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奄美ジャズの会の思い出を書いたら メンバーで中学の先輩でもあるSさんから電話が来た。ジャズで検索したら私の記事が出てきたそうだ。「川元君 誰かわかる?」とまず聞かれたが、もう何年も会ってない人 わからない。名前を聞いたらすぐわかった。あの人の声だ。私が島を出て すでに16年、5年ほど前に 帰省したとき、車中から 横断歩道を行くSさんと対面、言葉は掛けれず、お辞儀だけしたことはあった。今も 名瀬にいて、元気そうだ。「川元君が出てきてびっくりした」と話して、子供さんが二人 鹿児島に住んでること、今年8月 福岡で同窓会があることなど、しばし 久しぶりの会話を楽しんだ。ジャズの記事を読む楽しみをまだ続けていて、ジャズを愛し続けていることに感服。実は 先輩 私の勤めていた信用金庫の先輩にもなるはずだったのだが、あの 常務の言葉に反発して すぐ辞めたという 私が羨ましく、尊敬もしてる人でもある。
奄美ジャズの会だが、メンバーだった9人のうち 4人が故人になってしまった。行方不明者もいるようだ。中心だった人たちは、やがて70歳になろうとしている。私のように奄美を離れてしまった人も。会は立て関係がなく 和気藹々の飲酒しながらの会合ばかり。役と言えば 会長と会計だけ。年長でリーダー的な人もいたが、堅苦しさなどなかった。
昭和49年結成 菅野邦彦トリオを招聘したのが始まり。昭和62年にその菅野邦彦トリオを、東京から直で呼んでコンサートを開き、それを最後に 活動休止。そのまま 解散。私は与論にいた。会長が体調を崩すなど 各自事情があり、活動が困難になっていた。プレイヤーを呼ぶには、ツアーで九州に来る人たちに 奄美まで来てもらう と言うのが一般的。最後のコンサートは 直接来てもらうため、ギャラは2倍払った。そうしてでもけじめをつけたかったようだ。もちろん私も、与論から駆けつけた。
その後 島では ジャズ喫茶のグループや、楽器店が、コンサートを主催してくれて 生のジャズは聴くことができた。私は チケット販売を手伝うだけ。後のコンサートはあまり憶えていない。
今も 鮮明に憶えているのは、田村翼のライブレコードになったスイート奄美コンサート フォースの2回のコンサート、与論に行く直前の 辛島文雄トリオ。辛島さんがアフターで気さくに 何でも質問に答えてくれた。与論に発つ私に励ましの言葉と サインをくださった。Sさんとの思いでも。やはりそのころ、鹿児島から帰る船で偶然一緒になった。私は北村英二グループのスイングジャズコンサートをみた帰りだった。喫茶コーナーで、ビールを飲みながら ずっと話した。ジャズの話 商売の話。与論へ行くとき フォースの徳之島でのコンサートのテープをいただいた。今も大切に持っている。
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