店主の気ままなひとり言
珈琲工房かわもと店主の、ほとんど独り言

プロフィール

川元 正樹

Author:川元 正樹
店主です。よろしく!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



じぇじぇ!朝ドラ「あまちゃん」の人気は80年代の記憶を懐かしくよみがえらせてくれるところにもある と 新聞のコラムにある。80年代のアイドル達の歌が レコードジャケットとともに登場するシーンが何度もあった。歌を聴いてその時代を思い起こすことは必然ともいえる。テレビの時代といわれたあの頃の番組鑑賞が楽しかった記憶としてよみがえるのだろう。もともと 朝ドラファンは、年齢層が高かった。それに 楽しい80年代を経験した40歳代が加わり、AKBのパロディのような今風のアイドル模様に若い人たちも楽しめるのでは。
ちょっと どたばた風の劇も当時のドラマの特徴に近いのかもしれない。かもしれない と 断定できないのは、私があの頃 テレビで歌番組やドラマを見ることはあまりなかった。周囲ではよく 前日見たテレビの件で 話が盛り上がっている場に出会ったが 私はその話に加わることはなかった
。80年代は「知的余力のあった時代」と、雑誌アエラに書かれていたことがある。80年代を再現した映画「横道世之介」の一シーンを説明するための言葉だ。一方で「相反する二つの流れがぶつかる渦の時代」とも.
サブカルチャー 新人類 ニューアカデミズムなどという単語が出始め、新しい文化の潮流の出現の一方 バブル経済下の賑々しい社会で、テレビのアイドルに熱狂するなど 他方から軽薄のごとく揶揄される文化も。これが 人々を全く2分するわけではなく どちらも受け入れてしまう状況にある。世間にどちらも氾濫していた。立花隆的生き方が羨望されても ビートたけしがヒーローだった。話題になっていた 浅田彰の「構造と力」記号論なんてわけが分からずも手にしてみないではおられず。でも ホームビデオ機の普及で、盛況になったレンタルビデオ店のアダルトという言葉も 「村西」「小林ひとみ」といった固有名詞とともに 一気に世間に広まり認知された。どちらでも 楽しめる時代だったのだろうか。
80年代は 私が勤めていた期間だ。80年に就職。89年に退職。仕事では常にストレスを感じていた。特に前半は、私生活でも曇天のごとき感覚にばかり襲われ、どちらかと言えば 思い出したくない時期だ。後半 与論での生活が楽しかったり、ジャズやランニングの趣味を覚えたことで病的鬱になるようなことはなかったが 仕事のストレスは続いた。多忙過というにではなく、私にとって苦痛を感じる仕事だったということだ。
楽しすぎた70年代に比べてその違い ということで 私の80年代は深いどんより薄暗い霧の中のようなもの。
ただ 鮮やかに残っているのは 本を読んだこと。ジャズの 野外フェスティバルが盛況で それをテレビで見るコットができたこと。与論の人たちには「暗いなぁ」とか言われてたけど、レーニンも マルクスも フロイトもほとんどその内容は覚えてないが、読んでたことははっきり覚えている。なにが目的の読書?
そんな私のちょっと曇った80年代も、周囲の賑やかさは、わかっていたし それを疎ましく思ったこともない。「ひょうきん族」「毎度お騒がせします」「聖子ちゃんに 明菜ちゃんに おにゃんこクラブ」も人が話すのには耳を傾けていた。いま 毎日楽しみにみている 「あまちゃん」で80年代を意識することはない。回想のように流れる歌は懐かしいのではなく、知ってる歌が挿入されている というふうに感じている。あくまで 80年代に疎い私は だ。80年代楽しかった人には その歌が聞けるからこそ いっそう楽しいドラマなんだろう。

82年城島高原ジャズフェスティバル
ディジーガレスビー楽団 アルトSAXはパキート・デリベラ 彼と共演した田村翌トリオは、数日前に名瀬でコンサートをやった。ジャズの会の名前で 電報を送った。そんな思い出がある この演奏 ビデオに撮って 何回も見た。

スポンサーサイト


この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://coffeekawamoto.blog55.fc2.com/tb.php/663-9439fcc8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)