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熊本マリスト学園11期生同窓会

45年ぶりに、熊本の電車通りを、行く。昔と同じだとおもった。45年前の風景など憶えている筈もないのだが、あの時と同じ感覚になっている。6年前の同窓会に「次回は私も参加させてください」と 祝電に添えたが、それを実現することが出来た。奄美在の同窓生達のおかげ。他の皆は高卒後42年だが、中学で転校してしまった私は45年ぶり。嘗てのというか 昔の 同級生達に会える。
会場の料理店に入り 会場の3階に上がるのに 4人の見知らぬ者の後を行った。彼等も同じ会場に入った。不安になった。「知らぬものばかりでは」と。会場は男ばかり 溢れんばかりに満ちて 賑わっていた。見覚えのある顔がある。7月 奄美にやってきたUも居る。ほっとしたところに「川元さん 幼くなったんじゃない」と声がかかった。あのやんちゃ坊主だったIだ。その隣は 人吉のS 「幼くなった」って ここの言い方だったっけ。大きかったKも小さくかわいかったO も。部活を一緒にしたY。もちろん1見では判らぬものも。名札を見れば 思い出すのだが 私の隣の席のTY君など 凛々しくなって印象が違う。私が転校した後 、高校から入ってきた人たちも居る。彼等も初対面の私に、声をかけてくれた。45年前に戻るのに時間はかからなかった。ほとんど 寮で生活を一緒にしていた輩。いたずらっ子も、生真面目も、いろんな少年達がいた。男子校だった故、女の子への興味が強かったのは みな 共通かな。
近況を語り合ったあとは あの時 どうした あいつはあぁだった。話がはずむ。熊本弁がこんなに聞こえてくるのは 懐かしくはない。45年前と同じ環境に居る気になっているから、あのときの日常だ。みんなの声、話し振りがそのまま。憶えてないと、思ったものも、判ってきた 思い出した。
昔の自分で、接しているので、今の身分や状況に、関知せず。医者 歯医者が沢山居る。大手銀行の役員。社長の息子だったものは 今社長。中には社長職を退職して、大学院に入り研究を始めたものも。今は それぞれの分野で活躍中。そして これからも元気で活躍しようと声を掛け合い、あっという間の 同窓会は終了。
先輩が経営しているライブハウスへ 移動して2次会だが こちらは バンド演奏が続く。曲は我々が学園生活をしていた60年代後半から70年前半の頃の局。毎朝聞いてたベンチャーズや GS など。同窓生に一人 芸能人が居る。名前は ふとがね金太 世良正則とツイストのドラマー。今はソロで活動している。彼の爆笑思い出話と、中年応援歌を楽しみ、時は過ぎて行った。ただ 音楽を聞かざる得ず、隣と会話も出来ないのが不満。毎回 このパターンらしく これを楽しみにしている人も多いのだろう。久しぶりの再会に興奮した私にはまだまだ話し足らず、心残り。でも 良かった 楽しかった。次も是非参加しようと思った。
一次会の会場は 大きな中華料理店だった。ちょっとビックリしたのは 料理を運んでくれる、おそらく学生アルバイトだろう 女性達制服がチャイナドレス。その両サイドのスリットが太ももよこまで 深く切れていて 見えるんじゃないか?なんて 相変わらずの変体親父が出てしまった。ずっと ここが会場ということは、もしかしたら 女性に大いに興味を持っていた元少年達も、それが気に入ってたり しないか。余計な詮索か。
来年もやらないかな、また 直ぐ会いにきたい。 いや もちろん同窓生達にだ。
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国民文化祭鹿児島2015 。最終日は 大和村へ
荒俣宏さんの講演と、城南海のライブ。
「荒俣宏が何故 奄美の事を」と、不思議におもったが、シャーマニズムの研究で、年に数回 奄美を訪れ、「ユタ」「ノロ」の神事を、取材しているとのこと。よくテレビで見ている、大きな体と、笑顔での語り口。原稿などほとんど見ることなく、90分語ってくれた。「祭事には 奄美独特のものもあれば、他と共通のものもある」「音楽が用いられるのは ヨーロッパでも多い」「ユタというのはウタの意味では?」と、引き込まれるような内容に感嘆。
講演の後は 客席にやってきて 地元の人たちと歓談しながら、次の 城南海のライブを 一緒に見ていた。
その 城南海のライブ。楽しみにしていた。ユーチューブで、何度も見た、聞く人の心の琴線を揺さぶる歌声を 直に聴ける。彼女のお父様は 嘗ての私の職場の先輩。叔母には私の同窓生も居る。でも そんな縁がなくても 彼女には注目して 応援しただろう。
最初の「あいつむぎ」が 歌われると たちまち 私の涙腺が反応した。島歌2曲を含め 5曲と 短い時間だったが 十分に彼女の魅力を感じさせられた。清清しい気持ちになれた。
コンサートとは関係ないけど、その後 豚汁とおにぎりが 全員に振舞われた。ほんとに 得した。
何ヶ月も前から騒々しく 宣伝されてた 国民文化祭。ありがたきものとして今認められている。


国民文化祭2015 鹿児島。多彩なイベントが 鹿児島県内各地で催され、その中の 奄美笠利町でのイベントが「シンポジウム 自然遺産と しま の生活文化」
何故だか 「行ってみようか」という気になった。
会場は 笠利町の奄美パーク 遠いのに。
本当は 講演をする 宮崎緑さんを見たいのだ。その昔 NHKの「NC9」で、始まったばかりの「NHK海外たすけあい」への協力呼びかけを、フィリピン貧民街のレポートをしながら 訴えていたのを見て、直ぐ、NHKへ寄付金を送ったことがある。彼女でなければしなかったかも。
講演では、奄美の文化の多様性をほこらしきものとしてあげていた。それが 持続可能なものであることも、この二つが重要だと。以前 鹿児島大の桑原季雄も講演で、「これまで、奄美の文化研究は沢山行われながら、成果を見てないのは、多様性と言うことに対し 尊厳の目を向けたなかったから」と話していた。そして 受け継がれていかれるもの。「何を守り 受け継いでいくか」そこが これからの大切なところ。
セレモニーの最初は 奄美高校郷土芸能部「太陽の子」(ティダのくゎ)の演奏。いつ見ても素晴らしく感動する。でも メンバーは毎年 変わっている。先輩から後輩へ 受け継がれていく
このことを 彼女は讃えていた。
われわれ と言うか 私だけかもしれないけど、改めて気づかされたことも。守られてきた文化 や芸能も、外から 新しいものが入ってくる、奄美ではそれを上手に取り入れている。奄美の太鼓 ちぢん は、日本のほかの 何処にもない。実は ミャンマーとラオスが起源のようだ。海を渡って伝わった、海は隔てる存在でなく、流して伝えてくれるのだ。奄美の島々で言葉が違うのも、その土地で流れ伝わったものが違ったからだろう。日本の古語からきた「ありがっさまりょうた」沖縄と似ている「めへぇーでろ」信仰のことばだろう「とーとがなし」徳之島の「おぼらだれん」喜界島の「うぶくんだーど」 みんな 意味は「ありがとう」だけど、各島々では独自の言葉が大切にされてきた。
テレビで活動してきた人だけに、明瞭な言葉で、簡潔にわかりやすく語ってくれる。容姿同様 美しい言葉と 声に 魅了され 聞き入ってしまっていた。会場の 奄美パークの館長になってから 14年になるそうだ。その間に 奄美の多くの事を研究したんだろう 島っチュとは 違う視点で。従って われわれにも興味深い 新鮮な内容の講演として 聞くことが出来た。
講演のあと、わたしの目の前で、知人らしき人と 立ち止まって語っていたその顔を まじまじと見ていた。美しい57歳だ。これが最も印象付けられた感想。



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