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<昭和青春グラフティーでは、青春だった時代のお酒 について語っていた。関口宏、山本陽子 吉田類が、自分達の酒にまつわるエピソードを紹介しながら 昭和20年代 30年代 40年代の酒場の様子などを話してた。
子供の頃私もその名を知ってた、ジョニーウォーカー黒ラベルは、当時の大卒初任給の2倍にあたる 1万円もしたこと、それに対し、庶民のためのトリスウィスキーが発売され、街に沢山のトリスバーができ、一杯100円で飲めた事。今ブームのハイボールも彼らの青春時代からあった。そして焼酎が今は、お気に入り。
私が20歳になった頃、ウイスキーと言えば サントリーオールドだった。いくらでうってたかは、憶えてない。買ったことなかったかも。スナックでキープする酒だった。あのころはビールが好きだった。今でもビールは好きだが、20歳の飲み始めのころは、ビール以外の酒では、直ぐ酔っ払ってた。だから ビールばかり。ただ 大人ぶって外へ繰り出すと、ビールじゃ高くつくので オールドの水割り。焼酎などは 一口で目が回りそうだった。
青春の酒、としてあげるなら、サントリーホワイト。安かった、お酒を出す喫茶店はもっぱらこの酒だった。3000円でキープできた。こういう店で 歌を聞きながら、時には唄いながら、飲むのが一番楽しかった。正直スナックは、綺麗なお姉さんがいたから行ってただけ。
サントリーホワイトは初め 買うのに 1000円出して50円くらいおつりが来た。学生時代のうちは、1000円と数十円以内でづっと買ってたはず。酒屋で買って、下宿で、レコードを聴きながら、フライビーンズをつまみに、一人で飲む事も多かった。たずねてきた事のある友人が 思い出として「部屋には。ホワイトの空き瓶がゴロゴロしてた」といってるが、確かに捨てるのが面倒で、10本くらい、室内に放置してた。
焼酎をよく飲むようになったのは、30代、与論にいたときからだろう。 4年の在島中 一生で飲む酒の半分を
飲んだと、大げさに言ってたが 飲めなくなってしまった今思うと ほんとにそうだ。一気飲みが慣例だから、焼酎の一升瓶がすぐに空になる。3人で飲むと3本 4人で飲むと4本、当然毎回 正体なくすほどによってしまう。島の人は 一機に飲んでさっさとお開きにして ぐっすり寝て、翌日も元気。見習ってこの習慣を身につけることはできなかった。
娘 舞は 焼酎が好きだった。「ビールなんて苦いのが何で美味しいの?」といってた。引越し手伝いで出水の彼女の部屋へ行った時にも、焼酎の5号瓶が、そうとうあった。私の学生時代の部屋なんか その比じゃないくらい。夜、電話をすると「今 カラオケ」「今 居酒屋」「部屋にいる 友達が来て飲み方」決まって返事はこれだった。飲酒よりも 交友が、目的であるのは確かだけど、その手段の焼酎は、欠かせなかったようだ。出水の「島美人」が好みだったようだ。ソフトなタイプの焼酎が流行の中、きついくらいの芋焼酎の島美人を、好んでた。
出水を去るとき、大方、処分したが、黒霧島のパックと、伊佐美の一升瓶を、姶良にもってきた。黒霧島を飲んでみた、5,5の水割りで、一杯で酔いが回った。昨年、2月の私の入院以来 初めての焼酎だった。舞の位牌の前にも供えようと思ったが、反対されるのがわかってて、面倒なので、やめた。ちょっと 高級な伊佐美は、もったいなくて空けられない。来年の7月 友人達を招いて、その時あけよう。
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与論で飲んだのは 有泉
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