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転勤の時期 テレビでは、鹿児島本土から奄美の各島や種子島 屋久島へ転出する
教員等への港での見送りの模様が頻繁に放送されている。船の見送りは、その後の
余韻が独特。船はゆっくり離岸し時間をかけてだんだんその姿が小さくなる。
見えなくなるまで岸壁で見送る人たちは、別れの言葉を連呼し手を振り続ける。
見送られるほうも、見送る人たちの姿が、見える間、づっとデッキから 手を振り返し
それを記憶に焼き付けようと感涙の目で、見続ける。船が見えなくなった後、または、
岸壁が、見えなくなった後、別れの寂しさよりも 皆で見送ってあげたこと また
長い時間かけて大勢の人が見送ってくれたことに、感動して、こみ上げるものを感じる。
私は3度見送られる方に、なったことがある。
その内の2度目は、与論での4年間の勤務を終えて、名瀬に転出したときだが、
見送りに来た人たちに申し訳ないことになり、感動の別れシーンを期待してたのが、
しらけた笑い話しになってしまった。
出発できなかったのだ。船便は、2つの会社の船が、鹿児島=沖縄 2つのうちの
A社が東京=沖縄間で、運行していた。私が出発する日は、B社の鹿児島までの便と
A社の東京までの便、両方が運行予定だった。その日は土曜日、まだ 完全週休2日
には、なってないときで 後の時間に出る 「A社の船だったら、見送りにいける」
と言う人たちも多くて、島でお世話になった、A社の代理店の運送会社の社長が、
「いい席取ってあげる」と、言ってくれたこともあり 1時間ほど出港の遅いA社の
船に乗ることにした。風の強い日だった。
早めに港に行き、鹿児島に出かけるために来ていた島の人たちと、挨拶を交わし、彼らは
先に 発って行った。
私の見送りのために、職場の人 その家族、所属していた陸上競技連盟の人達 それに
島で お世話になった方々50名位の人が来て、皆に挨拶をし、送辞のような、代表人」
から言葉を送られ、記念品と、賞状を貰い、万歳三唱を受けて 船に向かった。
ところが 波が高いと、船は接岸を、断念し、そのまま名瀬に向かってしまった。
鹿児島行きの船だったら行けたのに との 声も耳に入り 申し訳なくも 笑うしか
なかった。その後 友人宅で、外に出ずひっそりと過ごし、夜になってから、いつもの
居酒屋へ、飲み会が、一日余計に増えた。でも 親しい者達だけ、本当に最後の晩が
過ごせて、良かったのかも。
翌日 なるべく人目につかぬよう 港へ。島の人たちは 前日のことはわかっていて
笑い話にしていたようだが。 見送りは、職員の家族と友人 職員は何かの都合で
来てなかった。10人ほどの見送りの人たちも昨日盛大に送ってやったから と
気は、違うところへ向いているような、何かしらけている感じ。昨晩づっと付き合ってくれた
誠一郎と、前日来れなかった駅伝監督だけは、私に何度も声をかけてくれていた。
それに、前日は無かった 横断幕が、掲げられ、それが見送りの体裁を整えてくれていた。
後日 その横断幕と 写真が 誠一郎から、送られてきて 今でもそれは大切に持っている。
その後 与論へは何度も行って、また 与論献奉で、楽しい時を過ごした。島の人達との交流
も、もちろん続いてるし、島民でなくても、同じ時期に与論で一緒だった人達に、鹿児島で
であったときには、与論時代の思い出話で、盛り上がる。
ほんとに与論での4年間は良かった。楽しい思い出がいっぱい。あの日の船の抜港は天からの
贈り物かも、あと一日 楽しみなさいと、言うことだったのだ、と、今は思っている。


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