店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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世紀の大発見に、沸き立っている。昨日はテレビも新聞もトップの扱いだった。続く今日も 国外の反応が賞賛の声として、報道されている。万能細胞がより安全に簡単に作れるという画期的な研究結果は、医学細胞学の常識を覆す驚きのものだそうだ。医学に縁のない私の注目はその研究者。30歳の女性。テレビで見たその人は、化粧して綺麗な身なり、ピアスもしているようだ。研究に没頭していると、身なりなど構わず、地味なが外見の人を想像するが、この人は普通の綺麗なお嬢さん。じっさいに会うと特有のオーラのようなものを感じるのだろうか。でも ひとつに凝り固まらず、柔軟な考えができるのでは、という印象はもてる。今回の成功も、医学だけでなく化学の考えを取り込んだ柔軟な考えができたから という 評もあった。
理工学部から、再生医療の分野へ進んだのは、女性のための医療に貢献したかったからと言う。子宮を失って、出産をあきらめなければならない人に 再び希望を持ってもらいたと言うようなコメントがあった。女性の鏡と言うべき人かもしれない。フェミニストではないけど私が最も感銘をうけた言葉だった。博士号取得から まだ3年と言うが、その3年間寸暇を惜しんで挫折もしながらでも研究に没頭し続けた結果だ。この成果はノーベル賞ものだとテレビで言っていた。大阪大の森正樹君こそ 次のノーベル賞 と 期待していたわたしとしては複雑な思いも少々。でも明らかに人類に幸福をもたらすこの功績には、最大の敬意と感謝を表すべきだ。
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焙煎をしてました。半袖ポロシャツ姿で。背中に汗をかいてます。ここ数日奄美は頗る良い天気。気温も高い。先週前半の寒さと雨に身震いしていた天候から一転。この陽気の中、陸上競技の実業団や大学チームのキャンプが賑やか。昨日の新聞には、実業団女子駅伝の覇者デンソーがインした様子が載っていた。数週間前は男子の優勝チーム「コニカ」も来ていた。近くのホテルには、ホクレン 資生堂 住友電工 関西実業団 関西外語大 大阪ガスの歓迎の張り紙が出ている。そのホテルから 陸上競技場のある運動公園間の道路には、カラフルなウェアを着けた女子選手たちが、ジョグをしたり ウォーキングしたり。トレーニングを終えての帰りだろうか、楽しそうに会話しながら歩く集団であったり。みな 若く はつらつとして、見ていて清しい気分。この中には、全国トップの活躍をしていたり、これから活躍するであろう人たちが、多くいるのだろうと思ったら、アイドルを見るような気になっている。夕方になると こんどは 逆方向、街中のほうへ走っていく。海岸線を行く人、国道を、南へ走る人。ほとんどの人はゆっくり。レースで見るような必死の顔にはならない。多分 運動公園のトレーニング室や競技場でのトラック練習で、ハードな練習をこなしているのだろうと、運動公園へ行ってみたら、トラックでインターバルトレーニングをやっている。ただ 何処のチームの選手かわからない。大阪ガスなら、短距離選手だろう。200m全力 200mジョグを繰り返していた。最後ひとり400m走った。早い 明らかに鴨池で見た高校生とは違う。同じペースで、スピードが落ちることなく走りきった。日本のトップレベルの走りを見ることができた。朝原や江里口がいないか探したがわからない。大阪ガスの人たちだったかどうかもわからない。嘗て、瀬古利彦率いるSB食品や、小出義男のリクルートが奄美でのキャンプを始めて、この地が注目された。
長い距離を走るにはここの気候は暑すぎないかとおもったが、この気温の方が体が良く動くのだろう。島の人たちにとってもこのトップレベルの選手達の走る姿が見れるのは貴重な事だと、駅伝大好きな私は思うのだが、秋にあるプロ野球ベイスターズのキャンプに比べたら関心はいまひとつ。(コンビニのお姉さんはSBの上野祐一郎が、オリンピックを目指してる と言ったのを冗談だと思って笑ったそうだ 失礼な)デンソーの杉原加代、石橋 資生堂の竹中 加納 後潟 世界で、インカレで、活躍した選手達が来ている。この後、シスメックスの野口みずきも来るだろう。この人たちが来シーズン好成績を上げたなら、奄美キャンプの成果かもしれない。もっと盛り上げていけないものか。大人が関心を持てば、子供達も刺激を受ける。島から世界で活躍する選手が出るかもしれない。
日曜日の鹿児島県地区対抗女子駅伝で大島地区は3位。一度優勝したことがあるが、それに継ぐ上位入賞。中学生 高校生の活躍に因るが、彼女たちも、きっと小中学生の頃 キャンプに来た一流選手をみた事で 刺激になったはず。テニス部の高校生が キャンプに来た大学の監督にスカウトされて、大学駅伝で活躍したことがあった。そんな逸材が現れるかもしれない。専門の監督 コーチなら、潜在能力を見つけるかもしれない。選手達が街中を走ってくれるのはありがたいこと。すれ違う時でも、「がんばれ!ファイト!」とみんな声をかけてあげましょう。

土曜日は鹿児島の同窓生達の新年会が会ったようだ。夜 同窓生のNSから電話が入った。秀才のNSではなくて、威勢のよいNS。多分もう一人も、その席にいたと思うが。賑やかな大勢の声が聞こえる。おまわりさんのMに変わった、彼には年末奄美で会ったばかり。「隣にHさんがいるから代わろうね」と、代わったHさんは、私のために送別会を開いてくれた同窓生のひとり。他の人たちは鹿児島を離れた後、会ったり、電話で話したりしたが、彼女だけはそれ以来の会話だ。同じ同窓生のご主人は、娘が在籍する、通信制高校の教師で、助けてもらっていた。上の子の通夜の時も遠い路を二人で駆けつけてくれた。本来なら電話でもかけて、お礼の言葉を述べるべきなのだが、つい 躊躇ってしまう。理由は美人なのだ。高校生のときから人気者だったが、容姿よりも明るい性格が好まれていた。あれから数十年経って、すごい綺麗になっている。彼女が同窓会を欠席すると「旦那が、美人の奥さんを出したがらないんだろう」などと、やっかみの男どもは話したりしたが、実際は子育てに時間を取られていたから。高校のときはよく会話した。素直な口ぶりだった。とにかくいい印象の思い出しかない。
その5日まえ もう一人懐かしい昔のお嬢様を、見つけた。スーパーから携帯電話を耳に当てながら出てきたのは、やはり高校生の時よく喋っていたRK。直ぐに気づいたが、電話しながら、去ってしまった。十数分後、電話をすると、「懐かしい!わたし今名瀬にいるの」「さっき見たよ」と返すと。「えっ 名瀬にいるの?」。彼女とは冗談ばかり言い合ってた。今は、横浜に住んでいて、電話で話したのは、彼女の親友 ともこさんが亡くなった時。4年前になるか。会ったのは10年前の同窓会。彼女も変わらない。スタイルのよさはそのまま。長身で、細身で。「太ったよ」というが、逆に痩せたんじゃないかと思うのは、高校のとき彼女はわたしより体重が10キロ重かったのを、憶えているから。今は私の方が20キロ重いけど。去年も3回帰ってきてるそうだ。実家は近いのに会わなかった。また 昔のように、語り合いたいが、翌日には帰るという。
その翌日、「コーヒーを買おうと思って」とやってきた。店口で立ったまま、一時間喋った。以前のように他愛もないことを。楽しかったが、何話したっけ、同窓生の消息などだったと思うが、憶えてない。結局 空港まで彼女を送ったから、さらに一時間喋ったわけだ。やはり話の内容は憶えていない。久しぶりに沢山喋れたという喜びの感情は今も続いている。今日は数週間前に再会した、O君からコーヒーの注文があり届けた。来週上京するので、そのとき会う同窓生2人に持っていくそうだ。こちらはすっかり社長の貫禄が出てきている。もともと体は大きいが、冗談をやりあった中だ。それぞれ 立場は変わっていても、同窓生として接すると、昔の関係がよみがえる。ありがたき事。

午後3時15分 東京のやまもとからメール「決定 大高、甲子園出場」。「ほんと?」大高野球部出身者2人が働く 隣の工場へ行ってみる。普通に変わらず仕事をこなしている。「まだ 知らないのか?」しかし かかっている地元FMラジオ放送が、そのことを報じている。本当なんだ。町では何日も前からそのことで盛り上がっていた。やまもとは昨日も「いよいよ 明日発表 吉報を待ちましょう」とメールしてきた。出れるものと決め付け、「一勝できるか?」という話にまで飛んでいた。鹿児島のラジオ放送も直ぐ伝えている。「今、入ってきた情報です。大島高校の、甲子園出場が決まりました。放送局も喜んでいる。鹿児島からは神村も選ばれているのだが、話題は大島高校集中。夕方のテレビのローカルニュースも大高 甲子園出場がトップニュース。名瀬では号外が出たらしい。鹿児島市内でも出たようだ。テレビに写ったその一面は大きく大高野球部の写真。神村の事も書いてあるんだろうが、こうまでされたらちょっと神村に悪いような気にもなる。わたしの同窓生 前里君が、硬式野球部第一期生として インタビューを受けている。それまで軟式野球部だったのを、彼らが当時の校長に直談判して、硬式にかわった。高価な硬式用の道具を購入するため、部員はアルバイトをした。土方作業をしたのもいたらしい。3年の夏が最初で最後の甲子園へのチャレンジだった。4回戦で敗れた。彼らの挑戦から いったい何年経っただろうか。
やまもとの一斉メールを受けた同窓生達が、喜び 返信をしてくる。一斉メールに返信すると一斉返信になる。わたしのところへもそのメールが届く。「会社の同僚に自慢している」「M君と、今から祝杯を上げに行く」やまもとも、大高OBが経営してる居酒屋で皆とお祝いしてくる」とメールしてきた。ラジオでは関西の大高OBが電話取材を受け、関西の同窓生組織「関西安陵会」全員で応援に行きます と 喜びを伝えている。テレビでは 鹿児島安陵会のメンバーが 校歌や応援かを声を張り上げて歌っている。MBCラジオはその校歌を、全曲流してくれた。
確かに普通の県立高校。部員は一般入試で入学。スカウトされた子なんていない。皆大学進学を目指して勉強もする。そんな普通の高校でも、甲子園に出れたと言う事は、他の普通の高校にも希望を与えられる。離島のハンディを克服したという評価もあるが、40年前、年に一度しか県大会に出れなかった頃をおもえば、いまその点は恵まれている。保護者の負担は大きいが、彼らも子供達の活躍を楽しみいしているから、惜しみなくてを差し伸べる。今回は全国にいる卒業生達を喜ばせ また 期待もしているから、皆で 助けて、悔いなく試合に臨めるようにしてあげよう。もう 応援に行くため休業日を決めようなんていう人 飛行機の予約を なんて人もいたが、まだ 試合日程も決まっていないのに。

20日の日に亡くなった和憲君のお母さんは、楽しい人でした。やさしい人でした。親切な人でした。そして立派な人でした。すこし耳が遠いため声が大きく、島言葉で語るので、親しみやすく、にこやかな表情に変わるのが常でした。尋ねて行ったわたし達に、和憲君が留守でも、飲み物などを出してきて もてなしてくれました。わたし達も、お母さんと会って語るのは楽しい時間でした。
大学は和憲くんは沖縄、私は大阪、久しぶりに会える、春休み 夏休みは、毎日のように夜遅くまで遊びまわっていました。77年の春に一緒に沖縄に行くことになった、その前日。夜更けに彼と一緒に彼の家に行ったとき、ちゃぶ台にお母様の置手紙がありました。「冷蔵庫に貴君の好物の○○の刺し身があります」確かな文章は忘れてしまったが、その立派な文面に驚いたことははっきり憶えています。
和憲くんは自分で言うから みな、からかって否定するけど、明晰優秀な奴です。3歳上のお兄さんはもっと優秀。高校では学年トップクラスの成績。兄の卒業と入れ替わって入学した弟は、教師から「君が山田君の弟か」と声をかけられ、期待もされていたようだ。ただ和憲君は学業でなく自分なりの高校生活を謳歌して、1年後には「山田君の弟なのに」に変わったけど。立派な両親の血はしっかり受け継いでいた。そして細やかな心使いはお母様から引き継いだのは確かだ。長く患ったままで、かろうじて遺漏をしながら命をつないでいることに 行政に携わる人間として、「国庫からの医療費を使い続けていいものだろうか」と話していたが、何十年も生き抜いてきたお母様の社会への貢献は、計り知れない価値のあるもの。かかった治療費なんて僅かな受け取り。葬儀の際 挨拶で語ったように「孫たちとも一緒に過ごさせて 親孝行も少しはできた」。95歳の長寿でもあり 大往生。旅たちを祝ってあげよう と言ってたとおり、立派に見送って上げれたんじゃないだろうか。
通夜の席でお父様のことも語られていた。驚いた すごい人だったんだ。62年彼が小学1年生のとき。亡くなられた。私はもちろん会ったことはない。戦争で両手を失いながらも、口と足を使って器用に絵を書いたり、工作をしていたとは聞いていた。それがすごいと言うのはそうなのだが、実は画家だったんだ。和憲くんはお父様の葬儀のとき、ある人物が遙々やってきて、その人について大勢の報道関係者が家に来たのを憶えていると言う。その人は、大石順教。両手のない 日本画家で、高名な尼僧。和憲くんのお父さんは その弟子だったのだ。白状すると私は大石順教と言う名は知らなかった。その人のドキュメンタリー映画があったり、演劇の主人公になったり、全国にその存在は知られていたんだ。
そんな両親の血を受け継いだ彼ら兄弟。社会に十分貢献できてる役職を立派に勤めている。
お兄さんは、自然環境を考える活動に取り組んでいて、壮大な活動を話してくれた。戴いた名刺には「NPO雨水市民の会」とある。国技館やスカイツリーなど巨大建造物の屋根に降る雨水の再利用システムを作っているとか。酢を作っているミツカンの「水の文化センター」のホームページには墨田区区民活動推進部環境担当 としてお兄さんがナビゲーターを務める、勉強会のレポートが載っている。また墨田区に棲む昆虫 植物 鳥の写真を自分で撮り、説明文をつけて紹介している。これは墨田区のホームページの「すみだの生き物写真館」と言うコーナーで見ることができる。
和憲くんも やがてリタイヤの時を迎えるが、街のためまだまだ活躍してくれるだろう。どうせなら行政経験を生かして市長になったらどうだ。奥様も市会議員になれそうだし、いいんじゃあない。

奄美市では、駅伝大会。正式名称は「成人祝賀市内一周駅伝」。もともと成人の日だった1月15日に行われていた。でも成人の日にちなんだ催しは何もなし。走るのは新成人でなく、小学生から50歳代までの地区の代表。選手が偶々新成人と言うこともあるだろうが、みな優勝を勝ち取るために選ばれた人たち。わたしの自宅前もコースになっている。行きの第2区、中学生女子の区間。帰りは第5区 高校一般女子。最も注目される区間。県大会陸上競技で、上位に入った中学生が走る。高校生には全国大会で活躍した選手が走る。行きは注目の笠利の選手が、快走していた。力強い足取りで ぐんぐん前に行く。最後尾が住用地区。県大会800m2位の選手がいたが、この人じゃなかったのかな、どうも重そうな走り。、多分姉妹だと思うが、同じ姓のひとが12区にエントリーしている、そちらだったか。でも 二人とも上位の力が会ったはず。何かアクシデントがあったのか。帰り、全国級の二人、鹿児島女子高の久保さんと、大島高の濱崎さんは段違いの速さだった、明らかに他の人とはスピードが違う。濱崎さんの級友らしき女生徒が数人歩道を自転車で追っかけてたが「早すぎる」と、その速さに唖然としていた。距離が1.7キロと短いので、ほとんど全力で駆け抜けたのだろう。順位が入れ替わってた。行きに最下位だった住用が2位 先頭だった笠利が3位。その前の 一般男子の区間で 大きく順位が変動したのだろう。3.195キロと距離が長いので力の差が、大きな距離の差になる。わたしも30半ばに2度出走したことがある。一般男子は4.5キロと5キロの区間があった。どちらも走った。どちらも山を越えるコースだった。今は全距離42.195キロに設定されているが、以前ははるかに長かった。わたしの成績は、自慢できるものではなく、5キロ走った時、二人に抜かれ、差を広げられダントツの最下位になった。抜いた二人が区間1位2位で、中継点での順位も他の全員を抜いたこの二人が1位2位だったそうだ。ちょっと言い訳。翌年 選手の要請はなかった。40台になったらまた頑張ろうと思ってたが、ぶくぶく太りだし、走りそうな様子も見えなくなり、今では走ったら死ぬかもと、医者に言われてる。見てるだけで楽しい。わくわくもする。きつい思いで、頑張って走ろうなんて気には全くならない。
さて 今日注目した女性ランナーが来週は霧島路を走る県地区対抗駅伝に出る。県でトップクラスの高校生が4人いる。来週はテレビでしか見れないが、大島地区が上位にいたら、テレビ画面に出てくる頻度は高い。全コース見れるかも。楽しみ。一週間後が待ち遠しい。
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                                           あっ!という間に駆け抜けていった笠利地区

別府葉子さんのブログ、サイドの方に「別府葉子シャンソンコンサートIn鹿児島」と書いてある。」おおぅ!鹿児島であるのか 4月19日と20日。残念ながら2013年でした。昨年のライブの模様を紹介してました。会場は個人のホールと レストラン。どちらも満席だったようで、客席とステージの距離が、会場ぜんたいの一体感を生み出して、素晴らしいライブになった事だろう。関東、関西、四国でのコンサートの事を、よくブログで伝え聞いていたけど、鹿児島でもあるんだ。記事のコメントにまで目を通していたら、彫刻の池川先生の名が出てる。わたしが店を出してた、中央駅近くの商店街近くの住んでて、よく コーヒーを買いにきてくださった。来店の度にいろんな話を聞かせてもらった。教えてる鹿児島大の学生も、作業室で飲むコーヒーということで、交代で買いにきていた。もう10年以上前の話だ。
先日 きくち寛さんからメールをいただいた。2年前のクリスマスの日に 水俣でライブを聞いて以来の音信だが、娘の舞のために歌ってくれた恩人ゆえ深い思いの印象を留めている。私はその時まで、きくち寛というシンガーを知らなかった。友人Kに訪ねたら 彼は「昔からずっと歌っている人」と知っていた。きくち寛の義理のお姉さんに当たる まいが出水でお世話になったUさんが誘いの電話をくださるまで私は知らなかった。水俣でのライブはレストラン「風季のとう」で、40人くらいの観客だった。ライブの後皆に クリスマスケーキが振舞われた。歌い手を交えて楽しい歓談の時間が持てた。その席のおかげで、知り合いのシンガーと、縁が強くなった。きくちさんも全国をまわるが、ライブハウスだけでなく 喫茶店、レストランなど 客とより近い距離で歌える環境を大事にしている。今は 四国を回っているようだ。
こんなミュージシャンって結構いるんだな。CDは出しているけど まず 聞いてもらってからその会場で買ってもらっている。奄美にもやってくる。名前も知らないシンガーのライブのポスターが目に留まったり、地元紙に広報が載っていたり。メディアに出なくても、わたし達の心の琴線を震わしてくれる歌い手はいる。その人を身近に感じたら、自慢して回りたくなる。

夜 焙煎をしていたら、サイレンが聞こえてきた。目の前に消防車が現れ、停車 サイレンも止まっている。直ぐユーターンした。外に出ると、ぶどう館の人たちが道路に出ていて、向かいのレストラン近くが慌しい様子。焙煎の煙で通報されたのではないことはわかったが、一体何があったのか。焙煎を続け、一釜済んで、また 外に出ると、火が見える、やっぱり火事だ。まだ 焙煎機は動いているので、離れられない。「テオリヤ」のMさんから、電話。「大丈夫!火事は近くでしょ」現場は50mほど先、確認できないが、焙煎中であることを伝え「新しくできたレストランみたい」「川元君とこは大丈夫ね」Mさんの電話の後 焙煎を切り上げ 現場に向かうと、ひが上がっているのは レストランではなく 隣のガラス屋 コーヒーをよく買ってもらっているお客さん。兄も仕事でつきあいの深い業者。直ぐ 兄に電話。状況を尋ねる兄に応えながら、反対側まで行くと、激しく燃えているのは隣の家具屋。こちらも兄と付き合いのある人。「親父さんはどうなった?」高齢の親父さんがひとり住んでるらしい。ガラス屋は表から見ると建物に火は回っていない。まだ大丈夫か?と思ったが、中をのぞくと既に火の海。乾燥注意報が出ているなか、火はどんどん勢いをます。一時間余り経ってやっと下火に。もうもうと煙だけは勢いが失せない。
ぶどう館に ガラス屋の人を見つけた。何も口に出せない。あちらから「誰も怪我はしなかったから」と言葉を発してくれた。家具屋の親父さんも助け出されたそうだ。「パソコンのデータが駄目になった」それが悔やまれるらしい。ぶどう館の主人も「さっき 社長もパソコンのデータのことを言っていた」と。業務上大切なデータの喪失が悔やまれるらしい。建物や商品はまた再生できるけど、長年の積み重ねで獲得した、仕事のノウハウなどのデータは取り返しがつかないか、かなりの困難を伴うからだろう。比較的冷静な様子にこちらは安堵。でも ショックの大きさは推察できる。

地元の新聞にソフトボール大会の記事が載ってる。オールグリーンは負けていた。19対5 3回コールド。皆結構な年なんだから仕方ない。それにしても 3回コールドは、時間切れなんだが、早すぎる。ほとんどの時間守っていたんだろう。そう思いながら新聞を良く見ると、E級準決勝とある。これはすごい。3試合か4試合は勝ったんだ。A級からE級まであるうちの 一番下のクラスだけど、20歳代 30歳代の人たちのメンバーのチームにも勝ったんじゃないか。
オールグリーンは同窓生のチーム。30代半ばまではわたしも参加していた。いや やめると言った憶えないから、今もメンバーなのかもしれない。ただ 試合に呼ばれなくなった。自営業に転じて、都合で試合に出れなかったとき、鹿児島からやってきた同じ年の男に代わりにでてもらった。その男 もと野球部で、抜群の上手さだった。「まさき もう 出なくても大丈夫だから」と言われ、貸したユニフォームも戻ってこなかった。それ以降参加するのは飲み会だけ。もともと私は下手だった。応援に行っているうちに やりたくなって、始めた。ソフトボールよりも 同窓生達との付き合いが大好きで参加したようなもの。目が悪いからナイターでは エラーばっかし。それでも休日と 週一回中学校のグラウンドを借りてナイター練習を行い、ちゃんと試合に出て、ヒットも打てるようになった。会社のソフトボールチームに入るよう促されたりもしたが、同窓生達とやってるから楽しいのであって、職場でなんと言われようと、オールグリーン以外でソフトをするつもりは全くない。昭和55年結成。私は翌56年に加入。そのころは20代。元気一杯 野球経験者は2人しかいなかったが、練習すれば上手くもなる。B級で準決勝まで行った事もある。2点差で負けたが A級までもう一歩のところまで行った。このとき 以前大敗していたチームに 逆に大勝したりで、ほんとに試合も練習も楽しく、やれば強くなることを実感した。当時職場の上司が投手をやってた、「戸口壮年団」と言うチームと対戦したことがある。メンバー全員40代以上。わたし達が勝ったが、対戦したおじさん達の元気なプレーに感心した。わたし達は今 その人たちよりはるかに上の年齢。まだ 試合に出て頑張ってる同窓生達 天晴れ である。
今 誘われても 私は絶対無理。走れない 肩が痛くて投げれない。グローブは何処に行ったか15年くらい行方不明。
ソフトボールを手にしたのもはるか昔の記憶しかない。わたしが出た最後の大会でホームランを打ったのははっきり憶えている。相手は嘗ての勤め先のチーム。最後に出た試合は多分負け試合だったはずだが、記憶にない。いい思いでで終わっている。また出て 恥ずかしい思い出が残ってしまうのは確実。次の大会 応援に行きます。たとえメンバー不足でも絶対出ません。

成人式について 否定的な意見を過去に書いている。国の都合によって大人にされてたまるかと、20歳当時思っていた。荒れる成人式が報道され、どうせまだ子供なんだから、祝う必要ない。かわいく着飾らせて、披露して、親が満足しているとか。親に感謝する日にすべき とも。
今日は娘の成人式。離れて暮らしているのでその姿は見れない。姉の遺品の晴れ着を着けることになっている。姉とは体型が違うけど大丈夫か。朝 早起きして、着付けをしてもらいにいけたか。心配。娘の事ばかり気にかかる。
やせているから着物、似合わないかも。あの 幼顔で髪をアップにしたらおかしくないか。
期待もしている。先日 「小学校で、卒業時に納めたタイムカプセルをあけた」とメールが来た。久しぶりの同級生との再会にこころが弾んだようだ。参加率80% といっても同級生10人の内欠席が2人ということ。かっこよくなっている男子にちょっと、恋心も芽生えたらしい。今日 午後から 姶良市の成人式に参加する予定。中学の同級生達と一緒に写真を撮る。中学校はマンモス校、沢山の同級生がいた。引きこもり状態の娘は、その同級生との交流が全くない。心配してメールをくれる友もいたが、返事を返してない。娘の口から、「成人式で 皆に会える」と式を楽しみにしている事を告げられ、今 父親は嬉しくてたまらない。今日の日をおおいに祝いたい。成人式に感謝。わたしとほとんど同じ身長になったすらっとした体型でも、美しく着飾って出かけて欲しい。親の都合で、寂しい思いをさせてしまった。ここまで生長してくれた、よく頑張った。国の都合でも 親の都合でも 娘の晴れ舞台が訪れた事に感慨ひとしお。
以前の成人式否定から一転 普通の親の心境をわたしも持っていたようだ。もしかしたら、普通の親から親ばか と思われているのかもしれない。何でもいい 今日は娘の最良の日になって欲しい。

「土曜は寅さん」今日、放送されたのは「寅次郎恋やつれ」マドンナは吉永小百合扮する歌子さん。
山陰 津和野で再会した歌子のやつれた様子に胸を痛めた寅さん。手を差し伸べて上げるべきだったのに、そこを去ってしまった事を後悔し、歌子を案じる思いがますますつのる。そんなときに 寅を頼って、歌子が柴又へやってくる。その日の夕べ、車家のどたばた所業に大笑いする歌子を見つめて、寅が感涙に咽ぶ。その場面での 寅の気持ちがわたしにもよく理解できた。同時に「寅さんと 僕は似ているかも」と、ふと感慨を浮かべた。労苦を背負い、困惑している人に接して、そういう立場の関係でなくても、気になって仕様がない。助けて上げられないか と 考える。何もできるはずないことも承知しながら。寅さんの場合 その相手が、いつも心清き美しい女性で、毎日顔をあわすから、恋心を抱く事になるのは当然の心理なのだが、その極端な展開とオーバーな表現が演じられる可笑しさが喜劇になっている。でも 人情味豊で共感できる登場人物の設定で いつ見ても ほのぼのした気分を鑑賞後に持つことができる。そして また 次が楽しみになる。次は 来週 第14作目 マドンナは十朱幸代。過去に3度は見ているがやっぱり楽しみ。恋敵のために一肌脱ぐ健気な寅さん。今日の「寅次郎恋やつれ」だって、たぶん3回目だったと思う。直ぐ惚れっぽい、いくつになっても、ドキドキときめく恋ができる寅さん。羨ましくも共感できるのは、やっぱり僕と似ているから?

AV界のトップアイドル麻美ゆまさんは、どうやら癌を克服したようだ。もっとも後5年間は再発の可能性を危惧しながら生活しなければならないが、とりあえず、治療は成功したようだ。彼女が闘病中であることは知っていたが、その詳細はほとんど報道される事もなく、そのことの辛さを思いやるほどには至ってなかった。テレビの報道番組に登場した彼女は、以前の元気と愛くるしさを取り戻し、溌剌と自分の事を語っていた。
入院中も明るく振舞っていたようで、紹介された写真を見れば、頭髪を失っても、いつもの麻美ゆまを見せてくれている。しかし 治療の辛さは、娘の舞を見ていたわたしには容易に想像がつく。病院のベッドで涙を流している動画があった。子宮と卵巣摘出で 「子供が生めなくなる」辛さを口にした。舞もそうだった。「髪がなくなるのも、子供ができなくなるのも 嫌だ!」でも 髪は治療が終わればまた生える。子供ができなくなるという宣告はショックだったのだろう。骨髄移植により 正常な卵子ができなくなるようだ。卵子を凍結保存しておくことも計画していたが、まだ様態が良好なうちは、自然治癒の可能性に期待して、具体的行動はとってなかった。病状が悪化し始めてからの進行は予想もせぬ速さで、卵子を取り出せる状況もあっというまで逃してしまった。麻美ゆまもあのときの舞と同じ25歳。まだ未婚で若い。出産についての深い思いなど 男のわたしは理解してなかった。子供が産める能力は女性としての強いプライドであったんだ。喫茶の客から 子供に関して、新婚時に夫婦間で、温度差を感じて、悩む妻の話を聞かされた。単に愚痴ではなく、ほんとに悲しそうだった。中には子供を生む能力だけが女の価値のように言う輩もいたが、男にはわからない母性を備えた女性の繊細な思いを、わかってあげなければと思うに至った。わたしの場合にはもう遅いが、テレビのキャスターが言ったように 少なくとも、心優しく素直な 沢山の麻美ゆまファンには 彼女のおもいは伝わるんじゃないか。
彼女がAV女優であることで、心もとない揶揄するような言葉が投げつけられたりもしているらしい。「わたしが癌になったせいで、婦人病の患者の皆さんに迷惑をかけた」とやはり涙で謝罪を口にしていた。 病気で苦しんだ人にさらに苦痛を与える男どもに憤りを憶えるが、こういう偏見を助長するような行為を封じ込めるのは、彼女の意思を汲み取る沢山の男達が登場して、男の意識を社会的に改革していく事だ。第2の麻美ゆまとして、精一杯生きていく事を宣言する彼女の姿は眩しくも うらやましくも見える。マゾヒストではないが、陰湿な男社会を彼女に叱ってもらって、健全なものへと引っ張ってもらいたい。健全なAVファンも増えるだろう。

中島みゆきについて語るテレビ番組があった。5人の出演者が 中島みゆきの歌とのかかわりや思い出を語り リクエストをする。VTRによる出演でも数人が語り、やはりリクエストをして その歌を映像で聞く。その中で ゆずの一人が「各年代のひとそれぞれ、おもいでの曲を持っている。その年代の歌がある」と言っていた。70年代から2000年代まで4つの年代それぞれで一位なった曲がある。世代によって多感なころ聞いてた歌が違うのだ。私は70年代に最も聞いた。支持する歌もその頃の歌だ。10歳年下の中島みゆきファンと話すと、あちらは80年代の歌に馴染んでいて、わたしの知らない曲を勧められたりする。80年代でも聞き覚えのある歌も多いが、それ以外でも聞かせもらうと共感できる多くの歌がある。
街頭でアンケートをとった好きな歌で、一位になったのは「地上の星」。ヒットした歌で最も新しいということで、多くの人からそのタイトルが語られたのだろう。
80年代の終わり、中島がDJをしていたFMの「ミュージックスクェア」で 募集したときの一位は「ファイト」だった。そのとき初めて聞いた曲だったが、「なるほど すごい曲だ」と思った。今日の番組では坂崎幸之助がリクエストしたが、かれは 吉田拓郎が歌ったのを聞いて「かっこいい」と思ったそうだ。
広島弁の歌詞で歌うこの曲、拓郎のスピリッツにも通じているのだろう。80年代終わりのそのとき、「世情」も上位にあった。丁度ドラマ金八先生で流れたのがその頃のようだ。私はそのドラマを見ていなかったが、「世情」はずっと耳に残っている。この歌を聞いて、ドラマのシーンを思い出す人も多いだろ。槙原啓之が「誕生」をリクエストした。「友から教えられて聞いたとき号泣した」といっていたが号泣の理由は聞き逃した。わたしの思いででも、初めてこの歌を聞いたときに歌を紹介した、女子学生の泣きながらの声が印象深く残っている。やはり80年から90年代に移る頃だったが、「ラジオ公園通り」という、学生の討論番組で、いじめについて語られたとき、絶望からこの曲で救われたという経験の紹介があった。そのエピソードを知った後に聞いたこの曲にわたしも号泣した。その歌が思い出につながることは多々あるが、感動を伴って思い出させる中島みゆきのうたの力を 改めて知らされた。
番組終盤 郵便配達人に扮した中島みゆき本人が登場。番組に参加するのかと思ったら、封書を渡し、一言発しただけで去った。知らされてなかった、ゲスト達は唖然。彼女のやりそうなこと。コンサート夜会で、見せるいたずらっけたっぷりの演技でおなじみ。この歌と本人のギャップも魅力だという意見も出ていた。
「空と君との間に」と言う曲。ドラマの主題曲だが、登場する犬の目線で作られた歌だそうだ。面白い支店だと思っていたが、犬が歌う歌だったんだ。
    

正月の2日 3日は、いつも箱根駅伝を見る。今年も朝早くからテレビを点けて、レース観戦。5時間半以上のレースだから 全部見るのはきつい。時々 チャンネルを変えたり、他の用を済ませたりしながら、でも 最後のランナーがゴールするまで、テレビは消さない。以前は他の用事は後回しにして、ずっとテレビの前から離れなかった。最近はテレビを見るだけで、じっとしていることが辛い。しかし 興味が薄れたわけではないので、近年でも正月一番の楽しみだ。
昨日の時点では、駒沢優勝の可能性が高いと思っていた。結果は東洋の逃げ切り。5区で区間賞を取ったことで、チームが勢いに乗れたようだ。レースを見ながら、応援するチームが変わってくる。駒沢と東洋の争いとなった時点で、何となく東洋を応援していた。今年は絶対、駒沢が上 と評価されていて、数年前までその力は他を全く寄せ付けなかったほどだったから、その駒沢に勝てるかもしれない東洋を応援していた。東洋もこのところ優勝を重ねているが、柏原というエースに負うところが大きいと思っていたので、そのエースが抜けたチームの力を過小に評価していたかな。ただ 東洋の場合、今の強さの木曽を作った前監督 川嶋伸次のことが、引っかかる。不祥事の責任を取って辞任したが、もっと彼を評価してくれないだろうかと。
大会前 駒沢も東洋も応援するつもりはなかった。鹿児島出身の選手に注目するので、2人がエントリーしている、明治と大東文化、それに 早稲田。彼ら 鹿児島の5選手ともいい走りを見せてくれた。早稲田の高田は2区で区間賞。
元来 わたしが好きなチームは 早稲田と順天堂。理由ははっきりしたものはないが、箱根駅伝に興味を持った80年代後半、早稲田が強かった、金哲彦が木下の名で、また川越学等が 活躍していた。まだ テレビ中継はなく ラジオでその模様を聞き入っていた。平成2年に 順天堂の当時の監督 沢木啓介さんと同じ宴にいたことがある。名瀬の陸上競技協会の新年会にやってきた。そのとき一緒に来た学生が、高校時ナンバーワンランナーだった巽博和。彼の両親は喜界島の出身と聞いてまた驚き。順天堂応援は、その前年 巽がアンカーで優勝した時も応援していたから、きっかけはその宴ではないけど、ますます期待の度を増したのはこのときからだろう。その順天堂は最近低迷している。今回でも 以前必ず上位にいた中央 東海 が振るわなかった。新しい大学の出場が増えているわけだが、80年代15校だった出場枠が今は20 今年は記念大会で、23校。テレビ中継が始まり、人気が出て規模が大きくなった。おかげで 関東の大学に選手が集中しすぎたり、箱根で燃え尽きてしまう選手が増えたり、20キロ以上を走らせる事にも異議があり、過酷な山登りも、これこそがこの大会がドラマチックであることの象徴なのだが、選手にとって良いかどうか疑問の声もある。
見ているほうは 力を出し切って走る姿に感動や、かなりのタイム差も20キロのうちなら 逆転できるかもと、スリリングな期待ができたり,優勝の決着がおおよそついてしまっても、シード権争いという、もうひとつの注目すべきところで、最後まで選手が競い合う姿とその結末への興味で、づっとレースに惹きつけられる。
わたしのように この時期のこの駅伝を楽しみにしている人は多いだろう。
丁度 東京のやまもとから メールが来た。今年も鶴見で箱根駅伝を観戦したというメール。彼も毎年そこに出かけて応援している。正月は箱根駅伝。半ば全国的慣習化されている。 

朝 6時10分 笠利 大瀬海岸へ向けて出発。奄美野鳥の会恒例の元旦探鳥会だ。野鳥の会では恒例でも 私が参加するのは初めて。「川口が毎年行ってたはずだから」。北へ向かう国道は、まだ夜も明けぬのに、多数の車が数珠繋ぎ状態。たぶん初日の出を見に行くんだろう。笠利に入って 用安をすぎたところから 道路わきに 何十台かの車が 停車している。道路反対側、海に面した場所には沢山の人。そこなら 水平線から上がる朝日が綺麗に見えそうだ。今日は天気も良かった。大瀬海岸にも結構な人数。浜の入り口付近に待機して、海岸を見ている。しかし 知った顔が見あたらない。先月の探鳥会で会った、清正さんも Kさんも Tさんも 「今日あえるかも」と期待した H嬢も、いない。かわりに わたしの店の常連だったI.望と久さんがいた。野鳥の会では説明をしてくれるTさんだけ。どうも 半分は初日を見に来た人たちのようだ。野鳥の会の人たちも、水辺の野鳥もみているが、どうも 初日の出をまっているみたい。
野鳥観察でしられている大瀬海岸には、沢山の鳥達が。黒い鳥が沢山いる オオバンという鳥だ。もっと大きな黒い鳥が岩の上から飛び立った。クロサギだろうか。そんな中白い鳥が目立つ、ダイサギかコサギのようだ 嘴のいろが違うそうだが、わたしの双眼鏡では良くわからない。とにかく 沢山の野鳥がいる と言う事には驚く。
7時20分頃、初日が上がり、みな カメラをその陽に向ける。初日の事など頭になかった私も、カメラは持っていたので、せっかくだからと撮影。
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初日を拝んで、探鳥会も終了。先月のような鳥個々についての説明はなく、確認した鳥の種類を参加者で、名前をあげ 確認。カルガモ セキレイ 白チドリ イソシギ アカアシシギ カワセミ アカサギなどがいたようだ。
海岸の駐車場には ここで見れる野鳥を説明する看板がある。帰りにそこで 今日名前の挙がった鳥を、確認する。細かい特徴があるようだ。わたしの倍率8の双眼鏡では、そこまで見れなかった。もっといいやつを買うべきか。しかし 今日はどうも 不満足。初日を見るための探鳥会 だったようで、それを知らずに張り切ってやってきたわたしには、肩透かしのようで、すっきりできない。
朝 早起きし 初日を拝み、「今年はいい年になりそうだ」と満足できそうなのだが、今はやたらと眠いだけ。
川口の魂もきっと来ていたはず と 思えば、行ってよかったと、納得もできる。