店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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「今宵の一枚」で村下孝蔵「初恋」を聞いた後、「初恋のモデルがスタジオに登場」というタイトルの動画を発見。由紀さおりのインタビューに応えて、「各地を回りながら、この歌を歌うとき、会場に その人が来ているんじゃないかと、思うとわくわくする」と話している場面から始まり、歌に移る。バックに その人らしい少女の顔写真が映し出されている。歌の半ばで、女性が登場する。ちらっと目にはいっただけで、気づく。歌い終えて、ビックリしたように、照れたように、でも すごくすごく嬉しそうな顔を見せる、村下。女性もすこしはにかんだ表情を見せるが、あとは緊張しているんだろう、視線を落としたまま。綺麗な人だ。この人が「放課後の校庭を走る」活発な人だったんだ。村下の心をときめかせた キラキラした存在だったことは、容易に想像できる。この清楚の綺麗な人をテレビで紹介できたことも 村下には満足だったと思う。過去にテレビの企画で初めての再会をしたとき、彼女は村下のことは 全く印象にない と言っていた。彼女が中2で転校する時、初めて一回だけ言葉を交わしたそうだ。

村下孝蔵の風貌は地味だ。普通に見ればやさしそうな顔のおじさん。素人のカラオケ大会で「踊り子」を歌って、審査委員に絶賛されたことがあるといってる。そこにいた誰も村下本人とは気付かなかった。歌がヒットして、みなCDやラジオで、それを聞いても、歌い手の顔は知らなかった。初めてテレビで見た人は、多分 ギャップを感じた事だろう。いや 歌っているときとそうでないときでも 印象は違う。普段はもっと地味なようで、ある コンサートがラジオで放送された時に語ったエピソード。その前年にも同じ会場でコンサートがあり その日は大雨。コンサート後 帰り道で土砂崩れがあり。復旧作業を手伝いながら、ある婦人に「どちらへいかれたんですか」と聞くと「村下孝蔵のコンサートです」「どうでしたか」「とっても良かったです」。さっき ステージで熱唱した人と、目の前で腕まくりしている人が同じとはとても思えなかったのだろう。
そんな 地味な村下孝蔵少年のまえに現れた、この少女のおかげで、この名作「初恋」ができた。この美少女にも感謝だ。
おそらく40代だろう。「いつまでも輝いている人いいなぁ 」と思いながら、自分の周囲を探ってみる。昔の美少女の雰囲気そのままの人も そうでない人もいる。昔はほとんど注目もしなかったけど、今 すごく素敵になってる人もいる。いずれにしても今 会って話をすると、とても楽しい。極、変わり者だったわたしと、全く言葉を交わさなかった人と 今、さりげなく付き合えてるのはわたしの成長かな。初恋は一回だが、すてきな思い出の人は結構いる、その後あえない人、そんな人が昔のままか、より素敵になって現われたら、嬉しくて 動画の村下孝蔵のように ため息ばかりつくだろうな。
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またまた 「今宵の一枚」に感謝。
懐かしい曲を演ずる動画の紹介、好きだったアーティストの歌う姿に感激。よく知っている、なじみのあるl曲が、実は!という驚き。関連動画までみれて、わたしにとってのお宝映像が、こんなに。頗る幸せ。
第1264夜、ヘレンレディーだ。「デルタの夜明け」「私はイエスがわからない」という代表曲は何十回も聞いてる、何百回かもしれない。紹介されているのは「Delta Dawn 」とある。どんな曲だろうと、聴いてみたら、「デルタの夜明け」だ。原題はDelta Dawn なんだ。そうか 出だし「デートンノー」と音を憶えていたけど、「デルタ ダウン」だったんだ。ラジオで聞くだけで、歌詞を文字で見ることはなかった。あはは と、嬉し笑い。

1266夜は村下孝蔵「初恋」。もう何回もかいたこの曲。でも 今回は関連動画で、私の初恋のころを思いださせる、嬉しい動画を見つけた。ここで書くと長くなりすぎる、次回あらためて と言うことで、次 1267夜「Can't Take My Eyes Off You」 残念ながら、この英語のタイトルでは、どんな曲かわかりませんでした。邦題は「君の瞳に恋してる」。今でも 結構、流れている曲。ボーイズ タウン ギャングの歌として、80年代にヒットしているが、ずっと昔から 聞いているような気がしていた。ママス&パパスやフィフス ディメンションらと 同じジャンルのように感じていたが、この曲1967年にフランキー バリが、全米でヒットさせた歌、と、書いてある。日本でのヒットが80年代のディスコブームの時で、やはり その15年前にも聞いていたんだ。

1268夜 パートリッジ ファミリーの「悲しき初恋」70年代初め、「ビーナス」や、「トレイン」「悲しみの兵士」などと、ヒットチャートに長い期間選ばれていた曲。でも パートリッジ ファミリーの曲って これしか知らない よ 思っていたら、これ テレビでコメディードラマの中の主人公のバンドが演奏したものを、レコード化したもの。パートリッジ ファミリーは その番組だけのバンドだったんだ。
次は1269夜のはずだが、 「Wark Right In」これも この題では判らなかった、聞いてみたら 馴染みの曲。と言っても どうだろう 日本で広く知られているだろうか。わたしが持っている、久保田真琴と夕焼け楽団のLPに入っているから、私は良く知っている と言うことかもしれない。この曲 Rooftop Singers という フォークグループが1963年にヒットさせたいる。作られたのはそれより34年前 今からだと85年前、ガスキャノンという 私は聞いたこともない人の、古い 古い 曲。驚いた。

どれも これも 「今宵の一枚」Wさんが教えてくれた。わたしは知らなかったことばかり。感謝。
「Wark Right In」の関連で 見つけた懐かしい曲。シーカーズ 「ジョージ ガール」。わたしが洋楽を聴き始めた 小学生の時、「マサチューセッツ」や「バラバラ」などと 同じ頃、毎日のようにラジオから流れていた。その動画は初めて、こういう人だったんだ。あの頃のイギリスはこんな風だったんだ。


ラジオの人生相談。相談者は、妻に浮気をされた男性。10代前半の子供が二人いる。「妻とこれから良好な関係を保ちたいが、自分の気持ちのおさまりが着かず、自信がない」
妻に問いただしたうわきの理由は、「子供に厳しく、時には暴力も振るう、夫の行為は、虐待としか思えない。子供のためにもそんな夫とは離婚する。離婚後のために、パートナーを作り、その事実を突きつけて、事を成し遂げようと思った」
ここまで 男の話を聞いて、身勝手な女だ、浮気の言い訳を、子供の問題に摩り替えて。夫婦関係を続けるのは無理だろう。
と、私は思った。夫の説得で、浮気相手と別れ、戻ってきてくれはしたが、夫として、わだかまりは拭えないだろう。
しかし 回答者、マドモアゼル・アイ、今井通子の意見は違った。相談者の男も 自分の父親にはかなり厳しく育てられた。しかし 時々は 見かねた母親が、入ってきて、守ってくれた。マドモアゼル・アイは「奥さんは、あなたのお母さんがしてくれた事を、子供のためにやったのだ。」子供を守るため、覚悟を決め、自ら汚れ役を、引き受けた。夫が真に反省してくれたt、信じて戻ってきてくれた。今井通子も「偉い奥さんですよ」
妻を浮気させてしまった、夫の家庭内の行為が、全ての原因なのだろうか。厳しすぎた育て方は反省すべきで、そこは真摯に受け入れるが、浮気した行為を、水に流せるか?わたしには自信がない。もし、表面上そんな風に振舞っても、結局いつかは堪ったものが爆発するだろう。でも 相談者の男性は、納得している様子。「すこしつかえが取れたようです」と言っている。
これは、「これから夫が、妻と、どう向かい合ったらうまくいくか」という相談だった。「奥さんは子供を守るため、家庭を守るため、あえて やった行為なんだ。そう 考えて、奥さんを受け入れなさい。奥さんと仲良く続けていこうと思えば、そうするしかないでしょう」と言うことなんだ。
普通に身近な人が相談されたら、感情的に、相談者の本意は酌まず、「そんな女なんか」という答えを発するだろう。でも相手の真剣な様子を、斟酌したら、希望どおりに収まる方向へ向かわせる、方便を使う。長年 沢山の、悩み解決を手助けしている、回答者の言葉のテクニックに感心した。
しかし この人生相談。いつもこんな風にハッピーエンドを目指すわけではない。「どう考えても無理です」「離婚しかありません」と言うこともよくある。そのほうが、全てうまく治まるからだろう。傷つく人が出ても、その傷を最小にできる方法なのだ。
相手を非難する相談者が、逆に叱られることも よくある。発言の虚を逃さない。しんじつを突き止め、周囲を含めて相談者のより利益がもたらされる回答を的確になす、そこにいつも感心する。
翻って、喫茶店のマスターだった頃、よくうけた若い人たちの相談に、悩みながらもした 私の回答は、いったいどういう事態をもたらしたか?まともにには、受け入れてない 事を 今は願う。

先月 一緒に 佐渡山豊ライブをみた 居酒屋一村のりっこママ、「私 ほんとは好きじゃない。反戦歌とか嫌いなの」と言う。のりのりで 手拍子していたのに。「ジョイントした若い、ギタリストが良かったから」。極親しい、加川良や よく泊まりにも来てた高田渡だって、反戦歌の類の歌は歌っている。淺川マキが大好きだったはず。もう一人大の仲良し、優歌団の木村充揮だって 社会を風刺したうたを歌っている。多分 佐渡山豊の歌に 馴染んでないのだろう。旦那のとし坊は、大好きみたい。りっこのように派手には動かないが、声を出して手を叩いて、楽しんでいた。「魂の熱い人 いいねぇ」
私は佐渡山豊大好き。高校3年のとき 初めて聞いた「ドゥチュイムニ」。この一発で、震えた。「沖縄フォーク村の村長だって」同じようにNHKの番組で その歌を聞いた同級生達が翌日 語っていた。広島フォーク村の 吉田拓郎は既にメジャーになっていて、「結婚しようよ」「旅の宿」が大ヒットしていた。拓郎の「イメージの歌」に匹敵する曲として 佐渡山豊の「ドゥチュイムニ」はわたしの中に強烈に残っている。70年代、沖縄の歌は、喜名昌吉、知名定男だけでなく、フォークシンガーも良く知られていて、FM放送では、まよなかしんや あらがきたかし 北海道出身だが 沖縄で活動した北炭生の歌がよくかかっていた。その頃録音したカセットテープに彼らの歌が入っている。やはり佐渡山豊の歌が一番多い。
先月のライブ。もう60後半の年齢になったが、その熱き歌は健在。言葉がストレートに語られる。揶揄するような言い回しでなく、古い歌にも 今の嘆きや疑問を、折り込んで、はっきりと言葉で訴える。40年聞きたいと思ってた歌が やっと聴けた その夜。わたしも暑くなった。

「ドゥチュイムニ」 いっこく堂も歌っている。コザで彼と、佐渡山の家は向かい同士だったって。「いっこくに初めて泡盛を飲ませたのは俺だと 佐渡山は言ってた。そして 「俺よりうまく歌っている」とも。


大島高校吹奏楽部

大島高校の吹奏楽部 定期演奏会にでかけた。初めてだ。行こうと思ったのは、近年連続して九州大会に出場している 実力の演奏に触れたい。甲子園で選ばれた日本一の応援団の一員だった。嘗ては松陽高校を率いて連続全国大会金賞を得ている、顧問の教諭が そろそろ 転勤では?みれるのは今年までかも。そんなことが理由だ。部員は68名!野球部よりずっと多いんじゃないか?圧倒的に女子生徒、男子は一人?会場の奄美文化センターは満席。在校生も多いが、中学生が目立つ。島中の中学の吹奏楽部員が、教師に引率されて、やってきている。わたしの隣は、島の南端からきた古仁屋中の生徒達だった。彼女らにとっては、あこがれの大高吹奏楽部なんだろう。
わたしが在籍した頃にも 吹奏楽部はあった。わたしが入学した年にできたようだ。ただ 部員は10人くらいだったと思う。
おなじ市内の工業高校のほうが、活発に活動していた。そのころ中学校で吹奏楽が盛んになり、全国大会出場を果たす学校も現れていた。その中学生達が大高に入学して、吹奏楽部を盛り上げてくれていたのだろう。
音楽が好きだったのに、吹奏楽部の演奏は聞いたことなかった。市の体育大会で、中学生達が演奏してくれていたが、こちらはだらだら 行進するだけで、演奏する音はまともに聞いてはいない。姶良で、重富中学校の演奏会に娘を連れて、行ったことがある。重富中も、全国大会に出場するなど評価の高いえんそうをしていたが、わたしの目的は、娘を中学では吹奏楽部に入れて、わたしのアルトサックスを、娘に譲る事。煩さがられて家では吹けない楽器を娘が始めたら、教えるふりしてわたしも吹ける と、目論んで。しかし 娘は「わたし 吹奏楽部、入らないから」。
さて 大高吹奏楽部の演奏。まず 沢山の曲をきれいなアンサンブルで、正確に演奏できる。そうとう練習したんだろう。
わたしの席は、3階の一番後ろ。それでも 迫力ある音が届いていた。パーカッション部門の人が躍動して楽しそうにみえた。ティンパニー、マリンバ、コンガも スネアも。やりたくなった。ギターも トランペットも サックスも ピアノも、中途半端だけど遊べて楽しかったが、打楽器に目覚めるかも。パーカッションで全国大会にでた親戚もいるから教えてもらおうか。
だめだ これこそ煩いと苦情がくる。ドラムセットなんて置く場所がない。
2012年の演奏 安陵愛唱歌 

共同通信社の調査で、集団的自衛権行使容認、賛成は39%となっていた。読売新聞ではたしか60数% 70%近かったと思う。私は読売新聞は読んでないが、読売読者は賛成派が多いと言う事か?こういう調査 対象は無作為のはずだから そうではないだろう。テレビの読売系局は 見ている。大阪読売の人気番組で、あの目立ちたがり屋の恵隆之介が
沖縄の基地反対運動を批判していたことは 前にも書いた。それをみた人で彼の言葉を鵜呑みし、基地反対に、反対の意見を言うものが増えているそうだ。それも、ヘイトスピーチのような罵声もあるという。恵が言った 「沖縄の運動家には 中国が金を出している」とういう意見の印象が強いらしい。その証拠は何も示さず、「わたしが調べました」としか言ってないのに。「日本を中国に売り渡す気か」と、街頭で活動する人に、声を浴びせる 普通の人がいる。恵は中学の時 アメリカに心髄。アメリカは全て正しいと思っているのではないか。と 私は思ってしまう。まさか アメリカに頼まれているわけではないだろうが。先の番組では一方的な意見に、普段から保守的意見を発している、人たちが賛意を表し、基地の弊害に言及することはなく。日本の国益の観点からは 基地反対はとんでもないという 雰囲気で終わってしまった。日本のために と積極的な意見を持つなら、沖縄だけに、押し付けず 自らリスクを引き受けて欲しいが、地勢学的とか、理屈を言って 拒んでいる。
昨日の新聞では、離島防衛のための自衛隊基地を奄美に作る という記事があった。加計呂間島沖の無人島では、大規模な軍事訓練が始まる。静かな加計呂間で 物々しい軍事訓練は似合わないと思うのだが、地元では、反対意見は少ない。それより 多くの人員が来島することの経済効果を期待する意見の方が圧倒的に多い。町は、訓練終了後も2日くらいは、滞在してほしいと、要望している。数千万円の経済効果を目論んでいる。自衛隊基地の誘致についても、その町が最も積極的。小さな、裕福でない町としては その恩恵に飛びつきたいことは、よくわかる。
ただ 「経済効果より、基地が標的にされることの損害が大きいのでは」という 意見もあった。多分 ほんの僅かな少数意見だろう。基地誘致に賛成している人でも、その懸念は持っているだろうが、現実的に考えれば、目の前の、利益が優先だろう。
一月ほど前だけど、与論での戦時中のエピソードを紹介する投稿が地元新聞にあった。与論は空爆されなかった。島はほぼ平坦。攻撃さえたら、逃げ場はない。島は全滅する。そう考えた、行政の長が、駐留していた軍に、島から 上空のアメリカ機に攻撃をしないよう 要請した。要請じゃなくて嘆願だろう。こちらから攻撃したら、こちらも攻撃される。それを軍の隊長が受け入れてくれた。軍としては、敵機に攻撃を加えないと言うことは、重大な違反だったかもしれない。軍も含めて、島の人たちが無事でいた事は、卑怯だろうか?私なら 卑怯と言われようと 何といわれようと、無事がいい。「加川良の教訓」のように 女々しくても 馬鹿と言われても絶対逃げる。戦争で殺されるなんて真っ平。もちろん 戦争で人を殺すのも。

明治維新 黒船が日本を変えた。奄美も一隻の船で街が変わった。大げさだけけど それも その一日だけ。客船サン・プリンセスの入港は、街の 大きな話題になった。入港は今月1日と9日。7万7千トン余の船体は 驚くほど巨大だった。わたし達が、鹿児島に行く時利用するフェリーの10倍。これまで 度々来航していた 日本丸や飛鳥も大きいと思ったけどあれで、2万トン級。乗客1500人 乗員でも数百人だそうだ。この人たちが、街に繰り出す。商店街は一挙に賑わう。あちこちに椅子とテーブルが置かれ、臨時休憩所が現れる。バミューダ船籍の船で、乗員のほとんどは外国人。狭い街の商店街にこれだけ多数の旅行者がやってくると、普段の閑散が一変。祭りがやってきたようだ。
港にこの船がある それだけでも 街の様子が違う。巨大な建造物が突然出現したようなもの。広い岸壁だったのに、とにかく大きくて目立つビルがある風景。
天候もよく、奄美各地のマングローブ原生林 や 北大島、エコツアーの観光に出かけた人たちも満足できたようだと、インタビューした新聞記事にあって 安堵。奄美の人達もこの巨大な船が珍しく。「みてきた」と挨拶代わりの言葉があると、サン・プリンセスの事だとだれでもわかる。明け方やってきて、夕刻5時出港。11時間ほどの滞在で、その巨大な物体とおおくの人たちは去っていった。それを見送る奄美の人たちも大勢 岸壁を埋めていた。
私は別に旅行者とふれあったわけでもない。でも、ホットな興奮で心地よい一日が過ごせた。月末。ビクトリア号がやってくる。この船も7万5千トン。どんな優雅な姿をしているんだろう。そして こんな豪華な旅行ができる日が来るだろうか。

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午後5時出港 s-DSC00832.jpg  DSC00833.jpg
 見送り後、帰る車の列s-DSC00837.jpg


土曜は寅さん 昨日は 最高傑作(私はそう思っている)「あじさいの恋」切ない悲恋物語。過去に何回も見ているのに、また 「よかったぁ~」と、感激する。見終えて一日以上経っているのに、ずっと 鎌倉で別れの前 寅に思いを訴える、いしだあゆみ演じるかがりの顔が頭から離れない。その後みつおが言う「おじさん泣いてた」この台詞に、二人の切ない関係が込められている。丹波で、かがりが寅を見送るシーン。寅の思いが本物でなければ 気軽に船を下りたかもしれない。ほんとに好きだったら別れを選ばない。が 正しいのだろうが、寅の場合は、相手を思うあまり、逃げてしまう。かがりが部屋を覗きにくる その足音をきいて 寝たふりをする。
かがりの意図は?もしかして と 艶っぽい想像をしてしまうが、それは判らない。でも 寅と一緒に居たかったのは確かだろう。いしだあゆみの表情が、奥ゆかしくて忘れられない。40年前はアイドル歌手だったのに、今や 大女優。前々回の松坂慶子は美人で色っぽかった。いしだあゆみは、地味な幸薄い女性にピッタリ?。映画「火宅の人」では 強い妻と母を演じていた。これもピッタリ。演ずる幅も大きい、素晴らしい女優になっている。初めての映画出演は、1973年の「日本沈没」だったと 思う。「なかなかいいじゃないか」という評を何かで読んだ憶えがある。残念ながら映画は見てない。
寅さんシリーズ 見るたびに 新しく気づくことが必ずある。「あじさいの恋」でも 団欒の途中で、かがりが子供を寝かせている間に 寅が遠慮して自分も寝床に付く場面。子供のためにそこを退いたと思っていたが、子供を寝かせるために横になったかがりの足、ふくらはぎが強調されているように思えた。なまめかしく覚えた寅が 後を予想して 逃げたのでは。勇気を持って逃げたんだ。意気地がなかったのではない。戦っていたんだ。かがりのやさしさに安住してしまっては、「フーテンのプライドがゆるさねぇ」なんて。
先週放送の「紙風船」でも、最後に マドンナ音無美紀子の問いに、寅は「何とも思っちゃいないよ」と答え、その答えに台詞は、「良かった」と言っている。マドンナな光江は寅に恋慕の情など全くなかったのだと思っていたが、台詞を言う表情を見ていたら、「本気だ」と言う答えを期待していたのでは。その答えにきっと喜んだのでは と、今回は思えた。亡くなった主人が「寅と再婚しろ」と言ったことに「まるでものをやるみたいに」と、怒ってはいるが、その表情は内心の思いを面に出しているのではと思う。歴代マドンナの中ではかなり地味な音無紀美子だが、この演技力がマドンナにふさわしい女優と認められたのだ。毎回 新しい発見がある寅さん。前回見てから 10年以上は経っている。わたしが年を重ねていることも、違う寅さんを見つけることができる要因だろう。さて 次回は何だっけ?そうそう 田中裕子だ。顔で悩む沢田研二だ。その後の二人に対してはこんちくしょうだが。田中裕子綺麗だった。

別府葉子さんのブログから もう一題。「花の季節」と言う曲。聞いてみたら、懐かしい曲。
メリー・ポプキンが歌っていた、「悲しき天使」だ。この曲が もとは ロシアの歌だということは、去年、朝日新聞「歌の旅人」で紹介されていたので知っていた。ロシアで「長い道」というタイトルで慕われ歌われていたのが、ヨーロッパへ移った人達によって広まり、ロシア民謡とされてきた、しかし 作者ははっきりしていて、その名はロシアでは有名だある。その歌詞は昔を思い出し感傷に浸っている。メリー・ポプキンの英語版、日本語版も、嘗ての楽しかった恋の思い出を語っているが、英語では、舞台が酒場なのに対し、日本語訳は「春の風 、鳥の歌」と、雰囲気が上品になっている。別府さんが歌うのは、初めて聞く歌詞。恋がテーマだが、フランスではそう歌われているのだろうか。

  

別府葉子さんのブログでは、シャンソンの名曲を解説してくれる。詞の内容が 日本でよく知られているものとは違うものがある。「愛の賛歌」は 三輪明広が 実際の訳詩を朗読しているから、結婚式で高らかに歌い上げられているものとは違い、淡々と思いを語っているものだと言うのは知っていた。昨日見たブログの「マイウェイ」については思いもよらぬもので、驚いた。ポールアンカの歌詞が日本では訳され、一般に知られている。素晴らしき人生に感慨をこめ、未来へもその讃えられた道程をさらにすすむ事を誓い 誇らしげに歌う。フランスで生まれた原曲は、それとはほとんど逆のような、愛の終わりを歌う詞だ。別府さんの、シナリオのような解説で、全て理解できる。うまくいっていたばら色の愛の生活が、あるきっかけで崩れ 冷めていく。曲を聴いた ポールアンカは、メロディーにドラマチックなものを感じ、フランス語とは全く違う、高揚感を歌にした。それは曲にマッチして 世界的にヒット。「マイウェイ」はそういう歌だと思い込んでいた。そういえば 坂本九の「上を向いて歩こう」も、どくとくの旋律が日本的と判断され、日本の象徴をさす単語がちりばめられた歌詞を付した「SUKIYAKI」が、アメリカで大ヒットしている。曲のイメージを受け手が違う完成で聞いてしまえば、違う歌ができる。考えてみたら、古典音楽でも、フォークソングでも、どうようの例は結構あるものだ。

シャンソン 
Comme D'habitude”(コム・ダビチュード)という曲、1960年代、 クロード・フランソワが歌った


昨日の憲法記念日、二つのメールが届いた。どちらも「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会からのものでした。
N郎さんのブログで、この運動を知り、直ぐ サイトから署名をしている。その活動の進捗状況を知らせてきた。この申請をノーベル委員会が受理したことは、先月、新聞報道で知った。それからテレビニュースなどでも特集がされたり、広く知られるように鳴ってきている。もうひとつのメールは その テレビ報道のお知らせだった。候補に挙がったわけではなく、申請が受理されただけだが、こうして世間の注目を受けることができるようになったことは大きな前進だ。
昨日は 奄美市の商店街でも署名活動が行われていた。活動していたのは、年配のご婦人達。
署名に応じているのも年配の婦人達。若い人たちはいない。尤も、わたしがそこへ行った時間は、人通りも少なく、若い人はあまりいなかった。ベンチに座っている、子供連れの男性に、説明を述べ協力を依頼している人に対し、そのお父さんは、あからさまに迷惑そうな表情をしている。
極若い 20代前半くらいの人なら そもそも関心が薄い。今日見ていた、ある程度落ち着いた年代の人たちの保守化が、最近顕著のようだ。憲法改正にどちらかと言えば賛成。外国と同等に武力が行使できるようにすべき。わたしより二周りほど年少の、ニューファミリーの家庭ではそんな会話がされているのだろうか。
知覧の特攻会館が、展示内容を修正するそうだ。最近の人気戦争映画の影響で、入館者が増えているそうだが、子供を連れたお父さんが、展示品を全て肯定的に子供に説明している様子が多く見られるようになっている。「お国のために命を捧げた 立派な人。確かにそうなのだが、立派な大人はこういうものだ 見たいな教え方をしている。戦争の負の要素に全く触れない。実は特攻隊員の展示されている遺書とは別に、富屋食堂には、その戦略や、戦争自体を批判した内容の手記が、保管されている。特攻隊員は自ら志願したのではなく、強制だったという、元特攻隊員の証言もあり、逃げ出した人、出征前に自死した人がいたことも、聞いている。
そんな 実際の戦争の現実。戦争の本質を、伝えなければいけないと言うことだ。決してロマンで語られるべきでない。子供達に真実を伝える義務が大人にはある。われわれ、戦争体験を親から聞かされたのに、それを子に伝えることを怠ったため、好戦ムードに染まってしまったか。そのムードを次の世代に伝えられてはならない。
近隣国との対立が、根深くなり、そこに生まれた脅威を喧伝して、軍事大国を目指し、憲法9条を改正しようとする 大きな勢力が台頭している。歴史家なら「あの時と同じだ」と、不安に思う事態になって来た。このところの深い対立も、為政者の言動が引き金になった例もある。
賢明な政権なら、戦争の危機を 起こさないよう外交に精を出してくれるだろう。苦労の多い毎日でも、平和で過ごせる幸せは、皆 わかっている。戦争をさせない憲法9条がいかにありがたいか、世界に知らせることができれば、ノーベル平和賞にも値する。



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