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「記憶というものは、深い海の中に、沈んで堆積しているものが、何かのきっかけで 海面に出てくるようなもの」。大学入試の国語の試験の長文の冒頭に、これがあった。30数年前のこと 私19才。何で こんなこと憶えているか。 この年 受けた別の大学の入試でも、同じ文章が出されていた。こんなラッキーがあったのだ。結果は、両方とも不合格。先に出た問題の検証などしてなく、ラッキーを生かせなかった。
そのときの驚きと、結果に対する悔い が、これをづっと忘れさせないのかも。感情が伴うと強く印象付けられる。
私が 昔のことを、話すと、「よく そんなこと 憶えているね」と 驚かれる。大体は実際に体験したこと、これまでの人生での記録が頭に残っている筈。当然、ハードディスクのように 容量に限界がある。これからの体験については、いつか もう記録されなくなってしまうのだろう。
「記憶力がある」というのとは違うと思う。私のは印象付けられた記憶で、何かを記憶しようと、能力を働かせたものではない。従って、何かに役立つものではない。無くても困らない。勉学に生かせる力は、無かった。
興味のあるもの、興味を覚えたものが、私の記憶の対象で、持っていなければならない知識が、記憶として残ってないこともある。
また 激しい感情を伴った記憶などは 嫌でも消えることなく、時々積まれたものを引っ掻き回されて、蘇る記憶になっている。
記憶がいい と 言うことが、その人の長所とばかりにはならない、場合によっては窮屈に生きてしまう要因にまなる。忘れっぽいという人も、それはその人の気質で、能力の有無とは関係ない。「面倒なことは 忘れる性格」というのは 素敵な生活を保証してくれているのかも知れない。
さて 私 記憶のことで 賞賛もされるが、警戒もされている。同窓生などは、過去の隠したい出来事を、私が覚えていたら、ばらされるんじゃないかと、疑心を持つらしい。そんな 秘諾の情報など持ってないし、その人が触れられたくないことには触れない。そもそもそんなたいして興味の無い記憶は蓄積の中にあっても 言われなければ取り出されない。 大学教授が「アグネスチャン万歳」と叫んでたとか、校長をしてる体育教師が「めぐみちゃん」ばかり口にする麻丘めぐみファンで、女生徒にあきれられてたとか、楽しく笑える思い出だろう。
中には 過去に嫌な思いをさせられた相手が、何も無かったように接してくるのを、強い憤りに感じてしまう人も多いようだが、苦痛の感情が消せない当人と、その場限りの感情で残らない相手との落差は大きい。相手に何かを求めるのが不可能なら、自分の方で忘れてしまえたら、楽になれるのだが。
記憶もただ積んでおくだけでなく、選択して、捨てた方がいいものは 捨てるよう努めよう。性格の問題でもあるが、楽に生きる方を欲するなら、やってみようか。新しい知識、情報をこれからも記録するためにも。
人間死の間際に一生の思い出が蘇るという、楽しい思い出だけを持って旅立ちたいものだ。
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