日中 建具つくり。甥っ子の3代目は、古仁屋の現場へ行ってしまい、指示された作業に一人で取り掛かるも、間違いに気づきやり直しの繰り返し。病室の兄からは「あれ できたか?」と電話がはいる。昼休みも、通常の終業時刻後も作業を続け 何とか、今日中にすべき作業を終了。夜は自分のコーヒー屋の仕事で、焙煎。足が痛いと思うほどに疲れてしまった。
両親亡きあと、川元家の中心は兄だ。結局私も兄を頼って島に帰ってきた。兄に恩返しする好機なのだが、いまの時点では自信がない。それどころか 困惑の方が大きい。3代目も未だ、親方である父親に叱られながら、こなしている状態。お盆前の多繁期、受けた仕事はたまっている。青年団長の3代目はさらに 地区の祭りの準備でも追われている様。
泣き言でも言おうものなら、病院から強引にタクシーでも飛ばして 兄がやってきそうだ。帰りは救急車なんてことになったら 大変。ここは 何としてでも、兄に安心して治療してもらうため、二人で覚悟を決めねば。3代目も一つ成長するための試練かもしれない。来週末には退院できるらしい。それまでに二人 やる気と技量を高度に体得しようではないか。なぁ 洋平。


4日の日曜 姶良は、土砂降りの雨だった。前日まで 長らく雨が降らぬことに、気をもんでいたはずなのに、その日 突然の多雨。
「もしかしたら、」と、ちょっと懸念はしていたが、「今度は降らないだろう」との予測が高い確率だったはず、なのに「やっぱり またか」。
姶良を離れてから、娘に会いに行ったのは今回で4回目。4回とも雨に降られている。それも かなりの降雨。そして 晴れていたのが突然 ということが、3度目。最初の11月は、大阪から絶好の快晴のなか 空路 鹿児島入りし、やはり 好天の姶良で 娘とハンバーグを頬張りながら、歓談しているとき 突然重たそうな黒雲が張り出して、やがて 前方がかすんでしか見えぬほどの豪雨。12月は当初から雨の予報だった。ちゃんと雨具も用意していった。このときは一日だけの滞在。ほとんどを鹿児島市内で過ごした。移動はもっぱらバス。バス停で待つ間雨に打たれ、その雨は予想より強く、一日中降り続いた。
2月。着いた日は終日好天。鹿児島市内を歩き回った。冬の晴れた日、かなりの距離で、も、ためらいなく、歩こうという気になれた。翌日 加治木のホテルの前で 娘が来るのを待っている間に、振り出した。傘を借り 姶良の方へ歩きながら、濡れたサンダルが気になった娘は、ブーツに履き替えようと、家に戻り、それから 駅に向かうと、どうしようもない激しい雨。道路に水が溜まり、私のスニーカーも娘のブーツも水につかり中までびっしょり。このときの雨は全く予想外。ただ 1時間ほどで止んだ。30分早く行動して電車に乗るか、1時間後に出かけるかしたら、雨は避けられたのに。
今回、週間天気予報で、雨の予報はなかった。晴れまたは曇りの予報に、喜んでいた。雨の降らない天気に困ってる というニュースばかり耳にしていた。隼人の方へ行こうと、バス停に向かったが、炎天下で歩いたことで娘が気分が悪いと言い出し、途中でバスを降り、結局タクシーでもどる羽目に。その日は 夕方から行動。娘と歩いて出かけたのは数時間、なんだか物足りなく、翌日、鹿児島市内を二人で回る予定を、楽しみにしていた。
そして翌日、鹿児島で待ち合わせの予定で 先に電車で鹿児島市内へ行く途中、振り出した。時折激しく降った。鹿児島市内でもパラついていた。でもパラつくという程度だ。娘に電話すると、姶良はかなり激しい雨らしい。出かけるのが躊躇われるらしい。私が姶良に行くことにし、何か所かを徒歩で、汗をかきながらまわって、要件を済ませ、昼ごろ、姶良へ行くと、確かに 姶良は雨だ。それでも まだ小雨の間に娘のとこへ行き、食事をどこかで と 出かけた 途中、すごい、激しい雨に打たれた、車が水をはねるのを避け、脇道に入ったが、娘が言ったように こちらは朝から雨が激しかった様、側溝があふれ 道路はみずが浸り、流れている。傘は差しているが、下肢のズボンと袖は、びしょぬれ。当然スニーカーも。4回とも、帰りの船に乗ってまずやったのは、濡れた靴下を脱ぐことだった。なんで こんなに雨に祟られるのか、3回は母親が留守にする間に、やってきている。姑息なことと、戒めか もしかしたら、天の舞がよろこんでの表現か。私がいわゆる雨男か?過去 入学式 卒業式 雨だったことが多い、小学校 中学校 娘たちの最初の運動会も雨だった。結婚式も。母の葬儀 父の葬儀も雨。しかしこれ 私のせいだろうか。
私が去った後の鹿児島はまたいい天気なんだろうな と 思っていたが、枕崎に帰省していたHIDE丸ちゃんに 電話をすると、前日の姶良と同じような、激しい雨で、お墓参りもままならず困っているという。私が雨に祟られているのではなく、たまたまの悪天候だったようだ。自然の事だ仕方ない。安堵したが、でも 大事な日に、その 天気に遭遇するのは 私が不運を背負っているからでは?



言い訳をします。12日間もブログを更新できなかったことについて。
7月26日は兄の手伝いで、材木を屋根に干す作業をした。角材1200本を屋根に上げ、やぐらを組むように、並べ積み上げていく。ほぼ一日。その夜から激しい頭痛。熱中症だ。帽子もかぶったし、何度も休憩を入れ、そのたび水も十分飲んだはずなのだが、でもかなりきつい作業だった。甥っ子が下から持ち上げ。屋根に上がった私が引っ張りあげて、並べるのは二人で。奄美の日差しは予想以上に強かったようだ。この頭痛 1週間以上続いた。体がだるかった。ブログに書いてみようというネタはいろいろあったが、体のだるさにやる気がわかず。世界水泳を夜中までテレビで観戦し始めると、パソコンに向かう時間も極端に減り、先週末は鹿児島へ、2日間の楽しい娘との時間を過ごした後 また、どっと疲れが。昨日、鹿児島のKUBOTAさんから注文のついでに、「ブログ見てますよ」と言われ、その言外に「最近書いてないね」という意図を感じ 今日こそは何とかしてでも書かねば と、思った次第。以前、長くかけなかったときにも、「何かあったのでは?」と、メールや電話をくれる人がいた。このままでは また皆に 心配をかけてしまうかも。
猛烈な暑さの中だが、体調はすっかり回復。ちょっと慢性的憂な睡眠不足の気ありだが書きたいことはたくさんあるのだから、やろうと思えばできる。と、ちょこっと気合も入れてみた。こじつけたような言い訳では 情けない。頑張ってみます。
また世界陸上がはじまって 夜更かしの日々が続くかもしれないけど。