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珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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久しぶりに建具つくり。台風で強風吹く中、兄は展示会で鹿児島へ。飛行機は飛んでいるんだ。船は昨日から欠航で、注文受けてるコーヒーを 鹿児島へ送れない。手持ちぶたさで、朝 工場をのぞくと 3代目が一人 作業している。「何か手伝うことある?」と聞いて、指示されたのが、新築の家の引き戸つくり。3種類の戸 計10枚。設計図を見せられ、説明を受けるが、図面を見た瞬間「え、えー」窓が3個も付いている引き戸、面のほとんどをガラス窓にする戸。考えながらやればできるだろうが、かなりの時間がかかりそう。そこへ「10時半くらいには終わらせて」という3代目。1時間半でできるのか。たぶん3代目でも無理だろう。簡単な細工のない 戸から始める。縦は曲がりの少ない 集成材を使い 横は杉の下桟を使えばいいのだが、窓枠にあたる部分は、杉ではだめ。杉は柔らかくて、釘やビスが効かないから。そこで 他の木を探すのだが、ここで苦労する。高価な木材を使うと怒られる。しかし どれが高価なのかわからない。ヒノキかヒバを使えばいいのだろうが、ヒノキが見当たらない。名前は知らないが節の多い外材があって これは高くはなさそうなので、使いたいのだが、当然 節の部分は避けなければならない。測ってみるが、節が避けられない、ヒバを使う事にしたが、ここでも効率よく 無駄なく加工しないと、やっぱり怒られる。戸の厚さにあわせて重いヒバ材をカットし、削って 厚みをそろえる。材木の厚みもあるので、これを半分にする。切ってみたら割れが見つかってやり直し。なんやかんやで窓枠の縦横の材料を準備するのに、数時間を要し、戸車の穴あけと、組むのは簡単だったが、結局一日かかってしまった。1時間半なんてとんでもない。加工して使えなかった木材も結構多く、兄がいたら「とんでもない赤字だ」と 言われるだろう。目立たぬように、他の木材の影にしのばせ、掃除だけは綺麗にし、やれやれ シャッターを閉めて 終了。兄には「考えれば分かるだろう」と言われ、じっくり考えていると、「考えすぎるな 単純にやれ」といわれ、仕事が遅いと 叱られ、あわてて間違うと もっと叱られる。さて 今日の仕事、評価はいかに。月曜日に帰ってくる兄になんか、会いたくない心境。一週間くらい台風が停滞して、飛行機が欠航になってはくれないだろうか。
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「月桃の花」鑑賞感傷感想

行ってきました 「月桃の花」映写会。観客の少ない3階席、周りに誰もいない席に付いて。
涙はそれ程出なかった。号泣することはなかった。最後のシーン 老婆と孫が抱擁するシーンで、少し滲んだかな。
観客はかなり多かった。昼夜2回興行で、若者達は盛大な音楽イベントに行ってるし、少ない観客数を心配していたが、さすが合唱団「ラ・メール」のおばさんたちのパワー。沢山の人たちを動員した。小学生が一緒の家族連れが目に付いた。1,2階は9分以上の入り。頑張って合唱団員が親戚知人を説得することに成功したのだろう。
映画は「命の尊さ」を主題においているようだが、私には「軍人の滑稽さ 愚かさ」が一番印象に残った。そして 戦争自体のとんでもない愚かさ。アメリカ軍も、最後は一般島民を、救ったと、ほっとこころをなでおろすような印象を持たせるが、そもそも 彼らの見境ない 空からの爆撃が、島民を、ガマ 洞窟での悲惨な状況に追い込んだ。はじめのシーンで アメリカから来た青年の、「正義のため」基地は必要と 少しの犠牲は仕方ない という発言に、沖縄女性が激しく反論する。正義の戦争を否定。この基地に島の人たちがどれだけ苦しんでいるかを訴える。
映画は史実に基づいている。「1フィート運動」で集められた記録フィルムが、実際の激しい爆撃の様子と、その結果の残酷な無数の死体の散乱を、映し出す。さらに 戦争が狂気であることを示すのは、自害せよといわれ それに従う人がいたこと。恐怖の中の混乱は 人から 理性を失わせた。
映画を見ながら 「沖縄チュの兵士らが、横暴な上官を始末してしまえば、みな助かるのに」なんて思い、心の中で「そいつをやっつけろ」と 叫んでたが、兵士らは 上官に逆らうことは 最大の罪のごとく教え込まれている。洗脳なんだろう。狂気に全てが支配されている。
女優の吉田妙子や平良とみは、滑稽な芝居をよく見せてくれる。沖縄劇は風刺が効いてるから面白い。彼女らの真に迫った演技は、迫力があった。平良とみの、怒りをぶちまける表情はすごい。本当に神が言い放ってるようだ。
エンディングの「月桃の花」の歌が、テンポよく、明るさと 希望をもてる現在へ、私を引き戻してくれた。この映画の成功にこの歌あり。
ホールからでると、知った顔がいくつもある。前日一緒に宴を楽しんだ日高氏が、ゴミ集めをしている。かれは教育委員会の職員だからだろうが、その行為が、素敵に思える。出口に「ラ・メール」のメンバーが観客に礼を伝えて見送ってるようすが見える。一人背の高い 映画のプロデュウサー海勢渡 豊が 端にいて その隣に 叔母がいる。私をみて 「あら!」と声をかけた、私は思わず 右手を差し出し 握手を求めた。思わずそうしていた。






寅さん の土曜日

土曜日は「寅さん」が見れる。毎週1作づつ、全作放映されるまで、続くそうだ。先日 第一作、「男はつらいよ」を鑑賞。1969年の製作ということだが、私は高校生のとき見たから、数年経っていたんだ。その後も テレビで見た記憶が何回かある。だから 内容は知っているのに、また 見たいと思うし、見るたびに面白く、泣けてもくる。そして 以前と印象の違う場面がでてくる。今回は マドンナの光本幸子演じる 冬子はあくまでも、しっとりした清楚なお嬢様と思ってたが、今回は 寅と呑み屋へ行った後の、お茶目なシーンが印象深い。さくらとひろしの結婚にまつわる場面は いつもと同じ、しっかり記憶に刻まれているが、何度でも見たい場面。今回も2度、泣いてしまった。楽しく鑑賞していたはずなのだが、気がついたら 涙がぼろぼろ。初めてみた 高校生のときは泣くことはなかったのだが。年をとって最も弱くなったのは、涙腺だろう。
今度の土曜日は「続男はつらいよ」。これも 前編憶えている。やはり寅さんファンの やまもと から シナリオ本を借りて 読んだ事もある。楽しみなのだが、その日は 叔母のコーラスグループが主催する、映画鑑賞会がある。「月桃の花」。チケットは買ったのだが、寅さん 見たいなぁ。「月桃の花」は、戦時の沖縄が舞台。悲しい物語だろう。この映画も 10年前に製作されたもの。当時の映画評はよかった。今回さらに多くの人が鑑賞するとおもう。そんな沢山の人のなかで、号泣してしまわないか心配だ。寅さんなら 家でひとり 思いっきり泣けるが、「月桃の花」は 泣くのをこらえるので必死になるかも。叔母の顔を立てて 見に行かないといけないだろう。もちろん 映画で感動を憶える期待があるからだ。寅さん 2作目は 見たくなれば レンタルDVDがあるから。
最も楽しみは 11月1日の第4作 「新男はつらいよ」。マドンナは 栗原小巻。

福岡より、親戚の親子が、訪ねてきた。どういう関係の親戚かはよく分からぬ。ふた従兄弟くらいかもしれない。既に他界された ご主人が近い関係であるのはわかるが、今日来た奥方も遠縁である。しかし 縁戚関係より 実際は親密だ。両親がそうだった。私も 福岡に住んだ浪人時代や出張で行った際、何度も泊めてもらっている。夕方やってきた二人との再会は 十数年ぶり。おばさんは としは取っているが、様子は変わらず。息子の方は、依然とは変わっていた。肩書きは「福岡県警 警視」。でも話し始めると昔と変わらぬ謙虚さが伝わった。母親のため、よく休みを取り、旅行の段取りをし、やってきてくれました。2時間ほど、お互いの近況などを 語り合い、彼らは別の親戚宅へ。数十分後に戻ってきた二人とホテルのレストランで食事。今度は、お互いの仕事のことなど。そして思い出話へ。息子は中学の2年間奄美で過ごした。両親は島の出身だが彼らは父親の転勤で九州各地を転々とし、大分から奄美にやってきた。そのとき中学に入った頃の話は、ある程度、想像できるのだが、想像以上に、聞いてて腹立たしい、恥ずかしい、悲惨なものだった。もう一人 島外からきた級友と二人、クラスで無視され、何度も殴られ、女生徒数人にも囲まれ蹴られるなど暴行を受けた。理由は島の人間ではなかったから。島口で話さないから。幾度も浴びせられた、「殴るぞ」という意味の島言葉「ガハ クラワスゾ」という言葉を鮮明に憶えている。ほんとに気の毒な中学生活をおくらせてしまってたんだ。当時高校生だった私は頻繁にかれに会っていたが、親戚の前でそんな様子を伺わせる態度は見せなかった。市内のその中学はそんな学校だったのか。そこを卒業した、友人は沢山いたが、そんな卑怯なものは誰もいなかった。一部の生徒 なら わかるが、クラスの全員となるといったい何に支配されていたのか。そして 教師は何を見ていたのか。話を続ける彼は!
ところが 淡々としている。悔しさをみせない。もう昔のこととして、客観視できるのか。そんなイメージの悪いこの町にも喜んできたのだ。2年に上がったとき、一人の教師が、縁戚になることを どこかで聞いたらしい。それから その教師の態度が一変した。すると 生徒も 彼は、島の人間だとわかり、全く 逆転したような 学校生活になった。なんと 生徒会長に選出され、吹奏楽部の部長にもなった。「一年のマイナスを、次の年に帳消しにできた」と笑うが、少年にはなんとも不思議な体験だったことだろう。聞いてる私は恥ずかしくてたまらない。島の人間でない ということで差別する。
むかし 薩摩に差別され虐げられたことの反発じゃ、まさか ないだろう。大人の中に、じぶんを 卑下して、豊なイメージの都会人に反発する大人はいた。そんな 卑しい考えが 中学生に伝染いたのか。先の教師にしても結局 生徒を色眼鏡でみていたんだ。親戚だからと、言われても いまさらと、全く迷惑でしかないだろう。今 どうなんだろう。 島チュ でない 内地チュを差別する考えは豊かさが増すにつれ なくなってると思う。いや まだ あるかも知れぬ。でも子供達にそれを示唆する言葉を聞かせてはならぬ。
福岡県警の警視という彼、もう暴力など怖くもなんともないだろう。でも日々暴力と戦う日々だ。もし彼が鹿児島県警なら、この町にも赴任して、彼の正義と慈愛に満ちた変えの行動を目の当たりにした昔の同級生は、きっと 恥ずかしさを覚え、反省仕切りの日々を過ごすだろう。

祝 与論中駅伝優勝

与論で台風24号の被害は、予想よりはるかに大きかった。全半壊で211戸 一部損壊で
570軒。たぶん 私の友人たちの多くも そんな被害を被っているんだろう。台風直後メールを送ろうと思ったが、島の半分の地区は停電中とのこと。回復してからと思ううちに 機を失い、尋ねる怖さもあり、未送信のままでいた。
そんな折、T嬢からメールが、入り、「甥っ子が 駅伝大会で そっちへ行ってる、もし 結果順位がわかったら、知らせてほしい」と。もし 3位以内なら 翌日島に帰ってきて、次の県大会に備えるが、4位以下で県大会出場がならなければ、甥っ子は、今日 鹿児島に向かい 明後日の陸上大会に出場するので、結果が早く知りたいらしい。
中学の駅伝大島地区大会は、笠利で開催されるため、そう 急に行くのは難しい。以前のように笠利の町中がゴールなら、近くの知人に尋ねるが、今は、町から離れた競技場が主会場。陸上競技の審判員をしていた私も、今は、全く携わってなく、連絡を乞う相手も思いつかず。思案しているところへ、昼過ぎ、T嬢からメール「優勝しました」先に 与論中に連絡があり、各 父兄にも伝えられたようだ。
実は 「3位以内は無理だろう」と 思っていた。彼女の甥っ子が 夏の大会で 1年1500mで入賞したのは知っていたが、ほかのメンバーの実力はしらなかった。駅伝で 与論の名前をきくことはほとんどなかった。山田君のように、大学駅伝や 九州一周駅伝で活躍した先輩もいるが、まず あんな暑い与論で、長距離走をしようなんて人 めったにいない。やってた私たちは、島では変わり者だった。だから 「優勝」には驚いた。
翌日の地元新聞には その 記事が大きく載っている。「台風被害に沈んだ島に、明るいニュース」という具合いに。記事によると、やはり 台風被害の直後故、大会参加にはためらいがあったようだ。各 父兄の家を、監督の教師が回って、その意思を確認したそうだ。
長く 船が欠航しているため、レース用に注文した シューズが入荷せず、大会は普段練習で使った靴で走らざる得なかった。そして 彼らは皆 サッカー部。この秋になってから、チームを作り、サッカー 陸上 両方の練習に 励んだ。そんな 苦難を乗り越えての優勝を 新聞は讃えていた。全員の集合写真に、T嬢の甥っ子を見つけた。2年前に会った 快活な少年は、すっかり大きく、逞しくなっていた。そして、第一区を先頭で走り弾みをつけたのが、5年前、姶良の球場で会った、友人リュウ・Y君の、あの元気な男の子だった。こうして 与論の人たちの活躍を見るとうれしい。今はあぐんちゃ(与論で友達の事)の子供たちが活躍してくれる。25年たっても 与論との縁は強く繋がっている。



台風は過ぎ去ったようです。935ヘクトパスカルの猛烈に強い勢力で、警戒したが、ここ名瀬からはかなり遠い位置を北西に向かって進んだため、暴雨風圏内のはずれが、かかった程度で、暴雨風雨ではあったが、被害が出るほどではなかった。昨年続けざまに3個の台風に襲われ 甚大な被害を被る経験をした、町の人たちも、今朝から 備えの作業に追われ、商店はお昼で閉店。シャッターを閉め さらに 木材を打ちつけて、万全の準備。鹿児島でここまで備える人はいなかった。やはり 奄美の台風は強さが違う。で、思ったほどの風雨ではなく、一安心。
しかし 南の与論は数日前の23号に続き今回も大きな被害がでたようだ。昨年も奄美以上に大きな被害を受け、風来坊くんのブログによれば 一年たって 皆 いつものように 運動会 敬老会、楽しく過ごせるようになってきてるのに。誠の島よろん 協力してまた復興に励み、来春のヨロンマラソンには 沢山のランナーを全国から迎える事だろう。その一人に 私も慣れたらいいのだが。風来坊とT譲とひょうきんにメール送ろう!停電は回復したかな。

娘の舞が高校生の時、電車の中からあわてた様子で、電話をよこしたことがあった。
「中国人なんだけど、宮崎に行くのに どこで降りるかわからず、今降りようとしている」
電車は舞が降りる帖佐駅に着いたところ。「お父さん 英語で、説明して!」
英語が話せるわけではない、どちらかというと、苦手なわたしに助けを求めても困ってしまうのだが、すぐ 電話はその中国からの旅行者に変わった。とりあえず 思いついた単語をならべたら、いちおうわかってもらえたようだ。でも ちゃんと宮崎まで行けたかはわからない。後で 舞に詳しく聞くと、電車で隣に座った男女の中国からの旅行者が、英語は話せるが、日本語はわからず、始発の駅から、英語の話せるご婦人と会話していた。ていたらしい。舞も英語の成績は良い方だったので、興味がわき 会話に耳を傾けていたようだ。そのご婦人は舞も英会話ができると思ったのだろうか、帖佐の前の姶良駅で降りるとき、「あと 宜しくね」と声をかけられた。そして 宮崎はどこで降りるのかを尋ねられた舞は、とっさの言葉が見つからず私に助けを求めてきた。電車はそう長く駅に停車しているわけではなく、自分も降りないといけない。焦ったら混乱して自分で言葉が出ず、思いついたのが、普段 いい加減な英語をしゃべりかけてくる父親に説明してもらうことだった。電車の車掌にゆだねるか、アイ ドント ノーで逃げてもよかったのに、ほっとけなかった。舞はそういう性格だった。
横浜で 踏切内に倒れた老人を助け自らは事故死してしまった女性が 中学の時から、困った人を見たら助けずにおれない性格だったということを知って、舞のいくつかの行動を思い出した。もっとも 舞は 俊敏に動ける方ではなく、危険に飛び込む勇気もないから、、その婦人の行動の尊さには及ばない。しかし彼女なりに 友のために自分を犠牲にしてでも助けようとした例は、数多い。高校以降の舞は、同窓生や友達の悩み相談受付係になっていた。それは 大人になりかけた、女子高生の生々しい相談もあり、舞自身それまでの自分とは縁遠い事をも知ることができた貴重な体験でもあっただろう。
自分がいじめられても いじめられている子と仲良くする。同級生から来たチェーンメールに、「送ってきた相手に送り返せ」と言った私に「そしたら相手がまた 嫌な思いするじゃない」と返された時は、私もさすがに恥ずかしかった。
横浜の事故の女性の、同級生の一人が「行動は尊い でも、死んじゃだめだ」と言っていた。父親はどんなに賞賛されても、娘を亡くしたことが何倍も辛いことだろう。「なんで 止められなあかったのか、あの場所にさえいなければ」と悔やんでいるだろう。
献花に来たひとが 「そういう勇気のある行動をできる人が、いなくなってしまったことが悲しい」と言っていた。舞に対して 父だけど 私の思いも同じだ。家族を明るくし、家族を助け、そして たくさんの友人に慕われた舞がいなくなってしまった。もう一度舞の意思を思い出し 今の自分を戒める機会かもしれない。
横浜の事故も たくさんの安全を確することを、考え直す機会になるだろう。
ちなみに 私が 中国人旅行者に言ったのは this train to miyazaki .これだけ。


従姉のS姉さんの、御主人ちあきさんのお葬式。大阪から 定年退職を機に、S姉さんの故郷の奄美龍郷に越してきたが、数年後 癌が見つかり、老後を二人で、農業でもしながらのんびり過ごそうという、描いていた生活は、短い期間で終わってしまった。
ただ すべてを悟っていた。自分が終末の時期にあることもわかっていた。悔やむことも大きかったが、やるべきこと 伝えるべきことは全て 成し遂げたようだ。S姉さんと二人で会話した時間も長く、ちあきさんの意志は十分にS姉さんが受け止め、二人の娘さんにも 父として残す思いは伝わっていて 葬儀から今後の事、残された家族が、困惑する事のないよう、十分に、なすべきことを終えて旅立った。告別式で次女は父親とのおもいでを語り、沢山の愛情を注いでくれた事に感謝し、長女は、両親の島での暮らしを支えてくれた人たちへ感謝し、、父親から母親を助けてやさしく接するよう言われていた事を披露し、遠くにいて 行き届かない部分を、島に人たちにお願いする挨拶をした。これまで家族4人で支えあってきて、これからも残った3人にそれぞれの家族を含めて 支えあっていくことを誓った。
あまりに早く大黒柱を失った事に、大きな悲しみを抱いているだろうに、故人との濃密な時間を過ごし、お互いの思いを十分に理解しあっていることが、これからを生きていく勇気を持たせているのだろう。父親への信頼は、姿亡き後も、彼女らのなかで、いつでも側にいて、頼れる存在として、行き続ける事だろう。



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