店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

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Author:川元 正樹
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上を向いて歩いたら

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東京のやまもとから フェイスブックにあった写真で ドームのようなものが見えるけど「あれ 何?」とメールが来た。「アーケードの屋根だよ」と返した。この本通りと、、地元では中央通りと呼ぶアーケード街の交差点上は屋根が高くなっている。それは知っているから、その外側が突出している筈で、それが屋根の一部であるのは間違いない。でも こんな形だったんだ。私も初めて気付いた。
翌日確認にに行った。毎日行ってる場所。通っているのに、知らなかった。いつもは前を見て歩くだけ。仕事の目的で来てるけど、町唯一のアーケード。中心地だ。誰か知ってる顔に出会える確立が高いのも、楽しみ。いつも周囲に目線を振って幸運を探している。首を後ろに傾け 屋根を見たことがあったろうか? 交差点で見た天井の様子は、鮮やかで、しばしそこに突っ立ってしまった。金作原の写真だろう、青空に原生林が延びている風景が描かれていた。s-DVC00006.jpg  s-DVC00008.jpg初めて見た。全く気づかなかった。多分これが完成したとき、報道は成され地元のほとんどの人は知っているのだろうが、当時ここに居なかった私ややまもとは、知らずにいたし気付く事もなかった。
他にも、アーケードの 梁に部分には、ずらっとパネルが展示してある。奄美の固有種と言われている花、鳥など動植物の写真だ。
アーケードの全長数百mの両側に一mほどの間隔で、並んでいる。黒ウサギ ルリカケス  オットンガエル アマミセイシカ。ハブもある。十九種類が繰り返し出てくるが、この ずらっと並んだ様子を今まで見たことなかった。せっかく気を配って作成してたのに、で気付かず申し訳ない。s-DVC00004.jpg      s-DVC00007.jpg

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体が重い。足が痛い。疲労だ。立ってただけだ。それで、足が疲れ、足の裏には痛みを感じる。午後は焙煎をした。5時間半立ったままの作業だった。上半身の重さに、下肢が、耐えられなくなっている。今 ウォーキングはしていない。歩くとあしが痛むから、で、歩かないから体重は減らない。それに奄美は梅雨だ。毎日降っている。でも 小雨。傘なしで歩いても、しばらくは問題なく、長くそのままでいると、服が濡れる。その程度。キャップを被ればもんだないのだけど。自分で歩けない理由を探して、サボっている。一月前は、腹が張ってた。体内にガスが貯まっている感じ。今は腹の部分がとにかく重い。脂肪たっぷり。食事の量は少なくしているつもり、でも活動量少なく 消費されない。何かしなければと考えてはいる。テレビの前で寝っころがりながらだけど。

思い出そして感謝

カフェ RAINをすすめてくれた「オズコレクション」の S夫人が、亡くなったのは昨年 11月。その5日前、同窓会のあと、オズに行った。先にいた同窓生達と合流して、夜中2時頃まで。そのあと 私だけ残って、3年前の同窓会のDVDを4時まで見た。S婦人は高校の2年後輩。ご主人Sが同窓生。その2日後、コーヒーの配達のあと、カウンター席につき飲み始め。今度は彼女達 2年後輩達の20年前の同窓会のビデオを見せてもらった。このときも2時まで。その3日後、台湾から同窓会出席のため来ていた、K女史の送別会を彼女の同窓生の営む居酒屋で、開いた。その席にはS君も参加することになっていたが、夕刻になって「今日出れない」と電話が来た。その後「内の店も今日は開かないから」 2次会で多分行く事になるであろう「オズコレクション」が休むという事。さらに「内の駄目だから」「奥さん 具合悪いの」その程度に考えていた。送別の宴が終わって 店を出るとき その訃報を知った。「いったい どういうこと?」信じられなかった。元気だったのに、私たちを励まし、激励してくれる人、そして私の体調をいつも気遣ってくれるひと。心を開いて話が出来る大切な人なのに。ただ呆然としていた。今でもふと 彼女の笑顔が直ぐ側にあるような気になる。賑やかな声も聞こえている。強烈な印象を私にもたらした。
親しくなったのは 彼女が私の店の常連になったから。一人で来ても友人達ときても、楽しく過ごしてくれた。わたしも巻き込んで楽しくさせてくれた。テンポのよい語りで面白い話を次々に繰り出す。東京で劇団に入っていたというその話芸でいつでも楽しませてくれた。当初、「オズコレクション」は 輸入陶器のお店。それが スナックに転じたときは正直、驚き、ちょっと疑問にも思った。結婚したばかりの旦那Sも「度胸があるよ びっくり」なんて話していた。みんなに好かれる人柄と面白い話で、人が集まってきていた。16年間私はこの町を離れていた。帰ってきたとき、店は場所が変わっていた、前入ってたビルの直ぐ近く、木製ドアを引くと、長いカウンター その内側に 以前と全く変わらぬ陽気な彼女がいて 私を同じにこやかに 迎えてくれた。一人通った。一人でも楽しかった。彼女の振る舞いが楽しくさせた。お酒を飲まなくても楽しかった。知ってる客がいるとき そこで知り合った客がいるとき 時には旦那がいるとき その子息jがいるときもあり それは さらに楽しかった。会話の中で 私の愚行をたしなめられる事もしばしば。そんなときも 嫌な思いになることはなく、面白かった。多い時期 週に3回は行ってた。何時間もいたことも。何時でもOKだった。明け方4時まで。しょっちゅうだった。2時頃、漏れてる明かりに気付いてドアを明けると、「どうぞ!」の声、「お疲れ様」と声をかけるだけのつもりだったのに、つい 入店。という事も。何を話していたのか?憶えてない。言葉を交わす度、笑って、納得して、怒った話も、結局は笑い話にして。話力で轢きつける彼女の元へ出かけるのは最高の楽しみだった。
思い出す。いろんな場面を。全ての場面で笑っている。本当は疲れていたのかもしれない。私の与太話に辟易した事もあっただろう。でも 笑って応え 明るく見送ってくれた。2歳年下の彼女は、頼れる姉貴同然だった。
家族のエピソードもよく語ってた。旦那とのやり取りも漫才のごとくに。家族の思いを語るとき、そこだけは真面目だった。子供も 孫も、義母も、みんなかけがえのない深い存在である事、何があっても守ってきた、これからも守って行く、旦那様とも末永くと 夢を語っていた。叶わなかった?でも これまで沢山の幸せを作ってきた。家族の中にその 幸せだった時間は、づっと留まって、これからも、何かにつけ、思いおこされる事だろう。もちろん 私も オズコレクションに集った沢山の人たちも、彼女の周囲のすべての人たちも、彼女が側に寄り添っているかのごとく、彼女を思い出し、その 笑顔と 語られた言葉に力ら付けられ、幸せを感じながら
日々を生き続ける事が出来るだろう。きみ子さん。感謝!

NHKの「ファミリーヒストリー」を見ていた。戦前 満州で、医師として働いていた 俳優 梅宮辰夫の父親は、かの地で、誰もが認める立派な医師だった。終戦時、侵攻したソ連軍 中国八路軍からの強制連行を決死の覚悟で逃れ、家族を守り、戦後東京で、個人開業時でも、昼夜を問わず患者のために、労を惜しまず、地域住民から、全幅の信頼を得ていた。その実態を幼き梅宮は知ることなく、厳寒の夜でも往診に出かける父の医師という仕事に追従する気にはとてもなれなかった。その本当の父の姿を、関わってた人たちの口から知らされ、父に反発し、避けていた事を悔やみ、嗚咽する。その様子を見て 私も貰い泣き。でも
私の驚きは最後にあった。つい声を上げてしまうほどの驚き。
満州で、ソ連抑留から守った入院患者の柳沢孝信という人物。恩を受けた彼は梅宮の家族の脱出に命がけで手を貸す。その写真が出たとき、何かその後、大きなことを したじんぶつでは?と 感じたものだが、画面にサクソフォンが映し出された、工場らしい。「えっ!ヤナギサワ」。あの 管楽器のヤナギサワそれを起こした人物だった。もともとは、楽器の修理を生業としていたが、戦後直ぐ、柳沢が、会社を継ぎ 楽器製造を始めたそうだ。手作りで、一本一本個性のあるすぐれたサクソフォンとして プロの間では有名だ。ジャズプレーヤーに愛用者は多い。高級で高価イメージ。私はヤマハの手ごろなアルトサックスを所有しているが、ヤナギサワは憧れだ。梅宮辰夫の父親とヤナギサワの所長が、強烈な縁で繫がっているとは。梅宮辰夫もそのお騒がせ娘のアンナも、柳沢のおかげで今があるとは。すごい!
真面目に、つとめてきた人は、やはり皆 立派な名声を残すものだ と言うこと。私にはとても出来ないが、若い奴らには、ちょこっと威張って話してみたい。
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これは私のヤマハAS32

Cafe Rain

カフェ RAIN
「レインってみせ 雰囲気よかったよ 行ってみたら」と、教えてくれたのは、亡き 斉藤夫人。彼女のお店「オズコレクション」にコーヒーを配達した時だった。商店街のアーケードを抜けたところにあるその店は、ガラス張りで、若い女性が一人で切り盛りしているのが見て取れて 気になっている店だった。その 店の店主?の事を知ったのは、昨年夏、地元で音楽活動する人たちに演奏の場を与えるために、ピアニストの村松健が主催した コインサートの時だった。ジャズを歌った。村松の紹介で、「彼女の店では いつも ジャズが流れている」と言うこと。是非 行ってみなければ。しかし 「コーヒー取ってもらえないかな」という、よこしまな商売っ気もあり、きちんと対策を立て 覚悟していかねば と、気負ってしまい なかなか行きだせずにいた。結局 初めて入ったのは今年になってから。商店街で最もコーヒーに通じていて飲食業に一過言持っている ブティックのお姉さんOさんに、「レインいいよ 行ってごらん」と言われてから。
明るい表通りから 少し薄暗く見えていた店内は、その 明るさ加減が絶妙で、心地よいジャズボーカルが 流れていた。昔取った何とかで、ジャズの薀蓄をひけらかして、私自身を売り込み、身分を明かすと、ボーカリストの店主、コーヒーにも詳しく、こだわりを持っていて、こちらにも興味を示してくれた。それから サンプル提供し彼女の意見を聞き、新しいブレンドを その店のオリジナルのブレンドとして、店に出してもらえたのは、一ヶ月ほどあとだった。今では 大事な取引先であり、また、 仕事の合間に立ち寄って、ジャズで寛ぎ、カフェオレやココアで、リラックスできる、だいじな時間を過ごす場所になっている。現役ボーリストの彼女のレパートリーも多岐。いろんな音楽の話題で盛り上がる事も。

感謝 別府葉子様

youtubeで 奄美の若き歌い手達を、検索しながら見ていたら リストに別府葉子さんの動画が、いくつも出てくる。以前は毎日のように見ていたから、私の好みとして リストアップされたのかもしれない。
この ブログを サボっていた数ヶ月間 も、別府さんは 私のブログを訪ねてくれていた。開いても開いても、新しい記事が出てないことで、あきれていた事でしょう。別府さんは自身のブログを毎日更新しているから、「いったい 何をしてんだ。」怒ったかもしれない。
活躍されてるプロのミュージシャンが、読んでくれるというのに、なにをしてる と 自分でも思う。
youtubeでの音楽鑑賞はそのご、別府葉子パレード。今日は別府葉子デー。
「アムステルダム」から聞き始め。「パリの空のした」「ラストワルツ」シャンソンの名曲から、ロックの「ローズ」フォルクローレの「花祭り」。中島みゆきの「ファイト」も 中森明菜の「北ウイング」も、みな 別府葉子のうたになって響いてくる。繊細に 力強く、甘く、高らかに。ポップスの「花の季節」「悲しみのソレアード」「ケサラ」ライブではいろんなジャンルの曲で楽しませてくれている。どれも シャンソン歌手 別府葉子の歌として。彼女の歌いいですよ 聞いてくださいね。




別府葉子女子会トリオ 悲しみのソレアード

熊本から隈元くんが帰島。避難ではなく、入院中のお姉さまの見舞い。担当医師から病状経過説明をきく約束は、震災の一週間前に決まっていた。避難生活一週間後に、熊本を脱出して、やってきた。奥様と子供さんは鹿児島の奥様実家へ。ずっと車中泊していたから、早く鹿児島へ行けたらよかったろうに、大学で副学部長の役に就いて、管理運営の業に当たっていたら、大学に待機せざる得ない。「お姉さんのおかげで丁度よかったかな」と、他人勝手に考えるが、被災して今後に不安を抱えながら、お姉さまのことにまで、気を回せねばならない彼にしてみれば、大変な心労だろう。島に滞在中の夜だけでも、美味しいものを食べて、歓談し、寛いだ時間を過ごして欲しい。と、言うも、これも彼との再会を待ってた 私の楽しみを、満足させることでしかないのかも。しかし 熊本では、毎日 何度も、地震に地を揺さぶられ、不安からぬけられず、緊張を強いられ、思いストレスに襲われていた時間から しばらくでも抜けられたことは精神的な救いに なったのではないだろうか。これから先のことへの不安も大きいだろうが、少しでも静かな夜を過ごし、熟睡できたとしたら、緊張からの疲れを癒してくれたに違いない。これからの不安の大きさは。被災者ではない我々には計り知れないほどのものだろう。彼のマンションはひびが入っているそうだ。建て替えになる可能性が大きい。経済的負担が重荷になる。
「いつまで続くのかわからない、この状況は ほんと きつい」そう本音を言いながら、混乱時の思いがけない出来事を笑い話にして語ってもくれる。今後の難題がいくら大きくても、一つ一つ、こなしていかなければ。という 前向きな意思が、聞いてるわたしを救ってくれる。心配はしてもなんら手助けが出来ず情けなく思う自分を、ほっとさせてくれた。
ここで病床にいる彼のお姉さまのため、手伝える事をやれば、彼の背負ったものを 少しは軽くしてくれるかな。



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