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福岡より、親戚の親子が、訪ねてきた。どういう関係の親戚かはよく分からぬ。ふた従兄弟くらいかもしれない。既に他界された ご主人が近い関係であるのはわかるが、今日来た奥方も遠縁である。しかし 縁戚関係より 実際は親密だ。両親がそうだった。私も 福岡に住んだ浪人時代や出張で行った際、何度も泊めてもらっている。夕方やってきた二人との再会は 十数年ぶり。おばさんは としは取っているが、様子は変わらず。息子の方は、依然とは変わっていた。肩書きは「福岡県警 警視」。でも話し始めると昔と変わらぬ謙虚さが伝わった。母親のため、よく休みを取り、旅行の段取りをし、やってきてくれました。2時間ほど、お互いの近況などを 語り合い、彼らは別の親戚宅へ。数十分後に戻ってきた二人とホテルのレストランで食事。今度は、お互いの仕事のことなど。そして思い出話へ。息子は中学の2年間奄美で過ごした。両親は島の出身だが彼らは父親の転勤で九州各地を転々とし、大分から奄美にやってきた。そのとき中学に入った頃の話は、ある程度、想像できるのだが、想像以上に、聞いてて腹立たしい、恥ずかしい、悲惨なものだった。もう一人 島外からきた級友と二人、クラスで無視され、何度も殴られ、女生徒数人にも囲まれ蹴られるなど暴行を受けた。理由は島の人間ではなかったから。島口で話さないから。幾度も浴びせられた、「殴るぞ」という意味の島言葉「ガハ クラワスゾ」という言葉を鮮明に憶えている。ほんとに気の毒な中学生活をおくらせてしまってたんだ。当時高校生だった私は頻繁にかれに会っていたが、親戚の前でそんな様子を伺わせる態度は見せなかった。市内のその中学はそんな学校だったのか。そこを卒業した、友人は沢山いたが、そんな卑怯なものは誰もいなかった。一部の生徒 なら わかるが、クラスの全員となるといったい何に支配されていたのか。そして 教師は何を見ていたのか。話を続ける彼は!
ところが 淡々としている。悔しさをみせない。もう昔のこととして、客観視できるのか。そんなイメージの悪いこの町にも喜んできたのだ。2年に上がったとき、一人の教師が、縁戚になることを どこかで聞いたらしい。それから その教師の態度が一変した。すると 生徒も 彼は、島の人間だとわかり、全く 逆転したような 学校生活になった。なんと 生徒会長に選出され、吹奏楽部の部長にもなった。「一年のマイナスを、次の年に帳消しにできた」と笑うが、少年にはなんとも不思議な体験だったことだろう。聞いてる私は恥ずかしくてたまらない。島の人間でない ということで差別する。
むかし 薩摩に差別され虐げられたことの反発じゃ、まさか ないだろう。大人の中に、じぶんを 卑下して、豊なイメージの都会人に反発する大人はいた。そんな 卑しい考えが 中学生に伝染いたのか。先の教師にしても結局 生徒を色眼鏡でみていたんだ。親戚だからと、言われても いまさらと、全く迷惑でしかないだろう。今 どうなんだろう。 島チュ でない 内地チュを差別する考えは豊かさが増すにつれ なくなってると思う。いや まだ あるかも知れぬ。でも子供達にそれを示唆する言葉を聞かせてはならぬ。
福岡県警の警視という彼、もう暴力など怖くもなんともないだろう。でも日々暴力と戦う日々だ。もし彼が鹿児島県警なら、この町にも赴任して、彼の正義と慈愛に満ちた変えの行動を目の当たりにした昔の同級生は、きっと 恥ずかしさを覚え、反省仕切りの日々を過ごすだろう。
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