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追悼

初めて彼女を見たのは、高校1年のとき。高校の中庭を、挟んだ向かい側の教室から
私達の教室を見て彼女が笑っていた。私達の様子を向こうから見ていて、おかし
かったのだろう。。私達の授業は、生物。先生は新任の冗談ばかりで、生徒と、一緒に
ふざけ合う人。一人の生徒が「先生、あの子 こっちばかり見てるよ」と、発言
して、我々皆一斉に、向かいの教室を見た。窓際の後ろの席の女子生徒が、我々が
注目していてもまだ こちらを向いて笑ってた。
2年になって 彼女と同じクラスになった。やはりいつも明るく 笑顔を絶やさなかった
たぶん 名前は既に知っていたはずだ。成績のいい子だったから、成績一覧表には、
名前が表示されてたはずだ、我々の時代は学年で50番くらい クラスで10番
までは成績一覧表の名前が、公表されていた。
彼女と その友人合わせて3人が 物理部に入部した。女子の物理部員は珍しかった
私の化学部には、薬学部志望の女子生徒が入部したりしていたが、物理部には、私が
在籍した3年間では 彼女達だけだった。その物理部と化学部は伝統的に仲がよく
一緒に活動することが、多かった。それから 私も彼女も同じ仲間という意識で
親しく接していられた。とにかく彼女は明るい。クラスで笑い声がすると
その 話の中心に彼女がいた。私達のいたずらの犠牲になっても からかわれても
彼女の反応は言葉で怒ってても やはり笑顔だった。
夏休み前、お父さんの転勤で 彼女は北九州の小倉に転校することになり、クラスで
送別会が開かれた。会の最後、輪になったクラスメイト皆に握手して回った彼女は
号泣していた。でも このときは 目を真っ赤にしながら、言葉は感情の昂ぶりで
うまく発せられなかったけれど、級友達からの言葉に、はにかんだ笑顔で応えていた、
いつも どんなときでも 彼女の笑顔があった。思い出す彼女は必ず笑ってる。
2学期になって 彼女は戻ってきた。私達の高校が良かったようだ。家族と
離れ 寮生活をはじめた。意地悪な私を含めた男子数人は、彼女を「出戻り」と、
呼ぶようになった。相変わらず笑ってた。笑顔だった。私達は嬉しかった。
卒業して 彼女は姉妹で、鹿児島の実家に住んだ。親元を離れて鹿児島に住む同窓生
の多くは、彼女の家で 食事をご馳走になったことがあるようだ。私も夏休みに鹿児島
に滞在した際、親友のKと、彼女の作った昼食を頂いたことがある。後でわかったこと
だが、鹿児島に居たか、立ち寄った 沢山の同窓の友が、彼女の家に招かれていた。
彼女の家族もみな、朗らかで親しみやすい人たちだった。お母さんは とても他人を、
思いやられる方で、物理部のある先輩は、帰省途中の鹿児島で、怪しい連中に絡まれ、
鹿児島で唯一知ってた彼女の電話番号にダイヤルしたところお母様が、すぐ家に来る
ように言って、泊めてくださったようで、先輩が「ほんとに助かった」感謝していた。
もう30数年前のことだけど、彼女の家で 妹さんを交えて 会話を楽しんだことを
まだはっきりと憶えている。
彼女が職場で結婚したあと、暫く会うことも無く、交流は途絶えたが、同窓会には、
彼女は必ず来た。高校があった地元に居るものより熱心だった。3年前初めて鹿児島
地区の同窓会が行われたのも 彼女の提案だった。18人が、集ったその会は
すばらしかった。結局彼女に会ったのはそのときが最後になってしまった。
その後 大阪での同窓会の連絡と、昨年の全国同窓会での 担任だった先生への誘いの
電話をしてもらう依頼のため 2度電話で、話した。昨年電話をしたとき、丁度病院で
診察を受けているところだと、本人から聞いた。体調がすぐれない様子は伝わっていた。
でも、まさか 命に関わる重いものだとは、思いもしなかった。
あれから 2ヶ月、彼女は逝ってしまった。
知らせを聞いたとき 呆然とした。どうして 明るく元気だったあの子が。Mに電話
した。Mと、彼女のご主人は同じ職場だったから 何か情報を持っているかもと。
電話のむこうのMは、大きな声を発して驚いていた。Kに知らせた。暫く沈黙があって
落ち着きを取り戻したかのように 「そう」深いため息と共に言葉を発した。
彼女と一番仲良しだった S嬢に聞いたら、Sだけは 彼女の病気を知っていた。
他の同窓生に対しては口止めを 頼まれていたそうだ。ただSにしても そんな深刻な
状態になってるとは知らず、訃報は思いもよらないことだったらしい。一晩泣き明かした
ようだ。Mは、夜 電話を寄こした、哀しいより悔しいようだ、「何かして上げられな
かっただろうか」「言葉を」かけられなかっただろうか」彼女の笑顔を思い出す度、
そんなおもいに駆られるのだろう。今年の鹿児島地区の集まりで また会えるはずだった
のに、もう叶わないのか。
安らかに と 冥福を祈るべきなんだろうけど、今はまだ、悔やむ感情が大きくて
何か得体の知れぬ 運命の不条理とでも言ったらいいのか 激しく抗いたい厄介なもの
を恨み、それに対して無力であること悔やむ。
まだ 早いだろう。素敵な彼女の笑顔に魅せられていた同窓生達は、そういいたいはずだ
願わくば もう一度、と思うそれぞれの記憶の中に、彼女はしっかり焼き付けられ、
皆が 彼女に感謝の意を込めて思うだろう、「智子さん 貴女のことはづっと忘れないよ」


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