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江戸は運河の町

「ブラタモリ」を見ていた。小名木川を船で散策していた。画面にこの川の名が表示されたから その名が判ったが、初めて聞いた名前だ。江戸時代の運河らしい。画面がデジタル処理され、川の両岸のビル群が、小さな古い建物に変わり、広々とした空き地が出来る。江戸の頃の川の様子が再現された。川には荷を運ぶ 多数の船が行き交っている。現在は運河の役目はほとんど終わっているが、大きな製粉工場が、東京港に入った小麦を 船で運んでいるらしい。一艘の船でトラック50台分運べるからだという。家康が作らせた運河だから420年前に出来たのか 命を受けたのが小名木と言う人だった。
運河としての役目を終えた川で、埋め立てられた川があり、 タモリはその痕跡を探していると、護岸の堤防跡を発見。それを見て そこに流れてた川を想像し、昔を偲ぶ。その想像がまた さっきと同じように 処理され、家々が消え、川が現れ、広い田園地帯となり、船人が行き交う。今度はさらに、戦前の様子だと思うが、川遊びをする子供達がいて、そこが埋め立てられ、埋め立て工事の作業に人々が汗流している。埋め立てが完成し、細い路地が現れ、家々が出来て、また最初の 現在の姿に戻る。
昔運河であった痕跡の堤防の一部を見ていて、はるか昔の人々の暮らしを思い浮かべる事が出来る。私が霧島の嘉例川駅のホームから線路の先を見つめて思うものと 同じだと思った。わたしは100年前を意識したが、タモリは400年前を見つめていた。
後の運河の、川遊びや 埋め立て工事の様子に想像が行ったのは、そこで暮らす二人の人が、埋め立てられる前の川の思い出を語ってくれたからだ。終戦後 焼け落ちた瓦礫を 運河に埋めたそうだ。古い写真が紹介された。その家がある 場所の嘗ての様子、川があり 竹ざおを積んだ船が停泊して、それを陸に運んでいる人がいる。川はずっと遠くまで延びていて、何より違うのは 両岸の家は皆 小さな平屋。ビルなんか コンクリート造りのたれ物なんか全く無い。
こうして歴史を辿って、遠い昔の人達 それは 自分の先祖かもしれない、その暮らしぶりに、思いを馳せてみるのも ロマンだな

まさか江戸時代、こんな歌は歌われなかっただろうが。江戸ポルカ
『---』一青窈『江戸ポルカ』 -PV- 投稿者 utadalove

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