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20日の日に亡くなった和憲君のお母さんは、楽しい人でした。やさしい人でした。親切な人でした。そして立派な人でした。すこし耳が遠いため声が大きく、島言葉で語るので、親しみやすく、にこやかな表情に変わるのが常でした。尋ねて行ったわたし達に、和憲君が留守でも、飲み物などを出してきて もてなしてくれました。わたし達も、お母さんと会って語るのは楽しい時間でした。
大学は和憲くんは沖縄、私は大阪、久しぶりに会える、春休み 夏休みは、毎日のように夜遅くまで遊びまわっていました。77年の春に一緒に沖縄に行くことになった、その前日。夜更けに彼と一緒に彼の家に行ったとき、ちゃぶ台にお母様の置手紙がありました。「冷蔵庫に貴君の好物の○○の刺し身があります」確かな文章は忘れてしまったが、その立派な文面に驚いたことははっきり憶えています。
和憲くんは自分で言うから みな、からかって否定するけど、明晰優秀な奴です。3歳上のお兄さんはもっと優秀。高校では学年トップクラスの成績。兄の卒業と入れ替わって入学した弟は、教師から「君が山田君の弟か」と声をかけられ、期待もされていたようだ。ただ和憲君は学業でなく自分なりの高校生活を謳歌して、1年後には「山田君の弟なのに」に変わったけど。立派な両親の血はしっかり受け継いでいた。そして細やかな心使いはお母様から引き継いだのは確かだ。長く患ったままで、かろうじて遺漏をしながら命をつないでいることに 行政に携わる人間として、「国庫からの医療費を使い続けていいものだろうか」と話していたが、何十年も生き抜いてきたお母様の社会への貢献は、計り知れない価値のあるもの。かかった治療費なんて僅かな受け取り。葬儀の際 挨拶で語ったように「孫たちとも一緒に過ごさせて 親孝行も少しはできた」。95歳の長寿でもあり 大往生。旅たちを祝ってあげよう と言ってたとおり、立派に見送って上げれたんじゃないだろうか。
通夜の席でお父様のことも語られていた。驚いた すごい人だったんだ。62年彼が小学1年生のとき。亡くなられた。私はもちろん会ったことはない。戦争で両手を失いながらも、口と足を使って器用に絵を書いたり、工作をしていたとは聞いていた。それがすごいと言うのはそうなのだが、実は画家だったんだ。和憲くんはお父様の葬儀のとき、ある人物が遙々やってきて、その人について大勢の報道関係者が家に来たのを憶えていると言う。その人は、大石順教。両手のない 日本画家で、高名な尼僧。和憲くんのお父さんは その弟子だったのだ。白状すると私は大石順教と言う名は知らなかった。その人のドキュメンタリー映画があったり、演劇の主人公になったり、全国にその存在は知られていたんだ。
そんな両親の血を受け継いだ彼ら兄弟。社会に十分貢献できてる役職を立派に勤めている。
お兄さんは、自然環境を考える活動に取り組んでいて、壮大な活動を話してくれた。戴いた名刺には「NPO雨水市民の会」とある。国技館やスカイツリーなど巨大建造物の屋根に降る雨水の再利用システムを作っているとか。酢を作っているミツカンの「水の文化センター」のホームページには墨田区区民活動推進部環境担当 としてお兄さんがナビゲーターを務める、勉強会のレポートが載っている。また墨田区に棲む昆虫 植物 鳥の写真を自分で撮り、説明文をつけて紹介している。これは墨田区のホームページの「すみだの生き物写真館」と言うコーナーで見ることができる。
和憲くんも やがてリタイヤの時を迎えるが、街のためまだまだ活躍してくれるだろう。どうせなら行政経験を生かして市長になったらどうだ。奥様も市会議員になれそうだし、いいんじゃあない。
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